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淡きしるべは永久の詩。  作者: 津森太壱。
【世界を愛するために。】
8/14

08 : 明日を生きる世界にいた。追記。





 近くで話し声が聞こえて、魔王はゆっくりと瞼を開ける。見えた天上に、自分が眠っていたらしいと気づいた。


「は……?」


 なぜ自分は眠っていたのだろう。


「あ、リカが起きた。ジャック、リカが起きたよ!」


 やかましい声に煩わしさを思いつつ、顔をそちらに向ける。心配そうな顔をした元勇者ニアと、その横に王佐ジャックが来るところだった。


「なんだ……?」

「憶えてないの?」


 怪訝そうにしたニアは、長椅子から身体を起こそうとした魔王を、手をのばして支えてきた。ニアの手を借りるなど不本意であったが、身体が重いのではどうしようもない。


「おれ、なんで……」

「魔力が枯渇したのでしょう。いきなりお倒れになりました」


 ジャックの説明に、目を見開く。


「……そんなわけ」


 魔力が枯渇することなどあり得ない、と思ったが、そういえば思い当たることがあって魔王は顔を引き攣らせた。


「あんのクソ兄貴……っ」


 思い出した。

 久しぶりに、本気で息切れを起こして眩暈を感じ、死ぬかもしれないと思ったくらいに力を使った。

 兄に対して。


「お気持ちはわかりますが、今はご自愛ください、陛下。魔力は生命力、それをあなたは毎度遠慮なく放出……倒れて当然なのですから」

「兄に夜這いされた弟の気持ちがわかるってのか、ジャック」

「いっそ貞操などくれてやってはいかがです」

「ヤ、メ、ロ!」


 あの兄に貞操を奪われるくらいなら死んだほうがいい。奪われた日には自害してやると、魔王はわりと本気だ。そもそも、切実に、嫌である。


「あの変態…っ…おれは弟だぞ」

「兄上さまにはけっこう関係ないですよ」

「関係あるだろ! 弟だぞ、弟!」

「そういうお方でしょう、昔から」


 なにを今さら、とジャックは鼻で笑ってくれた。


「今までよく貞操を護れましたよね、陛下」

「食われてたまるか!」

「いっそ食われてしまったほうが楽でしょうに」

「なにが楽になるんだよっ?」


 兄に食われるなど、死んでも嫌だ。死ぬときは兄を殺してからにしようと、本気で思う。


「ねえリカ」

「リッカだ、なんだ、欠食児童っ」

「あんまり叫ぶとまた倒れるよ?」

「う……っ」


 ニアに言われるまでもなく眩暈を起こし、魔王は再び長椅子に倒れた。

 魔力の枯渇なんてだいぶ久しぶりだ。それでも、兄に食われるくらいなら死を選ぶ魔王に、その後悔はない。


「リカが魔力を枯渇させるくらい、お兄さんって強いんだね」


 暢気に感心するニアは、魔王がおとなしくなったことをよしとして、魔王の黒髪をよしよしと撫でる。これが不思議と嫌ではないから、魔王も具合が悪いことをよしとして、眉間に皺を寄せつつ瞼をきつく閉じる。


「あれは、おれ以上に、化けもんなんだよ」

「そうなの?」

「殺していいって言っただろ」

「うん。だから、わたしもわりと本気で、挑んでみたんだよね」

「挑んでたのかよっ?」


 いつのまに、と思う。

 飄々と答えたニアは、どこか不服そうだった。


「なんていうんだろ……魔族って不老不死じゃないんだよね?」

「だったら世界の死亡率が下がるだろうが」

「うん。だから……なんていうのかな。お兄さん、不死? みたいな?」

「……。やっぱりおまえでも殺せねぇのか」


 元勇者ニアの力でも、兄は死なない。


 それは、と思うところがある。


「やっぱりあいつが魔王の器か……」

「え?」

「ちっ、忌々しい」


 腹が立つ。半ば冗談だったにせよ、半ば本気で、魔王はニアに言ったのだ。殺しても死なないから、誤って殺してもいい、と。

 だのに、勇者に相応しい力を持つニアでも、兄はやはり死なない。


 いろいろな意味で、死ねばいいのに、と思う。

 魔王は、こうして魔力の枯渇に陥り、特殊な能力のせいで苦しんでいるというのに。

 魔王の兄は飄々と、魔王と並ぶ力を遣い、平然としている。


「……ねえ、リカは魔王になりたくなかったの?」

「は?」

「そう聞こえたんだけど、今の」


 ニアの、脳筋族のくせにたまに鋭いその感覚に、魔王は一瞬だけ顔を引き攣らせ、深々と息をつきながら瞼を開けた。


「逆だ。おれは魔王になる必要があった」

「……なんで?」

「おまえには関係ねぇだろ」

「あるよ。だってわたし、最初はわりと本気だったんだから」

「なにが」

「魔王を殺そうと思ったの」


 それは珍しく、ニアの真剣な表情だった。こんな顔もするのかと、魔王は軽く驚く。


「悪の根源、魔王。世界に絶望を与える、魔王。人々が苦しめられるのは魔王の存在があるからだ。街の人たちの口癖」

「……えらい言われようだな」

「そうだね。でもみんな、それが嘘だって、わかってたよ」

「は?」

「そうでも言ってないと、心が折れそうだったから。責任を転嫁してたんだよね。魔族には力があって、人間には力がないから」


 少しだけ、本当に悲しそうに、ニアが微笑む。そんなニアの顔は、ここに来てから初めて目にするものかもしれない。


「無力だって、知ってたから……その責任から逃れるために、魔王を罵倒した。魔族を迫害した。そんなことしても意味はないって、わかってるくせに……」


 人間は愚かだと思う。だが、同時にいとしい生きものだと、魔王は思っている。魔族のような力はなく、魔族のように生きられない人間は、それでも世界に挑み続けて生存している。魔王が世界に挑んでいるように、人間も世界に挑んでいるのだ。

 生きるために、死ぬために、喜びを得るために、悲しみを乗り越えるために、人間の生き様はしなやかで、強かだ。


「おれはおまえら人間が憎いわけでも、嫌いなわけでもねぇよ」

「……そうなの?」

「愚かでいとしい生きものだ。われら魔族のようには、生きられない。それでも生きている人間は、世界に必要とされている」

「それいったら、魔族だって世界に必要とされてるよ。むしろ魔族が世界に必要とされてるんだ。人間は……要らない生きものかもしれないよ」

「命ある限り、要らぬものなど世界には存在しない」


 この世界にある生命はすべて、世界に必要とされている。生じた瞬間から、それは誰かに、なにかに、求められた証拠だ。


「うん、やっぱり……」

「なんだ」


 にっこり笑ったニアが、とても嬉しそうに、魔王の顔を覗き込んでくる。

 こうして近くに顔を寄せられたのは初めてだ。ふんわりと香ってきた甘い匂いに、やはりこいつは欠食児童の勇者でも女なのだなと思う。


「リカが魔王でよかった。わたし、殺しに来てよかった」

「……殺してねぇじゃねぇか」

「うん、殺さなくてよかった。殺せなかったんだけど、それでよかった。王サマは間違ってなかったよ。わたしも間違ってなかった。リカが魔王でよかった」

「……器はクソ兄貴が持ってるけどな」

「そうかもしれない。でも、魔王はリカだから」


 褒めているのかなんなのか、さっぱりわからないが、ニアは嬉しそうだ。

 その笑顔に、僅かながら、照れくささを感じる。


「ねえリカ、リカはどうして魔王になったの?」


 てめぇには関係ねぇだろ、と言いかけた口が、息を吸ってから動きが止まる。

 ニアが、魔王が魔王でよかったと、言った。本気で殺そうと思っていたと、言ったのだ。

 本当に関係のないことだろうか。


「……なんでそんなに気にする」

「リカが生きている世界を知りたいから」

「おれが生きてる世界?」

「わたしは、明日を生きる世界にいて、強さばかりを求めたから」


 ただただ生きることに必死だった、明日の食糧を得ることに必死だった、だからどんなことでもしたのだと、ニアの悲しげに微笑んだ双眸が語る。


 ニアにも、ニアの、歩んだ人生があるのだと、今さら気づいた。


「……おまえ、けっこうな世界に、いたんだな」

「どうかな。わたしみたいな人は、けっこういると思うよ」


 もともと、ニアは傭兵であった。その強さから勇者にされただけで、もし魔王という存在がなければ、ニアは死ぬまで傭兵という、明日を必死に生きる世界にいたかもしれない。そもそも、ニアが傭兵になるまでの経緯を、魔王は知らない。


 ひとの人生を、生きざまを、なにも知らないまま語ることは侮辱にほかならず、己れの愚かさを露見しているようなものだ。


「……話せ」

「なに?」

「おまえが、どうやって生きてきたか。明日を生きる世界に、どうやって存在してきたか。話せ」

「……リカ」

「屈辱的だが、そう呼ぶことは許してやる。おれにはおまえみてぇな立派な名はねぇからな、そもそも価値もねえ」

「……リカの名前は素敵だよ。リカ、綺麗な名前だよ」

「とりあえず、褒め言葉として受け取っておいてやる」


 嬉しくはないが、魔王に愛称をつけた者は、ニアが初めてである。魔王はとくに、王佐ジャックとオールドー以外に、名を呼ばせていない。女名であることも理由の一つだが、そればかりではないのだ。


「リーガルヴェッカ」

「へ?」

「忌まわしき黒烏、という意味だ」

「リーガルヴェッカ……魔族語?」

「ああ。そんな名前は可哀想だと、オールドーが先代女王に申し出、リッカと名を改めさせた。以来、おれはリッカという名を持っている」


 所謂、真名、というやつだ。魔族は真名を持ち、親しい者や伴侶以外に教えることはない。親ですら知らないこともある。それは、真名に魔族を縛る効力があるからだ。だが、魔力の保有量が少ない魔族はともかく、魔王ともなれば真名を知られたところで痛くも痒くもない。

 ジャックは少々蒼褪めたが、それは魔王が真名を口にしたからではなく、その過去を魔王が自らニアに話したからだろう。


「リーガルヴェッカ……なんて、呼ばれてたの?」

「そういうガキだったからな。今でも、それは変わってねぇよ」

「忌まわしき……なんて」

「人間にもあるだろ。人間も、人間をそうやって、蔑むだろ。魔族にだってあるんだよ」


 本質は変わらないのだと、思う。けれども魔族にはなかったものを人間が、人間にはなかったものを魔族が、持っている。だから互いに相容れず、争いがしばしば起きる。

 しかし相容れないことは、なにも異種族間だけのことではない。


「わたしは、おじいちゃんにつけられたの。ニアって、微笑みって意味なんだって。だから、タモンは、おじいちゃんの名前。おじいちゃん、けっこう有名な傭兵だったから、わたしを護るものになるだろうって言ってた。その通りだった。おじいちゃんの名前で、わたしは護られたよ」

「……そうか」

「リカ」

「なんだ」

「リカの名前、綺麗なんだよ。ちゃんと、意味があるんだよ」


 リーガルヴェッカという、忌まわしき黒烏の意味ではなく、リッカという名には綺麗な意味があるのだと、ニアは言う。それは、価値もない、と言った魔王に対する、ニアの優しさのように思えた。


「ねえリカ、わたしも話すから、リカも話して」

「……面白くもねぇがな」

「それでも、わたしはリカが知りたい。リカにわたしを知ってもらいたい。わたし、最初から勇者だったわけじゃないんだから」

「……おれも、最初から魔王だったわけじゃねぇ」

「ほら、一緒でしょ? 話して、リカ。わたしも話すから」


 心を許したつもりはない。

 それでも、明日を必死に生きたというニアの、その人生を知ることは悪いことではない。知って、ニアをいうひとりの人間を知ることができる。


「わたしが生まれたのはイグネシアの最北端、踊り子だったお母さんが、そこにわたしを捨てて行ったの。そこで、タモンっていう傭兵に、拾われたんだよ」


 ゆっくりと語りだしたニアに、魔王は身体を休めながら、耳を傾けた。







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