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淡きしるべは永久の詩。  作者: 津森太壱。
【世界を変えるために。】
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09 : 謳うつもりはない。





 タモンから剣を教えられたニアは、幸いにしてその才に恵まれ、傭兵界では知らぬ者などいないくらいに存在を確立させていた。イグネシア国の勇者に選ばれたのも、表向きはその実力を買われてのことだったらしい。


「傀儡の王であったわたしにできたのは、妹かもしれぬ者に、わが国はもう終わりなのだと、促すことくらいだった」

「捨て駒には捨て駒だったが、どちらかというとあれだな、体のいい厄介払いの意味合いが大きかったわけか」

「あれほどの腕前だ、わたしに下ったとなれば、都合が悪くなる者もいたのだ」


 イグネシア国王レイエナイトこと、エイトは、自嘲気味に笑いながら椅子に腰かけた。


「まあ、ニアがいたところで、わたしは傀儡のままであっただろうが」

「君臨すれども統治せず、ってやつか。それで国が豊かで民に活気があれば文句はねぇが」

「イグネシアは腐敗していた。どこかで、滅びねばならなかった」


 はあ、と息をつき、エイトは顔を上げる。逢うたび血色がよくなっていくエイトは、それだけで今どれほど国政の機能が向上しつつあるかがわかる。エイトはよい王だ。


「リカのおかげでイグネシアは再生した」

「……聞き飽きた」

「そうか。だが、いくら口にしても、言い足りない。わたしは、わが国は、魔国の王に感謝している」

「国を滅ぼされて喜ぶ奴があるか」

「事実、イグネシアは一度滅んだ。それでよかったのだ」

「……そうかよ」


 相も変わらず頻繁に魔国を訪れるイグネシア国王であるが、これからはその回数を控えると言った。それは偏に、両国のこれからを考えてのことだ。

 魔国との親交は、少しずつ理解を得ているものの、それでもまだ魔族を忌避する人間はいる。多くの理解を得るためにも、たくさんの時間が必要だということを、エイトも王らしくなってきて漸く身に染みたらしい。


「ああ、そうだ……言うに言えずにいたことがある」

「まだあんのかよ」


 エイトは、今日にもイグネシアへ帰還する。さっさと帰って国政に力を入れろ、と思っていたので、それは喜ばしい。だが一方で、打てば響くエイトとの会話がなくなるのは、退屈だなと思った。


「ニアを受け入れてくれたこと、兄として感謝する」

「は……?」


 エイトのホッとしたような声音を聞いて、それまでエイトに背を向けて窓の向こうを眺めていた魔王は振り返った。


「生きて逢うことは、もうないと思っていた」

「……おれがあいつを殺すとでも?」

「リカだけではない。わたしを傀儡にしていた者たちにも、その可能性はあった。いや、むしろ彼らは、ニアを始末しようと勇者にした。逃げてくれればいいと、わたしはそう望んで送り出したが……リカが受け入れてくれた」


 王としてではなく、兄としても感謝しているのだと、エイトは微笑んだ。


「ニアがわたしをどう思っていようと、わたしは、妹を可愛いと思う。生きていてくれたことが嬉しい。だから、どんなにリカに礼を言っても、本当に言い足りないのだ」


 助けてくれてありがとう、とエイトは言う。一国の王が簡単に頭を下げるな、と言いたかったが、エイトは王として礼を言っているわけではなく、ただひとりの兄として言っているのだから、咽喉元まで出かかったその言葉は呑み込んだ。


「あいつに、優秀な騎士をつけたのは、そういう理由か」

「どんなことがあろうと、ニアには生き延びて欲しかったのだ」

「……あんたが心配したところで、あいつはなにごともなく生き延びると思うがな」

「これはわたしの勝手な想いだ」


 優しい、というのだろうか。それとも、だだのお人好し、だろうか。

 ニアから聞いたその過去を脳裏に思い出し、魔王は唇を歪めて肩を竦めた。


「ま、それもそうか」


 誰がなにを想おうと、それは個々の自由だ。思想の自由、などと謳うつもりはないが、想いはいつでも一方的なもので、だからエイトが魔王に礼を言うのも、ニアを心配し生還を喜ぶのも、エイトの自由でニアには関係ない。ただ、一方通行なそれは、少し寂しい気もする。


「……見返りが欲しいわけじゃねぇが」

「なんだ?」

「いや……」


 想う自由を侵していいなんてことはない。それこそ自由を奪うようなものだ。見返りなんて必要ない。


「さて……わたしはそろそろ失礼する」

「ああ、とっとと帰れ」

「そう言われると帰りたくなくなるな」

「いいから帰れ。あんたの国は、ここじゃない」

「……そうだな」


 ふっと笑んだエイトが、ゆっくりと椅子から立ち上がる。リカ、と不本意な呼び名に顔をしかめると、笑みを深めたエイトが手を差し伸べてきた。人間がよくやっている、握手、というものを求めているのだろう。呼び名に対しては不本意極まりないが、行為は受け止めておくことにした。


「また逢える日を楽しみにしている」

「次はもっとマシな王になってからにしろ」

「そうしよう。それから……」

「なんだ」

「ニアのことを、頼む」


 交わした握手が離れると、エイトが真摯な眼差しを向けてきた。


「頼まれるほどのことはしてねぇよ」

「あれはわたしの妹だ。嫁ぐそのときは王女として魔国に送ろう」


 至極真面目にそれを言うから、一瞬出遅れて魔王は顔を引き攣らせた。こう真剣に言われると、怒鳴ることもできないし怒りを爆発させることもできないから困ったものだ。


「あのな……あれはジャックとあいつが勝手に言ってるだけで、おれは承諾してねぇんだよ」

「本当か?」

「ああ?」

「本当にそうなのか? わたしには、そう見えなかった」


 予想外なエイトの切り替えしに、魔王は正直、戸惑った。表情や態度には億尾にも出さないが、エイトに言われていることの意味を解釈し損ねて黙ってしまう。


「以前ならきみのそれを信じただろうが……きみは少し前から雰囲気が、いや、ニアに対する接し方が変わっている。気づいているか?」

「……意味がわからん」

「そのままの意だが……まあ、いい。とにかくニアを頼む。きみに頼むのはおかしいと思うが、それでもわたしはきみに頼むしかない。どうかニアを、ニアが笑っていられる場所で、見守ってくれ」

「……それはあんたがやるべきことだと思うが」

「イグネシアでは、ニアはもう笑えない。それはきみがよくわかっているだろう」


 苦笑したエイトに、魔王はさらに顔をしかめる。

 ニアのことを頼まれる謂れはないが、ニアが選ばれてしまった勇者であることを知っている。故郷に帰ることのできない身になってしまったのは、魔王のせいでも魔国のせいでもないのは確かだが、イグネシアの民衆がそんなことを知ることはない。勇者として祖国を旅立ったニアは、たとえばそこに政治的な意味での厄介払いということがあったとしても、イグネシア国民から背負わされた希望を少なからず裏切ってしまったのだ。

 だから、ニアはもう二度と、故郷へは帰れない。


「……あいつがこの国の民だと言うなら、この国が自分の国だと言うなら、おれは自国の民をなにからも護るだけだ」


 もっとも、ニアは故郷に帰れなくなったことを、とくに気にしてはいないようだけれども。


「ニアを頼む」


 魔王の答えにとりあえず満足したらしいエイトは、見送りは不要だ、と言いながら、潔く部屋を出て行った。


 エイトが去った部屋でひとりになった魔王は、もともとエイトを見送るつもりはなかったのだが、しばらく窓辺に佇んでその様子を眺めた。


 そうして、ふと。


「いつまでそこにいるつもりだ」


 目を眇め、魔王の執務机の下に潜んでいる貧弱な影を見やった。


「や、まさかこんなところに繋がってるとは、思わなくて」


 魔王の執務机の下には、通路がある。魔法で繋いでいる空間なので、魔法を使える者ならふつうに使える通路だ。むしろ、魔王が執務を抜け出すために作ったようなものなので、そして逃げ隠れるためではない通路なので、どこに執務室を移動しようがこの通路は魔王についてまわり、ジャックや宰相もこの通路の存在は承知していた。


「リカの空間だったんだね」


 通路からひょっこり出てきたのは、先ほどエイトに頼まれたばかりのニアだ。大剣を背負っているところを見る限り、魔王が作った通路に迷い込んだついで、冒険でもしていたのだろう。下手をすれば一生出られなくなる空間だというのに、逞しいことだ。


「好奇心も過ぎると命を無駄にするぞ」

「うん、ちょっと焦った。けど、リカの気配がしたから。わたしがこの空間に入ったのがわかって、道を作ってくれたでしょ」

「作ってやったわけじゃねぇよ。悪意があれば一生出られなくなる空間だ」

「悪意?」

「おれを殺したいと思ってる奴らは、おまえが知ってのとおり、大勢いる。いちいち相手にしてられるか」


 魔王が作った通路は、自分で作っておきながら言うのもなんだが、とても便利だ。助けられることはいくらでもあるし、面倒ごとをいくらでも引き受けてくれる。


「……わたし、迷い込んだのが今でよかった」


 少々顔を引き攣らせたニアは、今になって漸くその通路の恐ろしさを痛感したらしい。


「そういやおまえ、わりと本気で、おれのこと殺そうとしてたんだったな」

「うん。まあ、リカ強いし、べつに恨んでるわけでもないし、そもそもお腹減ってて魔王討伐とか馬鹿らしくなってたけど」

「通路に落ちなくてよかったな」

「うん。って、落ちることもあるの?」

「おれの出入り口」

「……うん、落ちなくてよかった」


 ほっ、と肩の力を抜いたニアが、ゆっくりと魔王に近づいてきて、魔王がそれまで眺めていた先に視線を落とした。


「ああ、王サマ帰るんだね」


 その言い方は、エイトが言っていたように、エイトをどう思っているかわからなかった。


「見送らねぇのか? 兄貴だろ」

「兄……兄、ねえ」


 エイトはニアを妹だと、可愛いと言っていたが、ニアのほうはエイトを兄だと思えない様子だ。


「外見は似てるなぁとは思うけど……どう思う?」

「なんでおれに訊くんだよ」

「だってわたし、ずっとタモンだけが家族だったし、お母さんなんて、顔も憶えてない。王サマが兄だとか、今さら言われてもねえ」

「……まあ、そうだな」

「リカはお兄さんと、あまり似てないね?」

「あれに似てたら最悪だ」


 今まですっかり忘れていた己れの兄の存在を思い出し、魔王はげんなりする。このところあまり姿を見せないが、それはジャックに、邸を半壊させた責任を問われ、建設中の新しい邸の工事を押しつけられているからだ。暇を見つけては魔王のところに来るのは相も変わらない。


「わたし、きょうだいがいたことなんてないから、わからないんだよね。リカを見てると、かなりウザいのかなって思うけど」

「おれを基準にするな。というか、あいつは壊れてんだ」

「壊れてる?」

「全体的に」

「……ああ」


 できれば一生忘れていたいという魔王の気持ちが、ニアも少しは理解できるらしい。顔を合わせるたび喧嘩らしきものをし、なにかしら破壊してはジャックに怒鳴られているのを見ていれば、わかるようになるのかもしれない。


「リカ、なんでお兄さんのこと、そんなに嫌うの?」

「嫌いなわけじゃねぇよ、ウゼぇんだよ」

「ウザいのはわかるよ。でも、そっか、嫌いじゃないんだ」

「一回でいいから死んでみればいいと思う」

「……。人はそれを嫌いだと言うのだと思うけど」

「嫌いじゃねぇよ。死ねばいいと思ってるだけで」

「いや、だから……なんかややこしいな、リカって」


 面倒そうな顔をしたニアが、眺めていた先から今度は魔王に視線を移動させ、半眼する。


「よっぽど、いやなんだね、お兄さんのこと」

「ああ」

「即答だ……なんで?」

「ウゼぇ」

「まああれはねぇ……お兄さんもよくやるよ」

「今に始まったことじゃねぇから、諦めてはいるが」

「昔から?」

「そうだな。昔は今ほどウザくもなかったが……」


 そういえば、いつ頃からだっただろう。兄の言動が常軌を逸し、邸を半壊させるのが常という喧嘩をするようになったのは、今に始まったことではないが昔からというわけでもない。


「お姉さんもいるって聞いたけど、お姉さんとは仲いいみたいだね?」

「姉ちゃんはふつうだからな……」

「お兄さんとなにかあったの?」

「なにか……あったようななかったような」

「どっちよ」


 兄のあれがいつ始まったのか、はっきりとは憶えていない。だが、幼い頃はあんなではなかった。なにかが変わって今の状態になったのだとしたら、きっかけはもしかしたら、魔王が魔王になったときかもしれない。


「あいつは……魔族でも特別、仲間意識とかそんなのが、薄いんだよな」

「え? 魔族って、同胞をかなり大事にするって、ジャックに聞いたけど」

「だから、あいつは特別だ。あいつの関心はおれか姉ちゃんだけだから」

「うわ……なにそれ」


 なにそれ、と言われても、兄は昔からそうだった。不思議に思ったことがないくらい、そうだった。


「そういや……なんでだろうな」

「知らないの?」

「あんなふうになった理由は知らねぇな」


 きっかけは魔王が魔王になったときだったとしても、同胞に対する仲間意識が薄いのはその前からだった。言ってしまえば魔王が産まれたときから、兄はああだった。愛情表現が過剰になったのが、魔王が魔王になったときだったのだろうというだけだ。


「よくわかんないけど……なんだかんだで、リカはお兄さんのこと大事にしてるよね」

「死ねばいいとは思っているがな」

「はは、言葉はめちゃくちゃだね」


 殺しても死なないから死んでもいいと思っているだけだ。いや、一度くらい死んでみればいいのだ。

 そうしたら兄のあれが、少しは、治るかもしれない。昔の、ただ仲間意識の薄い魔族に、戻るかもしれない。

 なにを期待して願っているのだか、と思ったが、期待して願っているから、魔王は全力で兄の相手をするのだと思う。


「前に、お兄さんが魔王の器だって、言ったことがあるよね」

「……それが?」

「どうしてリカが魔王になったの?」

「その必要があったから。あのクソ兄貴が魔王になったら、半日もしないで魔国は滅ぶからな」

「それはお兄さんの仲間意識が薄いせいだとして……どうしてリカは、魔王になる必要があったの?」


 揶揄するわけでもない、ただ純粋な思いに首を傾げるニアを、魔王は見下ろした。


「世界を愛するために」


 答えは一つだけだったし、べつに隠しているわけでもないから答えた。


「……愛する、ため?」


 願ったことに必要だったのが、魔王、というものだったから、魔王は魔王になった。

 魔王になるために、産まれてから二十年たらずで、血に塗れることを覚えた。

 血の色を、血の味を、血の重さを、魔王はよく知っている。







楽しんでいただければ幸いです。


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