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『身の程を知る』とは-ジャーナリング-

作者: 文月優

眠くないので、ふと目について疑問に思ったことをサッと考察してみました。今回もジャーナリングということで心に浮かんだことをそのまま書いています。眠れない夜は文章を書くに限ります。幸い明日は休みなことですし。もうちょっとジャーナリングを楽しんできます。


※画面右上のトラックバックの下、表示調整から行間を広くすることができるようです。お手数お掛けして申し訳ないのですが、見にくい場合はお試しください。

自分の実力以上のことをする。または自分より地位がある人より前を出ると身の程知らずといわれることがあるらしい。そもそも身の程を知るとはどういうことをいうのか。自分の実力を客観的に測り、失敗しない程度の範囲で動いていれば身の程をわきまえているというのか。それではその範囲から出たりするとすぐに身の程知らずということになってしまうのか。そもそも身の程知らずとはどういうときにつかうのだろう。例えば相手に使うとき。明らかに当人の実力より高い目標に突っ走っているときに使う言葉は力不足というのであって身の程知らずとはいわないのではないだろうか。どちらかというと自分の敷居に踏み込んできた若輩の者に対して使うことが多いと考えられる。特にそれによって目上の者、または自分の自尊感情が傷つけられるとき、身の程知らずという言葉を使う気がする。自分の自尊感情を傷つけない範囲の挑戦なら多少実力が不足していても、力不足で済ませるはずである。わざわざ身の程知らずという強い言葉を使うまでもない。ということは身の程知らずという言葉がでてくる時は主観的に脅威を感じている時が多いと考えられ、自分の領域に踏み込んでくるな、という意味合いすら感じられる。力不足、身の程知らず。前者が客観的意味合いを持つのに対して、後者は主観的意味合いが感じられ、また含みも感じられる。では若者が身の程知らずと言われないためにはどうすればいいのか。前で考えたことが比較的正しいとするならば、対策も立てられる。まず目上の者を常日頃から尊重し、相手を上げ、学ぶ姿勢を見せる。その上で努力していることをしめし、教えてもらう形で相手に感謝する。そして少しずつできることを増やし、それとなく伺いを立てる。相手を立てる形にもっていけば、身の程知らずといわれる行動も身の程知らずといわれることなく取ることができるのではないか。なぜなら自分の行動が成功したのは目上の者の助力があってこそだ、という姿勢を打ち出すことで目上の者に脅威を感じさせることがないからである。また目上の人からの承認も得ているので周りからもとやかく言われることが少なくなると考えられる。また失敗したときも、大きな顰蹙をかうことなく、小さなダメージですむのではないか。こうして自分のできる範囲を増やしていき、力を蓄える。上に反発するよりはいいのか。それとも取り込まれて動きずらくなってしまうのか、考えものである。

途中まで読んでくださった方も、最後まで読んでくださった方もありがとうございます。『身の程』という言葉はちょっと考えただけでも興味深いですよね。私は言われたことないと思うのですが、言われたらきっと複雑だろうな……。もしよろしければ気楽にご意見聞かせてください。戴いた御意見はいつもニコニコ拝見しております笑。

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― 新着の感想 ―
[一言] 論点がずれてしまうのでお目汚しなのですが、 「この身の程知らずが」 という台詞を単品で読むと少年マンガを思い出します。 最初はそう言って主人公を認めてくれなかったエリートキャラが、ゆくゆくは…
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