緊急警報発令しました
「これ、イリスの瞳の色ってことだよな?」
「そ、そうよ」
「これを、俺に?」
「ヘンリーに貰った指輪、紫色の石だったから。偶然、ヘンリーの瞳の色と同じだし、お返しに私の色はどうかな、って」
ヘンリーの表情が曇っていくのを見て、イリスの声が尻すぼみに小さくなっていく。
「……ご、ごめんなさい。嫌だった?」
「そうじゃない」
「じゃあ、お揃いの紫色の方が良かった?」
「そういうことでもない」
何だかよくわからないが、ヘンリーの御機嫌が斜めだ。
そもそも指輪を贈ろうとしたこと自体が間違いで、迷惑なのかもしれない。
そう考えると、何だか急に切なくなってきた。
「……いらないものを用意して、ごめんなさい」
しゅんとうなだれながら、ヘンリーの持つ指輪を回収しようと手を伸ばす。
すると、ヘンリーは指輪を自身の左手につけて、イリスの手を握った。
「いらないわけないだろう」
「でも、ヘンリー怒ってるし」
恐る恐るそう言うと、イリスの手を握ったまま、大きなため息をついた。
「――偶然、紫色なわけじゃない」
「え?」
首を傾げるイリスの左手をとると、紫色の石が付いた指輪をじっと見つめる。
「イリスの指を飾るなら、俺の瞳と同じ色が良いと思った。だから、紫色の石を選んだ。……わかるか?」
「え? でも、これ、学園の頃に護身用にくれたものよね?」
「そうだよ。その頃から、俺はイリスが好きだった」
突然の言葉に、イリスは混乱してしまう。
「ええ? だ、だってあの頃は今よりもっと残念で」
「ああ、そうだな。それでも、好きなんだから仕方がない。……偶然なんかじゃないってことだ。わかった?」
両手で包み込むように手を握られて、イリスの混乱は更に酷くなっていく。
「わ、わかった。わかったから、離して」
「だから、イリスが自分の瞳の色の指輪を俺にくれたのが嬉しいわけ。イリスも、同じなのかと思って」
「同じ?」
どうにかヘンリーの手を引きはがそうと四苦八苦しながら聞き返すと、ヘンリーが笑う。
「俺の指をイリスの色で飾りたいのかな、って」
ヘンリーは自身の指輪の黄色い石に口づけると、イリスに微笑んだ。
――これは、緊急警報発令だ。
一刻も早く安全な場所に退避しなければ、命に関わる。
このままでは、羞恥死一直線だ。
「――リ、リハビリ中だって、言ってるでしょう! 馬鹿!」
ヘンリーの手を振りほどくと、そのまま部屋を飛び出した。
自室に駆け込むと、慌ててダリアがやって来た。
どうやら疾走するイリスを見て、追いかけてきたらしい。
ヘンリーの見送りを頼むと、怪訝な顔をしていたがそのまま退室してくれた。
それにしても、あれは何なのだ。
いつからあんな恐ろしい攻撃を仕掛けてくるようになったのだろう。
それとも、今までも攻撃自体は変わらなくて、残念ブーストの防御力のおかげで生き延びていただけなのだろうか。
イリスの鉄壁の防御は性能が高すぎやしないかと思ったが、もう手に入らないのでどうしようもない。
これからは残った防御力で生きていくしか道はない。
リハビリが上手くいって耐性がつくと良いのだが、今は適宜退避して身を守ろう。
ベッドに潜り込んで深呼吸をしている内に、どうにか心が落ち着いてくる。
それと同時に、精神的疲労がどんどん瞼を重くしていく。
結局、いつの間にかイリスはベッドの中で眠っていた。
翌朝、ダリアの小言と共に着替えていると、ふとベアトリスの言葉を思い出した。
深窓の公爵令嬢ベアトリスを、戦いが起きるであろう場所に連れて行くわけにはいかない。
そう言うと、ベアトリスはうなずいた。
『イリス、お兄様を信用しすぎてはいけませんよ。あの人は公爵家を背負う人。相応に下衆です』
何だか凄いことを言い出したと驚いたが、ベアトリスは真剣だった。
確かに、汚れを知らないお坊ちゃんでは、公爵家を継いでいくのは難しいだろう。
だが、イリスにはエミリオが下衆な真似をするというイメージが湧きにくかった。
イリスが欲しいとか意味の分からないことを言いはしたが、あれは日本でのゲームの推しキャラだというだけだ。
もうその話は終わったことだし、ファンディスク対応も手伝ってくれるというのだから、問題はないだろう。
そして今日、イリスはヘンリーと共に馬車でレイナルドの屋敷に向かっている。
もちろん、装いは残念だ。
『碧眼の乙女』四作目の時は、リリアナというヒロインがいて、それを邪魔する悪役令嬢という設定があった。
だが、今回はイリスが会いに行くし、ヒロインを祝福する立場だ。
正直、何に向かって残念になれば良いのかわかりにくい。
仕方がないので、全方向に残念にするしかなく、外出時はもっぱら残念装備だった。
ちなみに、今日のドレスは信号機をイメージしたものだ。
アスファルトを模してまだらな灰色に染色されたドレスに、大小様々な水玉が飛び交っている。
色はもちろん、緑、黄、赤の信号カラー。
間違っても可愛らしくならないように、単色の水玉ではなく、同心円状に色を変えた水玉にしてある。
つまり信号カラーのバウムクーヘンが散りばめられているのだが、これが思った以上に目が回る。
馬車の中で目が回ったイリスは、目を閉じて自己防衛を図っていた。
こうして目を閉じていれば、ヘンリーの左手の指輪を見なくて済む。
無用な羞恥心に惑わされない、という利点もあった。
「……そうしていると、さ」
向かいに座ったヘンリーが、ぽつりと呟く。
目を閉じているので表情はわからないが、どうやらイリスに向けて話しているらしい。
「……いたずらしたくなる」
いたずら。
――いたずら?
何やら恐ろしい言葉に、イリスは目を開いた。
「いたずらって……。まさか、この髪飾りのポンポンを取るつもりなの?」
思わず頭を押さえると、ヘンリーが残念な眼差しを向けてくる。
「……それは、いらない」
どうやら上手く残念ポイントを稼いでいるらしいが、理由がよくわからない。
「じゃあ、この三色バウムクーヘンのパーツを外すの?」
「……そういう意味じゃない」
ヘンリーが深いため息をついたが、ため息をつきたいのはこちらの方である。
せっかくの残念なドレスを破壊されては、たまったものではない。
大体、誰のための残念だと思っているのだ。
本当に、残念な乙女心のわからない男である。
「ドレスを守るために目を開けると、目が回るし。目を閉じると、ドレスにいたずらされちゃうなんて。……どうしたらいいのよ」
どうしようもなくなって唸っているイリスを見て、ヘンリーがまたため息をついた。
「……なら、間を取ろう」
そう言うと、ヘンリーはイリスの隣に移動する。
何事かと見ていると、自身の胸にイリスの頭を抱え込んだ。
突然の接触と謎の行動に、混乱と羞恥心が襲い掛かってきた。
「な、何でこうなるの? 全然間を取ってないじゃない!」
目を開けて目が回るのと、目を閉じてドレスにいたずら。
間があるとしたら、薄目を開けてドレスに迫りくるヘンリーを撃退ではないのだろうか。
目を細めてもぐらたたきをするようなものだ。
ある意味、一番疲れそうなので選択したくはないが。
「いや? 正しく中間だと思うぞ?」
そう言って、頭に載せた三色の水玉ポンポンをつついている。
まったく納得がいかず、結局ベネガス邸に着くまでイリスは唸り続けた。