幼帝と女将軍
あるところに、国があり、皇帝があらせられた。
未だ十歳の幼帝である。
政はと言えば主に宰相が執り、臣下らも纏まって仕事をしていたから、経済は滞りなく回り、民にも活気がある。
また、軍隊も精強だ。その所以は女将軍の存在が大きいと言われている。
女将軍は、将軍職では初の女性である上に、その見目の麗しさも相まって、国民から圧倒的な人気を誇っていた。それは、それこそ老若男女、身分の貴賤から超然してのことだ。かの麗人は、花の舞うように剣を振るい、大きく立派な白い馬に跨がりつつ、嘶きと共に宙を滑降する。鍛え上げられた強さに、万の軍勢を率いて、野を越え、山を越え、海を越え、遙か大陸の彼方まで~といった具合に、お茶の間から、酒場から、恋人達の寝所に至るまで、こぞって彼女の武勇伝を語るのである。
特に、少年達からすれば女将軍は憧れの的だった。子供は大人が思う以上に強いものと美しいものを愛すから。
さて、かしこくも幼帝にあらせられても、そういった憧憬については、市井の幼子らと同様でいらっしゃるのであろうか。
「陛下。遠征中の女将軍から早馬がございました。『北方の島々、すべからく平定せり。我、下弦の月の頃、都へ帰らん』とのことです」
宰相がかように申し上げた所、幼帝は
「まことかや!」
と、玉顔をば年相応に綻ばせ、それこそ玉のような愛らしさにて宮中をなごませるのである。
「まあまあ。陛下はよほど女将軍様をお好きでいらっしゃるのね」
遊び相手をしていた先帝の后らがからかい半分でそのようなことを申し上げれば、
「うん、予は女将軍が大好きじゃ。早よう会いたい」
と、恥じらいもせず素直に仰せらるるので、周りの者らはそれもまた愛らしいと口々にのたまうのであった。
・
かくして二十三日月の頃、女将軍は、国民より圧倒的な喝采を受けつつ凱旋した。
市中を馬にて闊歩する様は、噂に違うことなく美しい。
守りより攻めの速さを重視する彼女の甲冑は、ヘソやら太股やらが剥き出しの露出度が高いもので、一歩間違えればエロチックとも取られかねない妖艶な姿であった。だが、その肢体は見事しなやかに鍛えられているから、彫刻を見るような美への感嘆の方が勝り、一同、宝石箱を開けたときのように「わあっ」と息を洩らすのみである。
さて、女将軍はその足で馬を厩に預けると、すぐさま宮中へ参内した。
門前にて刀と兜を官吏に渡せば、彼女の艶やかで長い髪がふわぁっと旗のようになびいて華やかだ。対して、石畳の廊下に具足がカチャッカチャッと金属音を奏でるのはいかにも軍人じみていていた。
そうして、玉座の間へたどり着いた女将軍は、御前にて優雅にひざまずく。
「陛下、ただいま帰参致しました」
女性らしく可憐な声色だが、軍人らしく勇ましい女将軍の口調。
幼帝は、そんな女将軍の姿を見るやいなや、トテテテテっとお走りあそばし、パフッと彼女に抱きつきなさった。
「わぁい! 将軍だあ」
その場に居合わせた文官、女官らは、微笑ましさに軽くざわめく。一同、目尻を下げずにはいられないようだ。
ただ、当の女将軍だけは、
「北方の平定に思ったよりも手間取ってしまい、帰還の遅れました事をどうかお許しください」
などとクソ真面目にお返し申し上げ、丁度自分の大きな乳房のあたりに抱きついて離れない幼君を臨んで、ニコリともしないのである。
周りの者らは「これだから軍人は」「無粋ねえ」などと眉をひそめた。
「ところで陛下、剣の稽古は怠っておりませんでしたか?」
「うん、きちんと毎日やっておったぞ」
「しかし、指南役を仰せ仕った私が長い間都を留守にしてしまいましたから、変な癖をお付けになられていないか心配です。早速、稽古にまいりましょう」
これを聞いた宰相が驚き、間に入る。
「将軍。流石に今日はお体を厭われたらいかがか? 戦勝記念の宴の準備もしておるし、皆、あなたの武勇伝を聞きたいと申して……」
「戦争の詳細については、副将にレポートを纏めさせているから、そちらをご覧いただければよろしかろう。さ、陛下。参りましょう」
「うん!」
「あっ、将軍、お待ちなさい」
宰相の制止も虚しく、幼帝と女将軍は裏手の稽古場へと去ってしまわれた。
・
宮廷の裏手の、皇帝専用の稽古場にて。
幼帝は、女将軍の指導の下、懸命に御刀をお振りあそばれていた。
「えい、えい、やぁ……えい……はぁはぁ」
「どうしました。まだ、休憩とは申していません。お続けなさい!」
そのように檄を飛ばし、腕を組みつつ仁王立ちする女将軍は、心の中にてこう呟く。
(ああ、これはもう……ダメだ……)
と。
「将軍……予はもう疲れたぞ」
一方、幼帝は舌っ足らずなご様子でそうお嘆きになさる。
「何と情けの無いことをおっしゃる。強くなりたいと仰せられたのは陛下ではございませんか」
「う、うん。予は汝のようになりたいのじゃ」
「ならば、気合いをお入れなさい!」
「うん、がんばる」
そんな健気な幼帝のお姿を睨め付けながら、将軍は再び心の中でこう叫けぶのだ。
(もうダメだ……これは……可愛い! 可愛い過ぎる! 頭ナデナデしたい!)
すると、彼女は、自分の頬の肉が自然とニンマリ持ち上がって来てしまうのを感じる。
(い、いかん。デレデレしてしまいそうだ)
しかし、その頬を抑え付けるように目に力を入れれば、眉間に皺がギュッと刻まれ、それがかえって幼帝のお稽古を厳しく監督申し上げている、といった様相を呈するのだった。
まあ、そんな事情にお気づきなされる由もない幼帝は、引き続き女将軍に褒めてもらいたい一心で、一生懸命に御刀をお振りあそばれる。
「えい、やあ!」
と、上手に型をお取りなさると、幼帝は一つチラッと女将軍の方を見やりなさった。
「とお! えい!」
また一つ、チラッと。
「んんっ、ゴホッ、ゲホホ」
「大丈夫!? 将軍」
「失礼。ケフン……少しむせただけです。お続けなさい」
(ああ、陛下! チラチラ此方をご覧になって。んー、『良くできたね』って褒めて、ギュッて抱きしめて、チューしたい!)
しかし、彼女は涼しげな目元に眉を顰ませたままだ。
(いいや、ダメだ。陛下が私に抱いておられるであろう『強くてカッコいい』イメージを壊すわけにはいかない。陛下が私への興味をお無くしになって、剣術指南をさせてもらえなくなっちゃったら最悪だ。せっかく、ムサい軍人共ばかりの遠征が終わって、陛下のお側にお仕いできるのだから、密かに目の保養に努め、戦と長旅の疲れを癒そう。ああ、それにしても、久しぶりにその愛くるしいお姿を拝しているからか……)
女将軍は、その豊満な乳房の奥の奥から、どこか悲しげで、心の締め付けられるような気が沸き上がって来るのを感じ、その息苦しさに自らの胸を押さえた。
(なんだろう、この気持ちは……はっ! もしかして、これが……)
何かに気づいたように、切れ長で繊細な瞼を軽く見開く女将軍。
(この気持ちこそが、『忠誠心』というものではなかろうか!)
彼女がそんなワケのわからない事を考えている最中にも、幼帝はご熱心に稽古をお続けなさっている。
「えい! えい! あ、痛たっ……」
(あっ、転んじゃった。えっと、どうしよう)
少し躊躇したが、女将軍は其方に駆け参じ、伏せる幼帝を抱き起こし申し上げた。
「陛下、お怪我はございませんか?」
「……」
幼帝は、擦りむきなさった膝っ小僧の痛みに耐え、お涙を堪えていらっしゃるようだ。ほんの少し前……帝位におつきあそばれる前までであれば、激情に任せるまま喚きつつお泣きなさったであろうに、齢六、七の頃より、滅多な事では涙をお見せなさらなくなっていたのである。男子かくあるべし、といったお心に目覚めあそばれたからに違いない。
「……将軍」
しかし、こういった場合、側にて女性に看られると、かえって泣けて来てしまうのが幼心というものだ。何となく悲しい気分になっちゃうものなのである。不思議なことに。
幼帝は、羽衣のように御身を支え申し上げている女将軍にひしっと抱きついて、彼女の腹の辺りへ玉顔を埋めなさった。
さすが彼女の腹の肉は、ミチミチっと隆起し、下腹部まで合わせると見事八つに割れている。
幼帝はそれを大層お気に召したご様子で、小さなお唇をもって、彼女の腹の溝をちゅうちゅうとお吸いあそばれつつ、何とかお涙を零さぬよう、秀麗な眉目を顰ませになる。
(あ、ああ……今ほど腹筋を鍛えていて良かったと思ったことが他にあろうか、いやない)
と、心中叫びのたまう女将軍は、その整った目鼻立ちを無惨にも破顔させていた。擬態語にて言い表せば、それはもう『でゅへへへ』といった具合で、彼女の言う忠誠心とやらが顔から零れ堕ちてしまっているようですらある。
それは、彼女の強き将軍としての格とか威厳とかの一切を綺麗サッパリ吹き飛ばしてしまうような、あまりにだらしの無い顔であったが、幸いにも、幼帝を含めてその顔を見た者はいなかった。
(時が、このまま永遠に止まってしまえば良いのに)
そんな流行りの吟遊詩人がろうじる唄のような事を思うが、勿論、時が止まるなどということがあろうはずもなく、しばらくの後、幼帝はだいぶ落ち着きを取り戻されたご様子で、寄せていたお口を離しあそばれた。
「すまん、将軍。もう大丈夫じゃ……え? 将軍? 」
女将軍は、瞳をとろめかせて、よく頭の回っていないといった風に幼帝を見つめ申し上げている。そして、幼い頭髪のそよ風に揺らるるのと同時に、女将軍の艶やかに大人びた唇が、幼帝のあどけないお口をお吸い申し上げたのだった。
なんたる不届きな事であろうか。
女将軍は唇を尖らせ、幼帝の新緑がごとく青々しい御唇を、それこそ『ちゅっちゅ』と、吸い付くように熱っぽく求める。唇は、互いにみずみずしく弾力に富んでいるから、躍動感を持って弾け合った。
(ああ、陛下の唇、ぷるぷるして温かい……)
そのように心中のたまう彼女の瞳孔は開き切って、最早正常とは思われない。
幼君の御年齢を考慮申し上げれば、女将軍の整った女性の唇に、敏感な唇をかくのごとく蹂躙されたとなると、おそらく、わけも分からぬうちに快の渦に呑み込まれあそばれていることであろう。実際、喪心されたように瞳を恍惚とさせ給い、お口に力の入らぬご様子で、唾液を沛然と滴れ落としあそばれている。
「ぁんっ、くぷっ、んん……」
と、少女のごとく喘ぐのは、幼帝にあらせられる。
(いやんっ、陛下。女の子みたいで可愛いっ)
と、女将軍は幼帝をきつく抱きしめ申し上げた。『ぎゅっ』と音を立てんばかりに彼女の芳醇な乳房が幼君の胸元に潰れ、更紗の稽古着に身を包んだ帝の未発達な腰が仄かに折れる。
屋外の稽古場に、聞いているだけでも恥ずかしくなるような唾液の絡まる音が響いて、それは次第により一層の熱を帯びていくようだった。
(ああ、陛下。好き、好き、大好き。だって可愛いんだもん!)
という女将軍の頭が悪そうな乙女ティックな激情は、何も心の声に耳を傾けるまでもなく、その様子を見るだけで充分に伝わる。
常からは、広野を駆け、槍を回し、屈強な戦士らと対峙するその隆々と引き締まった体躯には、骨肉が大きく露出されていても、美術品的な美しさが映るのみで、到底たおやめしい性など感じられるものではない。だが、今やどうであろう。尻の肉は、筋肉に窄まっているのは変わらぬけれど、犬のしっぽが媚びるように左右へ振られ、背筋の浮き出る背の筋は、幼帝を抱きしめ直す度になやましげに蠢く。一騎当千といった武力に強い統率力を発揮する普段の女将軍を見慣れている彼女の部下らが、もし今の彼女を見たらば一体どのように感じるであろうか。
双方、頬は赤み、呼吸は荒げらるるものの、彼女のそれは、突き動かされる衝動による能動的な興奮であるように見えるのに対し、幼君のそれは、御生まれあそばれて折よりお初の大人の女性との接吻に、ご自分でも噛み砕くことのできぬ感覚に戸惑いなさっているご様子であった。
「ふえぁ……あぁ……」
さて、一度唇を離した途端、かくのごとく震えあそばれる幼帝に、女将軍はふと、正気を取り戻す。
(あ…………し、しししし……しまったあ!)
「将軍……な、何故、予の口を吸うのじゃ?」
玉のような瞳に、仄かに涙を浮かべてお尋ね給う幼帝。
「えっと、それは……」
(陛下があまりに愛らしくって、理性が宇宙までぶっとんじゃってましたーーだなんて言えない!)
「うーん、えーと、そうだ! 陛下、これは応急手当です」
「応急……手当?」
「そうです。戦場では仲間が瀕死のダメージを追うこともあります。そういった場合、口より空気を送り込み、再び呼吸を呼び戻さんとする処置方があるのです」
「しかし、予は膝っ小僧を擦りむいただけだけれど……」
「そ、それは、陛下は決して間違いの起こってはならぬ身なれば、最大限の処置を施したまでのことです」
「へえ……そういうものなのだな」
幼帝は、未だ火照りの引かぬ頬を冷やすように、玉顔をば吹く風へ晒しあそばれると、御刀を拾い、鞘にお収めあらせられた。
(危なかったぁ……どうにかご納得いただけたようだ)
「さあ、今日の稽古はここまでです。宮廷に戻りましょう」
女将軍の顔は、いつも通りの険しい軍人の顔に戻っていた。
・
その後も、女将軍は足繁く宮廷へ通い、剣術指南をし申し上げた。だが何故か、幼帝は稽古の度によくお転びあそばれるようになってしまわれたのだった……