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化粧師  作者:
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第一話 みるなの座敷 一

・死体が出張っています。お気をつけ下さい

 眠らない街。その騒々しい街並みを構成する高層ビル群の隙間や人波を、縫うように飛ぶように、走る影があった。頭から爪先まで黒尽くめの人影は、奇抜な色に瞬くネオンの光をことごとく避け、濁った空気の中を一陣の風となって駆け抜ける。

 千鳥足の酔っ払いや煌びやかなホスト達、或いはチープな異国の娼婦。誰一人、その気配を感じる事も出来ない。風が通り過ぎた事にさえ、気付きはしない。

 影は不夜城を抜け、眠らぬ闇へと消えた。


  みるなの座敷


 一


 狭いデスクの隙間を忙しなく警官達が行き交い、時折怒声が飛ぶ。慌ただしく電話を取っては席を立つ部下達を、国定幸雄くにさだゆきおはだらしなく椅子に凭れ掛かったまま眺めていた。細い狐目はやけに瞳が小さく、三辺から白目が覗く。肌はつるりとして青白く、見る者に不健康そうな印象を与える。特徴というならそれ位で、目つきが悪いこと以外は至って凡庸な顔立ちの男である。

 国定は慌ただしく動く事を好かない。但し故なく拘束され、結果、時間を持て余す事も苦手だ。詰まる所は今現在、暇なのである。内線が鳴る事もなく、彼のデスク上だけ時間が止まったかのように、何の動きも見せない。

 警視庁捜査一課の警視という立場でありながら、彼が動かなければならないような事件は、殆ど無いに等しかった。そもそも警官になったのは死体が見たいという不純な動機からの事であるから、現場に出向く機会がない限り、彼は常に暇そうにしている。

 無論、机仕事も山のように回っては来る。元来真面目な性格であるから、書類には一から十まできっちりと目を通すのだが、如何せん、要領が良すぎてしまう。仕事が早いのだ。だから毎日のようにこうして、時間を持て余す羽目になる。

 国定の父は警視監である。母は大財閥の長の娘。国定自身も、言葉もろくに喋れぬような時分からエスカレーター式の学校へと通い、ストレートで東大に入学。然したる問題もないまま卒業した、華々しい経歴を持つ。そんな彼の趣味が死体観察と言うから人は判らないものである。

 国定のデスク上で、充電器に差し込まれたまま放置されていた携帯が震える。正面のデスクで書類を書いていた上司が、穏やかならぬ視線を国定に向けて嫌な顔をするが、国定は躊躇わずメールを確認した。差出人は楡となっており、本文には溜まったから取りに来いとだけ書かれてある。

薄い唇の端が吊り上がって弧を描く。携帯をスーツの胸ポケットに落としながら、国定はゆっくりと立ち上がった。故意に緩慢な動きをとった訳ではない。妙な姿勢で座りっ放しであった為、筋肉が硬直して体が痛むのだ。

「佐島」

 国定が声を掛けると、長々と電話をしていた若い刑事が顔を上げた。髪を短く刈り上げた青年の丸い童顔は、高校球児を彷彿とさせる。

「その電話が終わったら、監察に連絡しておいてくれ。場所は長見に担当させるように言えば、すぐ分かる」

 電話を切れぬ佐島奏太は、国定に向かって人差し指と親指で円を作り、了解の意を示してから、再び俯いてメモを取った。国定はそれを確認して一度頷くと、椅子に引っ掛けてあったコートを羽織り、足早に事務所を出る。上司は睨んでいたが、国定に対して何も文句は言えぬ。上機嫌に駐車場へ向かう国定を、擦れ違う刑事達は皆一様に、嫌そうな表情で見送った。


  二


 港には、所狭しと巨大な倉庫が立ち並んでいる。外観では殆ど見分けがつかないが、国定が迷う事はなかった。二週間に一度はここへ訪れるのだから、逐一迷っていたら、それはそれで問題だ。

「おう国さん!」

 並んだ倉庫の内の一つに近付くと、トラックに荷物を積み込んでいた男が声を上げた。深く皺の刻まれた顔に、人の良さそうな笑みが浮かんでいる。国定は半分下がったシャッターに手を掛けながら、細い目を更に細めて微笑する。

「こんにちは。大変ですね、寒いのに」

「あんたもな。冷凍庫入って風邪ひくなよ」

「丈夫に出来ていますから」

 愛想良く返してからシャッターを潜って倉庫に入ると、何人かの従業員が作業をしていた。国定はその横を通り過ぎて奥へと向かう。既に全員顔見知りとなっている為、勝手に立ち入った国定を咎める者はいなかった。

「おい楡! また遊んでるんじゃないだろうな」

 冷凍庫の扉の前で、国定は声を張り上げた。中から微かに物音がして、男が一人顔を出す。彼は国定を見て残念そうに眉尻を下げた。

「何だよ国さん。今日は早いねえ。もうちょっと一緒に居たかったのに」

「この変態。さっさと持って来いよ」

 楡宗一郎にれそういちろうはおどけた所作で、軽く肩を竦めて見せた。雑誌のモデルでもおかしくないような、あからさまな美形である。大きな目は硝子玉のようで、眉はきりりと引き締まっている。くっきりとした二重瞼を長い睫が覆い、少し上向きの鼻は外国人かハーフかと思わせる程高い。茶色く染めた猫毛が天然のウェーブを描き、小さな顔を更に小さく見せていた。

 楡の特技は死体を見付ける事である。見付けようとして見付けている訳ではない。楡の行く所に、偶々死体があるだけだ。しかし楡自身は、それを不幸だとは思っていない。寧ろ、天からのプレゼントだ、くらいの考えでいる。

 楡は死体愛好家――つまり、死んだ女に対して性的興奮を覚える性的倒錯者だ。顔がいいだけ無駄である。

「俺が変態なら、国さんだってそうだろ」

 楡はそう言って、国定に言い返される前に、冷凍庫の中に引っ込んだ。

 程なくして出て来た楡は、大きな台車を押していた。台車の上にはこれまた大きな袋が三つと、汚れたスーツケースが乗っている。楡はスーツケースを、人差し指でさし示した。

「これ、入水っぽいおじさんの。テトラポットに挟まってて濡れてなかったから拾ったけど、袋ン中入んなかった」

「全部一緒に入れようとするなよ」

 楡は国定に向かってスーツケースを押した。興味の無さそうな目でそれを一瞥した後、国定は屈んで袋の横についたジッパーを開く。

「何人?」

「三人。女の子一人、国さん好きそうなんだったよ」

 楡の口調はどこか子供染みている。京都生まれでイントネーションがおかしいせいかも知れないが、本人の頭の問題だろうと、国定は思っている。

 開いた袋からまず見えたのは、中年の男だった。頭部が不格好に膨れ上がり、真っ赤な眼窩には眼球が嵌っていない。魚に食われたのだろう。ふやけて真っ白になった皮膚が所々剥げているだけで留まっている所を見る限り、そう時間は経っていない筈だ。

「溺死体は流石に見飽きたな」

「港近いから仕方ないよ。俺だって出来る限り、おじさんなんか拾いたくないし」

「溺死体でも女性ならいいのか」

 国定は更にもう一つの袋を開く。見えた頭部は、女のもののようだった。しかし顔が紫色に腫れ上がり、原型を留めていない。顔が紫色に腫れ上がり、原型を留めていない。瞼を押し広げるような形でせり出した眼球と、真っ白な唇からだらしなくはみ出た舌を見て、国定は首吊りかと呟いた。薄い唇が愉しそうに弧を描いている。

「この子も近くにバッグ落ちてたから、一緒に入れたよ」

「学習したな」

 国定は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

 死体発見が特技の楡は、国定と知り合ってから、度々仕事場へ呼びつけるようになった。無論拾った死体を自慢する為ではなく、処理させる為だ。年上に対して不遜な態度ではあるが、国定の方もそれによって助かっているので、文句は言えない。

しかし呼び出しの頻度があまりに高い為、最初は喜んでいた国定も流石に呆れてしまった。終いには苛立って、死体が溜まってから呼べと言ってからは、一、二週間に一度というペースに落ち着いた。それでも充分、一般的には頻繁と言えるのだが。

「首吊りはさあ、重力に負けて全部下半身に溜まるじゃない。やだよ、つまんない。国さんなんでそんなのがいいの?」

 どういった経緯でそうなったのか、国定は知らないが、楡は仕事場の冷蔵庫の隅に自分用のスペースを持っており、拾った死体は一時的にそこへ保存している。他の従業員は、袋の中身が死体とは思っていないのかも知れない。

「君のように死体で遊んだりしないからだ」

 国定は残った袋を開いて、手前に入っていたビニール袋を、怪訝な面持ちで摘み出す。

「なんだこれ」

「首。俺じゃないよ、元々離れてたから」

 袋を持ち上げて見ると、確かに首のようだ。ビニール越しに透けて見える生首は紙のように白かったが、顔立ちから察するに、まだ若い少女のものだった。

「男と首吊りの方は僕の担当じゃないから、どうでもいい。これはどこにあったんだ?」

「新宿の路地。刃物傷っぽかったから事故じゃないね。体は下の方」

 確かに袋の下部が不自然に膨らんでいる。国定は僅かに眉を顰めて袋を開け放った。行政指定のゴミ袋らしき透明のビニールに、人体のパーツがバラバラに詰め込まれている。

 国定は呆れた目で楡を見た。楡は気まずそうに目を逸らして鼻の頭を掻いている。

「元々じゃないだろこれ」

 楡は死体愛好家と言うよりは、サディストなのかも知れないと、国定は思う。過ぎた加虐癖の為に、生身の女を相手に出来ないのかも知れない。しかし例え本人に聞いても、真実はわからないだろう。楡自身その点に関しては、恐らくしっかりと自覚してはいない筈だ。

 何より国定は楡の性癖になど、毛程も興味はない。知った所で精々馬鹿にする程度だろう。

「どうするんだよ、他に手掛かりもないのに。壊すなと言ったろ」

「ごめんねえ。なんか可愛かったから」

 楡は悪びれもせず、言い訳とも思えぬ言い訳をした。

 遺体の胴体には大きな裂傷が見られたが、楡は縦に裂くような事はしないので、これは元からのものだろうと、国定は判断する。

「首だけあっても喋れないんだぞ」

「雪乃ちゃんにエンバーミングしてもらえばいいじゃない。俺が頼めばやってくれるって」

「監察医はそれだけが仕事じゃないんだぞ。というかな、君は長見とどういう関係なんだ。ネクロフィリアかスケコマシかどちらかにしろよ」

 国定は溜息を吐いて立ち上がった。

「てゆーかさ、死体修復したって、あいつ多分、手伝ってくんないよ。仕事忙しいんだよ、納期迫ってるから」

 楡は袋を元通り閉めながら言った。

「こっちで調べて駄目なら、だろ。――お」

 無機質な電子音が、微かに鳴っている。国定は胸ポケットから携帯を取り出して二言三言話した後、すぐに電話を切って楡を見た。

「迎えが来たぞ。丁重に扱え」

「分かってるって」

 楡は死体の入った袋を乗せた台車を押しながら、遺留品のスーツケースを持って外へ向かう国定の後を追った。


  三


「データ無い筈ないだろ」

 国定は苛立ち紛れにパソコンの前で半泣きになった佐島の頭を、手に持った書類で叩いた。パシンと軽い音がする。中身の詰まっていなさそうな音だと、国定は思う。

 資料室に閉じこもってから、何時間が経過しただろう。八つ当たりしたくもなるというものだ。

 楡がバラバラにした女は、二日が過ぎた今でも身元不明のままである。指紋はおろか虫歯の治療跡も、顔写真すら行方不明者のデータと一致しなかった。この御時世にそれは有り得ないだろうと国定は思うが、実際出て来ないのだ。流石にデータがクラッシュしているとも考えにくいから、手がかり一つ出ない事には、何らか別の理由があるはずだ。

「無理ですよ警視……もう担当が散々調べたんすから。なんにも出て来やしない」

 佐島はもう許してくれとばかりに涙声で言いながら、しかめっ面のまま顎を掻く上司を見上げた。

 国定は眉間に皺を寄せる。何かが起きているのか。そうとも考えにくい。たとえ何か巨大なものが動いていたとしても、警察内部のデータにまで手を出せるとは思えない。内通者がいると仮定するにしても、データに手を出した時点ですぐに発覚する。

 届出が出されていないと考えるにしても、妙である。一人暮らしのOLならともかくとして、被害者はどう多く見積もっても十五、六の少女だった。いなくなれば親がなんらかの行動を起こすはずだ。

 手がかりが出ない筈はない。誰かが、それこそ警察すら与り知らぬ何かが、意図的にデータを削除しない限りは。

「……あの遺体、縦にでかい裂傷があったな」

 暫く考え込んでから、国定は独り言のように呟いた。佐島は疲れた顔を上げる。

「え、そうなん……た、縦に? え、傷っすか?」

 言葉の意味を遅れて飲み込んだ佐島の顔面が、蒼白になって行く。刑事部に配属されてから日が浅いので、死体に対しての耐性がないのだ。

「なんで驚くんだよ。資料見てないのか」

「その辺だけ見ないようにしてました」

「少しは慣れる努力をしろよ。僕が何の為に君にこんな事を頼んでるのか、分かってるのか」

「スイマセン。お心遣い感謝してます」

「……貸せ」

 国定は佐島の膝に置かれていた書類を取り上げて、慣れた手つきで捲り始めた。眉間に皺が寄っている。佐島はどうする事も出来ずに、情けない表情のまま、国定の手元を見つめていた。

「あった。――やっぱり抜かれてる」

「な、何がっすか?」

 国定はにやりと笑った。

「心臓だよ」

 佐島は一瞬硬直したが、怪訝に表情を変えて、首を捻った。

「なんで心臓を?」

「知らん。だが僕の憶測が正しければこいつは、君が知っていいような事件じゃない。というか確か、僕等の担当でもなかったはずだけどな」

「そ、そんな凄い事件?」

「知りたいか?」

 国定の表情はどこか愉しそうだった。そして彼が愉しそうにしている時は、総じて碌な事がない。

 佐島はごくりと喉を鳴らして頷いた。

「教えてやらない。僕はこれから警察庁の方に行ってくる。君は戻れ」

 言いながら国定は佐島に背を向けて扉を開き、言い終わる前に部屋を出て、命令すると同時に後ろ手でドアを閉めた。

 取り残された佐島は暫く呆然とした後、深い溜息を吐いて資料室を出て行った。

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