あなたじゃないと
「――久しぶりね、レイナルド」
赤髪に緑の瞳の美少年は、イリスを見ると文字通り固まった。
もしかすると、残念なドレスに驚いたのかもしれない。
学園以来会っていないのだから、残念に対する抵抗力も落ちているのだろう。
今日の信号三色バウムクーヘンドレスもそれなりに攻撃力が高いので、レイナルドが言葉を失うのも当然である。
「――イ、イリス?」
たっぷりとした沈黙の末、ようやくレイナルドが口を開いた。
「学園以来だけど、変わっていないわね」
イリスが笑いかけると、途端に表情が曇る。
「――いや、待て待て。何しに来たんだ、何で来たんだ」
「え? レイナルドに頼みがあって」
「やめてくれ、帰ってくれ。俺はまだ死にたくない」
何やら、レイナルドは落ち着きがない。
「え? な、何? どうしたの、レイナルド」
じりじりと後退るレイナルドに手を伸ばすと、払いのけられた。
「俺を殺す気か?」
「何の話?」
意味の分からない言動に、イリスも混乱する。
レイナルドはイリスに背を向けると、何やら震えてている。
婚約の話が出ていたくらいだから、何回か話をしたこともあるが、こんなに落ち着きのない人物だっただろうか。
払いのけられたイリスの手を、背後から来たヘンリーがそっと握る。
「大丈夫か?」
「ええ、何ともないわ。それよりも、レイナルドが」
その声に跳ねるように振り向いたレイナルドは、驚愕の表情を浮かべる。
「ヘ、ヘンリー・モレノ! ――違う。これは違う! 俺はイリスに何もしていない!」
何故だか大慌ての様子でレイナルドが叫ぶ。
「……ヘンリー、レイナルドに何かしたの?」
「いや? ちょっと挨拶くらいだよ。――なあ?」
爽やかなヘンリーの笑顔に、レイナルドが飛び上がる。
「あ、挨拶? あれが?」
目に見えて冷や汗をかいている様子からすると、とても挨拶とは言えない挨拶が交わされたのは明白だ。
「……やっぱり、何かしたのね」
そう言えば、学園でもレイナルドに謎の行動を取られた後から、まったく関わらなくなった。
一度、ヘンリーと一緒にいる時にばったり出くわしたのだが、何だか顔色を変えて怯えて逃げて行った。
あれは、ヘンリーが何かしていたということだったのか。
イリスはため息をついた。
この面倒見の鬼は、穏やかに見えて攻撃的な面がある。
姉のカロリーナもそうだが、自分や友人に害をなすものには容赦がない。
「ごめんなさいね、レイナルド」
「謝らなくて良いから、帰ってくれ! そこの死神を連れて帰ってくれ!」
死神とは、また酷い。
本当に、何をしたんだヘンリーは。
「死神か。心外だな」
一片の曇りもない笑顔で言うのだから、これは確かに怖いかもしれない。
「何でも良いから、そこのいかれた奴を連れて帰ってくれ、イリス!」
「そうもいかないの。レイナルドに協力してほしいことがあるのよ」
「協力? 何をさせるつもりだ」
「ちょっと、公衆の面前でいちゃついてほしいのよ」
すると、レイナルドの顔から血の気が引いた。
「――馬鹿を言うな。イリスといちゃつこうものなら、俺は殺される。即死だぞ」
これはまた、大変に物騒な言葉が飛び出した。
「即死って……」
ちらりとヘンリーを見てみると、絵に描いたような良い笑顔を返してきた。
……どうやら、ヘンリーのせいでレイナルドはこんなことになっているらしい。
一応、『碧眼の乙女』のメイン攻略対象の美少年だというのに、何とも不憫だ。
「……大丈夫、私じゃないわよ」
「……は?」
イリスはそう言うと、レイナルドを安心させるために優しく微笑んだ。
「……まさか、こんなに早くに呼ばれるとは思っていませんでした」
街の外れの公園で、金髪に薄紫の瞳の少女はため息をついた。
モレノ侯爵領から馬車をかっ飛ばしてきているはずなので、相当疲れているだろう。
イリスだったら、数日寝込むのは必至だ。
「オリビアさん、大丈夫?」
心配になってイリスが問うと、オリビアはすっと背筋を伸ばした。
「大丈夫です。手足となる、最初のお仕事ですから」
やる気に溢れた眼差しのオリビアに、思わず笑みがこぼれる。
「それで、何をすれば良いですか?」
「レイナルド。これからこのオリビアと、ちょっといちゃついていてくれ」
「……はあ?」
ヘンリーの説明に、二人の声が重なった。
「……どういうことだ、イリス?」
レイナルドが何故かこちらに質問してくる。
ヘンリーに聞けば良いと思うのだが、相当なトラウマがあるらしく、視線を合わせたがらない。
本当に、ヘンリーは何をしたのだ。
これが、ルシオも罹った『ヘンリー怖い病』なのだろうか。
仕方がないので、イリスが説明をする。
「リリアナさんがね、何だか心を病んで自宅療養しているらしくて。さすがに引っ張り出すのもかわいそうだったから。知っている中で一番金髪碧眼っぽいオリビアさんに、お願いして来てもらったのよ」
「……いや、意味がわからない」
「だから、ちょっとオリビアさんと、いちゃいちゃしていてほしいの」
「いや、意味がわからない」
「あの噴水の辺りでお願いできるかしら」
「いや、イリス。聞いてくれ」
「大丈夫! ふりだけで良いから」
「いや、だから」
何か言おうとしたレイナルドに、ヘンリーが剣を手渡す。
「何だこれ? ――まさか、これで自殺しろとか言うんじゃ」
思い切り眉を顰めて、剣を眺めている
レイナルドの中で、ヘンリーは一体何なのだろう。
「万が一の時用だ。自分の身は、自分で守れよ」
そう言うと、オリビアにも剣を手渡す。
オリビアはじっと剣を見ると、ヘンリーに視線を移す。
「……この人といちゃついて、万が一の時はこれを使えば良いんですね?」
「そうだ」
「――わかりました。行きますよ、レイナルドさん」
「はあ? 何でだ」
レイナルドは訝し気な顔だが、オリビアはまったく気にする様子はない。
「いいから一緒に来てください。あなたじゃないと駄目みたいですから」
オリビアの言葉に、レイナルドが目を瞠った。
「……今、何て?」
「だから、あなたが来てくれないと駄目なんです。行きますよ」
オリビアは剣を腰に佩くとレイナルドを引っ張って連れて行く。
レイナルドの頬に赤みがさしているように見えたが、イリスの気のせいだろうか。
確認する間もなく、二人は公園の噴水の方へと進んで行った。