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化粧師  作者:
26/31

第五話 笑うしゃれこうべ 七

  七


 鳴り響いた目覚まし時計の音で、急激に覚醒した。頭痛がひどい。連日の寝不足が祟っている。そうでなくとも低血圧気味で、朝には弱いというのに。

 友利は緩慢な動作で起き上がり、暫く布団の上で呆然と点けっ放しの電球を眺めていた。見慣れた汚い天井と黄色い電球を見ていると、昨夜の出来事が全て夢であったかのように思える。そう思いたい。あんな悪夢のような事はその通り、夢であったのだと片付けてしまいたい。しかし無情にも、数年ぶりに走った為疲労した足の痛みが、それは現実なのだと告げる。

 友利は一つ、深い溜息を漏らして立ち上がった。小汚い部屋の隅に放置された洗濯物の山の中から、皺のついた作業着を引っ張り出す。如何に辛かろうと、社会人としての務めは果たさなければならない。元来真面目な気質の友利は、その浮ついた見た目で損をするタイプだ。

 仕事中も、友利はどこか上の空だった。作業に身が入らない。こんな事は今までなかった。

 普段の真面目な働きぶりからは想像もつかぬ彼の様子を流石に妙だと思ったのか、上司は定時で帰れと友利に告げた。友利は目上の人間に要らぬ気を遣わせてしまった事を心苦しく思ったが、素直に頷いた。帰った所で、気が休まるとも思えなかったのだが。

「ねえ」

 帰宅しようと外へ出た友利を、呼び止める者があった。振り向くと同僚がすぐ後ろに立っている。全く気がつかなかった。友利は相当参っている事を自覚する。

「具合悪いの?」

 首を傾げて問い掛ける楡に、友利は曖昧な微苦笑を浮かべて見せた。子供染みた口調だ。

 入社してから約一ヶ月。この先輩が変わり者だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

「大丈夫っス」

「なんかあった?」

 友利は迷った。言うべきなのか否か。昨夜の出来事を話した所で、果たして信じて貰えるだろうか。この男ならどれほど非現実的な話であろうと容易く受け入れてしまうように思われたが、そうでなかった時、尚の事悩む羽目になるのは友利だ。

「……昨日、見ちゃったんスよ」

 友利は結局、そう切り出した。隠した所で楡が引き下がるとも思えなかった。

「何を?」

「ゾンビ」

 楡は大きな目を丸くして友利をまじまじと見た。やはり変に思ったのだろうかと、友利は心中不安に思う。

「動いてたの? 死体が?」

「そうっス」

「いいなあ、俺も見たい」

 これには流石に友利も呆れた。信じるどころか羨ましがるとは、予想だにしていない。何より、普通なら羨ましがったりはしない。訝るか笑い飛ばすかだろう。しかし目を輝かせた楡の表情は、冗談を言っているようにも見えなかった。

「それだけじゃないんスよ。とうとう見ちゃったんス、殺害現場。マジスプラッタ」

「ゾンビを? 別にいいじゃん」

「全然よくないっス。スゴかったんスよ、雑誌記者とか言うから油断してたら……」

 楡はぽかんと口を開いた。友利は怪訝に薄い眉を寄せる。

「その人、名前言ってた?」

 友利はへ、と間抜けな声を上げる。

「あー……杉里?」

「うわあ、会ったんだ。凄かっただろあの人」

 楡は肩の力を抜いて、軽い調子で言った。友利は再び間抜けな声を上げる。

「俺知り合いなのその人。いい人だよ」

 嘘だ、と友利は思う。相手は死体でありこそすれ、あれほど派手に立ち回って人間を惨殺するような男が、いい人な筈はない。確かに襲い掛かってきたのはゾンビの方が先だが、彼は友利にすら殺意を向けていた。

 そもそも楡の交友関係はどうなっているのかと、友利は疑問に思う。

「なんでそんな変な知り合いばっかいるんスか」

「さあ? ……で、なんで落ち込んでたの?」

 友利は脱力した。楡がしっかり話を聞いていた事は受け答えからして明白であったが、その内容が頭に入っているのかどうかは甚だ疑問だ。楡にとっては、些末な事なのかも知れないが。

 脱力すると同時に、友利はどうでもよくなってしまった。不思議な事はこの世に山ほどあるし、理不尽な出来事もそれと同じ程起こり得る。それを逐一気にしていては、百害こそあれど一利もない。身に降り懸かった不幸は、それと受け止めるしかないのだ。

 何故気付かなかったのだろう。気が動転していたとしか思えない。今までだって、友利はそうしてきた筈だ。

「……なんでもないっス」

 髪の根本が黒くなった頭を掻いて、友利は苦笑した。結局のところ、脳天気な楡に救われた形となった。

 楡は怪訝に片眉を寄せたが、何かに気付いて胸に手を当てる。ポケットを探って取り出したのは、継続的に震える携帯だった。

「さっちゃんだ」

 独り言に友利が反応する間もなく、楡は携帯を耳に当てた。また新しい彼女だろうかと、友利は下らない想像をする。

「もしも……あれ、姉貴?」

「えっ」

 友利は思わず声を上げた。上げてしまった後失礼だったかと考えるが、楡が気にする様子もない。

「……は? 椿ちゃん呼ぶの? 義近? ウソ」

 相槌を打つ楡の表情が段々険しくなって行く。良くない話なのだろうかと、友利は段々と心配になって来た。

「うん。行く。……ぴーちゃん」

 友利は唐突に呼ばれてはっとした。楡は携帯を操作して再び耳にスピーカー部分を当てながら、倉庫を指差す。

「主任に帰るっつっといて」

「は? ちょ、どこ行くんスか!」

 自分の車へ駆け寄る楡の背中に、友利は叫んだ。

「友達が危篤だって言っといて!」

 友利は呆然とした。楡はそのまま車に乗り込み、颯爽と走り去る。

 残された友利はただ、楡がスピード違反で捕まらない事を祈るのみだった。

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