角とピアスと懐古趣味
「また穴開けた」
呆れた声。
曽良が榊の耳へと伸ばそうとした手を、彼は首を傾けて避けた。
たった三ヶ月で身長はまた離れてしまったように感じる。
「お前こそ、また角増やしただろ」
「スペック足りなくなっただけだもん」
曽良の左の生え際から三本、尖っているようで実は丸まっている先端を頭皮に向けて、それぞれ大きさが違う角が付いていた。瑠璃のような色をしたそれは遠目に見れば髪飾りのようでもある。新しくはないが人気の根強い型だ。
「ばかじゃないの。 何が楽しくて耳に穴とか開けるの。 被虐趣味なの? 反抗期なの?」
「うるせー」
曽良はいつもこうだ。世間の母親概念を彼女のおせっかいは満たしているのではないか。
「そもそも校則とかどうなんだよ」
「全然禁止されてないけど」
「……なぞすぎる」
幼馴染とはいえ、榊が全寮制の高等学校に通っているせいで会えるのは週末のみだ。家は自転車――この場合アンティークなものを指す――を使ったのなら二時間はかかるほど離れている。もっとも他の交通機関ならどんなに長くとも10分と掛からないのだが。要するに、彼女とは滅多に遭遇しない。
「俺の学校、世間ではやれ矯正施設だ収容施設だなんだって言われてるけど、根も葉もないデマだデマ。 伝統を重んじ、古きを暖め新しきを知る。 まともなところだっつーの。 禁止されているのは角やらの接続型端末とか無形機器だけだ」
「それが頭おかしいって話」
風変わりである事は榊自身にも否定できない。
出合うたびに曽良はまじまじと彼の制服を見ている。窮屈そうな黒の詰め襟。絶滅危惧種。
彼の高校は国内唯一の男子学校だ。名門と言えば名門であり、時代に取り残された化石と断じてしまえばそれまでのもの。
「でもボクからしてみれば、榊君はもっとよくわからないよ」
「ん」
「校則で駄目だからって、角ぐらい皆持ってるだろうに。 榊君はあの、キュポッカチッってやるところすら無いじゃん」
曽良の手がオノマトペに合わせて謎の動きをする。
榊の額から頭部に掛けてはつるりとしたままだ。髪が無いという意味ではない。
「一生、付けないつもりなの?」
髪を青い角に挟むように、曽良は搔き上げた。少し心配そうな声で問いながら。
「や、まあ必要になったら付けはするけどさぁ……その、ちょっと怖いじゃねーか、頭の近く弄られるの」
「……ボクは自分で耳にぷちぷち穴開ける方が恐ろしいよ」
不思議そうに首を傾げられる。
榊は苦笑して、短髪の頭を掻いた。
理解はされないのだろう。この分野に関しては後進国とはいえ、世論は既に何年も前から受け入れている。
さてなんと言ったものか。しばしの間言葉を探す。
「俺自身が角とか付けるっていうのはあんまりだけど、曽良のそれ、すごく似合っていると思うぜ」
自動扉が開いたと同時に殺風景な最寄り駅のホームへと逃げるように出て行った。
後ろから何か聞こえた気がしたけれど、曽良よりは重い耳が熱くて正しく認識はできなかった。
慣れない事はするものではない。
――
"角"というのは略称だ。横文字の頭文字を取った結果がTUNOだったような気がする。榊には縁のない、というより縁の作らないようにしているものなので詳しい事は知らない。勿論正式名称も。
彼の記憶力は興味と必要の無いことには及ばないのだ。
だが、これだけは知っていた。
あるところに生物として根源的に、角を持つ人間がいた。誰が最初だったのかも分からない。原因不明のまま世界各地でじんわりとその数は増えていった。
この国でも一昨年の新生児の3割が生まれながらにして角が生えている、という状態にある。
最初こそ混乱はしたものの、今では大分収まっていた。というのも、角持ちは人として非常に優秀である事が分かったからだ。
勿論、未だに受け入れられていない地域は多くあるが、曾祖父母の代の角持ちは大抵「今は良い時代だ」と言う。祖父母の代は「今は稼ぎ辛くなった」と言い、父母の代は「今は余計な金が掛からずに済む」と言うのだが。
角は第二の脳と呼ばれるようになった。他の動物とは違い、角そのものに多くの機能が備わっていた。
程なくして角持ちが優遇される時代になった。
そんな時、一人の角持ちが「後天的に角に変わるものを作れば(自分が)儲かるのでは?」などと考えてしまった。
その結果が今であり、先天的な角には適わないものの然程差異性は無くなってきている。
しかし出来すぎた名前だ。わざと付けたのだろう、と今の榊はほぼ確信していた。
「ああ、帰ってきておったのか」
何故なら制作者は榊の親戚で、
「お前……まだ諦めてなかったのかよ」
何故だか彼の家に住み着いている榊ニケは、現在の開発側の人間である筈なのだから。
文化資産級の日本家屋の一室、一畳に何円使われているのか分からない部屋、榊の自室で。藍染めの浴衣をしっかりと着付けた金髪碧眼の背の低い少女が、だらしなく壁にもたれながら紙の本を読んでいた。
「妾が諦めると思っていたのかの? 舐められたものだな」
ニケは不適な笑みをその童顔に浮かべる。目鼻立ちのしっかりとした娘だ。マスメディア上で見たって見劣りはしないだろう。
しかし榊は端的に、
「その話し方きめえ」
しらけた顔で吐き捨てた。
「な……な……」
重たい本を取り落とし、ニケはわなわなと震えだす。
「なんでですか?! 私頑張ったのに! めっちゃ勉強したんですよ!? 全ては貴方がレトロオタクだから!」
「悪いな。 俺は昭和平成あたりが好みなんだよ。 遡り過ぎだばか。 あざといとかじゃなくてあからさま過ぎて無理」
「恥かいた! 私超恥かいた! うわああん責任とって下さいよお……」
「やめ、ちょ、近づくな。 角が顔に当たるから、お前の絶対痛いから!」
耳の上の方から生えた左右比対称の角は傍目、木のような質感であり、オブジェのように不可思議な曲がり方をしていた。
「いえ、私めげません。 勉強し直せばいいだけの話です。 貴方の心をがっちり掴んでみせます」
「そうかそうか。 昭和平成って言ってもそのジャンルの多さに恐れ戦くがいいさ」
「ぐぬぬ……」
眉間に皺を寄せて渋い表情をしても見目麗しいのだから、小憎たらしいものである。実年齢より幼く見えすぎるのが玉に瑕だが。
乱雑に荷物を降ろした。榊の学校はまだ紙の本を多く使っているため、なかなかに重い。しかしそれがレトロオタとしてはなかなかに美味しいのだ。
「ところで片言口調は好きデスか?」
「あれだけ流暢に喋っておいてよく言うわー」
「うぐっ……傷つきました。 ニケは悲しいです。 灰になってとろけてしまいそうです。 つまり、泣きます」
碧眼を潤ませる。本当に泣きそうだ。
悪役扱いは勘弁して欲しいので榊は大人しく両手を上げた。外聞が悪いし面倒くさい。
「あーはいはい。 何して欲しいんだ、言ってみろよ」
「貴方の人権をください」
「……聞くとは言ってないからな!」
「じゃあ結婚してください」
「どうしてそうなる」
ニケが小首を傾げた。隣に人がいたならば病院沙汰だろう。角でぐさっ、だ。そう考えてぞっとする。滑らかな凹凸の縞模様が入っており、芸術品じみているとはいえ凶器になり得る。
「結婚ってあれでしょう? 『死が二人を分つまで』。 つまり、私のものは私のもの、貴方のものも私のもの、よって貴方の人権も私のもの」
「悪魔の契約みたいにするなよ夢も希望も無い」
彼女の方がよっぽど悪役じみていた。
びしりとニケの人差し指が、榊を指す。
「私は貴方が欲しい」
「実験体としてだろ、やなこった」
「好きです」
「やだ。 俺は別にお前の事好きじゃない」
出来る事なら追い出したい。再従妹のニケに滞在許可を出しているのは榊の両親なのでそうもいかない。
「分からず屋め」
ニケの裸足が畳を踏みしめ、みしりと音を立てた。
舌打ちをしたい気持ちを抑えて、後ろへと飛び退く。引き戸ごと廊下へと飛び出し彼女から逃れた。
隣の部屋へ逃げ込んだ榊に対し間髪入れずにニケは跳躍。
「覚悟なさ……」
ずぼりと小気味いい音がした。
「……い?」
「ばっかじゃねーの」
高く飛びすぎだ。角が天井へと突き刺さり、複雑な形をしている所為で引っかかってしまった。宙づりである。
「いたいいたいいたい!? 角抜ける取れる! 助けて!」
「いいけど天井と引き戸の修理代、払えよ」
「払います。 払いますからぁ……」
じたばたと色気の無い足が浴衣から飛び出ていた。
なかなか滑稽だから、暫くこのままにしておこうかと考える。
「あ、そうだ。 ダニエルもこっち来てるんですよー」
ニケは抵抗を諦めたようで、ぶらんと宙づりになったまま能天気に言う。
「え、まじでか。 どこにいるんだ?」
最後にあったのは五年前か。ニケの弟だ。顔立ちは良く似ているが、角は無い。
自分の事を覚えているだろうか。当時は仲良くしたものである。
「ふすまの上の……あれ何て言うんです?」
「鴨居?」
「そう、それです。 それに角を引っ掛けて首ごきってやって病院行きました」
「何やってんだ!?」
そしてやっぱり角は付けられてしまっていたのか。
「そろそろ帰っていると思いますよ。 あと早く下ろしてください」
帯のあたりを掴んで引っこ抜いた。
ほぼ密着状態である。
「ふふ、掛かりましたね。 角無しが私に適うわけ……ぎゃんっ」
投げた。ニケに当たって襖がまた外れる。しかしそこには先客がいて、
「誰だお前」
筋骨隆々、スキンヘッドの大柄な男性が牡鹿のような立派な角を生やして、にこやかに佇んでいた。
「あ、お帰りなさいダニエル」
「嘘だっ!」
彼は小さくて、ニケに良く似ていて、溌剌としていて……目の前のおっさんとは似ても似つかない筈だ。
「成長期ですから」
「おいダニエル、こいつに何された。 というかお前誰だ。 別人だよな、別人だと言ってくれ」
首にサポーターを付けた男は困った顔をして何かを喋った。
なるほど。分からない。
「そういやお前等国籍どこだっけ」
「ビールとウインナーの国です」
「そっか。 そりゃ分からねえわ」
幼い頃はノリで何とかなったものだ。
感傷に浸りつつ、呆然とする。
台所から破裂音が聞こえると同時に、懐かしいキャラメル臭が漂ってきた。榊は頭の古い人間なので、ポップコーンは塩バターとキャラメルしか受け入れられない。他の味もおいしいだとか知った事ではない。榊は塩バターとキャラメルこそが正しくレトロスペクティブなのだと信じて疑わない少年だった。
ニケが榊の膝を蹴る。彼は今度こそ反応できなかった。
「計画は最終段階に入りました。 従来の外部取り付け式の角型端末ではなく、限りなく本物に近い角。 完成はもう間近です」
「……別に角とか無くても良くね?」
「それは貴方だけですよ!? なんなんですかその反応速度! 普通私の一撃とかよけれませんし、そんなに復活も早くないですっ」
出合った頃の彼女は、『角が無い人間は可哀想』『全ての人に角があればいいのに』とかのたまっていた。
ちなみに榊は割と人間至上主義である。
既に彼は立ち上がり、ニケに向かって宣言する。
「俺は人の可能性を信じている。 角が無くったって人は幸せになれるんだ」
「そうですね、貴方常々幸せそうですもんね! だから私の角を受け取ってくれないって言うんですかちくしょう……」
浴衣の袖を翻し、榊に肉薄。角無しの目には捉えられない筈の速度の手刀を難なく彼は避ける。風圧でピアスが一つ、弾けて飛んだ。
全ては気合いと高等教育の賜物である。角無しでも通用する人材を作る。懐古主義の極まった先だ。
ちなみに曽良はこの話を聞いてドン引きしていた。榊はちょっと泣きそうだった。
「いや、本音を言うとお前に俺の脳とか弄られたくないしダニエルの惨状見たから余計に……マジで何したんだよっ!?」
「だから成長期ですって!」
「チビのまんまのお前に言われても説得力ないわ! 絶対角の所為だ。 世間一般の角は良くてもお前の作ったやつは絶対悪だ!」
「小さい=カワイイ、です。 乙女心が分からないから曽良に嫌われるんですよ」
「き、嫌われてねーし! 曽良は今関係ないだろがっ」
形勢逆転。榊の動揺を突き、ニケがぺろりと唇を舐める。
彼は地に伏せ、彼女は上から見下ろしている。
「知ってますか、今朝、とうとうこの国でも私の作った角が認可されたんですよ。 えへへ。 早く貴方に付けてあげたかったんです」
角無しでもニケに張り合う事が出来る彼が、最高の角を得たのならば。IFに思いを馳せて、金髪を振り乱しながらニケは恍惚とする。
ちなみに榊は普通に怯えていた。
だが、まだ彼は負けてなどいない。そう、彼の戦いはこれからだ。
「ニケ、これを見ろ」
小さな電子機器を翳す。
「なんですかこれ」
「ははは。 ここにはさっきのお前の発言が記録されている。 ちなみにもうバックアップは取っているからな。 全国にお前のふざけた物々しいエセ古語口調を流されたくなければ、俺の要求を聞け!」
望みの達成を取るか黒歴史の処分を取るか。
ニケが頬を一瞬で朱に染めた。
「……私を馬鹿にしてる?」
そんなものは釣り合わず、脅しとして程度が低過ぎだというのに。
そして録音機器は塵へと変わる。
その目は酷く、冷たかった。
かくして、人類の命運は焦げ付いたキャラメル臭の充満する和室の残骸の中で決着。ニケの勝利だ。
後日ニケは部屋の修繕費を見て半泣きになったので、榊はまあそこそこ満足である。