5.それでも僕は月へ行きたいと思うのか?
「ナンバー4は戸締まりと掃除を」
僕はロボットに今日最後の命令を出し、席を離れた。次に来客があるまで、地上の部屋はロボットが行きかうだけの世界となる。
誰もいなくなった森の中の小屋。外の音も聞こえない静かな地下室。僕は床につく前、いつものように状況を報告する。
「この星の大気や食糧は地球人には難あり。しかし適切な環境が構築できるのならば生活は可能。
先住民族は魔法が使える。しかし、地球人には無理だろう。魔法を使うための器官がそもそも欠落している、期待しない方が良い。もう少し研究すれば、疑似機械を埋め込むか、遺伝子にその器官の情報を組み込むことはできるかもしれない。安全を確認するまではしばらくかかるかもしれないが。
彼女らは高い文明を築き、非常に友好的……」
僕は誰も助けに来ないとわかっているが、そう空に向けて発信し続ける。いつも変わらぬ文面を、壊れた機械のように繰り返す。
この日本語を理解する人類が、誰か生き残っていないか、淡い希望を乗せて――その空に浮かんでいる、昔はもっと青かったであろう、月に向けて。
空に浮かぶあの青い星は、実は地球だった。ここは僕の生まれた時代ではないけれど、確かにあれは地球なのだ。どういうわけか、僕は遠い未来の月へ来てしまったのだ。
それに気がついたきっかけは、興味本位で空を観測した時だ。天球をさまよう惑星とその運動のパターン等から割り出した答えは、この星は太陽から数えて第3目の惑星を回る衛星だということだった。
僕はこの時、予感がしたのだ。
僕は急いで僕が生きた時代の星座配置と、この星から見える空とを比べた。結果、機械がはじき出したのは予想通りのデータだった。ここは僕が生きていた時代よりも、一千万年ほど未来の世界だったのだ。
どの時代かはわからないが月の環境を生物が住めるように整えたのだろう。
しかし、一千万年。いくつかの種が滅び、新たな種が生活するには十分すぎる時間。環境も生物も、独自の進化をしていてもおかしくはない年月。地球も、僕のような人類が生きていけない環境になっていた。
それでも僕はあの空に浮かぶ地球の上で死にたかった。
すでに地球へ帰るロケットはほぼ完成している。あとは細かい計算をし、あの星へ向けて打ち込むだけ。しかし、僕がこの地に留まっている理由、それは彼女の存在だ。
彼女が僕をこの場所に繋いでいる。淡い光を伴った、今にも消えそうな強い鎖で。
我が故郷、地球は今日も空に青くある。
僕は彼女の青い瞳を思い浮かべつつ、モニターに映し出されるその月を見て、叶える勇気がない夢を見る。
「あの憧れの月に抱かれて死ねるのならば。……たとえ一夜で消える夢であろうと幸せであると、僕も確かにそう思うよ……」