23,毛威躍動。シンプルに強いぞ、髪の模倣者ッ!!《前編》
午前一〇時丁度。
奥武守町のド真ん中を走る大河川、燃乃望塊川に寄り添う河川敷の土手にて。
皿助はその手に握ったスマホをしきりに気にしながら、朝日に煌く川の水面を眺めていた。
「……三〇分……」
探偵的な兄・皿唯臥に堕撫尤の居所を探ってもらう依頼を出して三〇分が経過した。
早ければ、そろそろ連絡が来る頃合だろう。そう思うと流石の皿助もちょっと落ち着かない。やや挙動不審気味になるのは避けられない。
「落ち着け……俺が今から【やろうとしている事】は……乱れた精神状態では、到底、成し遂げられはしないのだから……!!」
皿助はこれから、堕撫尤の首魁……いや、確か堕撫尤は総勢五名だとバレネッタが言っていたから、その首魁と+一体。それを、皿助は独りで相手にする事になる訳だ。
皿助が今まで会った堕撫尤はバレネッタとエデンリンだけだが……どちらもトンデモな【超越権】を誇っていた。おそらく、皿楼が倒したと言う堕撫尤もそうだろう。
そんな化物共をあと二体、それも内一体は首魁と来た。それを相手取る……決して簡単な話ではない。
一応、以前、絶対の預言者とも言えるバレネッタが「皿助は堕撫尤を全員倒せる運命にある」と言ったし、彼女の爽快かつ快活な性格から考えて嘘を吐く様な柄でもないだろう……が、決して安心はできない。
あの言葉には【不穏な続き】があるからだ。
『皿助は堕撫尤の【真の目的】を阻めない運命である』―――と。
堕撫尤達が一体何をする気なのか、全く読めない以上、考えても無駄……そう保留してきた案件。
この案件も、いつまでも保留しておく訳にはいかない。
パン・ドーラーを見つけ出し、何としてでも【真の目的】について問い質し、場合によっては「運命に挑む」と言う人間としての限界を越えた行為に臨まなければならなくなる。
そこまで込みで、皿助の言う【俺が今からやろうとしている事】なのだ。
万全の状態でも、成し遂げるのは至難を極めるだろうと予想される事。
特に、未熟故に精神状態がモロにパフォーマンスレベルを上下させる皿助に取って、現状、精神統一の必要性は説くまでもあるまい。
「……意識をクリアにしろ……目的を明確化し、そこへただ真っ直ぐに進む…いや、突っ込む……!!」
月匈音と約束した。
必ず、パン・ドーラーを倒して晴華を救い出し、憂いなど無い健全な日常に戻ると。青春ストロベリーすると。
皿楼に大見得を切った。
自分は未熟な末弟であるが、【美川の人間】だと。自分の尻くらい、自分の力で拭い切れると。
成し遂げてみせる。この手で、必ず。
ふと湧いた僅かな不安弱気的感情を洗い流してやる、と言う意図を込め、皿助は顔を洗う事を決意。
季節は春と初夏の中間だが、川の水はまだまだかなり冷めたいはず。少なくとも慣らさずに飛び込めば心臓には悪い水温と予想される。
顔にビシャアッとぶっかけて、心気一転に用いるには丁度良いだろう。
と言う訳で、皿助は立ち上がり、川の畔へと向かう。
「ッ」
数歩進んだ所で、スマホが震えた。
「……来たッ……」
着信は、皿唯臥からだ。
「もしもしッ!!」
『うぃ~☆ お兄たんだお☆ ……と、まぁ、早速だが仕事モードで行くぜ。待たせたな兄弟。堕撫尤の居所、わかったぜ。腐っても相手は高次元生命体、少し手間取っちまったがな』
「いいえ、充分早いです。流石は兄さん……!! ありがとうございます!! ……それで、結果は……」
『端的に言うぜ……堕撫尤は今、お前の……』
「……? 俺の……?」
「…………後ろに……いる…………」
「ッ!?」
突如、後方、超至近距離から聞こえた囁き声。
皿助は反射的に身を翻しながら、声が聞こえた方向とは逆方向へ跳ぶッ!!
「なッ……」
『チッ……先を越されちまったみてぇだな』
皿助が見つめる先、皿助に囁きかけた声の主は堂々と佇んでいた。
第一印象は、【侍】……いや、強いて言うと【落ち武者】の方が適切だろうか。
服装は黒基調に白いラインが入った着物に藍色の袴。極めて和装。腰には立派な大小拵え。
ここまでなら普通に侍や武士と言った感じだが……問題は、首より上。髪だ。侍らしさや武士めいたチョンマゲとは似ても似つかないサラッサラのロングヘアーなのである。しかも、流れる様に伸ばされた黒の長髪は全方位から腰に届く程で、当然顔面も前髪のカーテンに埋もれ隠されてしまっている。テレビから這い出して来そうなヘアスタイルだ。正味、不気味恐い。
「………………【チュラカワ】………………【ベースケ】…………………………だな………………」
顔は見えないが、落ち着きが過ぎるクールな低音ボイスと体格から判断するに、男性型の堕撫尤だろうか。
「……そうだが……お前が、パン・ドーラーか……!?」
『違うぜ兄弟。今、テメェの目の前にいるだろう奴は、俺の【調査】によるとテメェが血眼捜索してる【堕撫尤のボス】じゃあない……だが、【堕撫尤のボス】も今、テメェからそう遠くない場所にいるはずだぜ』
「!」
「……その…………電話の相手の……言う通り……だ。……俺の名は……ズレェタ・ヅラズラ…………パン・ドーラー様……ではない……断じて…………そして……パン・ドーラー様も……すぐ……近くまで……来ている…………」
「ッ……パン・ドーラーはどこだッ!?」
「………………それを話す必要は…………無いな…………無意味だ…………」
「無意味だと? 俺はここでお前に敗れ、パン・ドーラーには会えない的な意味か!?」
「…………それもある……が……もし仮に……貴様が俺を倒せたとしたら…………あの御方は……言われずとも出て来て…………自ら貴様を始末するからだ……」
「何……!?」
「……いや……『何……!?』じゃあなくて……それはそうだろうに…………俺が貴様に負けて還ったら…………堕撫尤は……もうあの御方しか……いないし…………」
「……おお。それは確かに」
そりゃあ皿助がズレェタに負ければパン・ドーラーが出て来ても戦える訳無いし、皿助がズレェタを倒せばもう自分以外に兵隊のいないパン・ドーラーは自らが戦場に出てくるだろう。
「……ところで、ズレェタとやら。一つ聞きたい事がある。……そう簡単に答えてくれるとは期待してはいないが、それでも一縷の望みで聞きたい……構わないか?」
「………………構わない………………答えるとは……限らないが……」
「堕撫尤の【目的】……【選別】の先にある【真の目的】とは、何だ?」
「……………………………………………………」
「……やはり、沈黙か」
当然か、と皿助は特に不満を見せない。最初にあんまり期待してないって言ったもん。
それに、そう簡単に教えて構わない事ならば、親切に色々と教えてくれたバレネッタが教えてくれていたはずだ。
「答えを得るには、お前を倒して尋問するしかないか……!」
「…………そうだな……その通りだ…………さて……最早、堕撫尤について……余計な能書きは要るまい…………早速に…………俺と死合ってもらおうか…………チュラカワ……ベースケ……」
そう静かにつぶやいて、ズレェタはゆったりとした所作で腰の刀…その柄に、指をかけた。
刀を…武器を抜く準備をした……即ち、戦いを始めるつもりの構えッ!!
『……おい、兄弟。もし加勢が要るんなら、三分もあれば駆け付けられるぞ』
「皿唯臥兄さん、ありがとうございます。……でも、俺はついさっき決めたんです……この手でやり遂げてみせると……!!」
『はッ。そうかよ。……まぁ、そうじゃあなくっちゃあ、男じゃあねぇわな』
精々気張れや。そう言って、皿唯臥は通話を切った。
皿助がスマホをポケットにしまうと、それを待っていたとばかりにズレェタは抜刀。
「…………何?」
だが、ズレェタが引き抜いたその刀には、【刃】が無かった。柄と鍔だけ。その先には何も付いていない。不良品?
だとしたら、とても大胆な不良である。刃は刀のキモだろうに。と皿助は不審に思う。
しかしながら、皿助は見当違いをしていた。
ズレェタの刀は、これで良いのだ。
「……【超越権】……執行……【仮初化髪】」
瞬間、ズレェタのサラサラヘアがザワめいた。
「ッ!!」
ズレェタの髪はまるで一本一本が意思を持った様に蠢き回り、そして彼が刃の無い刀を握る右手に絡み付いて飲み込んでいく。
何と言うか、絵面が「無数の細長い虫が蠢いている」様で正味キショい。
「……俺の【超越権】は…………【髪の毛で万物を模倣する権利】…………」
ズレェタの腕に絡みついた髪の毛は、腕もろとも刃の無い刀を飲み込み、そして変形・変質。
「まぁ……【模倣】と言っても……だ…………形と……大きさは………………全て……俺の自由自在に設定できるがな……」
ズレェタの右手に絡み付いた大量の髪の毛が最終的に象ったのは、刃渡りがズレェタ自身の身の丈とほぼどっこいどっこいの黒い巨刃。刀の刃と言うより出刃包丁っぽいデザインである。
腕一本、まるごと巨大な黒刃に加工してしまったのだ。まるでズレェタの肩からでっかい黒包丁が生えた様な状態だ。
刃の無い刀を抜いた意味が果たしてあったのかどうかはわからないが……とにかく大きい刃物の威圧感はすごい。
「要するに……髪の毛を変形させて武器を作る能力かッ!! バレネッタやリンゴの輩の超越権に比べるとかなりシンプルだなッ!!」
シンプルなのは良い事だ。わかりやすい。
「……そうだな……俺の超越権は……堕撫尤の中で一番単純で…………わかりやすい権利かも知れん…………だが【単純さ】は【弱さ】ではない…………舐めていると……イくぞ……スパッと……」
「それは見ればわかるッ!! 決して侮るものかッ!!」
「…………ふん……いいや……【見ればわかる】……そんな考え方の時点で……既に貴様は……俺の事を侮っている……」
「何だと…………、ッ!!」
そう言う事か…不味いッ!! と皿助は急いで横合いへ跳躍。
その直後。
皿助が立っていた辺りに、鋭い衝撃が無数に走ったッ!!
草葉がド派手に舞い散り、土まで吹き飛ぶッ!!
まるで見えない散弾の雨が降り注いだかの様な破壊ッ!!
「形、そして【大きさ】は自由かッ!!」
そう、先程、ズレェタは言った。
ズレェタの髪は万物を模倣できる。そして、形と【大きさ】は、ズレェタの意のまま。
「既に何本かの髪の毛を【肉眼では捉えられない程のすごく小さな刃】にして、それを念力的な何かで操作しているなッ!!」
「…………ふッ……バレネッタに聞いていた通り……勘は良し…………」
そう、ズレェタは既に、攻撃を開始していたのだ。
数千本の髪の毛を【素粒子並に小さくて細い大きさ】の【鞭】に、更にその先端を【刃】に変えて、念動力で振るった。
皿助がいた場所を切り刻み吹き飛ばしたのは、その鞭刃達による破壊。
皿助はそれを間一髪で気取り、回避したのだ。
「確かにすごく小さくて見え辛いが……非常に集中すればギリギリなんとか割と見極められなくはないッ!! 少年漫画の如く超越権について詳しく説明したのが仇になったなッ!!」
「……そう言うセリフは……勝ってから…………言うべきだ……ぞ……!」
「!」
一瞬。一瞬にして、ズレェタが皿助と接触距離に入った。
受肉体に入っていても堕撫尤は高次元生命体。その身体能力は半端ではない。数メートルの距離程度、まさしくリアル一瞬で詰められる。
「……ふッ……!」
静かな掛け声と共に、ズレェタは右腕と一体化している巨大な黒刃を横薙ぎスイング。
「ッ、ぁあッ!!」
皿助は全力で大きく仰け反ってそれを回避。イナバウアァーッ!! である。
イナバウったままの勢いで、皿助はブリッジへ移行。そして地に着いた両腕を起点に足を振り上げ、くるっと一回転して着地。
しかし、そこで回避終了ではない。
ズレェタの追撃、マイクロな鞭刃達が来る。
「回避できなくはないが……!!」
迫る無数のマイクロ鞭刃。
皿助は回避ではなく、ある手段を選択した。
それは、学ランの懐からある物を取り出し、天に掲げる事。
皿助が天に掲げたそれは、ダイカッパーの媒介である平皿だ。
つまり、
「ここは手っ取り早く行かせてもらうッ!! 機装纏鎧ッ!!」
皿助の叫びに呼応し、天へ掲げられた平皿が緑色の輝きを放つ。
その不思議な輝きから更に不思議なキュウリが無数に溢れ出し、皿助を包む緑色の壁を形成。
皿助へと迫っていたマイクロ鞭刃達による斬撃は、全て不思議キュウリの壁に阻まれてしまった。
「…………チッ…………」
変身中は攻撃できない。
古くから守られてきた絶対のルールである。
いくら高次元生命体であってもこのルールは覆せない。いいや、覆してはいけない。
『ぬぅぅうぉぉおおおおッ!! ダイッ…カッ、パァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!』
不思議キュウリの壁が吹き飛び、現れたるは緑鋼の巨塊。
まるでゴリラの筋肉の様に分厚い装甲を全身に纏った機人、ダイカッパーであるッ!! 全長は約二〇メートル、ズレェタのおよそ一〇倍ッ!!
『はぁぁぁッ!!』
相手は高次元生命体。皿助はその意味をもう重々理解している。
サイズ差を考慮して遠慮したりはしないッ!!
皿助はダイカッパーに手刀の手刀に【豪鋼破断の波動疾走】を纏わせ、ズレェタへ向けて真っ直ぐに振り下ろした。
「……ふん……ダイカッパー……か…………」
ズレェタは何を思ったか。
ダイカッパーの手刀に対し、回避行動や防御姿勢を取らず、ただ右腕の黒刃を解除した。
『……!?』
不可解ッ。不可解だが、このまま行くッ!!
そう判断し、皿助は振り下ろし中の手刀に一切のブレーキをかけず、むしろ一層に力を込めた。
「……言ったはずだ……俺の……【超越権】は…………髪の毛で【万物】を模倣する権利である……と…………」
ぞわわッ!! と、ズレェタの髪が唸る様な擬音を伴う程の速度で激しく蠢いた。
直後、ダイカッパーの手刀が着弾ッ!!
『!!』
その手応えに、皿助は驚愕の!マークッ!!
なんと……ダイカッパーの手刀は、【受け止められていた】のだッ!!
ズレェタの髪が形成した、無骨な巨腕によってッ!!
『なッ……その……その腕は……まさかッ……!!』
ズレェタが防御のために形成した巨腕は……ただの巨腕ではない。色こそ髪由来のつやがある黒だが、その腕の形は……間違い無い。
皿助は、その腕の形状をよく知っているッ!!
「……その機装纏鎧も…………所詮は【物】だ……【万物】の中の【一】…………」
ズレェタの髪の中から這い出す様に、【それ】は全容を露わにした。
それは、髪で構築された巨人。全長は約二〇メートル。
巨人とは言ったが、全身が非常にゴツく、類人猿の中でもゴリラに近いシルエットと言える。
頭と背面、そして両肩には皿型の武装らしき物も確認できる。
身体の各所に皿型武装を装備した、約二〇メートルのゴリラめいた巨人。
ピィンッ、と来た方はかなり多いだろう。
「差し詰め……【ブラック・ダイカッパー】…………とでも、呼ぼうか…………」
まるで影がそのまま立体化したが如く。
ダイカッパーの前に顕現したのは、【漆黒のダイカッパー】ッ!!
外見は完璧だ……完璧に模倣されているッ!! 装甲の細かな凹凸一つに至るまでッ!!
ズレェタの超越権が、ダイカッパーを模倣したのであるッ!!
『なッ……このッ……!!』
激しい動揺に揉まれつつも、皿助は思考を停滞させはしない。
上体ごと大きく腕を振るって、手刀を掴み止めていたブラック・ダイカッパーの手を振りほどく。
「………………やれ………………」
ズレェタの静かな一言に、ブラック・ダイカッパーは全身を構築する毛をザワワッと震わせて呼応ッ!!
ブラック・ダイカッパーが思い切り両腕を振るい上げ、ダイカッパーへと襲いかかる。
「…………出力もほぼほぼ完璧に模倣しているぞ…………!」
『……ふッ、だったら何だと言うのか!!』
不敵ッ!! 皿助はズレェタの言葉を不敵に笑い飛ばしたッ!!
ダイカッパーを模倣され、最初は少し焦りかけた皿助だが……今…まさに今。ブラック・ダイカッパーの動作を見て、心に余裕が生まれたのだ。だから不敵に笑えた。
『なっていないな、ブラック・ダイカッパーッ!! かっちょ良いのは名前だけだッ!!』
「…………!」
ブラック・ダイカッパーの突進を、ダイカッパーはひらりと軽く躱してみせた。
ブラック・ダイカッパーの動きはまるで獣だ。
例えるなら熊が近いか。パワーと本能任せの戦い方である。
そりゃあそうだ。ズレェタは初ダイカッパー操作。その操縦に熟れているはずがない。動作は必然、短調化する道理。
何事も、熟練度は大事だ。積み重ねた過去が今を作り、未来への礎となるのだから。
皿助は贋作的ダイカッパーにその事をわからせるため、過去幾度となく使用して熟練した技を放つ。
『喰らえ……力士百人力鋼掌破ァァーーーッ!!』
ダイカッパーの右張り手を振りかぶらせると同時に、右肩の覇皿を射出。
張り手を放つ瞬間に、右掌に覇皿を装備接続し、そのままブラック・ダイカッパーのドテッ腹をブチ貫いた。
「ざわざわざ……わ……ざわ……ざわ…………ざ……わ……」
毛が磨り合うザワめきが、断末魔の様に響く。
腹を抜かれたブラック・ダイカッパーは、ブワッと内側から弾ける様に崩壊し、元通りズレェタの髪へと戻っていった。
『付け焼刃の模倣では本家には勝てない。少年漫画と同じだッ!! 模倣で本家を超えたいのならば、模倣した技を自分なりに極めて出直して来いッ!!』
「………………ふむ……できれば…………この程度で潰せれば楽…………と考えて……いたのだがな……やはり……そう易くは……ないか…………」
『!』
前髪カーテンの向こうで、ズレェタは一体どんな表情を浮かべているのか、皿助には視認する事ができない。
だが、その落ち着き払った声色と、ゆっくりと刃無し刀を鞘に戻す所作から、決して焦ってはいないと言う事だけはわかる。
「……余り……【王】が創りし世界に…………悪影響を及ぼすのは……気が……進まないのだが…………しかし……戦士として……尽くせる全力は……尽くさなければなるまい……」
『その口ぶり……バレネッタも使っていた、【禁忌解禁】を使うつもりかッ!!』
禁忌解禁ッ。
それは、堕撫尤が受肉体の内側に封じてある本来のパワーを一部解放し、超絶パワーアップする行為ッ!!
ただし、それは「低次元世界に悪い影響を与えない様に」と受肉体の内に制限されている力を解放すると言う事。堕撫尤の直属の上司である【天界王】……所謂【神様】が作ったこの人間界に良からぬ影響を及ぼしかねないのだ。
故に、堕撫尤達は余りこの禁忌解禁にノリ気ではない。
ちなみに、ディーティーとエデンリンがそれを使う前に負けてしまったので、某所にて「あれ? あの設定は無かった事になったの?」とか思われていたかもだが……良い機会だから言わせてもらおう……無かった事になどなってはいないッ!!
それを証明するかの様に、ズレェタはこれから禁忌解禁を行う。
「……禁忌解禁……」
ズレェタの着物の裾や襟内から、黒い物が吹き出した。
毛だ。
ズレェタの髪と同じ色ツヤの毛。
『ッ!!』
着物の隙間と言う隙間から吹き出した毛は、ズレェタの全身に幾重にも絡み付いて巨大な毛玉を構築。
とてもデカい。ダイカッパーが丸ごと収まってしまいそうな毛玉だ。
そして次の瞬間、毛玉は【内側から】粉微塵に切り刻まれ、散った。
毛玉の内から現れたのは、毛で構築された漆黒の巨人。全高は大体ダイカッパーと同程度……少しダイカッパーより大きいかも知れないくらい。
巨人の上半身は人型、ズレェタをそのまま巨大化した感じだが……下半身は完全に異形。腰部が上半身を丸ごと収められそうな大毛玉になっており、その毛玉を中心に左右に三本ずつ、細長い多関節の足が生えているのだ。
その姿は、さながらファンタジーなRPGなんかに出てくるモンスター、【蜘蛛人間】か。
『……毛鬼壮矛……【挽逝訃首取・鹵疋乘賦】』
拡声器を通した様なズレェタの声が、静かに響く。
毛で構築された巨大な漆黒アルケニー。
これがズレェタが禁忌解禁した戦闘形態、ヴィフスト・ロガノフ。
先程までのズレェタが操っていた【髪】と、今ヴィフスト・ロガノフを形成している【髪】は見た目こそ変わらないが、完全に別物。
ブラック・ダイカッパーなどを形成していた先程までの【髪】は、【堕撫尤ズレェタ】の【受肉体の飾り髪】だ。
しかし、今ヴィフスト・ロガノフを構築しているのは、受肉体内に封じられている【天使ズレェタ】の【実際の髪】である。
もう、【質】と言うか……【次元】が違う【髪】なのだ。
でも、結局は毛でしょ? と思った方もいるかも知れない。
だが……皆さんはご存知だろうか、サバンナに暮らす【百獣の王】…ライオン……その中でも雄ライオンが持つ、【鬣】の【秘密】を。
雄ライオンは牝や縄張りを巡って、よく同種の雄と闘争に興じる。その闘いは、長期戦になる事が多いと言う。
それは何故か。
話の流れで察しは付くだろう……【鬣】だ。
雄ライオンの【鬣】は【鎧】である。
雄ライオンの顎には三〇〇~四〇〇kg以上の【咬合力】があるとされている(成人男性の咬合力は平均七〇~九〇kg。つまり雄ライオンの噛む力は成人男性の四倍くらい。すごい)
そんな雄ライオンの強烈な噛み付き攻撃……それをも防ぎ切るだけの防御力が、雄ライオンの【鬣】にはあるのだ。剛毛が束となって層になると、それくらい堅牢な壁になる。つまり、鬣で覆われている雄ライオンの【首周りの急所】は不可侵要塞。故に、雄ライオン同士の闘いは自然と急所を狙えないジリ貧バトルになってしまう事が多いのである。
ヴィフスト・ロガノフの毛装甲は、雄ライオンの鬣の防御力の更に更に更に更に更にもっと更に果てしない程に更に上をイっている。
ダイカッパーですら、そう簡単にはダメージを与えられないと予想される。
『ッ……すごい質の毛で構築された装甲か……厄介そうだ……!!』
ヴィフスト・ロガノフの毛がすごい事を察し、皿助は息を呑んだ。
皿助は雄ライオンの鬣についてご存知なのだ。何せ、ついこの間NHK教育の動物特集番組【ダーウィンが来る】で知ったばかり。記憶に新しい。
堕撫尤の毛が、雄ライオンの鬣よりヤワだとは考えにくい。
『だが……俺は負けんぞ!! ズレェタ・ヅラズラ!! 必ずお前を倒し、パン・ドーラーを引き摺り出す!!』
『ふん……意気や……良し……』
不意に、メギョッ…と言う怪音が、ヴィフスト・ロガノフから響いた。
『ぬ……!?』
『……平等精神に則って……説明しておいてやる……俺が禁忌解禁によって…………新たに得た権利……それは……』
次の瞬間、ヴィフスト・ロガノフが、上下真っ二つに裂けた。
丁度、人型部分と腰の大毛玉の接続部分から。
『!?』
皿助が驚愕する中、ヴィフスト・ロガノフの上半身の切断面から毛が吹き出し、今度は普通に人型機らしい二本足を形成。下半身の六本足大毛玉は特に変化無し。
『ま、まさか……分離、か……!?』
『ただの……分離ではない……』
その声は人型の方から。
『……俺が新たに得た権利……それは……』
その声は大毛玉の方から。
『『……【俺の毛に、俺を模倣した人格を保有する擬似生命を与え、独立稼働させる権利】……』』
二つのズレェタの声が、完全にハモった。
己の毛に、自分と同じ人格を保つ擬似生命を与え、一つの生命体として活動させる。
……即ちそれは「神が低次元世界の生命バランス安定のため」に定めた【生命誕生のメカニズム】を歪めて生命を生み出すと言う、中々の暴挙ッ!!
禁忌解禁と言うに相応しい行為であるッ!!
『ッ……!!』
皿助は至極戦慄。
要するにズレェタの禁忌解禁は……人型と大毛玉、【それぞれが独立意思で行動できる】…………ズレェタ独りで頑張って人型と大毛玉を操るのではなく、ズレェタとズレェタのコピー意識がそれぞれ余裕を持って人型と大毛玉を操ると言う事。
地味だが、これはとても大きなアドバンテージ。両手で同時にペンを回すより、片手で集中してペンを回す方がより早く、より綺麗に回せるモノだ。
そしてお互いほぼ同じ人格なのだから、連携も問題は無いだろう。
つまり、皿助は、集中力も連携力も万全満足なズレェタを二人……同時に相手にしなくてはならないッ!!
『俺の役目は敵を斬り刻む事。攻撃を務める人型形態……挽逝訃首取…………』
『俺の役目は敵を拘束する事。妨害を務める毛玉型形態……鹵狩乘賦…………』
『『……俺達を相手に…………貴様はまだ、「必ず倒す」と豪語する事が……できるか……?』』
『ッ…………!!』
『『……さぁ…………チュラカワ……ベースケ……ここからが……本当の……死合……だ……』』




