22,兄姉交流。できるだけ貫け、末弟の意地ッ!!
某所。暗闇の中で。
ゆったりとした白いローブに身を包んだ黒髪の麗人……堕撫尤首魁パン・ドーラーはただ静かに佇んでいた。
「……バレネッタに続いて、エデンリンとディーティーが、天界へ還った様ねぇん……」
彼女が感じ取ったのは、部下達の立て続け敗北。
「残るは、ワタクシとズレェタだけ……」
自分を含め五体いた同志が、今ではたったの二体。
本来ならば、絶望・悲観……あるいは憤慨と言った、負の感情を覚えて然るべき情勢。
……だのに、パン・ドーラーは……
「うふふ」
達観したマダムの様な感じで、余裕そうに笑った。
確かにパン・ドーラーはボス的威厳を演出するために【大人の女】を無理して演じている努力の輩。
今のうふふ笑い声はその努力の賜物ではあるが、その笑みに混ざる【余裕】は、決して演技や虚構ではない。
「【順調】……至極【順調】ねぇん……」
ピンセット代わりにも使えそうな程に伸びた黒い爪で毛先を弄りながら、パン・ドーラーは笑い続ける。
「そしてぇ……これから【最後の一手】を打つわぁん……この戦いが全て終わった時、三〇〇年前には成し遂げられなかったワタクシ達堕撫尤の【真の目的】が【達成される】……ふふ、うふふ……」
それが、楽しみで仕方無い。
そんな感じで、パン・ドーラーはずっと独りでうふふしていた。
◆
午前九時三〇分。綾士歌高校正門。
我らが皿助はスマホを耳に当て、ある人物へと電話をかけていた。
『ひゅーッ☆ 成程成程ゥ、理解した。そんで教室をぶっ壊ブレイキンしちゃったベー坊は二週間の停学チャン……今日はもうお家へ参るぜベイベーって訳ですに☆』
皿助のスマホから溢れる男の声は「こいつ……日本の言語文化をどうしたいんだ……!?」とザワめかざるを得ない日本語の使い手。
何を隠そう、通話の相手は……
「……この歳でろくな自制もできずに停学を喰らい……更には厚顔無恥に兄の力を頼る……未熟な俺をどうか笑ってください、皿唯臥兄さん」
『にゃーはっはっはっはは☆ 相変わらずお堅い感じじゃんなーベー坊。お前は袖に張り付いて数時間たったライス粒かってーの☆ あ、今のは【お堅い】と【かってーの】が絶妙にかかってますのよーん? ちとハイセンス過ぎた?』
皿助の兄、美川八人兄弟姉妹序列第七位の三男坊。
その名も美川皿唯臥。普段はハイパーチャラいテンションで我が道をウェイウェイ突き進む男。職業は私立探偵。
『お前まだ一五歳か一六歳だろ確か。高校生じゃん。ようDK。ハローハロー☆ 高校生なんて、ヤンチャが過ぎて周りの大人からギャンギャンニャンニャンとどやされてるくらいが正常だぜよん☆ 実際サイガお兄たんはそうだったよん? ソフトに弾力ある人生を歩めよ少年A』
「俺は……皿唯臥兄さん程、頭の柔らかい人間ではないんです……本当、ここ最近は未熟を噛み締めさせられてばかりだ……!!」
『んみゃ~~~ッ……本当に堅いぞ、なもし……ベー坊は本当に皿太郎兄貴ングに似とるにゃすなぁ☆ ま、良いですわん。それがお前の生きるマイウェイってんならお兄たん応援姿勢フゥーッ☆』
「ところで、兄さん……そろそろ……」
『うんうん☆ …………んじゃあ、まぁ…………ここからは探偵モードで話を聞こうか、兄弟』
途端、皿唯臥の声が豹変した。
まるでヘリウムガスをパンパンに詰めたが如くフワフワしていたチャランティボイスが一転、ハードボイルドな長編映画で主演を張れそうな渋みに満ち充ちたワイルドボイスへと変わる。
『依頼内容を確認するぜ。テメェの【探し物】は、その堕撫尤とか言う高次元生命体……そいつらが今、何処にいやがんのか……この俺に探して欲しい。そうだな?』
「はい……お願いしても良いですか、兄さん……依頼料は、停学期間中にバイトでも何でもして……」
『あぁん? 舐めるなよ、兄弟……テメェ、この俺が金やチヤホヤされるために探偵をやってるとでも思ってんのか? だとしたら否定するぜ……違うね。俺は【ワクワク】したい、そんで【達成感】を味わいたい。だから【探す】…そして【見つける】。それがたまたま【探偵】って職の職務内容と被ってたから、体裁を整えるために探偵として開業したに過ぎない……普段金銭報酬を取って探偵やってんのは、【業界】の【相場】って奴を荒らさねぇためさ』
一人が相場以下の値段を通常価格に設定すれば、需要は当然その安値の方に傾く。集中してしまう。他の同業者への需要が減り、業界のバランスを荒らしてしまう事になる。
流石の皿唯臥と言えど、先人達の生活を壊す様な真似はしない。だからとりあえず、適当に相場の報酬をいただいている訳だ。
つまり、皿唯臥に取って報酬など正味どうでも良いのである。
彼が依頼人に求めているのは、【とてもワクワクできて、とても達成感のある……そんな難易度の高い依頼を持ってきてくれるかどうか】……ただその一点。
『高次元生命体の追跡調査……ふはッ……良いじゃあねぇか。【俺以外の探偵にゃあそうそう扱えない案件】だ。【有象無象の探偵は扱わない案件】……つまり、素行調査や紛失物捜索みてぇに【相場なんて存在しねぇ案件】って事だ……それなら、何に気を使う事も無ぇ。ギャラは要らねぇよ、兄弟』
「いや……しかし……それでは俺の気が済まない……!!」
『知るかそんなもん。勝手にモヤモヤしてろクソガキ』
バッサリと切り捨てられてしまった。
「に、兄さん……」
『さっきも散々言ったがなァ、テメェは堅気過ぎだ……律儀なのは殊勝で良いが、過ぎたるは及ばざるが如し……律儀過ぎんのは悪い印象に繋がるぜ。テメェの事だから【慇懃無礼】のつもりは無ぇだろうがよ……相手はそれに近いモンを感じちまうぞ。気を付けな』
「え、ぁ、は、はぁ……」
『……イマイチわかってねぇなテメェ……良いか? 目上の人間が、しかもテメェの偉大なる兄貴が【無償で良い】つってんだ。ならそれで良いんだよ』
「し、しかし……」
『それとも何か? あ? テメェは俺が決めたルールに物申せるくらい偉くなったのか? ……ほぉ、そいつァ面白ぇ……一体いつからテメェはそんなお偉いチャンになったんだ弟クゥゥゥン……?』
「ぃ、いえ、滅相もございません……ッ!!」
『んじゃあ、この案件の報酬は無しだ。停学中の空いた時間はせいぜい真面目っ子らしく勉強でもしてろや。それで問題無ぇな? 無ぇよなァ?』
「は、はいッ!!」
『はッ、そぉだ。弟クンは兄貴の言う事を素直に聞いてりゃあ良いんだよ……お利口チャンにして待ってな。すぐに調べてやっからよ』
それだけ言って、ブツッと一方的に通話を切られてしまった。
「…………昔から、マジモードの皿唯臥兄さんは……ちょっと苦手だ……」
何と言うか、マジモードの皿唯臥は上位の兄姉にも劣らない凄みがある。
「……今度、実家に帰って来た時にしれっと肩でも揉ませてもらおう……」
流石の皿唯臥と言えど、調査が終わるまでそれなりに時間はかかるだろう。三〇分くらいか。
とりあえず、一旦家に戻るか、それともどこかで時間を潰すか……などと考えながら皿助がスマホの画面を消灯させようとした、その時、
「!」
スマホが軽快な音楽を奏で、着信を報せ始めた。
「なッ……皿楼姉さんッ……!?」
着信相手は、美川皿楼……皿助の姉、美川八人兄弟姉妹の序列一位タイに君臨する長女様である。
「な、何故……皿楼姉さんから着信が……!?」
皿楼は言うなれば美川八人兄弟姉妹のトップに立つ双王の一人。普段、皿助の様な未熟者は相手にしてもらえない。
皿助が話しかけても、皿楼の対応はいつも素っ気ないと言うか業務的。たまに皿楼の方から皿助の頭を撫でてくれたり頬をつついてくれたりと姉弟として最低限のスキンシップは取ってくれるが、その後は大抵目も合わせずにツカツカとどこかへ去っていってしまう。
メールを打ったって返信はすごく遅いし、ほぼ確実に一行二行のシンプル返信。
そんな皿楼から、電話ッ!!
皿助としては青天の霹靂に等しい事である。
………………まぁ、大体予想が付いている方もいるだろうが………………皿助は、すごく致命的な勘違いをしている。
皿楼が皿助に話しかけられても素っ気なく業務的な口ぶりなのは「うぼぁぁ皿助……!? 皿助何かわ、かわわ、あぁうば、えぇ何? 私に何の用なのマイ・フェイバリット・フェアリィィィイイイァッ!!」と脳内大爆発状態で、「今の私は、油断すると何を口走るかわからない……」と過度の自制をかけているからだ。
たまに皿助を撫でたりつついたりして目も合わせずに去っていくのは、皿助とのスキンシップでテンションが上がり過ぎてどうして良いかわからなくなり、とりあえず頭を冷やすため、本能的に北の方へ向かってしまうため。
メールも同じ様な事。皿助に嫌われないために当たり障りの無い文面を作り出そうと膨大な時間を食うから返信は遅いし、いつも色々と悩んだ末に結局「余計な事は書かないのがベスト……ッ!! スマート&ベターこそ圧倒的最良……ッ!!」と言う結論に落ち着くから内容も短くシンプルになる。
要するに、皿楼は皿助が大好き過ぎるが故に、皿助から見ればとても薄情的な対応をしてしまっているのである。
皿楼が脳内で巻き起こるスーパーハリケーンな動揺を表情に出すタイプなら皿助も察し様もあるのだが……皿楼の表情筋はそんなにヤワでは無い。
結果として、現在の姉弟関係に至る。
「た、誕生日やその他のメモリアルな記念日ならともかく……今日は至って普通の平日だぞ……!?」
ヤバい、どうしよう、至極緊張。正味、若干の恐怖すらある。
皿助には、スマホ画面に表示されている通話開始ボタンをタップする程の勇気が無い。
だが、皿楼からの着信を無視できる程の勇気も無い。
緊張に震える指で、皿助は通話開始をタップした。
「……ッ……も、もしもし……」
『……皿助か』
「は、はいッ!! お久しぶりです、皿楼姉さんッ!! 息災でありましたかッ!?」
『当然だ。……ところで、まだ終業時刻じゃあないのに、学校を出た様だが……何かあったのか?』
「ッ」
どうやら、皿助の波動が綾士歌高校の校域から出たのを感知し、それを不審に思って電話をかけてきたらしい。
「は、話すと色々と長くなってしまいますが……って、あれ? そんな細かい挙動が掴めていると言う事は……まさか皿楼姉さん、奥武守町に……?」
皿助は今、校門から出てちょっとしか進んでいない。
皿楼なら地球の裏側にいる相手の波動だって感知できるだろうが……流石に国外にいたら、ここまで細やかな波動の動きまで分析できるとは思えない。
『……まぁ、諸事情あってな……今、実家に帰ってきている……そして、【堕撫尤】とか言うのの襲撃を受けた』
「えッ……」
『まぁ、当然ながら勝ったがな。そして、家にいた杷木蕗とか言うジャージの男を【尋問】させてもらったが……随分……厄介事を抱えている様だな、皿助』
「堕撫尤がそっちにも……と、と言うか……姉さん……? その……創路は存命ですか……?」
『ソージ……? ああ、こいつの下の名前か。一応な。この男「皿助はきっと、身内だろうとイタズラに誰かを巻き込むのは好まないタイプだよなァ~……!!」と中々強情でな……結局口は割らなかったため、精神的に極限まで追い詰めた後、波動で無理矢理に脳内を直接覗かせてもらった。私の尋問に屈しないとは……実に根性のある良い友人を持ったな』
創路、ごめん。と皿助は亡き友を追憶する兵士の如く空を仰ぐ。
『今、校外に出たのも、堕撫尤絡みか?』
「……あ、は、はい……その、堕撫尤との戦闘で校舎を破壊してしまい……その……て、停学処分に……」
『…………仕方の無い奴だな』
姉さんに呆れられてしまった、と皿助はその場で膝から崩れ落ちる。
まぁ、実際の皿楼は電話の向こうで「ふふ、まだまだヤンチャな年頃だな全く……ああんもう。萌え過ぎて心臓痛くなってきた」と内心で保護者感全開の優しい笑顔を浮かべていたりするのだが。
『……じゃあ、皿助はそのまま家に帰って大人しくしていろ。堕撫尤については、私が全てきっちり落とし前を付けさせてやる』
「ッ、い、いや、待ってください……それは流石に待ってください、皿楼姉さんッ!!」
『……?』
「これは……俺の問題です……ただでさえもう既に、皿唯臥兄さんに迷惑をかけ、皿楼姉さんを巻き込んでしまった……その上、更に皿楼姉さんに尻を全て拭ってもらっては……俺は……」
もうこれ以上はマジで駄目だ。
皿唯臥を頼り、皿楼に堕撫尤の一体を対処させてしまった。その二点だけでももう、皿助は心臓が超痛い。
挙句に皿楼に後の事を全て任せたりなんかしたら……【美川の人間】として、どうなの? って話になる。
皿助が対処するより皿楼が対処した方がそりゃあ効率は良いんだろうが……そんな事を言い出したら、兄姉が健在の内は皿助の存在意義が皆無である。だってぶっちゃけ、兄姉は皆、皿助より遥か上の上位互換なのだから。
兄姉達の方が上手くやれる…と言って放棄し始めたらキリが無いと言うか、まさしく立場が無い。皿助が美川家に存在する意味が無い。
最早、兄姉達に迷惑をかけたくないと言う気持ちだけの話ではないのである。
これ以上、兄姉達の力を頼る事は、皿助自身の存在意義を否定する事になるのだ。
これはある意味、皿助のアイデンティティも懸かっている。
『末弟が、兄姉に尻を拭われる事の何を恥じる? 大体、お前のオムツを替えていたのはこの私だぞ? 尻を拭われるのは慣れた物だろうに』
「恥とか慣れとかの話ではなく……俺は確かに貴女の弟ですが……それ以前に、【美川の人間】なんです……! 【美川の人間】が、いつまでも身内に頼り放しと言うのは……!!」
『……! ほう、【兄姉に迷惑をかけたくないから】どうのと実に下らない事を言うのかと思えば……まさか【面目】の話をするとはな……成程。あの皿助が、随分と【生意気】な事を言う様になったじゃあないか……』
今の発言、皿楼的には「ふぁぁ……そんな男らしい事を言える事になっていたなんて……いつまでも幼可愛い子共だと思ってたのに……成長……成長しているのだな……!! お姉ちゃん感激……ッ!! 私を感激させるとは、流石は愛しの皿助……!! はふぅ……もう涙と涎が止まんない……」的なニュアンスだったのだが……
「……ご、ごめんなひゃい……」
皿助はその発言を額面通りに捉えてしまい、「皿楼姉さんの不興を買ってしまった……!?」と顔面蒼白。締め上げられた鶏の様な裏声になってしまう。
そして、先程、皿唯臥に怒られた事を思い出し、ハッとした。
「ぁ、あのッ……! ぉ、俺は…俺は決して、皿楼姉さんの提案が不服と言う訳では断じてないんです……ただ……その……」
『ふん……まぁ良いさ。確かに皿助はもうすぐ一六歳……思春期も佳境……そろそろ、美川家に所属する者としての体裁を気にし始めるのも、自然な話だ』
「!」
『受肉体に入っている高次元生命体程度、美川の者ならば軽くあしらえて然るべき……皿助はまだまだ未熟だから至極心配だが……美川の者としての誇りが芽生え始めている精神的成長に免じて、様子を見てやる』
皿助は今、兄姉への義理立てだけでなく、自らのために「兄姉を頼らない」と言う選択をしようとしている。自分のための挑戦…それは【成長しようとする意志】の【歩み】だ。
皿楼も人の子、当然【愛しき者を守りたい気持ち】はあるが、それは【愛しき者の歩みを邪魔する事】と同義ではない。同義であってはいけない。
心配至極心配不安ヤバい吐きそう的な気持ちはあるが、それをグッと飲み込んで見守ろう。
皿楼は血涙しそうな程の葛藤の末、そう判断したのである。
「ッ……あ、ありがとうございます……!!」
『……あ、それと話は少し変わるが……この杷木蕗とか言うのと、こいつを助けようと私に挑んできたブルマ娘は、しばらくこちらで預かるぞ』
「えッ……!? と、突然に何故ッ……!?」
『気に入った』
皿楼の尋問を耐え抜き、最後まで口を割る事は無かった杷木蕗の根性。
そして、杷木蕗を助けるため、泣きじゃくりながらも必死に皿楼に挑んだ水立子の気概。
相当、お気に召したのだろう。
『脳内を覗いてわかった。このジャージ男は仲間や友人…誰かの為に何かを為す事を前向きに捉える性格だ。それも、生命を賭して闘う事すらできる。……美川に居ると感覚が麻痺してしまうが、【生命懸けで事を為そうとする心意気】は実は凡庸な事では無い。すごく貴重な人材だ。ブルマの方も同様』
「……は、はぁ……」
『だから私の部下として、非常に優秀な警察官に育ててあげてやろうと言うのだ。安心しろ。こいつらはお前の友人。決して悪い様にはしないさ』
「あ、あの……お言葉なんですが、姉さん。実はそいつは陰陽師的な問題から人間界での行動には一部制約が……」
『脳内を覗いたと言った。当然その辺りも承知している。大丈夫だ。妖界の偉い連中との話は、こちらで付けておく』
あ、ダメだこれ。
皿楼はどうあっても杷木蕗と水立子をお持ち帰りする気満々だ。
「……あの……姉さん……その……お手柔らかに」
『任せろ。私は教育も得意だ』
知ってる。
何せ、皿楼は日本警察に所属していながら、超インターポールが世界各地で運営している【超特殊戦闘部隊員養成所】のカリキュラム考案を任されている人物なのだから。
『では、皿助。頑張れよ。そして何かあれば、すぐに連絡しろ。美川のメンツを考えるならば、【誰かを頼る事】よりも【敵対者に敗北し、志半ばで倒れる半端クソ野郎になり下がる事】こそが忌避すべきと知れ。いいな?』
「……は、はい……」
と言う訳で、皿助は通話を終了。
「…………創路、ごめん。俺は無力だ……死ぬなよ」
皿助は、故人となった友を偲ぶ軍人の様な表情で、青空へ向けて敬礼した。
◆
「……さて……」
美川邸の庭。
真っ直ぐに天を仰ぎながら、皿楼は通話を終了した。皿助との通話中に鼻血が出てしまったので、服に滴らない様に上を向いているのだ。
「そろそろ、起きろ」
スマホをポケットに戻しつつ、入れ替える形でハンカチを取り出しながら、皿楼はある【モノ】を軽く蹴り付けた。
……まぁ、彼女の【軽く】は彼女なりの【軽く】であって、一般常識の範疇には決して収まる事はない。
皿楼が蹴り付けた【それ】は、さながらダーツの矢の如く鋭く吹っ飛んで、地面に突き刺さった。
「……ぃ……痛ってぇなァ~~~ッ!? って、んぁ……?」
皿楼が蹴り飛ばした【モノ】が、地面を抉り返しながら激しく起き上がる。
その正体は、ジャージを纏った坊主頭の中年……杷木蕗だ。
「……あれ? 俺、堕撫尤の爺さんと戦ってて……皿助の姉貴がそいつを倒して……んん? そっから記憶がやたら曖昧だな……なんでだァ……?」
「私も一応人の子だからな。最低限の配慮はする。感謝しろ」
ハンカチで止まらない鼻血を塞き止めながら、皿楼はやれやれ的なテンションで軽い溜息。
杷木蕗は皿楼の【尋問】を受けた結果、今まで意識を失っていた。
その間に、皿楼は一応の【優しさ】から、杷木蕗に要らぬ【トラウマ】が残らぬ様に【尋問とは名ばかりの拷…】…【実に尋問めいた尋問的尋問感の溢れる尋問】の記憶を、波動奥義で削り取って置いたのである。
そう、優しさだ。まぁ、「反発意識に繋がりそうな記憶は消しといた方が教育しやすいからな」なんて打算も多少はあるが。メインはあくまで優しさからの行動である。
「……? よくわかんねぇが、堕撫尤を倒してくれたのはあんただし、その辺も含めて、ありが……、ッ!!」
と、ここで杷木蕗はある事に気付いた。
杷木蕗の正面、皿楼の向こう、そこに、ブルマ姿の幼女・水立子がぐるぐると目を回して転がっている事に。
「水立子ォッ!? 大丈…うぐッ……」
「慌てて動くな。貴様の身体の中身は堕撫尤との戦闘の反動(と私の尋問と蹴り)でボロボロなんだ。外傷が少ないからわかり辛いだろうがな」
ちなみに、杷木蕗に蓄積されたダメージの比率を順位付けすると「皿楼の尋問≫越えられない壁≫皿楼の蹴り>憑物加魅使役の反動>ディーティーの裏拳」の順になる。
「安心しろ。あの幼女もすぐに目を覚ます。後遺症の心配も無い」
加害者が言うのだから間違い無いだろう。
「で、だ。杷木蕗創路」
鼻血が止まったので、皿楼はハンカチをポケットへ。そして今度は、アロマシガレットの箱を取り出した。
どうでも良い話だが、四次元ポケットかってくらい一つのポケットに物を詰め込んでんなこいつ。
「貴様に少し話がある」
「話ぃ……?」
アロマシガレットの先端に火を灯し、皿楼は杷木蕗を真っ直ぐに見据える。
ただ見ただけだのに、大蛇にでも睨まれたかの様な圧力を感じ、杷木蕗はちょっと身構えてしまう。恐い眼力。
「貴様、私の弟に恩返しをしたいそうだな」
「!」
「だが、皿助は美川の者としては極めて未熟でも、世間一般で言えばそれなりの強者に入る部類。貴様の実力では、恩を返す隙が無く、困っている」
「な、何でそこまで……!!」
そりゃあ、皿楼は尋問とは名ばかりの拷…実に尋問めいた尋問的尋問感の溢れる尋問の末に杷木蕗の記憶(皿助に関わる部分のみ)を覗いているのだ。知っているに決まっている。
「【強くなりたい】とは、思わないか?」
「! そりゃあ、思うに決まってるぜ……!! 世の中の価値観は、一つじゃあないがよォ~……少なくとも、俺が今まで生きて来た界隈じゃあ、強くて損をする事なんて無かったし……何より……」
すごく強くなれば、きっと皿助の役に立てるだろう。
極論、皿助より強くなってしまえば、皿助を守る事だってできるのだ。
「そうか。なら問題無いな。期待通りの反応で嬉しい限りだ……こっちの幼女は貴様にべったりの様だし、貴様が私に付いて来るなら付いて来るだろう。実に問題無し」
「は……? 俺が、あんたに付いてくってか……? どこにだよ?」
「私と懇意にしている組織の……特殊戦闘部隊の構成員育成機関だ。あそこで訓練を受ければ、人間だろうが妖怪だろうが悪魔だろうが……果ては人型の自律式機装纏鎧だろうが、訓練前の倍以上は強くなれる事を保証してやる」
「!!」
「来るだろう?」
「……あぁ……頼む……いや、頼んますッ……俺を……そこへ連れてってくれ……じゃなくて、連れてってください……!!」
深々と下げられた坊主頭を見て、皿楼はアロマシガレットを咥えたまま、ニンマリと笑った。
「私から勧誘したんだ。当然、歓迎してやろう……だが、貴様は今、同意した……文句は言うなよ。例え……【地獄の果て】まで連れて行かれても、な」
「……応ッ……!!」
こうして、杷木蕗と水立子は堕撫尤との戦線を離脱する事になった。
―――この後、果たして杷木蕗は無事、皿助に恩を返せる日が来るのか……それはまた、別の部。




