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化粧師  作者:
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第三話 天女の羽衣 四

  五


 国定は仕事の合間の息抜きついでに、楡の元へ遺体を確認しに向かった。倉庫に到着すると相変わらずの調子で、作業員が声をかけて来る。ここまで馴染むのも、警官としてどうかと思うのだが悪い気はしない。

 国定が倉庫奥にある巨大な冷凍庫に向かって怒鳴り声を上げると、楡は扉を開けて顔を出した。分厚い扉に遮られている為、怒鳴らなければ声が聞こえないのだ。

「あの焼死事件、どうなったの?」

 唐突な問いに、国定は面食らって片眉を上げた。そういえば、雪の事ばかり考えていた。

「ああ……とりあえず、事故か他殺って事になった。髪から焼けてるんだ。だから遺体が、自分で引きちぎった髪を掴んでいた」

「ありゃ、怖いねえ。火の不始末なのかなあ。煙草の火消し忘れて、寝てる間に髪に火点いちゃったとか」

「有り得るな。……被害者の勤め先に聴取に行ったら、また養女がいたよ」

 楡は胸ポケットから煙草を出しながら、変な顔をした。

「なんかヤダなあそれ。こないだなんか、養女がとんでもない子だったじゃない」

 冷蔵庫の扉に背を預け、楡は煙草を蒸かす。身長は高いと言う程でもないが、足と指は長かった。体型も顔立ちも、どこか日本人離れしている。

「それが記憶喪失の迷い人でな。社長から直々に、なんとかしてくれと頼まれたんだ」

「へえ。じゃ断れないね」

「そう。綺麗な人だったよ。オードリー・ヘプバーンか若い頃の吉永小百合かって位」

 その場で煙草を弾いて灰を床に落としながら、楡は嫌そうに顔をしかめた。

「例えが古いよ国さん、だから童貞なんだよ。すごいジェネレーションギャップ感じる」

「童貞童貞言うな。……最近テレビ見ないんだよ」

 国定は洋画か昔の邦画しか見ない。

「それより君、遺体は」

「あ」

 今思い出したとでも言うように、楡は煙草を銜えたまま手を打った。国定とて無駄話をしに来たのではない。ここに遺体を引き取りに来た時は、小一時間ほど立ち話をするのが常ではあるが。

 楡は煙草を床に落として踏み消してから、冷凍庫に入った。流石に銜え煙草で入ったりはしないようだ。

 暫くして楡は、嬉しそうに台車を押しながら出て来た。

「国さんこれ。珍しいよ」

 端正な顔を子供のように輝かせて、楡は袋を開けた。国定は背中を丸めて、その中を覗き込む。

 中身は、焼け爛れた死体だった。恐ろしい苦悶の表情を浮かべており、限界近くまで開かれた瞼から白濁した眼球が覗いている。髪はすっかり焼け落ち、頭部はほぼ炭化していた。男なのか女なのかも判らない。

 国定は、体の奥底から這い上がる不気味な衝動を知覚した。衝動と言うものであるのかは、本人にも分からない。しかしそれは、死人を見た時だけに感じる、不可解な情動だ。その感情は恐怖でもあり、歓喜でもある。

 そんな感情を覚える理由を、国定は知らない。分からない事ではあるものの、彼はそれを趣味と言う。恐ろしいものを見たくなるという感情に、近いのかも知れない。

ただのオカルト好きとするなら、そうなのだろう。それで解決したくない問題ではあるのだが。

 暫く虚ろな表情で凄惨な骸に見惚れていた国定は、しかし怪訝に眉を顰めた。

「なんだこれ。足が焼けてない」

 怪訝に眉根を寄せて足元まで袋を捲ると、現れた遺体の腰から下は軽い火傷で留まっており、膝から下には火傷の痕すらなかった。楡が首を捻る。

「なんかおかしい?」

「だって変だぞ。他殺でも自殺でも、火を点けるなら灯油でもガソリンでも被るよな。靴履いてても足だって焼けるよ。君、どこで見つけたんだよこの人」

「江ノ島の海岸」

「江ノ島あ?」

 国定は思わず声を裏返した。また焼死だ。

 楡は怪訝に顔をしかめる。

「なに?」

「例の焼死事件。あれも江ノ島だ」

 楡は大きな目を、更に大きく見開いた。今にも眼球が零れ落ちそうだ。

「しかもな、何人かメイドが失踪してる」

「マジで?」

 楡は死体を挟んで向かい合った国定の方へ、台車の取っ手に両手を置いたまま身を乗り出した。

 佐島に調べさせたリストに上った使用人は、驚くべき数だった。シフト制は十年前から変わっておらず、雇用者自体の入れ替わりも激しい。特にここ数年は、慌ただしく何十人も入れ替わっている。使用人などそうそう入れ替える必要はないから、益々沢村親子は怪しい。最早国定には、雇用者が失踪しているという事実を隠すためにあの大人数を雇っているとしか、思えなくなっていた。

 しかしそれを、落首花が夢枕に立ってまで報せて来たと言うのも妙な話だ。

「よし。楡、こいつ渡したら行くぞ」

「いや俺仕事中……」

「僕から話しておく。言っておくが任意同行じゃないぞ。強制連行だ」

 楡は肩を落とし、泣きそうな顔ではいと呟いた。


  六


 殆どがおかっぱ頭の使用人達が忙しそうに行き来しているのを横目に、四人は円陣を組んで話し込んでいた。杉里だけはカメラの液晶を、目を細めて見ている。いつの間に撮ったのか、沢村邸の外観はおろか、風呂場やゴミ置き場までもが写されていた。

 そんなもの何に使うと言うのか。恐らく本人も、用途までは考えていないのだろう。

「確かに、人数合わないっすね」

 全雇用者のリストと聴取表を見比べながら、佐島が言った。

「二人いなくなっているようだね。フミさんの証言では、もう一人無断欠勤で解雇された方がいるから、三人か」

「でも人一人失踪したら、普通家族が探しませんか? 届けは出てないんですよね」

 北見が頷いて資料の束を捲った。聞いた沼津に見せる気はないようだ。

「失踪した三人はいずれも何らかの理由で孤立無援。ここの使用人には孤児院で育った方も多いね」

「そういう人を優先的に雇用してたんすね」

 北見は顎を掻いて首を捻る。

「そこまでしておいて、無断欠勤如きで解雇するかな? 寮に様子見に行くとか、するだろう」

「気付かなかったんじゃ? 国定警視の話じゃ、沢村さん達、使用人の事は全然把握してなかったみたいすから」

「そうじゃなくても、フミさんは気付くんじゃないのかな」

「フミさんかなり高齢じゃないすか。いちいち覚えてないっすよ多分」

 そうかなあ、と北見は反対側に首を傾げた。

 二人の会話を聞きながら懸命にメモを取っていた沼津が、顔を上げて杉里を見る。こちらも不思議そうに首を捻っていた。

「なんでゴミ置き場に焦げ跡があるんだろ」

 杉里は薄い眉を寄せてカメラを見ていた。沼津が覗き込むと、彼はそちらに画面を向ける。

「これ、焦げ跡ですか? 細長いですが」

「どれ?」

 杉里は北見に画面を見せた。確かに、何かを焦がしてついたような跡が、床に何本も走っている。

「ああ、本当だ」

「なんだろうこの跡。何燃やしたらこうなるんです」

 聞かれた北見も眉を顰めている。

「……ううん、このぐらいで鑑識回す訳には行かないな。警視には一応伝えておく」

「現場じゃないっすからね」

 佐島はそう呟いて溜息を吐いた。

「しかし国定警視、何やってんすかね。また勝手に楡さんとこ行っちゃいましたけど」

「またあ?」

 北見が疲れた声を上げた。いつもの事ながら、これほどの事件を抱えておいてまだ趣味に走るのか。北見は心中呆れ果てる。

「あの人も困ったものだな……」

「病気っすよ病気」

 北見がぼやくと、佐島は軽く肩を竦めた。国定の病気は重症だ。治癒する事は今後ないだろう。

 国定が何故ああなのか、誰も聞いた事はない。佐島はそもそも死体を直視出来ないから聞いた所でまともな答えは返って来ないだろうし、北見も踏み込んではならない領域だと考えている。しかし北見は、彼の父親である警視監が、異常に死体を嫌悪するという事実を知っている。それが息子の国定にどんな影響をもたらしているのかも、それ以前にその事が、彼の性癖に関係しているのか否かも分からないのだが。

「しかしなんで落首花が関わるかなあ。今までこんな事なかったです」

 杉里は言った後で、しまったと言う顔をした。

「そうそれ、誰なんですかその子。知り合いですか?」

 沼津の問いに、佐島と杉里は顔を見合わせて苦笑した。笑える話ではないのだが、彼らの性格的に国定のように跳ねつける事が出来ないので、笑うしかない。

「関わる事件全てに箝口令が敷かれているので、詳しくはお話出来ないのです。シリアルキラーの類です」

 先の事件で、杉里と佐島は犯罪史上最悪の殺人鬼を目撃した。あれは見つけた所でどうなる類のものではない。その来歴も含め、最早オカルトである。

「杉里さんそんな事件追ってらっしゃるんですか。凄いなあ」

 沼津は目を輝かせた。この青年はどこか抜けている。

「この間捕まった代議士が、落首花と癒着してる疑いがあるんだ」

 沼津を無視して、北見は呟いた。杉里が意外な顔をする。

「癒着? 何の得があるんです」

「そこは捜査中です。しかし落首花は、裏でかなり暗躍しているようですよ。国定警視監、今頃血眼になってます」

「ゴチャゴチャしてきましたね。九重さん、手伝ってくんないすかねえ」

 佐島は溜息混じりにぼやき、疲れた表情で天井を仰いだ。


  七


 国定はコートの襟元を掻き合わせて、浜辺をうろつく楡の背中をうんざりと眺めていた。作業服にダウンジャケットを羽織っただけの格好をしている割に、彼は寒そうな素振りすら見せない。寒さには強い代わりに、夏が駄目なのだそうだ。夏も冬も苦手な国定などは、薄着の楡を見ているだけで寒くなってくる。寄せては返す漣の音が、聴覚的にも更に寒さを助長させる。

 心の底から不愉快である。国定の眉間に寄った皺は、この浜辺に到着してからずっと、消える事がない。

「おい楡、まだか」

 歯の根が合わない。海風に煽られた髪が口に入るが、国定には取り除く気力がなかった。寒い。

「犬じゃないんだからそんな簡単に見つけらんないよ。警察犬連れて来ればいいのに」

 当てもなくスコップを担いで歩きながら、楡は牛歩でついて来る国定を振り返った。

「僕は犬は嫌いだ」

「だから童貞なんだ」

 突っ込む気力も起きない。国定は背中を丸めて溜息を吐いた。

 浜に着いてから一時間程が経過している。楡はただ歩き回るばかりで、見付ける気があるのかどうかさえ怪しい。元々見付ける事が特技な訳ではないから無理があるのだろうが、国定はやる気の感じられない楡の様子に苛立っていた。理不尽である。

「もー見付かんないよ、ムリムリ。俺見つけようと思って見付けてるんじゃないんだからさあ」

「いつも探しに行ってるんじゃないのかよ」

「行けばある所はそうだけどさ。ここにはデートしに来たの」

「よくそれで振られないな」

 楡は担いでいたスコップを砂に突き刺し、足元に落ちていた貝を拾って海へ投げた。そのまま背を反らして伸びをすると、胸ポケットから煙草を取り出す。箱を突き出して国定に勧めたが、彼は断って自分の懐を探った。

「海が見たいって言うから。冬の海とか、女の子好きだよ」

「そっちじゃない。その時持ってきたんだろう、遺体」

 ああ、と呟いて、楡は煙草を一本抜いた。その手から紙巻が落ちて、風に煽られる。楡は慌てて振り返り、逃げて行く煙草を追おうとしたが、上体を捻った体勢で止まった。

「なんだよ」

 明るい茶色に染められた髪が風に靡いて、顔を隠している。僅かに見えた両目は、凝らすように細められていた。

 楡は徐にスコップを担ぎ直し、防波堤に近付く。落とした煙草もそこまで転がっていたが、楡は拾おうとせず、違うものを見ていた。国定も同じく防波堤へと近付いて、目を凝らす。

「げ」

 国定は思わず呟く。浜辺の砂がざわざわと動いている。無論、砂ではない。流石の国定も嫌悪感を露に表情を歪めた。

「この下だねえ」

 楡は呑気にそう言った。浜辺に蠢いていたのは、砂を埋め尽くす程大量に湧いた蛆虫だった。蠢く米粒のような不気味な容姿に、国定は肌を粟立てる。成虫が飛んでいないのが不思議な程の数だが、楡は気にも留めずスコップを突き立てる。

「オイ待てこの馬鹿、そんなの掘り返したら……」

 国定は死体は平気だが、虫は得手としていない。露骨に嫌な顔をして、数歩後退った。

 楡は黙り込んだままその場を掘り返す。年中富士の樹海くんだりまで足を運ぶようだから、慣れているのかも知れない。砂浜を掘り起こす度に、潮風に混じる腐臭が強くなって行く。遠巻きに眺める国定は、楡の目の黒い輝きに既視感を覚えた。

「ひええ」

 穴が大分深くなった頃、楡が妙な声を上げて突然その場から飛び退き、脇に避けた。国定は目を凝らしてから、見てしまった事を後悔した。悲鳴を上げそうになったが意地で堪える。

 穴から大量の船虫が這い出して来ていた。そのルックスは、万人が苦手とするゴキブリとそう変わらない。船虫は節足動物だったか甲殻類だったかと、国定はどうでもいい事を考える。現実逃避かも知れない。

「夏でもないのに虫が多いねえ」

 楡は遠ざかって行く船虫の大群を眺めながら笑った。国定にとっては全く笑い事ではない。

「それよりこれ、流石に俺らじゃ持って行けないよ」

 楡は砂浜に空けた穴を指差して声を掛ける。国定は恐る恐る近付いて、眉を顰めたまま穴の中を覗き込んだ。うう、と小さく呻く。呻いたのは、死体の惨状に対してではない。そこに湧いた虫に対してだ。

「とりあえず連絡しなよ」

「無関係だったら一生恨むからな」

 国定が横目で睨むと、楡は意外そうに目を円くした。

「虫ダメなの? そんなだから童貞なんだよ」

「君はそのネタをいつまで引っ張るつもりだ」

 国定は後退りして穴から離れ、携帯を取り出した。

「あの……」

 背後から掛けられた声に、二人同時に振り向いた。楡は咄嗟に、穴を隠すようにその前へと移動する。

「国定さん?何をなさっているんですか?」

 涼やかな声。天女を思わせる美貌。

 困ったような表情で、雪が立っていた。

 国定は一瞬戸惑う。楡が上げた大声に、更に戸惑った。

「紗代子……紗代子か!」

 へ、と国定が呟く。振り向くと、楡は見たこともないような驚愕の表情で雪を凝視していた。どういう事だと、国定は些か狼狽する。しかし楡は暫しの間の後、力が抜けたように微笑んだ。その表情は安堵しているようにも見える。

「――うん。変わってないね。綺麗だ」

 楡はどこか悲しげに、そう呟いた。

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