51,ペイシェンス・ティアレイン
空は完全な茜色……どころか、少し高い所に登れば東の空から藍色の兆しが見えかねない時間帯ッ!!
それは即ち、ハイド博士が終日限界まで満喫すると言っていた(らしい)エジプト展が本日の営業を終了してしまう刻限が迫りつつあると言う事だ。
皿助は急ぐ、无異琉川の河川敷を駆ける。
当然、ガミジンも急ぐ。クマリエスも……パッと見、ガミジンに乗って呑気マイペースに雲を眺めている様に見えるが、きっと内心はすごく急いでいるものと思われる!!
これ以上のタイムロスがあれば、ハイド博士の消息が本日中は掴めなくなる可能性が高い。
明日以降となると……まぁ教授である以上、恵朱大学へ向かえばいるのだろうが……その頃には今日倒したザ・キルブリンガーズが態勢を立て直してしまい、再戦ラッシュを強いられる可能性が非常に高い。
それはもう流石に尺とかネタとかその他もろもろの色んな都合から御免被る。
……だが……
「ッ……!!」
皿助が、足を止めた。
前方に、ある人物の姿を確認したからだ。
「やはり、お前も立ちはだかるのか……!」
「ええ、まぁ。最後の一人になってしまったので」
太い黒縁の眼鏡をかけた、白衣姿のクールビューティ。
表向きの職業は裏科学研究員であり恵朱大学助教、そして裏の顔はザ・キルブリンガーズ幹部集団七殺衆チーフ。
名は、有裏存アム。
今動ける、唯一の七殺衆。
つまり、ハイド博士に会うための最後の障害。
「やれやれですよ」
溜息混じりにアムが取り出したのは、黒い指輪。おそらくアレがアムが与えられた殺尽機の起動トリガーなのだろう。
アムは黒い指輪を、しっかりと己の右手中指に嵌める。
「今朝は戦闘要員では無いと自身で言っていたはずガミが……」
「玉砕覚悟の足止めクマ?」
「何か、勘違いをされていませんか?」
「?」
「確かに、私の業種は戦闘要員ではありませんし、基本的に裏方派だとは言いましたが……『戦闘が不得意である』とは、一言も申告していませんよ」
「!!」
世の中には、普段は実に凡庸なOLでありながら、終業後のジムトレーニングでベンチプレス一二〇キロを軽々持ち上げるミラクルお姉さんが存在する(この前テレビに出ていた!)。
そして、腕力は相当なものであっても、そのお姉さんは「格闘技は野蛮だから嫌いなの。絶対にやらないわ」と語っていた。あくまで筋肉を付けるのは健康目的だと言う。
「口ぶりからしてお前は……あのお姉さんと【同じタイプ】……【同じタイプ】のお姉さんかッ!!」
「あのお姉さん、とやらが何処の何方を指しているのかは知りませんが……まぁ要するに、『戦闘行為は本職でも無いし趣味でもありませんが、戦闘能力が低いと言う訳ではない』……それが伝わっていれば、それで良し」
「ああ、そう解釈している!!」
「ならば、覚悟を決めなさい」
「ッ……一刻が惜しい状況だが……避けられるはずもないか……!!」
未だ魔力の充填は不十分な予感はあるが、ある程度は戦える感じでもある。
皿助はDAIカッパーの起動トリガーである赤銅のメダルを借りるべく、ガミジンに声をかけようとした、その時。
「時間が惜しいんなら、俺達を頼っちまえヨ!!」
「!? この教育番組に出てくるマスコットの様な異様に高い声は!!」
突如、降ってきた高音ボイス。皿助には聞き覚えがあった。当然だ、つい数時間前に聞いた声なのだから。
皿助達が空を見上げる前に、声の主達はズドンッ!! と言う豪快な着地音を伴って河川敷へ着弾する。
舞い散る草葉、舞い上がる土煙。
降り立ったのは、上背のあるシルエット。
まるで熊さんの様な大柄な体格をした、褐色肌の男。金と黒がストライプを描く虎柄怒髪天がやたらに目立つ。頭髪色に合わせたらしい虎柄のファーコートもド派手極まっている。
その姿、間違い無い。
「蛇尾淀さんに、スーパー☆テイルさん!? えぇッ!? 何故!?」
「おうヨ」「は、はいッス……」
そう、舞い降りたのは間違い無く!!
妖怪保安局の新人局員、【鵺】のダビデ、そしてその尻から生えた蛇・スーパー☆テイル!!
皿助の「何故!?」も当然の「何故!?」!!
だって、ダビデ達は皿助に妖怪バッジを渡した後、妖界へ帰ったはずだのに!!
「その……すんませんッス……今日はもうオフで暇だし……なんだか心配は心配だったんでその……」
「戻ってきたゼ」
「バッジを渡された意義ッ!! いや、しかし助かった!!」
もう自分で戦える風情あるのに助っ人を呼び付けるのは流石にアレかな、と皿助は今、自らDAIカッパーで戦う方向で行こうとした。
しかし、向こうから来てくれたのなら話は別だ。
猶予無きこの切迫した状況、有り難く頼らせてもらうしかない。
「ここまで来たら不躾で申し訳無いのは百も承知! ダビデさん、スーパー☆テイルさん! 実は今、一刻を争う状態にあります! お力をお借りしても!?」
「そのつもりで来たんだゼ!!」
「は、はいッス! 任せて欲しいッス!!」
「となりゃあ早速ダ! あの美人のネーチャンが相手だナ……って、ん? ありゃあ……」
「あ、あの人は……」
「……ダビデさんに、スーパー☆テイルさん、でしたか。今朝の公園ぶりですね」
「! 知り合いなのか?」
「……ああ、お前に会う前に、ちょっとナ……」
まだダビデが皿助を探して奥武守町内を駆けずり回っていた頃。具体的には皿助が第二の刺客・義田を撃破した少し後。
ダビデは偶然出会ったアムから、皿助の居場所(と言うかいるだろう方向)を教えてもらったのだ。
「まさか……貴女が……」
「成程ナ……皿助の居所に大体の見当が付いていたのと、あの警告はそう言う事かヨ……」
「……事情は詳しくないが、戦い辛いのなら……」
「確かに顔と名前は知っていますが、そこまで親しい仲と言う訳ではありませんよ。道案内をしただけです。あの程度の事で恩義を感じてもらおうとも思いません」
「……まぁ、そうだわナ。事情はどうにせヨ、異種族間の交流を真っ向から否定しやがるってのは、妖怪保安局対人間課――人間と妖怪の良好な共存関係維持っつぅ俺達の仕事を否定しているも同然ダ。こうしてお互いの立場がハッキリした状態で顔を突き合わせちまった以上、妙な情を介在させたりはしねぇサ」
スーパー☆テイルの言葉は、皿助とアムへの戦意表明の他に、ダビデへ言い聞かせている様なニュアンスも含まれていた。
「……そうッス、ね。わかってるッス……!」
――ダビデは見た目の厳つさとは反比例して、内向的かつ気弱な青年だ。
それは、鵺と言う豪の種族に生まれ落ちたが故に備えてしまった『ただ自然に振る舞うだけで誰かを傷付けてしまいかねない程の脅威的生体性能を誇る』と言う性質に由来する。
彼は、性根が優しいのだ。そんな性根でありながら、人一倍誰かに迷惑をかけてしまう体質を持つ。
結果、自己主張を必要以上に控える様になり、そう言う癖が付いた。
自身の在り方すら変質する程に、思いやりのある青年なのである。
悪く言えばチョロい。チョロリン野郎だ。
そんなチョビデは、道案内をしてくれただけ相手だろうと「たかが道案内をしてくれただけの人」と言う風には考えられない。
生命を救ってくれた人も道案内をしてくれた人も、同じ次元で「ああ、とても親切な人だなぁ」と言う認識を持ってしまうのである。
それをよく知っているからこそ、スーパー☆テイルは釘を刺した。
伊達に生まれた時からダビデの尻から生えている訳ではない。
「おう。つぅ訳ダ。安心して行きナ。皿助」
「……ああ、ならばその言葉を信じて……任せた!!」
皿助達が走り出す。
アムは当然、皿助達の行く手を妨害しようとするだろうと予想し、ダビデは少し腰を落とした。
アムが少しでも皿助達へ妨害を加えるために動けば、すぐに対処するために。
しかし……
「!」
アムは、動かなかった。
皿助達が少し距離を取って横合いを走り抜けても微動だにせず、ただ、静かにダビデと対峙し続ける。
「……すんなり、通してくれるんスね」
「妨害しようとした所を横から殴られては痛いですからね。それにそもそも、実力未知数な貴方を絡めて一対多の戦いを挑むのも下策。効率を考えれば、全力集中でさっさと貴方を倒してから追いかけるのが最適解でしょう」
「………………………………」
「何ですか。私の顔に眼鏡以外に何か付着していますか?」
「……何でッスか?」
「何がでしょう?」
「不自然ッス。今朝、僕らを皿助さんの所に案内してくれた事も、今の理屈も」
「……言いたい事がわかりませんね。時間稼ぎのつもりですか?」
アムは軽く溜息を吐くと、
「今朝、貴方達に美川皿助の情報を渡したのは……その結果、まさかこの様に私達の邪魔になるとは思っていなかっただけ。損得の勘定が絡まないと思っていたが故のただささやかな親切心。そして、先程、彼らを素通りさせた理由は、今説明したはずです」
「有り得ないッス……貴女みたいに眼鏡と白衣でキメたどこからどう見ても頭の良さそうな人が、そんな浅慮なはずがないッス。僕みたいな明らかな人外と、自身の敵である皿助さんが合流する事に、一抹の危惧すら覚えないはずがないッス。本当に皿助さんを潰そうと思っているのなら、利害の有無を考えるまでもなく、彼と彼に味方する可能性が一分でもある者を接触させるなんて下手を打つはずがないッス……!」
「………………………………」
「今さっきのだって、理屈はもっともらしく聞こえたッスが【矛盾】しているッス。実力が未知数な僕を相手に、早期打倒の算段で臨む? そんな無計画な柄ッスか? そんな雑な人が、眼鏡なんてかけている訳がないッス……!!」
「確かに、言われてみるとそぉだナ。とても眼鏡をかけている奴の行動や言動じゃあネェ」
「……妖界では、一体眼鏡とはどういったポジションにあるので……?」
少し呆れつつも、アムは黒い指輪を嵌めた右手中指で眼鏡ポジをクイッと直す。
「……まぁ、しかし……そうですね。証左たる要素には疑問を差し挟む余地があり過ぎて突っ込む気力も失うレベルですが……奇跡的に、そのプロファイリングは的を射ている、と肯定しましょう」
――アムは、何故か、微笑していた。
それは、面白おかしいと言う類の破顔ではない。
その笑顔には、哀愁に近いものが在った。――「もう笑うしかないでしょう?」――そんな、自嘲の混ざった色合。
「いやはや……にしても、そうですか。そうですか。今日出会ったばかりの貴方ですら、私には違和感を覚えますか。ええ……ええ。そうでしょう。それもそうでしょう。私は既に人間として心理が破綻し、行動が矛盾してしまっている。自分でも、わかりきっている事でしたとも」
「……? おい、何ダ? どうかしやがったカ?」
「どうかしたか……ですか。そうですね。それもまたその通り。とっくの昔に、私と言う存在はどうかしてしまっている。自己矛盾と自己破綻に苛まれ、自分の正気を信じる人間性も、誰かの狂気を否定する善性も擦り切れ失せてしまった」
「……一体、何があったんスか……? 貴女は一体、何がしたいんスか?」
「わかりません」
否定の言葉は、刹那の間で返ってきた。
「私にできる事は、多くなかったんです。強くて美しくてそして痛快なほどに自分の人生を歩む【あの人】とは違って、私では、教授にしてあげられる事も、かけてあげられる言葉も――……せめて、一緒に狂ってあげる事が、あの狂気を盲目に肯定してあげる事が、私の精一杯だった。最善の選択にして、最上の奉仕だった」
「…………要領を得ねぇナ。会話が成立している様で、実は全然してネェ」
きっかけは、あの微笑みを浮かべてから。
まるで表情が崩れると共に、彼女を表面上取り繕っていた何かも一緒に崩壊してしまった様に、突然に変わった。
「止めるべきだとわかっている。止めるために手を尽くすべきだと思っている。でも止められない、止めてあげたくない。止められないためにも手を尽くしたいと思っている。だから矛盾する。破綻していく。摩耗し、擦り切れ、疲弊し、崩れていく。豪雨に打たれる泥人形の様に、私はただ、濁って溶け落ちていくだけ」
「とりあえず、ダ。ダビデ。ひとつ確信した事があんゼ」
「……ああ、そうッスね」
ダビデとスーパー☆テイルが共通して確信した事、それは――
「――あの女、あんなマトモなナリして、かなり狂ってやがル」
「肯定しましょう。肯定しましょうとも。だって、私にはそれしかできなかったのだから。現実的思考を放棄してただただ教授を肯定し続ける事こそが、私の最高」
踊る様に華麗であり、それでいて靭やかで、疾く、そう――まるで空を切り裂き上げるが如く、アムがその右手を振り上げた。
「私は有裏存アム。敢えて、こう表現しましょう、【理解者を目指す信奉者】と。そして、殺尽実現者達七殺衆が統括者。【惨殺】の有裏存。――貴方を、見るも無惨にブチ殺しますので、どうか有裏存アムを止めてあげてください」




