夏の夜会は骨付き肉と共に
「あらら?」
御令嬢の波が押し寄せたと思った時には、イリスはヘンリーから離されていた。
はじき出された塊の向こうにヘンリーがいるのだろうが、人数が多くて見えない。
「……これって、凄く残念な状態かしら?」
パートナーを他の女性にとられた形だ。
なかなかの残念具合ではないか。
「なら、いいわね」
残念を一つクリアして満足したイリスは、その場を離れて食事をとることにした。
「私、この夜会であの方に好意を伝えたくて……」
「アベル王子は未だに婚約していないんだろう? 何でだろうな」
「今回の取引で、うちの家業も軌道に乗ったよ」
「モレノ侯爵令嬢はまだ隣国から帰ってないんでしょう? やっぱり、あの噂は本当なのかしらね」
「それで、千里眼の聖女っていう人がいて、先のことを見通して教えてくれるんですって」
賑やかな会場の端で食事をしていると、あちこちから色んな話が聞こえてくるものだ。
「アベル王子って、一作目のメインだった人よね。結局、まだ婚約していないのね」
ベアトリスの頑張りが地味に効いているのは、ちょっと嬉しい。
本人は微妙な戦果はいらないと言っていたが、シナリオに変化を与える可能性があるというだけでも、イリスには救いだ。
「カロリーナの噂は、いつ沈静化するのかしら。何もしていないのに、酷いものだわ」
もう二年はまともに会っていない。
手紙のやりとりはしているが、やはり寂しい。
「……千里眼の聖女、ねえ」
そんなものがいるのなら、これからどうしたらいいのか教えてもらいたいものだ。
「いや、駄目だわ」
自分で戦わないと。
シナリオの強制力がどこまで影響しているのかわからない。
公の接触は、できるだけ控えた方が良いだろう。
イリスには、断罪の末に死が待っている。
友人達に迷惑がかかってはいけない。
そういう意味では、ヘンリーも危険だ。
あくまでもイリスが勝手に好きだと言っているというのが、やはり正しいだろう。
親切心はありがたいが、ここはヘンリーの身の安全を優先した方がいい。
「今度ヘンリーに言っておこう。……さて、気を引き締めていかないと」
テーブルの上に並んだ料理の中から、一番年頃の令嬢に似つかわしくないものを選ばなくては。
大ぶりの骨付き肉に手を伸ばしたその時、背後から声がかけられた。
「イリス、ちょっといいかな」
振り返れば、赤髪緑目の立派な美少年レイナルドがいた。
ビビッドドレスの威力で眩しそうにしていても、端正な顔立ちは崩れない。
美少年なのは間違いない事実なのだが、イリスは特に魅力を感じない。
自分を死に追いやる原因の一つだからかと思ったが、よく考えると元々好みではなかった。
メインのレイナルドルートは一度クリアしただけで、他のルートばかり周回していたのを思い出す。
どうでもいいことを思い出したところで、疑問が湧いてくる。
何で一人でこんなところにいるのだろう。
イリスに無理にパートナーにされていないのだから、リリアナと思う存分いちゃいちゃしていると思ったのだが。
リリアナの姿を探すと、遠くでセシリアと話をしている。
美少女二人は目立っており、周囲の男性がチラチラと様子を窺っている。
「リリアナさんの所に行かなくていいの? 可愛いから狙われてるわよ?」
「話がしたかったんだ」
話って何だ。
何だか嫌な雲行きだ。
これはまさか、シナリオの強制力が働いているのか。
「庭に出て話そうか」
「肉がないから、嫌よ。ここでどうぞ」
右手に骨付き肉を握りしめて断ると、レイナルドは一瞬言葉を失う。
「……肉が、そんなに好きなのか?」
「別に?」
どちらかというと食べられないが、残念のために頑張っているのだ。
レイナルドは今度こそ混乱したらしく、二の句が継げないでいる。
「話が終わったなら、リリアナさんの所へどうぞ」
立ち去る素振りにレイナルドが慌てる。
「俺とイリスの婚約の話があっただろう」
イリスは心の中で舌打ちした。
何て忌まわしい話を持ち出すのか、この男。
「昔の話よ。仮の話だったし。もう全く関係ないんだから、気にせずにリリアナさんと幸せになってちょうだいね」
そう言って、イリスはその場を立ち去る。
目に痛いビビッドカラーのドレスに、両手には骨付き肉を持って。
どうだ。
後ろ姿も、実に残念だろう。
見栄え重視で両手に骨付き肉を持ったものの、食べきれないし、重い。
大体、何で貴族の子女の集う夜会に、こんな骨付き肉が置いてあるのだろう。
誰も噛り付いて食べそうにないが。
「……もしかして、これ、ナイフで切り分けるのかしら」
日本の記憶が影響したのか、何となく手に持って頬張るものだと思っていたが、違うのかもしれない。
いや、骨の部分に持ち手がついているから、やはり持って食べるのだろうか。
「……どっちにしても、残念よね」
少なくとも、令嬢が手持ちで齧るものではないはず。
残念か、かなり残念かの違いだ。
五十歩百歩というやつだから、問題ない。
肉を持ったままうなずいていると、肉の向こうからヘンリーがやってきた。
心なしか、疲労の色が見える。
「こんなところにいたのか。何で俺のそばを離れたんだ」
離れたというか、令嬢の波に流されただけだ。
パステルカラーのドレスの荒波が面白くて、見ていたら流されたのだ。
何故戻らなかったのかと言えば。
「その方が、残念かと思って」
「……何で、両手に肉を持っているんだ」
「一番残念な絵面かと思って」
ヘンリーが盛大なため息をついた。
「女共に囲まれて辟易している。ある意味交換条件なんだから、今夜は俺のそばにいてくれ」
そう言われれば、迷惑をかけている以上、従わざるを得ない。
「肉を持って、隣にいればいいのね?」
「肉は置け」
「でも、それじゃあ、残念アピールが足りないわ」
「それだけギラギラでビラビラのドレスを着てるんだから、十分残念だ」
「やだ。褒めてくれてありがとう。でも、蜂の巣を捨てたのは許せないわ」
「あんなものを頭につけてたら、残念を通り越してヤバいだろうが」
「大丈夫よ。蜂はいなかったから、刺されないわ」
「そういうことじゃない」
「蜂の巣の分、残念アピールが足りなかったら、ヘンリーのこと恨んでやるから」
「そんなわけのわからん心配するくらいなら、今夜は婚約阻止のためのアピールの方に力を入れろ」
そう言って、イリスに手を差し出す。
ダンスの誘いだと気付いたイリスは、これは良くないのではと心配になる。
「ヘンリー。積極的に協力してくれるのはありがたいんだけど、やっぱり私の一方的な好意ということにした方が良いと思うの」
「どういう意味だ? 一方的な好意よりも、仲良しアピールの方が婚約阻止には効果的だろ?」
それはその通りなのだが、仲が良いと周知されてしまえば、万が一の時に影響が出るかもしれない。
「詳しくは言えないんだけど、危険だから、やめた方が良いと思う」
「何が危険かわからないが、だったらイリスも同じだろ? それなら手伝うよ」
ヘンリーはこともなげにそう言って、イリスの手を引いてダンスホールに向かう。
何度か説得してみるが、結局同じことを言われてしまう。
面倒見が良いとは思ったが、ここまでとは。
さすがは面倒見の鬼である。
「とりあえず、今日はダンスでアピールに専念しろ」
「でも、残念なダンスのパートナーだと、足が相当痛くなるわよ」
何せ残念なのだから、親の仇のように足を踏みまくらなくてはいけない。
「だから、残念はお休みだ。他の男と踊り続けていれば、それだけでも良いアピールだろう?」
確かに、レイナルド以外の男とダンスを踊り続けていれば、彼と関係がないというのがしっかりと伝わるかもしれない。
「じゃあ、一曲に数回くらいにすればいいかしら」
首を傾げると、ヘンリーは不敵な笑みを浮かべる。
「俺を見くびるなよ。それ位なら、全部避けてやるよ」
そこからは熾烈な足踏みと回避の応酬となった。
踏む側のイリスが有利に見えるが、ビビッドな緑のフリルとレースが視界を遮るのでなかなか難しい。
あと、目が痛い。
イリスは真剣勝負のつもりだったが、傍目には二人で仲良く踊り続けているだけだった。