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ダイカッパーは流れない  作者: 須方三城
第二部 禁忌超越
19/65

18,同時侵攻。大丈夫か、主人公がいない方ッ!!

 奥武守町、時刻は日付変わって午前〇一時〇八分。

 耳を澄ませば、暇を持て余したコンビニ店員や居酒屋従業員の欠伸が聞こえてきそうな程に静かな夜。


「……バレネッタ嬢はよくやってくれた様じゃのう」


 人工的な光はほぼ全て消え失せ、宇宙そらを巡る月と星々の光のみが照らす住宅街。

 並び立つ二本の電信柱の上に、それぞれ一つずつ、人影があった。


「ワシらの出番が来たのう」


 比べて小さな方の影から、初老を迎えた感のある男性の声。


「けッ。じゃあ、あのナチュラルボーンビッチが言ってた通り、俺はさっさとその【ベースケ】って奴にちょっかいかけに行きゃあ良いんだなァ?」


 応えたもう一つの影からは、少々荒っぽい青年男性の声。


「……つぅかよォ……なァんで俺があのゴミ上司のために、急いで動かなきゃあならねぇんだよ……あんな役立たず、さっさと死んじまえば良いじゃあねぇか」

「パン・ドーラー様にイジメ甲斐があるのはわかるがのう、【つん】は程々にせんと取り返しの付かない程に嫌われてしまうぞい」

「だッ…、誰がツンデレだゴルァこの童貞ジジィッ!! リンゴで潰すぞテメェ!!」

「ふぇふぇふぇ。やってみい。どうせワシら【堕撫尤タブー同士では大したダメージを与えられん】。何より、ワシの【超越権】は、【既にお前さんのリンゴ】を【覚えておる】わ」

「……チッ……どいつもこいつも腹が立つぜ……ムシャクシャしてきたぞ。八つ当たりついでに、一丁派手にちょっかい出してやんぜ……!!」

「好きにすれば良い。どうせワシらは、バレネッタ嬢が用意して逝ってくれたシナリオを大雑把になぞるだけじゃ。それで、ワシらの【真の目的】は勝手に達成される。そう言う【運命】……」

「ふん……じゃあ、こっからは別行動だ。せいぜい俺のために役立って激しく死ねや、DT(ディーティー)

「ふぇふぇふぇ。そっちは上手くやれる様に祈っとるぞ、エデン坊」

「けッ……上等。特上のリンゴを喰らわせてやらァ……」


 ふぇふぇふぇ……と続く老人の笑い声。

 不意に、声が止む。

 それと同時に、二つの影は姿を消した。



   ◆



 朝日が正味眩しい午前〇八時三〇分。


 庭の真ん中に立つと、端が霞んで見える程の敷地面積を誇る和風大邸宅、美川ちゅらかわ邸。

 敷地内には一戸建ての家屋が三軒並ぶ形で建っている。


 まず一番大きい家屋。敷地ド中央にそびえ建つ三階建て合計一〇LDKG(G=玉座)なのが、美川家当代当主とその妻が暮らす【本丸ほんまる御殿ごてん】。

 次いで大きな家屋。本丸御殿のすぐ後ろに建てられた一階建て六LDKB(B=仏間)なのが、美川家先代当主とその妻が暮らす【二丸にのまる御殿】。

 そして最後に、本丸・二丸の横に添えられる様に建てられた一階建て九LDKS(S=修練場)なのが美川家当代当主の子共達が暮らす【末裔御殿】。


 総計二五LLLDDDKKKGBS。

 これが美川邸の大まかな全容である。


 当代当主皿父朗(さぶろう)八子の内一柱である皿助。その私室は当然、末裔御殿の中に収まっている。


 そんな皿助の私室、丁寧に敷かれた布団の中。

 ブルマー姿のハチマキ少女……【禁機忌子キンキ・キッズ】が一人、鳴寧なきむし水立子みたこは目を覚ました。


「……で、でしゅ……?」


 見慣れない天井に水立子は目を真ん丸くする。


「……!? み、水立子、確か、森の中で、河童のお姉ちゃんと恐い奴らに……」

「おう。目ェ覚めたか、ションベンたれがよォ~……」


 そんな水立子の視界にニュッと割って入った坊主頭の中年男性フェイス。

 水立子と同じ禁機忌子キンキ・キッズの一人、杷木蕗はきふき創路そうじだ。


「そ、創路兄ちゃん!?」

「おう。俺だぜぇ」

「う、ぅう!! 創路兄ちゃん!!」


 実は水立子、禁機忌子キンキ・キッズの仲間の中でも一際杷木蕗になついている。

 水立子は杷木蕗を兄と呼ぶが、傍から見ると見た目もじゃれ合う様相も完全に父娘。


「聞いてくださいでしゅ!! 水立子すごく恐い目に遭って……っぅ……!?」


 水立子はとりあえず再会を喜び、杷木蕗に飛び付いて存分に泣こうとした……が、上体を跳ね起こした瞬間、全身にビキビキビキィと結構エグめの痛みが走り、表情を歪めてそのままうずくまってしまう。


「おォ~いおいおいおい……あんま騒ぐなよ~……テメェは割と本気マジに重傷だ。俺達はちょいとばかし丈夫に作られちゃあいるが、素敵に不死身って訳じゃあねぇんだぜェ~全くよォ~~~……」


 世話が焼けるガキめがよォ~……と杷木蕗は呆れ溜息を零しながら、水立子の背中に手を添え、ゆっくりと身体を寝かせる手伝いをする。


「うきゅぅ……い、一体、何がどうなってるでしゅか……? ここ、どこでしゅ?」

「何がどうなってるっつぅのはこっちのセリフだっつぅの~……ここは、皿助っつぅ人間の家、そんで部屋だ。野郎の詳しい説明は後でするが、俺達にとことん協力してくれる物好きで良い奴だから安心しろよォ~」


 昨夜、バレネッタとの戦いを終えた皿助と杷木蕗は不思議空間を出て、真っ直ぐに家に帰ろうとした。

 すると、皿助が「……! ……来る時は気付かなかったが、創路に似た波動を微弱ながら感じるぞ……!」と言い出し、周辺を捜索。

 例の門からそう遠くない場所に生えていた巨木のウロの中で、死にかけ重体の水立子を発見し、ここに運んだと言う訳だ。


「そうでしゅか……創路兄ちゃんが『良い奴だ』って保証してくれるなら、信じるでしゅ」

「おうそうかい。そいつぁ良い心掛けだションベンたれめ……で、テメェに一つ聞きたいんだがよォ~……やっぱし、堕撫尤タブーの連中にやられたのか?」

「! そ、そうでしゅ……河童のお姉ちゃんにも結構良いのをもらったでしゅが……このダメージの大半は連中でしゅ!! 創路兄ちゃん、堕撫尤タブーを知っているでしゅか!?」

「ああ、……あの時、テメェと摩初まぞめはまだ起動どころか完成すらしてなかったからなァ~……知らなくても無理はねぇよ……」


 杷木蕗は、堕撫尤タブーを知っている。

 直接見た事はないが、話だけは聞いている。


 堕撫尤タブーは、三〇〇年程前……丁度、禁機忌子キンキ・キッズ第二号である杷木蕗が完成ロールアウトした頃に襲来した五体の謎生命体だ。

 連中は人間界を活動拠点とし、【生命体の選別】を謳い、人・妖・魔の各勢力にちょいちょいちょっかいを仕掛けていたと聞いている。


 掲げている目的の割には、堕撫尤タブー行為ちょっかい自体は小規模なモノだったそうだが……それでも連中の振るう【超越権】と言う【異能力】は極めて強烈で、それを抜きにしても高い戦闘力を保有しており、各勢力への被害は小さくなかったらしい。

 人・妖・魔は事態を重く受け止めて一時休戦し、堕撫尤タブーの対処にあたった。

 そして見事、堕撫尤タブーを人間界のとある場所に封じる事に成功した……のだそうだ。


 全て、聞いた話。

 杷木蕗はあの頃、完成したばかりだったし……そもそも禁機忌子キンキ・キッズは陰陽師以外の相手との戦闘を想定していない兵器だったため、堕撫尤タブーとの戦いに関わる事は無かった。

 ただただ天狗族の研究所で、堕撫尤タブー騒動について研究員天狗達がたまに話しているのを聞いているだけだったのだ。


 ちなみに、この堕撫尤タブー騒動から人・妖・魔の各勢力内で「手を組んでみて思ったんだけどさ……あいつらって、実はそんなに悪い奴じゃなくね?」的な風潮が生まれ、徐々徐々にと強まり、現代の共生態勢を築く基礎ができ始めたんだとか。

 おかげで、杷木蕗達はロクに実戦投入もされずに封印される羽目になった訳だが……


 まぁ、その辺の今は関係ない話はさておき。


 バレネッタと戦った不思議空間に繋がるあの門のある場所……あそこが、【堕撫尤タブーを封じた人間界のとある場所】だったのだろう。


「当時、血で血を本気洗浄する様な争いを繰り広げてやがったはずの人間と妖怪と悪魔が、手を取り合って戦う事を良しとする程にヤバい連中……それが堕撫尤タブー。どう言う訳かは知らねぇがよ~……その封印が解けちまった……こりゃあ、笑い事じゃあねぇよなァ~……」

「う、うん……そ、そうでしゅね……わ、笑えないでしゅ……ほんとマジで」


 晴華の能天気な発想に同意し、門扉の破壊を看過した水立子としては、非常に耳が痛い。


「何か、俺でも打てる手がありゃあ打ちてぇ所だがよォ~……生憎……俺にゃあ陰陽師以外とまともにり合える【力】が無ぇ……歯痒いがよォ~……この件は、皿助と妖界の連中の動きを見守るしかねぇぜ……!!」


 実際、杷木蕗はバレネッタの蹴り一発で、まさしく一蹴されてしまった。

 対堕撫尤(タブー)に置いて、何か役立てる事があるとは思えない。


 皿助は昨夜、早速丹小又(にこまた)堕撫尤タブーについて報告していたし……妖界側がどう動くか。

 今はそれを見守り、先行きに僥倖がある事を願うくらいしか、杷木蕗にはできないのだ。


「……とりあえず、テメェはよく寝て、さっさと怪我を直せよォ~ションベンたれ」

「え? 創路兄ちゃん、どっか行くでしゅか?」

「俺は、皿助にこれでもかってくらい恩義を感じてるからよォ~……堕撫尤タブー関係で何もできないならせめて、この家の庭でも掃除してくるとするぜ」


 今は、本当に、それくらいしかできない。


 心の中で歯噛みしながら……杷木蕗は、塵取り挟みを手に取った。



   ◆



 同時刻、所変わって。

 綾士歌あやしか高校。二年生校舎の二階の端、HR前の二年一組教室にて。


「……と言う感じで、色々と妙な事になった」


 我らが主人公であり立派高校生である皿助は、迫る五月末の中間テストに向けて歴史の自作ノートを読み返しながら、昨夜の出来事を語った。


 聞かせた相手は、隣席の女生徒。

 皿助の正妻こと我らがヒロインの一柱、平良たいら月匈音つくね

 三つ編みおさげに瓶底眼鏡と言う古き良き大和女学生リスペクトスタイル。そろそろ季節的には夏服に衣替えすべきだのに、皿助の学ランに合わせてか厚手の紺色布地で仕立てられた冬仕様セーラー服に身を包んでいる。

 月匈音は正妻と呼ばれるだけあり、皿助とはただならぬ程の付き合いがある【幼馴染】だ。ちなみに貧乳である。大丈夫、需要はある。


 そんな訳で、皿助は彼女を信頼し、どんな些細な事でも包み隠さず自身の情報を共有する。

 昨夜の一件もまた然り。


 堕撫尤タブーなんて危険そうな連中に関わってしまったなど、教えてしまったら不安にさせてしまうのでは?

 そこで不安にさせないのが、男の器量であると皿助は考える。


「あんたはまーた妙な事に巻き込まれてるわね……」


 ご覧の通り。月匈音のリアクションは「この少年漫画、主人公がまた同じ様なピンチに陥ってんな」くらいの軽さ。そして「少年漫画の主人公は何度同じ様なピンチに陥っても結局は大円団を迎える」。そんなモンだ。

 つまり、月匈音に取って【皿助がまた何か不穏な事に巻き込まれている】と言う状態はそんなモンだ。


 いつだってそうだ。皿助はなんだかんだ、どんなピンチも切り抜ける。知ってる。未来のネタバレを知る権利など持っていなくても、ずっと前から。

 もし月匈音に「この世界の中心は誰だと思いますか?」とインタビューしたら、自分の名前の次には迷わず皿助の名を挙げるだろう。


「ってか、それ本当に晴華パッチーは大丈夫なの?」

晴華パカちゃんが囚われている【匣】については、今、丹小又さんに頼んで妖怪保安局で解析してもらっている。……悔しくて震えざるを得ないが……アレは俺の智が遠く及ばない【高次元生命体】とやらの所業だ。俺にできそうな事は全て試したが開封が不可能だった以上……今は堪えるしかない」


 ……一応、晴華が閉じ込められているあの匣は、堕撫尤タブーのボスを倒せば開くらしいが……その手法は、重要な問題がある。

 それは、


「……クソッ……パン・ドーラーとやらの居場所さえ分かれば……!!」


 その倒すべきボスとやらの居場所が、わからない。

 そして皿助には、堕撫尤タブーの気配や波動を感知する術が無い。


 今朝も最低限の睡眠を取った後、登校時間まで奥武守町中を走り回ったが……やはり駄目だった。

 本当は学校すらサボってしまおうかとも思ったが、丹小又に「ヤケクソに走り回って探したって無駄ですニャン。それくらいもわからない程に冷静さを欠いている様子ですニャンし……頭を冷やす意味も兼ねて、学生らしく学校に行くべきですニャン」と諫められた。

 彼女の指摘通り冷静さを欠いている感は否めず、皿助は大人しくそれに従い、現在に至る。


「……己の無力が、歯痒い……ッ!!」


 心底悔しいのだろう。皿助の身体から悔しみの【波動】が滲みだしてしまい、それをモロに受けている歴史の皿助ノートが悲鳴の様な軋み音を上げている。


「……皿助、何か漏れてるっぽい」

「ッ……すまない……やはり俺はまだ未熟だ……」


 少し感情が振れた程度で、波動の制御が狂う。


 皿助自身は気付いていない事だが、実はそれは未熟故ではない。

 実は、彼は逆に【とても早熟】なのだ。

 一六歳でありながら、彼は成人の波動戦士と比較しても見劣りしない波動精製力を誇っている。

 素質がある……いや、あり過ぎている故に、制御がままならないのである。

 一歳の頃から少しずつ美川流総合武術を習ってきた皿助だが、その一四年程度の修練では御し切るのも難しい波動を体内に秘めているのだ。


 皿助の体内には【一〇〇の力が渦巻いている】のに、彼はまだ【五〇の力を制御できる身体】しか作れていない。そんな状態。

 今、皿助の体内に流動している波動の量を制御できる身体を作るには、合計二〇年近い修練が必要になる。一四年目の皿助では、大雑把六年分も足りてない。


 なので現状、感情が強まり五〇以上の波動出力が出てしまうと、もう皿助の意思では制御不可能。

 色んな種類の波動が好き勝手に体内外を駆け回り、皿助にすら予想できない事態を引き起こす。

 さながらランダムに怪現象を引き起こす魔法の呪文、パル●ンテ。

 要するに、皿助は今、全身パルプ●テ状態なのだ。 


 皿助ノートはそんなパ●プンテ的波動疾走に当てられ続け、ついには粉微塵に爆裂四散。ご臨終。南無三。


「………………」

「あーあー……資源が勿体無い」


 祖父は皿助の素養を見越して、通常三歳から始める修練を皿助だけは一歳から始めたのだが……それでもこのザマ。

 危うい孫だと常々祖父は心配している。


「……今、俺にやれる事はない……丹小又さんの指摘を受け入れ、今は雌伏の時と……ただ今自分にできる事……学生としての本分に従じると今日、登校したと言うのに……俺は、それすらままならないのか……ッ!!」


 自分で自分が情けない。

 そう皿助が軽く机を叩くと、これまた御し切れない波動が悪さをした。●ルプンテ。

 皿助から木製の机へと流れ込んだ熱い波動が、机の中に眠っていた生命を目覚めさせる。

 モサッ、と皿助の机上が、一面のキノコ畑に。これはナメコだ。見ているだけで「味噌汁を作りたい」なんて欲望に駆られると言うか……「味噌汁だ…味噌汁を作らなければ……!!」と言う強迫観念すら覚えるキノコ。


「…………………………」


 皿助の悲し気な視線を感じ、ナメコの群れがザワめき、そのザワめき音でキノコ信号式のメッセージを発信。「泣・か・な・い・で・パ・パ・ン」。


「……とりあえず、ほら」


 そう言って、月匈音は皿助にある物を差し出した。

 それは月匈音が作成した歴史のノートである。


「貸したげるから、図書室でコピー取ってきなさい。そんでついでに、そのナメコ共は家庭科室に寄贈してくる事」


 皿助は今、うじうじ机に向かっているべき心境ではない。

 適当な理由を与えて、外の空気を吸わせる。身体を動かさせる。気分を変えさせる。

 月匈音の正妻的気遣いである。


「…………すまない。ありがとう」


 全てを直感で察し、皿助は赤面して己の未熟さを本気マジに恥じる。


「乙女みたいに顔を真っ赤にしてないで、さっさと行く。HR始まるわよ」

「ああ。承知した。必ずHR前に戻る」


 皿助は速やかに、しかし重厚な感謝を込めつつ月匈音からノートを受け取った。

 そして片手でナメコの苗床と化した机を掴み上げ、皿助は速やかに教室を後にした。


「…………やれやれね」


 皿助を見送り、月匈音は溜息。


 皿助はどんなピンチも必ず切り抜ける。

 だけど、それはやはり私のサポートもあってこそだわ。ふふん。

 と、月匈音は独り静かにふんぞり返る。正妻的愉悦。


「……、ん?」


 ふと、ふんぞり中の月匈音はある事に気付いた。


 いつの間にか、自分の机の上に、真っ赤な球体が一つ、置かれていたのだ。


 ……それは、どう見ても……


「……リンゴ……?」


 そう、リンゴ。どこからどう見てもリンゴ。赤く薄いベールの下に、魅惑の白い肉を隠した甘き果実。


「テメェだな。【タイラ・ツクネ】。【髪を三つ編みお下げにした、顔も胸もキュートなメガネっ娘】」

「ッ……!?」


 不意に、背後から聞き慣れない声が響いた。

 少々語気の荒い、若い男の声だった。


「テメェが【チュラカワ・ベースケ】の【一番大事な存在モン】だ」



   ◆



 またしても所変わって美川邸の庭。今回はあっちへこっちへ忙しい。


「めちゃんこ広いってのによォ~……バリクソ綺麗じゃあねェのよォ~……俺の出番が無さ過ぎんぜェ~おォ~い……」


 本当にここは人間の居住領域か?

 そう杷木蕗が目を丸くして指で顎をポリポリと掻く程度には、美川邸の庭は綺麗。

 大門から本丸御殿玄関まで伸びる石畳は、小石一つ分の隙間もなく綺麗かつ均等に敷き詰められている。

 石畳を外れても、芝は執念すら感じる程に程良く刈り揃えられており、歩く事に何一つ不便は無い。庭木の落ち葉一つすら落ちてはいない。

 遠くに見える池まで行っても、おそらくは同じ。


「そぉいやぁ……皿助が言ってたなぁ。この家は朝八時半と昼の一三時、そんで夜の一九時半に凄腕の【出張掃除屋デリバリースイーパー】が来るってよォ~」


 つまり、つい数分前にその掃除屋が来た訳だ。

 数分でここまで綺麗にして、己が存在した痕跡…気配すら残さずに綺麗に帰ってしまうとは……掃除の鬼だ。杷木蕗としては是非一度お目にかかりたい。


「……やれやれ……ちょっぴりの恩返しもさせてくれやしねぇってか……」


 まるでこの庭の様に清々しい快晴の朝空を仰ぎ、杷木蕗は溜息。


 恩を返そうにも、だ。

 どうにも、皿助には恩返しを喰らわせる隙が無い。


「…………あー…………」


 思えば奇妙な物だ。

 昨日まで殺してやる殺してやるぞと殺意を向けていた相手に救済され、明るい展望が有り得る未来まで贈られた。


 このまま、皿助に贈られた救済の全てを甘受するのは簡単だ。

 でも、それで良いのか。


「……良い訳が、無ぇよなァ~……」


 陰陽師を殺すために造られた自律稼働式の【兵器】でしかない……それが恩返しに躍起になるなんて、可笑しいと思うだろうか?

 それは逆だ。逆なのだ。逆。杷木蕗達は自律稼働式の兵器……つまり、操縦者はいない。自分で判断して行動し、戦う。だからこそなのだ。


 当然、陰陽師は相性最悪である杷木蕗達禁機忌子(キンキ・キッズ)と戦ってくれるはずがない。逃げるだろう。その時、杷木蕗達は【自身の判断】で【陰陽師の心理を読み解き行動を予測】できなければ、追跡に失敗する可能性が高くなる。

 そのため、杷木蕗達には「陰陽師の行動予測の的中率を高めて殺傷率を上げる」と言う目的で、非常に【人間らしい感情】が最低限はプログラムされているのだ。

 つまり、心の種苗となるモノはあった。心が芽生え花咲かすのは当然の結果。


 杷木蕗は今、皿助にひたすら感謝をしている。圧倒的な感謝だ。

 感謝すると、心は反射的に恩返しをしようと身体に働きかける。

 そして杷木蕗の身体は今、働きかけられている。


「どっかに、皿助の役に立てる仕事は落ちてねぇもんかなァ~」

「ふぇふぇふぇ。ゴミを探す様なテンションで言う言葉ではないのう……」

「ッ!?」


 不意。まさしく不意。

 突然に謎の老人声が杷木蕗の傍らで響いた。


「んなッ……」


 いつの間にか杷木蕗の傍らに立っていた老人。


 頭髪と長い長い髭は老人らしく真っ白。

 しかし、その肌はとてもじゃあないが【老】と言う字が似合わない。

 小柄ではあるが、ムキムキだ。皿助程かなりマッチョではないが、無難なスケールのマッチョ。過剰異常と騒ぐ程ではない。だがしかし、少なくとも老体らしからぬ筋量。肉が詰まって肌がパンパン。筋は入っててもシワなど無縁。

 しかも老人は紅蓮のフンドシ一丁と言う半裸男前スタイルである故、全身のムキムキ具合がよくわかる。


「な、なんだテメェは……い、いつの間に……」

「ワシは堕撫尤タブーのディーティー・サーティ。よろしくのう」

「た、堕撫尤タブーだとォォォ~~~~~!?!?!!」


 本気マジかよ!? と目と口をかっ開く杷木蕗とは対照的。ディーティーと名乗った紅蓮フン一丁の筋肉老人は、老成された柔らかな微笑みを杷木蕗に向けた。


「……ふむ。どうやら【早く着き過ぎた】様じゃのう」


 ディーティーは髭を揺らしながら、何やら辺りをキョロキョロ。誰かの気配を探っている様子。

 単純に考えれば、堕撫尤タブーに敵対意思を表明し、実際にバレネッタを撃破した皿助への刺客……だろうが……


「お、お~いおいおいおいッ!! 一体誰をお探しだテメェ、すげぇ良い身体しやがってよォ~~~!! 今この屋敷にゃあ俺しかいねぇぞォ~!? 俺以外は誰もいないぜ……皿助を始め、誰もなァ~!!」


 嘘だ。とても嘘。本当は杷木蕗以外にも水立子がいる。

 だが杷木蕗は「もしかしたら皿助だけではなく、堕撫尤タブーに襲われながらもかろうじて生き延びた水立子を何らかの理由で始末しに来やがった可能性も無くはねぇぞォ~……!!」と推測を立て、咄嗟に嘘を吐いた。つまり守るための嘘。許してあげて欲しい。


「……ふぇふぇ。嘘は感心せんぞ若いの。いるじゃろう、一人…いや、一体、かのう。ワシは敏感なんじゃよ。ふぇふぇふぇ」

「ッ……!!」

「まぁ、安心せい。ワシは造り物な上に幼女の娘に興味は無い……」


 どうやら、水立子は堕撫尤タブーに狙われていない様子だ。

 だが、安堵の息を吐くのはまだ早い。


「さて、若いの。ワシはお前さんに用は無いが、ここで会ったも何かの縁。ちょっくら、ワシの【時間潰し】に付き合ってくれんかのう?」

「あァ……!?」

「嫌、とは言わせんぞ? 嘘を吐いてでも庇う様な大切なモンが、この敷地内におるのじゃろう?」

「!」


 ディーティーの微笑みに、先程までとは違う色が滲む。

 脅し。脅迫。卑劣な企みの色合い。


 相手は堕撫尤タブー。いくら受肉体に入っていて次元が低下していると言っても、まともな手段で倒せる相手ではない。

 そしてバレネッタ戦でも明白な通り、杷木蕗では到底太刀打ちできない。


「ッ、じ、上等だァらァァァーーーッッッ!!!!」


 だがッ!! 杷木蕗は退けないッ!!


 水立子を半ば人質に取られている、と言うのも理由としては大きい。

 だが、それ以上に……堕撫尤こいつらは皿助の…【大恩人】の【敵】ッ!!

 いずれは皿助に牙を剥くだろう。


 例え勝てないにしても、腕一本くらいは落として、皿助の助けになってみせる。


 殺されるかも知れない。脳裏は過ぎった。

 思わず「あひぃ」と喘ぎ、チビりそうな程の恐怖も感じた。


 でも、杷木蕗の身体は動いたッ!! 動いてくれたッ!!

 杷木蕗は今、決して自暴自棄ヤケクソではなく、強い意思を以て【戦う】と決めたからだッ!!


「う、ぅうぉぉぉぉぉぉぉァァァーーー!! 綺麗に、なりやがれェェェーーーッッッ!!」


 強い意思を纏わせて、杷木蕗は塵取り挟みを振るったッ!!


 ガギャァァンッ!!


 鋼鉄が激しく磨り合う様な音が響いた。


「……なん……だ、と……!?」


 杷木蕗は、渾身の一撃だった。限界まで心と身体のボルテージを高め……「今生、これ以上の威力は絶対に出せない」、そう迷わず断言できる程の一撃をディーティーにぶつけた。


 そして塵取り挟みは見事、ディーティーの首筋に直撃した。


 だが、そこから一ミクロンも動かない。一ミリミクロンも、ディーティーの肌を穿てない。

 完全にピタァっと停止。


「……ッ……!?」


 ディーティーの肌が、杷木蕗の渾身全霊の一撃すら受け付けない程に堅かった……と言う訳ではない。違うそれ。

 何故そう言えるのか……【無い】からだ。


 全力ですごく堅い物を叩くと、反動で手に痺れが走る。それが世界の理。

 もしディーティーの肌がただ堅いだけなら、それを塵取り挟みで斬りつけた杷木蕗の手には「鋼の巨塊を棒でぶん殴った時の様な痺れ」が残り、彼の痛覚神経を鈍く蝕むはずだ。

 それが【無い】。あるはずの痺れが【全く無い】。


 まるで、全ての衝撃をディーティーの肌が【打ち消してしまった】様な、そんな現状。


「良い一撃じゃった。若く猛る確かな心の乗った一撃。ふぇふぇふぇ。たかが造り物がよくぞ、よくぞここまで……相当、良質な感情経験をしたのじゃな。ドラマチックが目に浮かぶ一撃であった。【本来なら】、この鍛え抜かれた鋼鉄にも負けぬはずのワシの首すら、刎ねる事も可能じゃったろう」

「本来……なら……?」

「ワシは既に、【超越権】を執行しておる。いや、常に行使し続けている、と言うのが正確かのう」


 超越権。

 堕撫尤タブーが振りかざす、【神に与えられし高次元の権利(劣化版)】。


「ワシの超越権は、【既覚攻略マスター・リメンド】。簡単に言うと、【一度受けた事のある攻撃は全て無効化できる権利】じゃ」

「な、ん、だと……!?」

「【首への斬撃】は三〇〇年前、既に喰らって【覚えておる】……【攻略済み】と言う事じゃ。ふぇふぇふぇ……ワシに衝撃ダメージを与え、翻弄できるのは【初めて】……【初めての経験】だけ」

「くっそ……!!」


 杷木蕗は塵取り挟みを引き、後方へ跳ねてディーティーから距離を取る。


「ちなみに、ワシは三〇〇年前、【かまいたち】とか言う妖怪に【全身を斬り付けられた】りしたからのう……どこを狙っても、無駄じゃぞ」

「……ッ……!!」


 暗に、ディーティーはこう言った。「全身を斬られた事がある」=「全身が斬撃を既に覚えている」=「全身どこにも斬撃は効かない」=「杷木蕗の唯一の武装である鋭い塵取り挟みは何の役にも立たない」ッ!!


「さぁ、若いの……ワシを初体験でドキドキさせてみぃ……」


 小柄マッチョな紅蓮フン老人、ディーティーの笑みが、濃くなる。

 楽しませてくれ。そう杷木蕗に訴える様に。


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