38,バスト・コミュニケーション
「さて……」
意識を失い、生身に戻った鳴子。
皿助はそんな鳴子の右手中指から殺尽機【波散刃千至殺掻黎】の起動トリガーである黄色い指輪を抜き取り、人差し指と親指で摘む形で粉々に破壊した。
「これで良し……」
ふと、皿助は眼下で転がる鳴子の顔を見る。
鳴子は、白目を剥いていた。意識を失う刹那の際まで己を鼓舞する言葉を吐こうと試みたのだろう、その口は咆哮を上げる獣の様に大きく開かれたままだ。
あんな素敵な笑顔を浮かべられる人が、まるで阿修羅すら越えた鬼の形相で奮闘していた……それだけの【理由】がこの人にはあった。
「アっちゃん、だったか……【愛する人の笑顔を取り戻すため】……」
ハイド博士の目的を叶える事がそれに繋がる……つまり、アっちゃんとやらは「ハイド博士の目的(人間界から悪魔を駆逐する事)が達成される事を望んでいる」と言う事か。
「本当に……それ以外の方法で、アっちゃんとやらを救う事はできないのか……?」
考えてしまう。
傲慢だとは承知しつつも「俺に何かできるのではないか」なんて、考えてしまう。
「いや……どの道、今は何もできない……か」
今、皿助はハイド博士の元へ向かう足を止める訳にはいかない。
鳴子やアっちゃんとやらにいくら同情しようと、一度成すと決めた事を途中で投げ出すつもりは無い。
「……鳴子さん。俺は行きます。恨んでくれて、構いません。俺は【間違った事】をしたつもりはないが、【恨まれても仕方の無い事】をした自負はありますから」
クマリエス達を理不尽から救うため、ザ・キルブリンガーズを打ち破りハイド博士を止める。
その行為が間違っているなど、皿助は絶対に思わない。
だが、そのために皿助は鳴子の意思を踏み潰して、突き進む。鳴子の救いたかったものを、見捨てて行く。見捨てて行くしか、ない。
その事に関して、鳴子が恨むと言うのならば、それは人間として当然の心理。受け止める覚悟はある。
倒れ伏す鳴子に背を向け、皿助は向こうで待つクマリエスとガミジンの元へ、歩き出した。
しかし、数歩進んで、その足は止まってしまう。
「…………………………でも、もし、全てが終わった時……貴女さえ良ければ……恨み言の後にでも、詳しい事情を聞かせてください。ハイド博士の目的を果たす以外の…俺にも承服できる方法で、【アっちゃんを救う方法】を……一緒に考えさせてください」
未熟だ。
恨まれる覚悟はできていても、やはり目の前で慟哭する誰かを放置して行く非情には徹しきれない。
そして傲慢だ。
事情によってはそんな方法、無いかも知れないのに。
一体何様のつもりだと言われれば、皿助は素直に「傲り昂った愚言であった」と頭を下げるつもりだ。
でも、それでも、万に一つでも、鳴子が頼ってくれると言ってくれたならば。
その時は、今の発言を単なる未熟者の傲慢で終わらせるつもりはない。
「…………………………」
「…………君…は……優しいん、だね……」
「!」
皿助がガバッと振り返ると……鳴子が、笑っていた。
地に伏したまま指一本足りとも動かせない様子だが、笑顔を作れるだけの体力は回復したらしい。
「……【優しさ】だと、受け取ってくれますか?」
「はは…もちろん……だよ…………君の言葉は……【悔しさ】が、滲んでた……『何で俺は世界中の誰もを救えるスーパーヒーローじゃあないんだ、どうすればそうなれるんだ』なんて事を……本気で苦悩している様な、感じがするもの……」
「ぬ……」
それは皿助が幼少の頃から抱える悩みの一つだ。
そしていつも「自分はまだ未熟だから」と、半ば諦観めいた答えを出して、納得したふりをして先送りにしてきた課題でもある。
「そんな馬鹿な事を考えそうな子が……偽善なんて器用な真似、できる訳ない……アタシは君を、【優しい子】だと思う……」
「馬鹿な事て」
「…………アっちゃんは、燥軋教授に、『笑って欲しい』って……言ってた」
「!」
「だから、きっと……君が……【燥軋教授に悪魔を駆逐する以外の方法で笑顔を取り戻させる事】ができれば……自動的にあの悪魔の子も……アっちゃんも……そしてアタシも、救われる、と思う……でも、言う程カンタンじゃあないよ。アっちゃんは、燥軋教授とすごく仲の良い幼馴染で、燥軋教授の事は大体知ってる……そんなアっちゃんが『悪魔を駆逐する以外に燥軋教授を元に戻す方法は無い』って諦めたんだから」
「……簡単でないだろう事は、百も承知です」
殺尽機なんてモノを開発し、ザ・キルブリンガーズなどと言う組織を発足する程の意思。
燥軋教授……ハイド博士の決意だって、皿助や鳴子同様に並大抵のモノではないだろう。
それは大前提だ。
「今、この場でそれを聞けて、良かった。ありがとうございます。鳴子さん」
クマリエス達を救うための道と、アっちゃん及び鳴子を救う道が、重なった。
ハイド博士の元へ行き、ハイド博士を止め、そしてハイド博士を笑える様にすれば良い。
今の所、不明確な情報が多いので具体案は出せないが……大雑把にやるべき事は、決まった。
「やはり、まずはどうにも……ハイド博士の【事情】を聴取しないと始まらないな……!」
そのためにはまず、無事にエジプト展へと辿り着く事だ。
……だが、この時、皿助はまだ気付いていなかった。
鳴子との戦いで、自分が【致命的なミス】を犯してしまっていた事に。
◆
「……あーあー……本気で、やったつもりなんだけどなぁ……負けたなぁ……悔しいなぁ……」
皿助達が去った後。
クレーターの真ん中で寝返りを打った鳴子が、力無い笑顔で快晴の空を見上げてつぶやいた。
「……………………ごめんね、アっちゃん」
燥軋教授の目標を達成させる事。
それがアムに笑顔を取り戻させる【最短ルート】。
そう信じて、鳴子は覚悟を決めた。
しかし、結果はこのザマだ。
燥軋教授の目標を阻もうとする少年・皿助に敗北…負けてしまった。
「もう少し、時間かかっちゃうみたい」
残念ながら【最短ルート】に関しては、諦めた方が良さそうだ。
皿助は、強い。そして凄い。
きっと、ザ・キルブリンガーズを打倒し、燥軋教授の野望を阻止してみせるだろう。
そして、そんな凄い少年が、協力してくれると約束してくれた。
「アっちゃん。本当にごめん。……でも希望は残ってるから」
「希望って何の話?」
「!!」
仰向けで転がる鳴子の顔を突然に覗き込んで来たのは、眼鏡が非常にマッチした美麗な女性フェイス。
七殺衆チーフにして鳴子の想い人、有裏存アムだ。
「あ、ああああアっちゃん……? なんでここに……?」
「一応の様子見。……負けたみたいね。ま、爽やかスマイルで謝罪する余裕があるのなら、介護の必要は無さそうだけど」
普段の敬語調はナリを潜めた、フランクな口調で、アムは呆れた様に溜息を吐いた。
「って言うか鳴子……やっぱあんた、向いてないわよ。最初【ヒデお兄ちゃんのために手を貸してくれる】って言われた時は、嬉しかったけどさ」
「あ、あはははは~…うん、やっぱアタシは平和主義だからかな~? あはははは」
嘘である。鳴子、今嘘を吐いている。
アっちゃん大好きだから無理させて!! 見返りなんて要らない、アっちゃんのためならハァハァ!!
……などと、色んな意味でのカミングアウトをする勇気は、今の所無い。隠レズと言う奴だ。
要するに、アムに取っては、鳴子も「他のメンバーと同じく燥軋教授と縁があって協力している一人」と言う認識なのである。
まさか同性の幼馴染が、自分の事を盲目的恋愛感情で慕っており、一心不乱に尽くしてくれているなんて……欠片も想像すらしていない。
むしろ「鳴子もヒデお兄ちゃんを狙ってたりしないよね……?」なんて全く以て見当違いも甚だしい疑心暗鬼を抱いた事すらあるレベルだ。
「ま、ゆっくり休んでなさい。雪結苺さんと連絡取れたから。次は彼女に行ってもらうわ」
「え? 織留ちゃん、逆ナンがどうとかメッセしてなかったっけ?」
「ついさっき、一緒に行く予定だったサー友にドタキャンされて、一人で逆ナンとか絶対に無理死ぬ……ってなったんだって」
「あー…相変わらず純だね~……織留ちゃんもコッチに目覚めたら相談に乗ってあげれるのに」
「コッチ?」
「個人的な話だから気にしないで」
あはは、と鳴子は爽やかスマイルで誤魔化す。笑顔は慣れたもの。
「ところでさ、アっちゃん。いきなりだけど変な事を聞いて良い?」
「? 何?」
「……やっぱり、燥軋教授ってさ……【悪魔を駆逐する以外の方法】じゃあ、戻れないのかな?」
「!」
その質問は少々予想外だったのだろう。
眼鏡の奥で、アムは少し目を見開いた。
「……何で、そんな事を聞くの?」
「いや……あの皿助って子が、『皆が納得できる形で事を収める方法を探したい』って、言ってくれたから……」
「…………そう。それができたら、素敵でしょうね」
諦観に満ちた声で、アムはつぶやいた。
本当に、それができたら皆どれだけ幸せだろう。そんな感情が、簡単に読み取れた。
「ヒデお兄ちゃんが【悪魔を駆逐する以外の方法】を模索する気が全く無い以上、周りが何を言っても……聞く耳を持たないと思う。昔の【あの人】の言葉なら、違ったんだろうけど」
「………………そっか……」
即ち、皿助が燥軋に聞く耳を持たせる事ができるかどうか。
もしできたなら、希望はあると言う事。
まぁ、それがどれだけ不可能めいた事かは、アムの表情や語気から嫌と言う程に伝わってくるが……
それでも、一%の一億分の一…一埃程度の可能性だとしても。
希望を生む希望は残されている。
今はそれだけ信じられれば充分。
鳴子は敗者として大人しく、皿助の幸運を全力で祈る事にした。
◆
「次に目指す大きなショートカットポイントは、奥武守町が運営している【市民体育館】だ」
緑化進行のためにおびただしい量の街路樹が植えられ、植え込みの向こうの道路はほとんど見えない街路。
皿助は、ガミジンとその上に跨ったクマリエスに次のルートを説明しながら歩いていた。
「町が運営してるのに、町民体育館じゃあなくて市民体育館クマ?」
「俺もその辺は気になった事がある。色々と考えた結果、おそらく【市町村民体育館】の略なのではないかと睨んでいる」
それはともかく。
皿助達が次に目指すのは奥武守町最大の市民体育館。
温水施設の整った市民プールや、二〇メートル級のロボットが一対一で戦闘できるに充分な広さの市民グラウンド(まぁそんな事をする輩はいないだろうが)を同敷地内に併設完備している。
「市民体育館の敷地を突っ切り、……余り行儀はよろしくないが、市民グラウンドを囲んでいるフェンスをよじ登って進む感じだ。モチロン、子供が真似しない様に人目には憚って登るぞ」
「クーはガミジンに飛んでもらえば一発クマね」
「お任せくださいガミ」
と言う訳で皿助達がテコテコ歩く事…略してテコる事、数分。
目的地、市民体育館の正門に滞りなく無事に辿り着いた。
「よし、ではグラウンドの方へ向か…」
「ちょい待つし」
「!」
不意に声をかけられ、皿助達が振り返ると……
そこに立っていたのは、金髪のお姉さん。そのパーマがかけられた金髪は染髪…しかも染めてから少し時間が経ってる様で、頭頂部が地の色らしい黒に戻っている。いわゆるプリン頭だ。加えて、まだ夏も来ていないのに肌は綺麗な小麦色。地黒か、はたまたサロンに行って自らヤキを入れたか。
そして服装は…一体何の因果でそうなったのか、【フリフリのついた黒ビキニ】と言う「可愛さを前面に出したいのかセクシーさを前面に出したいのかよくわからない」、そんな中途半端な水着。コンセプトが行方不明。まぁそれはともかくとして小麦色の谷間は非常に良い感じだが。
総評、水着の巨乳ギャルだ。
体育館の正門で、皿助達は水着ギャルな巨乳のお姉さんに声をかけられた。
「な、何故……何故、海辺でもプールサイドでもないのに、水着のお姉さんが!? 一応この先に市民プールはあるが……」
「その市民プールに行く…つもりで家から水着来てきただけだし。ほら、家から水着を着て来たら、荷物減るし、現地で着替える手間も省けてヤバい捗るっしょ?」
皿助の質問に答え、「ふふん、ウチ頭良いっしょ?」と自慢気に腕を組んで胸を張り、豊満なおっぱいを揺らす水着ギャル。
……だが、皿助は一つ、とても気になる事が。
「…………ちなみに、手ぶらの様ですがお姉さん……プールで遊んだ後の着替えは……?」
「……………………………………」
小学生の時、クラスに一人か二人はいただろう。
水泳の授業がある日、下に水着を着てきて、そして下着を家に忘れてくるおっちょこちょいが。
そのおっちょこちょいを順調にレベルアップさせた様なお姉さんが、今皿助達の目の前にいる。
「……別に、フレンズにドタキャンされたからもうプール行くつもりないし。ぜーんぜん問題無いし……」
「プールに行く予定が無くなったなら、さっさと家に帰って着替えれば良いのにクマ」
「いや、だからさ? ここに来る直前まではプールに一直線だった感じなんだし。でもドタキャンされたから、別の予定に切り替えて行こうと……」
「その格好の分際で『出かけたついでだし別の用事も片付けちゃお☆』とか考えちゃったクマ? え? 馬鹿なの? クマ。って言うかさっきから気になってたクマが……その水着のコンセプトどうなってるクマ? フリッフリがエグい黒ビキニて。可愛い系クマ? セクシー系クマ? 中途半端クマ。どう言う基準で選んだクマ? もしかして何も考えずに選んだクマ? ギャルギャルしてる癖に自分の飾り方がわかってないクマ? 脇が甘い感じがプンプンするクマよ。見かけ倒し感すごいクマ。お前は底抜けの間抜けクマか? と言うか買う時に何か言ってくれる友達はいなかったクマ? それともそう言うの相談できる友達もいないクマ? ギャルギャルしてる癖に一人ぼっちで水着買いに行ったクマ? あとその肌は日サロでやったクマ? 日焼けは皮膚ガンのリスクを高めるらしいクマよ。それと……」
「ストップだクーたん。お姉さんが両手で顔を覆って小刻みに震えだしてしまった。勘弁してあげよう」
臼朽の時と言い、クマリエスは急に淡々と言葉責めを始めるので制止するタイミングが遅れてしまう。
「ひぐっ……ぅう……ウチ…もう、帰る……おうち帰る……」
「ま、待てギャルのお姉さん!! 確かにクーたんの言う通り、プール以外の場所に行くならば一度家に帰って着替えるべきだとは痛く思うが……その前に俺達に声をかけた理由は教えて行ってくれ!!」
「いや、皿助? 多分聞かなくても想像付くガミよ? このパターン本日三度目ガミよ?」
「ぬ……それは確かに……」
知らない人からいきなり声をかけられる……義田や鳴子と出会った時と同じパターンだ。
……それに、気のせいであれば幸いだが……ギャルのお姉さんが顔を覆っている手…右手の中指。そこに嵌められた水色の【指輪】……なんだか、似た様な指輪の色違いを今日だけで三度ほど見てきた気もする。
「でもあれクマよね? ザ・キルブリンガーズのメンバーってみんな恵朱大学って頭の良い学校の関係者クマよね? こんなんが頭良い大学に通ってるもしくは通ってたとは思えないクマ。きっと違うクマ」
「……うぶ、ひぐぅ……ウチだってれっきとした現役恵朱大生だし……」
「ビ●ギャル?」
「……元々勉強はできる方なんだし……」
「ああ、勉強だけはできる事が救いの馬鹿クマね」
「なんなのこの悪魔!? ねぇ!? なんなのこの悪魔!? ウチに何の恨みがあるの!? ねぇ!?」
「クマリエス様は実は貴様の様におっぱいを前面に押し出したアバズレが嫌いガミ。呪うならその格好で我々の前に出て来てしまった事を呪うガミ」
「別に好きでおっぱいを前面に押し出してる訳じゃあないわよ!! 『花のJD生活を女所帯で終えたくないなら女の武器を使って男を狩れ』ってサー先(サークルの先輩)に言われて、ウチなりの試行錯誤の末にサー友とプールで逆ナンを…」
「あー、差し詰め高校まで喪女道爆進してた反動で男漁りを始めた大学デビューのエセビッチって所クマ? ノウハウが欠片も無いからとりあえず安直におっぱい方面の強化に踏み切ったクマ? そのステに振りたくても振れなかった女子達の事とか考えた事あるクマ? その胸元の心許ない面積の布ごと鳩尾の肉まで切開してやろうか? クマ」
「クーたん、ちょっと落ち着け。目のハイライトが消えてる。ヒートアップした月匈音みたいになってるぞ」
どうやらマイペースの鬼たるクマリエスでも、持たざる者としてのコンプレックスは感じる様だ。
「とりあえず、だ。えーと…………そう言えば、お姉さんの名前を聞いていないな……」
「……雪結苺織留……恵朱大学農学部の学生で農作物に付く害虫の研究してるし……お察しの通り、ザ・キルブリンガーズ七殺衆としてあんたらを始末しに来た感じだし……」
目をぐしぐしと擦りながら、割と重要な自己紹介を済ませてしまったお姉さん、こと、雪結苺さん家の織留ちゃん。
やはり色々と気のせいではなかった様だ。
皿助達に声をかけてきたのは義田や鳴子と同様の理由。右手中指の水色指輪も殺尽機の起動トリガーか。
「ああ、やはりそうだったのか……」
「まぁ、わかりきってた事ガミね……」
「ペッ……皿助、さっさとやっちまうクマ」
クマリエスが急激にヤサグレ始めている。
「いや、さっき帰ると言ってくれていたし、ここは帰ってもらった方が都合が良いだろう」
「何を甘い事を言ってるクマ? 障害は排除するモノクマよ? 胸部装甲を中心に抉ってやるクマ」
「クーたん。キャラが。キャラが壊れている」
おっぱいはここまで誰かを狂わせてしまうのか……




