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化粧師  作者:
19/31

第四話 八股の大蛇 七

  八


 大胡博士を本庁に引き渡した後、国定は楡家へ向かった。深夜に呼び出された挙げ句失踪事件の犯人を押し付けられた佐島が泣きそうな顔をしていたが、国定はそんな事など気にしない。今回最も大変だったのは国定なのだ。

 男五人で押し掛けたにも関わらず、美佐子はすぐさま玄関から飛び出して来て、ぐったりした弟達を抱き締めた。叫び声と衝撃に孝太郎が目を覚まし、挙動不審になる。

「このバカ! バカ共! 二人してなんなのよ!」

 玄関先で吠える美佐子に、弟二人は困惑して顔を見合わせた。国定と杉里は苦笑いを浮かべる。九重は呑気に煙草を蒸かしていたが、ドアから恐る恐る顔を出した紗代子を見て目を細めた。

「一週間もいなくなっちゃって、私心配したんだから! 感謝しなさいよバカ共!」

「ごめん姉貴」

 宗一郎と孝太郎の声が被った。美佐子は深夜の住宅街の真っ只中であるにも関わらず、声を上げて泣きじゃくる。

 何も出来る事はない。慰める訳にも行かない。国定は途方に暮れて美佐子から目を逸らした。

「美佐子姉さん、中に入りましょう。いくら春だからって夜なのよ。皆風邪をひいてしまうわ」

 泣き腫らした目を紗代子に向け、美佐子はようやく弟達を解放した。二人揃って安堵の息を吐く。

 目元を拭いながら、美佐子は紗代子が開けた扉から玄関に上がった。孝太郎がおずおずと立ち上がってその後を追う。少々よろけてはいるが、歩けはするようだ。

「あ、上がって」

 楡が三人を振り返って、思い出したように言った。立ち上がろうとしたが足に力が入らないようで、膝が折れたのを見た杉里が、慌ててその体を支える。国定も微妙な表情でそれに付いて行き、最後に九重が続いた。

 外に出て扉を抑えていた紗代子が、すれ違おうとした夫の礼服の袖を握る。九重を真っ直ぐに見上げる顔は、少し疲れているようだった。九重はその美貌を暫く見詰めた後、顎の位置にある頭に掌を乗せた。

「……ワリ」

 紗代子は小さく頷き、扉を閉めた。

 ダイニングには、何故か雪乃が居た。大人数を率いて上がり込んだ国定に呆れた視線をぶつけながらも、疲弊した家人の為に席を空ける。

 ソファへ倒れ込むように腰を下ろした美佐子の代わりに、紗代子が台所に立った。

「皆さん、すみませんでした」

 全員が腰を落ち着けた頃、ダイニングに着いた孝太郎が、天板に額が当たるほど深々と頭を下げて謝罪した。正面に座っていた国定が微妙な表情になる。

「っとに手前はよ、迷惑掛けんじゃねえよ」

 カーペット敷きの床に胡座をかいた九重が、灰皿に手を伸ばしながら悪態を吐く。孝太郎はごめんと呟いた。

「そんな事言わないの、心配してたくせに。孝さんも宗ちゃんも、無事で良かったわ」

 茶を煎れてダイニングに入った紗代子は、全員に湯呑みを配りながら夫を叱った。紗代子が空いた席に腰を下ろすと、隣に座っていた孝太郎が俯いたまま僅かに顔を赤らめる。確かに九重が言った通りなのだろうと国定は思う。

「あーしんど」

 九重の正面に同じく胡座をかいていた楡が、灰皿に煙草を押し付けて立ち上がった。足取りは少々覚束ないものの、欠伸を漏らしながらダイニングの入り口へ向かう。

「風呂入って来る」

「お姉ちゃんと一緒に入んないの?」

「入らない」

 大分疲れている。楡はふらふらと脱衣場に入って扉を閉めた。

「……一緒に入ってるんですか?」

 雪乃が凍り付いたような表情で、隣の美佐子に問い掛けた。湯呑みに口を付けていた美佐子は不思議そうに目を円くする。

「そんな訳ないじゃない」

「美佐子さんの言う事いちいち真に受けてっと疲れんぞ」

 煙草を摘んで煙を吐き出しながら、九重は片側の口角を吊り上げた。機嫌がいいようだ。

「姉貴は適当な事しか言いませんよ」

 孝太郎が苦笑した。こちらも大分窶れている。

「アンタ達ねえ、傷心の女に追い討ちかけるような事言うんじゃないわよ」

「傷心は寧ろ孝太郎さんの方だと思いますが」

 国定の隣で茶を吹いて冷ましながら、杉里は苦笑した。

「それともちょっと違うような気がしますが。――あの博士、結局何がしたかったんだろうな」

 紗代子が顔を上げて困ったように眉を顰めた。

「あんなものを作って人体実験して、どうするつもりだったんだろう」

「国定さん達が行った後少し時間があったので、遺体に少し質問していたんですが、博士は結局、人と獣の合成は出来なかったそうですよ」

 杉里は意外そうに眉を上げた。大胡から直接話を聞いたのは彼だけだ。

「何故です? 博士は四体もの動物を繋ぎ合わせて、想像上の怪物まで作り上げたんですよ」

「人の一番優れている部分が、脳だったからでは?」

 雪乃は自分の頭を指差した。

「脳は未だに解明されきっていない部分ですから。博士があらゆる生物の優れた部分だけを掛け合わせていたなら、脳を移植しようとした筈です」

「脳の研究が進まない限り、人間並の知能を持つ動物は作れないって事か」

 国定は神妙な面持ちでそう言った。

 しかし研究者ならば、そんな事には気付いていたのではないだろうか。落首花は、研究していた事は博士自身の意志だと言っていたが、それすらも老婆の意の内だったのではないか。老婆が死体を集める為に人体実験をさせられていただけではないのか。落首花のそれが博士の為の詭弁だったとして、老婆が死体を収集する理由など分からなかったが、国定にはそんな気がしてならなかった。

 博士は傀儡だったのかも知れない。あの老婆の為に長い間研究を続け、自分はそれを知らないまま、研究成果である合成獣と共に暮らしていた。

 ならば博士自身の意思はどこへ行ってしまったのか。彼自身の生活はあったのか。あの研究所で過ごしていたのは、大胡謙三郎その人と言えるのだろうか。

 それは想像するだに恐ろしい事だ。人格や意思の全てを無視して他人の意思で動くよう仕向けられる。そんな事がまかり通っていいのか。

 だから落首花は研究所を燃やしたのだろうか。全てを無に帰す事で、大胡を助けたのか。

 否それよりも、落首花は何をしに来たのだ。前回、前々回はまだ理由も分かる。しかし今回ばかりは解せなかった。手を貸しに来たとも思えない。老婆を止めに来たなら、追って行った筈だ。

 不可解にも程がある。彼女が何を考えているのか読めたとしても、国定に得はないのだが。得がないどころか、損する事ばかりだ。もし彼女が本当に、大胡を助ける為に現れたのだとしたら、彼女は真に悪であるとは言えなくなる。彼女が悪でなければ、国定は彼女を追う事が出来なくなってしまう。

 罪を犯した者が総じて悪と呼べるとは言えない事など、国定とて分かっている。だからこそ、躊躇う。同情するに値するような犯罪者も、この世には幾らでも存在する。悪でない犯罪者は、往々にして哀れな人間である。

 落首花がそういった哀れな犯罪者であるのだとしたら、どうすればいいのだ。国定には理由がなくなる。死人を見たいという感情が理由でない事は、既に自覚してしまっている。代わりに、彼女を憎み、逮捕するべくして奔走する事で、国定は警官たる己を認めていた。己でも認められない子供染みた理由で、正義であるべき職に就いた、自分を。

「考えたって、俺らみてえな一般人にゃわかんねえよ。どうでもいいんじゃねえの?」

 九重はどこか達観している。呑気なのかも知れないが、それによって国定の気持ちが晴れた。どうでも良い事なのだ。

「もう燃えてしまいましたからね。博士の研究成果も罪も、全てなくなってしまったのです」

 しんみりと杉里が呟く。おっとりとした性格のせいか、彼は微妙にずれている。

 美佐子がソファで舟を漕いでいる。

 雪乃が苦笑する。

 紗代子は茶を啜っている。

 女性陣は何も聞こうとはしなかった。ただ戻ってきた彼らを出迎えて、平穏を取り戻そうとしている。それでいいのだろう。非日常を無理に噛み締める必要はない。

 国定はそのまま、テーブルに突っ伏して朝まで眠り込んだ。

長いのに出来が悪いです……

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