残念、復活
「――ダリア、手伝ってちょうだい」
「お嬢様? 何をしていらっしゃるんですか?」
仕舞ってあったドレスを引っ張り出して並べたイリスは、仁王立ちで腕を組むと、胸を張った。
「――残念装備の復活よ」
ダリアによって額に大きな傷の化粧を施されると、否が応にも残念の気分が高まってくる。
何か文句の一つでも言われるのかと思っていたが、ダリアはあっさりと協力してくれた。
「たまに残念なお嬢様を見ることで、普段のお嬢様の美しさと普通のありがたさを痛感するためです」
ダリアの意見は、断食して食べ物のありがたみを感じるのと同じような気がする。
すっかり残念に慣れてしまっている侍女に一抹の不安を感じつつ、ボリューム調整コルセットを着けて、残念なドレスに袖を通す。
このドレスはあけびをモチーフに、あの種周りの気持ち悪い感じを追求してある。
一見、赤紫色の落ち着いたドレスなのだが、正面と背面に大きなスリットが入っている。
その中にはもこもこの白い綿を詰め込んで、更にはみ出している綿に、惜しげもなく黒い粒々を散りばめてある。
髪飾りとしてあけびそのものを頭に乗せたかったのだが、どうやらこの世界にあけびはないらしく、形を伝えるのには苦労した。
結果的には、蛙の卵を挟んだ顔色の悪いコッペパンのようなものが量産され、気持ち悪くて今まで日の目を見なかったドレスだ。
あらためて見ても気持ち悪いが、そこは仕方がない。
残念には努力と忍耐が必要だ。
イリスはダリアにお願いして、髪に蛙の卵コッペパンを乗せた。
久しぶりの残念装備は、暑くて苦しくて重くて、更に恥ずかしい。
羞恥心は残念にとって、ただの足枷でしかない。
だが、これも仕方がない。
『碧眼の乙女』と戦うなら、イリスにはこの残念装備が武装であり正装だ。
心の底から純粋に残念というわけにもいかなくなったが、恥ずかしくても残念は残念だ。
ビジネス残念であっても、ないよりはマシなはずである。
だが、久しぶりの装備に既に疲労を感じる。
結局イリスの令嬢ボディは、いつも通りの貧弱ぶりだ。
今回は家でも残念装備にする必要はないのだろうが、今日は残念の復活日。
まずは夕方までこの格好で慣らしていこう。
「お嬢様、ヘンリー様がいらっしゃいましたよ」
ダリアの言葉は、イリスにとっての戦の合図だ。
久しぶりに、脳内に法螺貝の音が響き渡る。
相手は手強いが、負けるわけにはいかない。
絶対に、ヘンリーを『碧眼の乙女』から守ってみせるのだ。
「……何だ、その恰好」
応接室の扉を開けると、ヘンリーは残念な眼差しでイリスを迎えた。
「――残念な恰好よ」
「それは、知っている。……また、何か勘違いしたのか?」
ヘンリーは残念な方が好みだ、と思って頑張った時のことを言っているのだろう。
今回はもっと切羽詰まった理由なのだから、一緒にしないでほしい。
「必要だからしているだけよ。家では解除するつもりだし。今日は、残念初めだから、特別なの」
「また、わけのわからない単語を。何だ、残念初めって」
「残念復活の一日目よ」
「復活するのか? 何でまた」
「生きるための戦い……いえ、生かすための戦いよ」
そう。
これは、『碧眼の乙女』からヘンリーを守るための戦いなのだ。
油断せずに、残念にしなければ。
たとえ、恥ずかしくても。
「……まあ、それは置いておいて」
何かを諦めたらしいヘンリーが、話題を変える。
「バルレート公爵家の兄妹が来たらしいな」
「ええ」
さすがはモレノの次期当主。
情報が早い。
「何があった?」
「お話をしたわ」
「何の話だ?」
「個人的なことよ。ヘンリーには関係ないわ」
その答えに、ヘンリーはため息をついた。
「クレトが、俺にわざわざ知らせてくれた。エミリオ・バルレートに何かの話を聞きたくないかと言われてから、イリスの様子がおかしいとな。それに、エミリオのイリスを見る目も気に入らないとさ」
クレトの外出先はヘンリーの所だったのか。
意外な伏兵がいたものだ。
内緒だと約束したのに。
やはり、面倒見の鬼の気質の相性が良いのだろうか。
あるいは、単純にイリスの恋する乙女感が足りなかったのかもしれない。
婚約者がいても不足するなんて、イリスに恋する乙女は縁遠い。
なんて残念な話だろう。
「それで、何があった?」
「それに答える前に、ヘンリーにお願いがあるの」
「お願い?」
首を傾げるヘンリーの瞳をまっすぐに見つめると、大きく深呼吸をした。
「――何も言わずに、婚約解消してくれる?」