07 : 世界を愛するために。
魔王には特殊な能力がある。魔王だから、ではない。魔王が魔王となる前から、言わば産まれたそのときから、魔王はその能力を持っていた。そして、その能力のせいで、長いこと苦しめられた。
「顔色が悪いな、リッカよ」
「うるせぇ」
顔を覗き込んでくる男、オールドーを、魔王は邪見に追い払う。しかしめげないオールドーは、魔王から僅かな距離を作っただけで、再度魔王の顔を覗き込んでくる。
「難儀なことよな、リッカよ」
「あんたには関係ねぇよ」
放っておけ、と魔王はオールドーに背を向け、戻りたくはないがジャックの堪忍袋の問題は無視できないので、仕方なく邸に足を向ける。オールドーはついて来なかった。
魔王の邸は兄弟喧嘩で半壊しているが、修理を急がせたので執務室だけは使える状態にある。ただし突貫工事の修理なので、少しでも衝撃を与えたら、今度こそ邸は全壊すると思われる。壊しては修理、を幾度も繰り返された結果、魔王の邸はそれなりに頑丈になっていったのだが、それと同じくらい魔王の力も大きくなっていったので、あまり意味を為していない。今新しく建てている邸は、魔王の力を見越して今まで以上に頑丈に作っているそうだが、そのため必要以上の時間をかけているので、引っ越しは来春を迎えてからになる。
来春のことを考えると、憂鬱だった。
「ジャックの奴、嘘は言わねぇんだよなぁ」
元勇者ニアとの婚姻を、ジャックは強行するだろう。残念なことに、反対しているのは兄だけだ。魔王が逃亡でもして姿を暗まさない限り、ニアとの婚姻はジャックによって成立させられる。
期限は来春。
さて、どうしたものか。
「オールドーとご一緒だったようですが、なにかありましたか」
「あいつが話しかけてきただけでなにも…………。ジャックっ?」
「はい、あなたの王佐ジャックでございます」
ぎょっとする。まだ見つかることはないと思っていたが、もう見つかった。
しかし、意外なことにジャックは、いつもなら逃げた魔王を見つけた際、半端ない怒りの形相をしているのだが、今日は比較的穏やかというか、なにか静かだ。静かすぎてむしろ不気味である。
「無防備ですね、魔王陛下。もしあなたのお命を狙う輩がいたら、今頃生きてはおりませんよ」
「おまえの気配がなさ過ぎるんだよ!」
「それは陛下、わたしですから」
「オールドーと同じこと言ってんじゃねぇよ、まさに親子だな!」
「褒め言葉ですか?」
にこ、と笑ったジャックに、ぞくりとする。いろいろな意味で不気味だ。
「しかし残念ながら、オールドーには敵いませんね。わたしはあなたを見つけられなかったというのに、こんなにもあっさりと……いろいろと腹が立ちますが、まあ仕方ありません」
「どういう意味だ、そりゃ」
「諦めて親だと認めている、ということですよ」
はあ、と息をついたジャックは、未だそこにいるのだろう、オールドーを見ているようだった。
「諦める必要なく、おまえは確実にオールドーの息子だ」
「諦めなければあれを親だとは思いたくもありませんよ」
さあ戻りましょうか、と言ったジャックは、きっぱりとオールドーから視線を外し、魔王を促してくる。ちらりと魔王が振り返ったときに見えたオールドーは、こちらに手を振っていた。ここから先はジャックに、ということなのだろう。先の時代は終わったのだと、そう魔王に言ったオールドーである。ジャックがいるのだから、出しゃばるつもりはさらさらない。
ふっと、魔王はジャックの横顔を見つめた。
「なんですか?」
怪訝そうにしたジャックが、眉間に皺を寄せる。
執務から逃げた魔王を怒るでも叱るでもないその姿が、オールドーと一緒にいたからだと気づいたのはそのときだった。
「……ジャック」
「はい」
「悪かったな」
「……。はい?」
思わず吃驚、と顔に書いてあるジャックは、それはもう珍しいくらいに目を真ん丸にしていた。
少々気恥ずかしさを思わなくもなかったが、オールドーに言ってジャックには言わない、というのはなにか嫌で、魔王は軽く拳を握って俯いた。
「ヴィイ、のこと……悪かったな」
「……今さらなんですか」
そう、今さらだ。オールドーにも言われた。
けれど、言っておきたい。
言えるときに、言葉にできるときに、伝えておきたい。
後悔していないのだと、必要だったのだと、わかってもらいたい。
「おれがヴィイを殺した」
たとえそれが不可抗力で、やらなければならなかったことだったとしても。
「おまえの母親を、おれが殺した」
その事実は消えない。
その過去は消えない。
その真実は失われない。
「オールドーから、唯一を奪った」
後悔はない。
必要だった。
魔王が、魔王となるために、手に入れなければならないものがあった。
「……だから、なんですか」
ジャックは平淡な声音で、なんの表情もなく言った。
「今さらそんなことを言われても、わたしにはなんの意味もありませんよ」
「……わかってる」
「わたしは言ったはずです。あなたが作られたこの国、この世界を、わたしは愛しています」
ジャックは揺るがない。
それは魔王にとって、大きな救いだった。
ジャックがそう言ってくれるから、安堵する。
「母は魔王にはなりきれなかっただけですよ。あなたとは違う。わたしが育てた魔王陛下を、魔王陛下が侮辱するとはなにごとでしょう」
「……ああ、そうだな」
「今後一切、ご自身を侮辱するような行為はお止めください。それはわたしへの侮辱ともなるのですから」
ホッとする。
ジャックが魔王の罪を赦しているから、ではない。
ジャックが、真実魔王を信じてくれていることに、だ。
「オールドーとなにを話していたかと思えば……そんな話をする暇があるなら、公務を片づけてください。明日の負担が一つでも減るように、その努力をなさってください。あなたは魔王陛下なのですよ」
「……そうだな」
「それともう一つ」
「なんだ」
行こう、と前を促していたジャックが、魔王の真正面に立ち、深々と頭を下げた。
「母を悼んでくださり、ありがとうございます」
「……ジャック」
「オールドーは……父は、そんなあなただから、留まることを選んだのです。そしてわたしも、そんなあなただから、そばに在ることを選んだのです。ですからどうか、あなたはあなたが思うまま、突き進んでください」
見失うな、前に進め。
立ち止まるな、未来を見ろ。
迷うな、自分を信じろ。
「リッカ」
顔を上げたジャックが、力強く笑む。
「わたしはおまえの絶望を知っている」
気の迷いは誰にでもある。だが魔王には許されない。どんなことにも確信を持ち、進んで行かなければならない。
「生きなさい」
抱えた想いを忘れることなく。
抱えた想いを失うことなく。
抱えた想いを、昇華させるために。
「ああ、わかった」
それは、淡き標。
そして、永久の詩。
魔王は世界に挑み続ける。
世界を愛するために。
このたびも読んでくださりありがとうございます。