私と一緒に戦って
イリスの言葉に一瞬固まったヘンリーは、すぐに眉を顰めた。
「何の冗談だ? ふざけていないで……」
「冗談じゃないわ」
ヘンリーはじっとイリスの瞳を見つめる。
刺すような紫色の瞳の視線が、痛い。
頑張って視線を逸らさずにいると、ヘンリーの表情がすっと消えた。
「絶対、嫌だね。――断る」
しばし見つめ合うと、イリスはため息と共に微笑んだ。
「……そう言うと思った」
ヘンリーの身の安全を考えれば、婚約解消するべきだ。
でも、きっと承諾しないだろうとわかっていた。
「――イリス、何のつもりだ」
ヘンリーの声に困惑と怒りの響きが混じっている。
こんなヘンリーを見るのは、初めてかもしれない。
「婚約解消してくれないんでしょう?」
「ああ」
「だったら、――私と一緒に戦って」
それから、ヘンリーにすべてを説明した。
落雷の閃光で思い出した記憶。
『碧眼の乙女』という乙女ゲーム。
友人三人はシナリオに勝てなかったこと。
イリスは投獄されて死ぬ予定だったこと。
残念で応戦したこと。
ファンディスクが存在して、イリスとヘンリーも関わるかもしれないこと。
エミリオに情報をもらうためには、婚約解消しないといけないこと。
大まかな流れを説明すると、さすがにヘンリーも困惑しているようだった。
最後の方には舌打ちしていたので、やはり急に信じろというのが無理なのかもしれなかった。
のども乾いたので、一度イリスは退室して、ダリアに紅茶の用意をしてもらう。
ワゴンで紅茶セットを運ぶと、ヘンリーが立ち上がって紅茶を淹れてくれた。
やはり、ヘンリーの淹れた紅茶はおいしい。
紅茶のカップから立ち上る湯気に、イリスは思わず微笑んだ。
「……害虫はとりあえず置いておいて。色々確認したいんだが」
「害虫?」
転生とゲームの話をしたのであって、昆虫の話をした覚えはないのだが。
何か説明がおかしかったのだろうか。
首を傾げつつ、紅茶を口にする。
「イリスは投獄されて死ぬとわかっていて、何で応戦したんだ」
「回避も逃避も応援しても駄目だったからよ。四作目には通用する可能性もあったけど、失敗すれば死ぬのは決まっていたから。……どうせ死ぬなら、戦って死ぬわ」
ヘンリーは首を振って、ため息をついた。
「どこからその覚悟が来るのかわからない。何より、残念で戦おうというのが一番わからない」
それはそうだろう。
むしろ、転生や乙女ゲームを信じて話を聞いてくれるヘンリーが珍しいのだと思う。
「乙女ゲームは、ヒロイン以外には残酷なの。悪役令嬢なんて、どうなってもかまわない。私なりに一生懸命考えたのよ。結果的には生き延びたし。残念は私の命の恩人よ」
「だから、やたらとおかしな行動をしていたのか。ドレスもそうなのか?」
「ええ。美しい悪役令嬢なんて格好の餌食だもの。ヒロインの当て馬になれない容姿、絵面が微妙で画面に載せたくない姿になる必要があったの」
「やりすぎな気もするがな」
「蜂の巣を引っこ抜いて捨てたの、忘れてないわよ」
「いつの話だよ」
「どこまでやれば助かるって保証はないんだから、できるだけ残念を稼ぎたかったのよ。一つ足りないだけで死ぬかもしれないから」
「……悪かったよ」
真剣に訴えるイリスに、ヘンリーも気まずそうに謝る。
悪意がないのはわかっているので、イリスも怒っているわけではない。
ただ、それくらい必死だったと伝えたかった。
「だから、イリスが一方的に好意を持っていることにしたがっていたのか?」
「ええ。戦いに負ければ、私は予定通り死ぬから。その時に、私と親しいと思われて迷惑がかからないようにしたかったの。なのに、面倒見の鬼は面倒見をこじらせているから……」
結局は、ヘンリーとずっと一緒にいることになった。
手伝ってくれるのはありがたかったが、イリスが負けていたらと思うと怖くなる。
「それは仕方ないな。俺は事情を知らないし」
「確かに、そうだけど」
「それに、どうせそばにいるなら、仲が良いアピールをした方が俺も楽しいし、余計な虫もつかないしな」
「それは……うん?」
何だろう。
ヘンリーの話に、妙な違和感を感じる。
「学園の頃の話よね?」
「だな」
イリスが首を傾げると、ヘンリーはあっさりとうなずく。
「それも、夏の夜会とか……だいぶ初めの頃よね?」
「だな」
ヘンリーは何故か楽し気に相槌を打っている。
「……変な虫って。――だから、蜂の巣を引っこ抜いたのね!」
そうか。
ヘンリーは虫が嫌いだったのか。
それなら隣にいるイリスの頭に蜂の巣があるのは、さぞ苦痛だっただろう。
説明をした時の舌打ちや、害虫と言っていたのもそういうことか。
「何でそうなるんだよ」
「だって、そうじゃないとしたら……」
だとしたら。
まるで、その頃からイリスのことが好きだったみたいではないか。
……ああ、いけない。
これはいけない。
まだこの攻撃は受け流せない。
「……でも、蜂の巣を捨てたのは許せないわ」
「あんなものを頭につけてたら、残念を通り越してヤバいだろうが」
そう言って、ヘンリーは笑う。
以前にも、こんな会話をしたような気がするが、どうにか残念な感じでかわせただろうか。
ちらりとヘンリーを窺うと、イリスを見て優しく微笑んでいた。
「それで、『碧眼の乙女』というやつから逃避するために、カロリーナは隣国に行ったのか?」
どうにか無事に話が変わったことに、ほっとする。
あのままでは、羞恥心に火が点くところだった。
「ええ。一切関わらなければシナリオに巻き込まれることもないだろう、と思っての行動だったんだけど。結局は『隣国からいじめをする稀代の悪女』扱いになったわ」
「……だから、何を言われても対応しなかったのか。おかしいと思ったんだ。あのカロリーナがやられっぱなしでいるはずがないからな」
確かにその通りだ。
カロリーナはやられたらやり返すし、やられそうなら先にやる。
「それは、代償のせいもあったみたいだけど」
「代償?」