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晴天の月の下で。

作者: 雫石

よく晴れた夜空に浮かぶ三日月の下、俺と弟は自宅の庭で両親と共に花火片手に遊んでいる。


夏休みも残すところ後僅か。

思春期真っ盛りの俺にとっては家族と共に花火をするなんて、恥ずかしい事この上ない行為なのだが、小学生の弟が『お兄ちゃんと花火がしたい!』と駄々を捏ねるので『仕方ないなぁ、この甘えん坊め』と仕方なしに参加を決めたのだ。


弟の蓮は何が楽しいのか俺には全く理解出来ないのだが、花火を始めて以来、表情に延々と笑みを湛えたまま、種類が豊富な花火に次々と火を点け、遊んでいる。

実に可愛らしい弟だ!


兄バカと呼ばれても仕方がないかもしれないが(実際学校でも、そう呼ばれている)俺は弟を溺愛している。仮に弟が妹だったとしたら、まず間違いなく、家族崩壊ものの間違いを冒していたと自信を持って言える。


愛とは時に性別の壁や近親の壁など、まるで存在しないとでも言うように、容易く乗り越えてしまうのだ。実に恐ろしい。


そんな益体もない妄想に耽っていると、弟が急に俺の顔を覗き込んできた。


「どうしたの、お兄ちゃん? 難しい顔してるよ?」と、兄である俺を心から心配している的なオーラを、華奢な身体に纏わせながら問いかけてくる。


変態兄貴と蔑まれるのを覚悟の上で言おう。

鼻血を吹きそうになった。

何で俺の弟はこんなにも可愛いんだ! と歓喜のあまり胸を震わせていると、「お兄ちゃん、大丈夫?」と実際に震えていた俺の肩に弟の華奢で可愛らしい、まるで赤子のようにスベスベとした慈愛で満ちた掌が置かれた。


俺は心の深淵で、家族の誰にも絶対に聞こえないような雄叫びを上げた。


『股座がいきり立あぁぁあぁつ!』


実際にいきり立ったのかどうか、その真相は俺が責任を持って、墓場まで持って行こうと思う。だから、何も気にする事はない。

何の根拠もない、荒唐無稽極まる話で恐縮なのだが、あえて宣言しようと思う。


おそらく火葬後も『ソレ』だけが残っている事だろう。

ーーそう、俺のいきり立った『ソレ』だけが。


「今日変だよ、お兄ちゃん。風邪でも引いたんじゃない?」と言って、俺の額に触れようとした手を慌てて払う。


「うわっ!」驚きの声を上げ、しょんぼりしてしまった弟に対し、すぐさま謝罪の言葉を口にする。後に俺は、この謝罪方をマンシンガン謝罪と命名した。


「ごめんな、蓮! 違うんだ、兄ちゃん……おかしくなっちゃいそうで……具体的に言うと、アレがああなって、歯止めが効かなくなると言うか……その、兎に角ごめんな」


頭を抱えて謝り続ける俺を見て、弟は不安そうな眼差しを母に向ける。


「お母さん、お兄ちゃんが変になっちゃったよ。どうしよう……」


慈母と言っても過言ではない、慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら母は弟の頭を撫でる。


「大丈夫よ。蓮のお兄ちゃんはちょっと頭がアレなだけだから」


何だろう、今の会話にどうしても聞き捨てならないワードが混ざっていたような気がする。アレ、と言ったのか、ここ母親は?


頭を抱えていた腕を離し、恐る恐ると言った風に母の表情を窺う。


その瞬間、俺は戦慄した。

慈愛に満ちた手で弟の頭を撫でながらも、母の顔に湛えられているのは、慈愛の篭った慈母のそれではなかった。


開いているのか怪しい程に細められた目には蔑視が浮かんでおり、口元は醜く歪み、俺を嘲笑していた。


俺は動けなかった。そして思い出した。

目の前にいる母から、過去にもこんな表情をされた事があった事を。


ーーそれは三年前の寝苦しい夏の夜の話。

その頃、小学生だった俺は小学校低学年だった弟と一緒のベッドで寝ていた。


その日はとても暑い夜で、俺は一向に寝付く事が出来ず、何度も寝返りを打っていた。


そんな時、俺が寝返りを打つの同時に弟も寝返りを打ったのだ。

弟の顔が間近に迫っていた。少しでも動けば唇と唇が重なる距離。


そう、後少し顔を近付ければ弟とチューが出来る。今思えば、その時の俺は本当にどうかしていたのだと思う。


欲望に負けた俺は、弟の唇を奪ってしまった。事が終わって数分もしない内に、俺は罪悪感で押しつぶされそうになった。

我慢するべきだった。でも出来なかった。

だって可愛いんだもん!


この後、実に益体のない自己弁護が朝になるまで続いた。


目が覚めると、弟の姿は隣になかった。

無意識に唇を触ると、ほんのりとだが弟の唇の感触が残っているような気がして、自然と頬が緩む。


欠伸を一つ吐きながら、リビングへ足を踏み入れる。父親は朝が既に仕事に行っており、残っているのは、母と弟。そして起きてきたばかりの俺。


何時もの朝の光景の筈が、何かが何時もと違う。子共と言うのは、往々にして家族の変化に敏感なものなのだ。


弟は何時もと変わらずニコニコ笑ながら、「お早う、お兄ちゃん!」と言って戯れてくる。

弟は何時もと同じ。だとしたら違うのは……


刹那、身を切られたのでは、と錯覚する程の、鋭利な視線が俺に向けられた。


蔑みの込められた目。

母の双眸は、言い逃れなど通用しないぞ、クソ餓鬼と強く語っていた。


俺は微動だにせず、その場に膝から崩れ落ちた。「お兄ちゃん、どうしたの?」

弟が何か言っているが、今の俺には何も聞こえていない。


「そう言えば、お兄ちゃん。何で昨日、蓮にチューしたの? お母さんに聞いても何も言ってくれないの……」


弟の発する言葉は、まるで全ての終焉を告げる鐘の音のように思えた。


そして時は現在に戻る。

「お、お母様! 僕はやましい事など、何も考えてなどいません。どうか、そのような目で僕を見ないで下さい!」


俺は仁王立ちする母の目の前で土下座をし、許しを乞うていた。

弟へのチュー事件依頼、俺は母の事をお母様と呼んでいる。一言で言うなら、俺はお母様の下僕で絶対服従の存在なのである。

でも俺はそれ程の重罪を冒してしまったのだ。


「二度と、私の可愛い蓮に色目を使わないと約束したわよね? 聞いてんの、この愚息が!」

母の足が俺の頭に乗せられる。


「は、はい! 聞いていますとも、お母様!

しかしながら、僕は今回何も悪い事はしていなあーー」


「だまらっしゃい! この下僕が!」

更なる圧力が俺の頭を襲う。

コンクリート造りの庭に頭がめり込んで行くような錯覚を覚える。否めり込んでいた。


ちなみに、弟は父によって家の中へと退避させられている。親父グッジョブ! 親父もお母様が怖いのだ……実に情けない父親だ。


「ホントに度し難い変態ね、あんたは。まぁ薄々分かってはいたのよ。だってあの人の血が半分流れているんですもの。忌々しい血だわっ!」


一瞬離した足を、今度は勢いがついて頭に落

とされる。


「グ、グバァ!」

声にもならない声を上げ、俺の額はコンクリートに更にめり込む。


その時、天使の声が俺の頭上に降ってきたのを感じた。確かに感じた。あれは、蓮の声だ!


母の足を無理矢理払い除け、声の先に視線を泳がす。

「おかあさーん、大変だよー!」

弟の声の発信源はどうやらベランダらしい。


「どうしたのー蓮?」

母がベランダに向けて叫ぶ。


「お父さんがね、お母さんとお兄ちゃんの事を見てたら、泡吹いて倒れちゃったの!」

父が倒れたにも関わらず、蓮は冷静に現状を俺と母に伝えている。

と言うのも、実に恥ずかしい話なのだが、こういう状況は、俺の家ではよく起こる事なのだ。

まぁ、その元凶は弟を愛し過ぎてやまない俺なのだが。


母が邪神に覚醒した姿を見ると、何時も気を失ってしまうのだ、俺の父は。

父と母の過去に一体何があったというのだろう? きっと語るのも憚られるような恐ろしい体験をしたに違いない。今の俺が母に虐げられている姿を見て、過去のトラウマが蘇り、父の意識を強制的に奪うのだろう。辛い記憶のその先を想起させないために。


そう考えると、父はあの事件の時も俺に柔和な態度で接してくれていたような気がする。


何故だが理解出来ないが、父の優しさに涙が出てきた。ありがとう、お父さん。そして、何て可哀想な僕たち。


「全く、情けない人ね、あの人は」


「お母さん、早くきて!」


「今行くわー、蓮!」

母の声は慈母のそれに戻っていた。

弟の蓮に対しては、砂糖たっぷりの珈琲のような甘々っぷりだ。


「この親バカめっ!」

母に悟られないように細心の注意を払って口にしたつもりだったのだ が、どうやら母の耳にはしっかり届いていたらしく、邪神へと早変わりした双眸を向けられる。


母と視線が合った瞬間、俺はすぐさま土下座の姿勢に入る。


次に母がとるであろう行動は既に予想済みだ。何年、あんたの下僕をやっていると思ってる。俺を舐めるな!


と覚悟を決めて待っているのにも関わらず、何時になっても足は頭に落ちてこない。


恐る恐る顔を上げて辺りを見渡すと、花火の際に点けていた、玄関の真上に提げてある照明が消えていた。


辺りは真っ暗で何も見えない。

先程まで一望出来ていたリビング内まで暗い。いや正確にはチラチラと灯りが漏れている。そう、カーテンを閉められたのだ。


これが母親のする事だろうか?

今すぐ保健所に駆け込んでやりたい気持ちに駆られたが、俺も一端の男なわけで、この程度の責苦に屈するわけにはいかない。


玄関の扉を怒涛の勢いでノックする。

ガンガンと言うけたたましい音が、夜の帳が落ちた住宅地に響き渡る。

だが、そんなの関係ねぇ! と以前、一世を風靡した芸人のギャグを心の中でリズムに乗せて叫びつつ、扉をを叩き続ける。


「開けろー! クソババア! お母様なんて呼び方金輪際しねぇからな! おいババア、聞いてんのか!?」


家の中から、階段を駆け上がるような音が聞こえ、上の方でガチャリと扉が開く。


何事かと思い、当然のように上に首を向ける。


刹那、俺の意識は夜空のように真っ暗な闇の中へ落ちていく。


ーー頭に響くような痛みを感じ、俺の意識が覚醒した。どうやら自室のベッドの上らしい。ふと気付くと、弟の蓮が傍に立っていた。


「お兄ちゃん……大丈夫?」

頭を置かれた蓮の手はとても暖かく感じられた。

「クソババアがやったんだな……」

誰に言うでもなく、虚空に向かって呟く。

「うん……」

蓮が弱々しい返事を返してくる。

「別にお前が落ち込む事はないんだよ。これは俺とクソババアの闘いなんだ…!」

拳を握り締め、クソババアに向けて熱く闘志を燃やしていると、突如蓮が俺の頭をパーで叩いた。

二人の間に暫しの沈黙が流れる。


「何だよ、蓮……急に」

目尻に涙を溜め、頬をまるで風船のように膨らませながら、俺に非難の視線を浴びせてくる。実に可愛い。股座が……いや、自重しよう。


「僕、仲良くしてほしい。お兄ちゃんとお母さん……」

「何だ、そんな事か。でもな、蓮……男には闘わないとならない時ってもんがあるんだよ」

「真面目に言ってるんだよ、僕は!」

またしても頭を叩かれてしまった。

でも全然痛くない。むしろ気持ちいい。


蓮の表情は暗い影が落ちたままで、俺はそんな蓮の表情は見たくない。

蓮は笑っていなくてはならないんだ。


きっと蓮は知っていることだろう。

俺が、チューしたり、股座をイキリ立たせる程度に変態な兄貴である事を。


俺が引き起こしたあの事件依頼、家族の間に流れる雰囲気は急激に悪い方向へと変わって行った。母は邪神化するし、兄の変態度はうなぎ上りの一方だし、父は泡吹いて倒れるし。

そんな壊れた家族の中で、蓮だけが唯一真面で、皆を一つに纏めようと努力していた。


昨日の花火だって実を言えば、ここ数年はまるでやっていなかったのだ。


昨夜は家族が一つに纏まる絶好のチャンスだったのかもしれない。だが俺は、それを簡単にぶち壊してしまった。


『蓮、すまない』心の中で独白し、俺はベッドから立ち上がり、母が待つであろうリビングへ向かう。


「どこ行くの、お兄ちゃん!?」


踵を返し、蓮に向き直り、俺はこう言ってのける。


「ちょっと邪神を鎮めに行ってくるわ」

再び踵を返し、扉を開け放ち、廊下に出る。


リビングへと続く廊下。

この先に進んだら、もう後戻りは出来ない。


俺は家族の絆を取り戻す。

元はと言えば、俺が全ての元凶だ。

あの時、理性を掌握出来ていれば、こんな事にはならなかった。


俺は足を踏み出す。

俺が生み出してしまった、いや復活させてしまった邪神を打倒し、慈母を奪還するために。


終わり。

すまぬ……

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