危険信号アブノーマル
「ガフっ!」
壁に叩きつけられた衝撃で肺の中に入っていた空気が吐き出される。床に倒れ口から透明な液体を数滴、咳と共に吐いた。
瞳は潤み、叩かれた場所を押さえ刀を杖のようにして立ち上がる。
「いった……」
痛みに耐えながら呟き、トロールが持っている棍棒を睨む。棍棒は鋼鉄製返しが付き、かなり濡れている。その証拠に棍棒の先端には雫が垂れ、水溜りが出来ている。
「お、効いた効いた~♪」
トロールは玉露の様子を見て下卑た笑いをして棍棒を軽く振るった。
それだけで壁の一部がめくれ、床が陥没した。トロールからしてみれば軽い素振りであったとしても人間から見ればそれは当たっただけで死んでしまいそうな威力を持っていた。それほどの威力を思いっきり喰らってしまったのだ。
「あぐっ……」
だがそこは不死鳥と言うべきか。傷ついた場所が燃え、火が消えると傷そのものが無かった。
「……」
玉露は静かにトロールを睨む。
「ああ、油断した」
そう言うと自身のお腹に刀を突き刺す。
「油断した油断した油断した油断した油断した油断油断油断油断……あんな奴に傷つけられた腹が立つ、自殺したい。あ、死ねないんだった」
狂ったように笑いながらそう言う顔は至って真面目、表情など存在していない。
「もう油断はしない」
そう言った瞬間、ジュッと嫌な音をたてて燃える。何が?
決まっている。城が、だ
「後悔しろ、豚男。僕を怒らせたことを……そして火を侮った事を……貴様の魂にまで刻み付ける」
一歩進む。床に敷いてある絨毯が発火する。
「絶望しろ、豚男。貴様に来世は来ない、今ここで消滅させるのだから」
刀に燈る劫火が壁を燃やしていく。本来燃えるはずの無い煉瓦が音をたてて燃えていく。
「慈悲を期待するか? 泣きながら謝るか? その両手両足を切り落として小便を漏らし『せめて命だけは』と言うか?」
怒りの篭った表情で呟く玉露、数歩歩いてその場で止まる。止まった場所はトロールの足で歩いて十歩と言った所だ。
「まぁいい。貴様は今ここで消滅するのだから、この僕の手によって」
ドスンッと刀を床に突き刺す。
「は、はぁ? お前何言ってるんだ? 俺の攻撃は効いている筈だぜ? どんな手を使って回復したかはしらねぇがもう立っていることすらきつい筈だぜぇ?」
トロールは軽く驚きながらも玉露に近づきそう言い放つ。
「僕を舐めるなよ。僕を殺したかったら亀甲縛りでもして滝つぼに落としな」
「どうせ強がりだろ? おら、もう死ねよ!」
その言葉を言った瞬間、トロールは棍棒を全力で振るった。大気が揺れ切り裂かれるほど強く、全力で振るった。
そして棍棒の持ち手以外の全てが消失した。
「……へっ?」
トロールの間の抜けた声が響いた。
――信じられない、何故、何故消えた? いや、そもそも何故こんなに熱い?
思ってしまったその瞬間、肉を焼くような音と不快な臭いが部屋中に響き渡った。トロールは棍棒を握っている自身の手からその音と臭いがしているのに気付き、目を向ける。
そこにあったのは真赤に染まり、高熱を発している棍棒とそれを握り締めていたせいで黒煙を出し肌、いや、骨まで焼け焦げているレベルの両手がそこにあった。
パキン、と何かが砕ける音と共に焦げた両手は崩れ落ちた。
「ッ!? アギャァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
身体の芯にまで届く様な激痛や熱さは一切そこに存在しなかった。なのに今、自分の腕は焦げて地面に落ちた。
トロールは恐怖の篭った悲鳴を上げ、玉露を見て――絶望した。
玉露もトロールの目を見て、鼻で笑った。トロールが自分を見る目、それは皮肉にもこの国の事情を知っていた騎士たちと同じ目だったのだから。
「どう? 弱点だと思った物が無効化された感想は?」
玉露は刀を抜き、鞘にしまう。もう刀を使う必要が無いからだ。
「水が弱点だって自分でも分かっているんだ、それの対策くらい考えてないわけじゃない。まぁ、こんな対策でも滝ならなんなく突破してくるんだろうけど」
懐かしい記憶を思い出しながらそう呟き、トロールの両眼に指を突き立てる。
ぎりぎり目を潰さないくらいに、慎重に。だけど今にも怒り狂いそうなくらい心を高ぶらせて。
「さて……と……お前には聞きたい事が山ほどあるんだ。全て吐け」
「は、吐いたら助けてくれるのか?」
「一つだけ言っておく。この尋問に生存は存在しない、あるのは苦しんで死ぬか、楽に死ねるかの二択だけだ」
その瞬間、トロールは絶望した。
「あんにゃろう……帰ってきたら覚えとけよ」
リアは自身を縛っていた鎖を消しながらそう言った。両手首をコキコキと鳴らし、上を見上げる。
「……確かに俺は足手まといだ。そんな事は言われなくても分かってるよ」
言われなくても分かっている、その言葉は本当だった。だが、あそこで言われるのは辛かった。
そう思いながら背中に差しているバスターソードを引き抜き、刀身を見やる。
「剣だって良い物だし、純粋な身体能力もかなりのものになっている」
この国に着くまでの間、リアは何もしていなかったわけではない。むしろ努力していた。圧倒的な剣の才を持つ玉露に殺す気で挑んだり剣の振るい方や魔力の扱い方も教えてもらった。
だが、一つだけ足りないのだ。もっと根本的な何か、そう――
「魔力が無いんだ」
彼女は知っている。自分の理想はいつか必ず叶う事を、だが今、この瞬間ではどうがんばっても逆立ちしても不可能な事なのだ。魔人の性質上、子どもから大人になるにしたがって目が紅色になり、
魔力や力などが何倍にも増大する。
もっとも、リアは完全純潔の魔人じゃない上に存在そのものがありえないのだから魔人の成長そのものが当て嵌まらないかもしれない。だからこそ、リアは不安になっていた。
玉露は強い、少なくとも自分の想像よりも遥かに強い。底知れぬ強さ、それが幻獣種の性質なのか? とすら思ってしまう程の強さ。
それなのにリアの胸中は不安一色に染まっていた。
トロールなんて目じゃないくらい強い筈なのに、何故か玉露に危険が迫っているような気がしたのだ。
――カツンっ、カツンっ。歩く音にも似た、硬質な物体が硬い地面を叩く音が唐突に響き渡った。その音を聞いたリアは音がした方を向く。
――その瞬間、背筋にゾワっとした何かが走り抜けた。
それが悪寒と脳で理解すると手に持っているバスターソードを構えてガタガタと震える。向こうに居る何者かの殺意――いや、殺意にすらなってない遊び、と言った正の感情に近い何かだった。
それなのにリアは絶望的な立場に立たされたかのような表情に変わってしまった。
それが生命体が持つ生への渇望だと理解する。だからリアは逃げたそうとした。眠っている王様やメイドを見捨てて。
だが脚が動かなかった、恐怖で脚がすくんでしまったのだ。
「………だ、誰だ」
呂律が回らない、息が吸い込めない、目を逸らせない、声が震えてちゃんと言えてない。恐怖に支配された哀れな魔王の娘はいつも玉露に振る舞っている男勝りな態度ではなく、年頃の少女のようだった。
カツンっ、カツンっ、と歩く音がする。
そして影から一つの生き物が現れた。
生き物の伸長は二メートル近く、すらりと細身だった。ただ人間に近いかと聞かれれば間違いなく否定できるだろう。
その生き物の体を覆っているのはピンク色の鎧のような物でそれが頭部を含めた全てに張り付いているように見えた。が、それも生き物の体の一部だと理解できてしまう。
頭部には人間で言う目の辺りも含めた頬に、左右対称に三つずつ赤い目のような物がついていた。背中からは半透明で脆いと言った印象を抱かせる羽が生えている。虫、甲虫(カブトムシやクワガタ、カナブンなど)が人間のような進化をしたらこうなるだろうと思わせる姿をしていた。
「………」
――唐突だがマングースと言う動物をしっているだろうか?
マングースはハブの天敵で人間はハブを恐れてマングースを野に放った。
ところが、マングースはハブではなく、稀少な動物を狩っていた。
危険な敵よりも、安全でよわっちい動物のほうが良いに決まっている。
つまり、この場においては危険な猛獣である玉露よりも簡単に殺す事ができるリアのほうが楽なのだ。リスクが殆ど無いのだから。 生き物は腕を振り上げて、リアの首を切り落とすかの如く振るった。




