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淡きしるべは永久の詩。  作者: 津森太壱。
【世界を愛するために。】
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06 : 明日を生きる世界にいた。2





 廊下の窓から今代魔王を見つけた元勇者ニアは、仕事を怠けているらしい魔王に遊び相手をしてもらうべく、さっそくと走りかけたが、ふと立ち止まる。

 魔王の隣に見知らぬ魔族がいた。


「綺麗なおじさま……誰だろ、あのひと」


 魔王と並んでも見劣りしないが、歳の頃は魔王よりも十歳は上だろう。魔王が綺麗な漆黒であるなら、その魔族は過ぎるほど純白であった。視力はいいニアの目からも、魔王の隣にいる魔族は瞳すら白く、しかし年老いたというにはそれほど年嵩がいっているように見えない。


「おや、ニアさま」

「ジャック、あのひと誰?」


 前方からぱたぱたと走ってきたジャックに、ニアは窓の向こうを指差した。魔王を捜していたらしいジャックは、「見つけた!」と叫ぶなり窓にしがみつく。


「今度こそ逃がしませんよ陛下ぁ」

「ジャック、ジャック」

「椅子に縛りつけてでも執務してもらいますから覚悟なさぁい」

「わかったからジャック、あのひと誰?」

「一月は眠らせませんからねぇ陛下ぁ」


 魔王しか視界に入っていなくて困った。

 幾度かジャックを呼び、魔王の隣にいるのは誰だとしつこく訊き、繰り返すこと数度、漸くジャックが気づいてくれる。


「ああいたのですか、オールドー」

「おーるどー?」

「先代魔王陛下のご夫君ですよ」

「へえ、先代の……、先代のっ?」


 吃驚して思わず訊き返してしまった。


「先代は女王陛下であらせられましたからね」

「あのひとが先代じゃないの?」

「ええ、違います。ご夫君です」

「……に、しては、若そうだけど」

「魔族は老化速度がゆっくりですからね」


 それにしても、と思う。

 魔王と並んで見劣りせず、それでも歳上に見えるとはいえ、魔王自身も王の歴が長いので、先代となったらもっともっと歴史を遡るだろう。

 十歳くらいしか上に見えないのに、実はおじいちゃんなのか、とニアはまじまじと見てしまった。


「魔族って不老不死……」

「で、あれば、世界の死亡率は下がりますよ」

「あ。そっか」

「先代の在位はそれほど長くないのですよ。戦時下にありましたからね。陛下の半分ほどでしょうか」

「半分……リカって、今でどれくらい魔王やってんの?」

「ざっと百年でしょうか」

「長っ!」


 想像以上に魔王の在位が長くて吃驚だ。それをさらりと言うジャックも凄い。


「て、ことは……リカって歳いくつ?」

「今年で百二十歳ですかね」

「……。ちなみにジャックは?」

「わたしは陛下より少し歳上なだけですよ」


 なぜそこでジャック自身が歳を隠すのかは不明だが、なんにしても魔王もジャックもニアの数倍歳上だ。

 魔王がニアを相手にしないのも、なんとなく頷けてしまう。いくら成人したとはいえ、魔王から見たらニアはまだ赤ん坊だろう。

 なんだか空しくなってきた。


「わたし、もうちょっと早く産まれたかった」

「はい?」

「リカ、わたしのこと女として見てくれないから」


 肉体的な問題は別として、せめて歳だけでも近ければ、魔王はニアをニアとして見てくれたかもしれない。

 そう思うと、非常に残念だ。


「魔族としてはまだまだ、元服したばかりなのですがね、陛下は」

「……。え?」

「魔族は成長速度が遅いのです。それに比べて人間は速いですよね」

「え、ちょ、元服って? まだまだって?」

「人間で言うところの成人ですね。あれから五十年しか経っていませんから、陛下は魔族として未熟者の域に入るのですよ」


 王としての歴はともかく、ニアが思っていたとおり、魔王は魔族の中でも若い部類に入るらしい。御歳百二十でも、十八歳のニアとそれほど変わらない、ということだ。


「とすると……リカって、成人する前から魔王なの?」

「そうですよ」


 またもさらりと、ジャックは言う。


「まあ、陛下の場合は少々特殊と言いますか、先代の在位が短かったためにそうなったと言いますか……事情がありましたからね」

「事情って?」

「陛下が生きてこられた場所は、わたしなどには想像もできない、そんなところでしたから」


 少し遠い目をしたジャックが、困ったように微笑む。その表情から察するに、幸福なことではないのだと思う。たとえばニアが貧困に喘いでいたように、国が万緑に枯渇していたように、魔王にもそんなときがあったのだろう。


「……オールドー、ていうあの魔族は、リカのなに?」

「なに、というほどのひとでもありませんが……オールドーは隠居した身ですから、特別なにか権力を持っているわけではありません。そもそも、オールドー、というのは渾名です」

「渾名?」

「先代のご夫君であられるオールドーは、もはやその時代を終えているのです。先代が亡くなられたときに、一緒に亡くなったと見做されます。ですから、それまでの名は意味を失い、存在が消えるのです」

「……それ、なんだか悲しいよ?」


 オールドー、というらしい魔族はまだ生きているのに、今そこに魔王の隣にいるのに、死んだ者とされているらしい。


「魔王の配偶者とは、そんなものです」

「……そうなんだ」


 悲しいことだな、とニアは思うのに、ジャックは飄々としている。それが当たり前だと、言っている。


「わたしはなにか変なことを言いましたでしょうか?」


 しょんぼりしたニアに、ジャックは少しだけ慌てた。けれども、考え方や捉え方の違いがあるは当然のことなので、ニアも慌てて「なんでもない」と首を左右に振った。


「オールドー、ていうのに意味はあるの?」

「古きもの、という意味があります。ほら、古来年寄りは知識の宝庫と言うでしょう。陛下がオールドーに、そういう意味を込めて呼び始めたのですよ」

「リカが名づけたんだ?」

「呼び名がなければ不便ですからね」


 死んだと見做されていても、生きているということは確立し、存在をはっきりさせていることにはホッと安堵する。


「リカと、親しそうだね」

「陛下を拾ったのは先代とオールドーですからね」

「拾った?」

「その昔、陛下がなにを見てきたのか、わたしは詳しく知りません。わたしが陛下と出逢ったときは、もはや今の陛下でしたからね。知っているとしたら、先代とオールドーが、陛下のすべてをご存知でしょう」


 ジャックの言葉は、暗に魔王が孤児であることを示唆していたが、実力主義のこの魔国で両親の存在はあってもなくても変わりはない。血筋はあっても血統はないのだと言っていたから、ジャックがいう「拾った」というのも、「見つけた」という意味になるのかもしれない。


「ねえ、ジャック」

「なんでしょう」

「リカは、どんな世界に、いるのかな」

「どんな……?」

「わたしは、明日を生きることに必死で、強さばかりを求めた。強ければ傭兵としてたくさん稼げたし、それなりに融通を効かせられたし、とにかく生きることができたんだ。わたしは、明日を生きる世界にいた」

「……ニアさま」

「リカは、どんな世界にいるのかな」


 魔王が見ているもの、感じているものが、知りたいと思った。どこを見ているかわからない魔王だから、なにを感じているのかわからない魔王だから、ニアは興味を惹かれた。

 それがいとしさに変化していったのは、やはり魔王のその、凛とした佇まいのせいだろう。


「わたし、リカが見ているものを見たい。リカが感じているものを感じたい。リカの、歩む道を見てみたい」


 その背を追いかけ、できることなら隣に並びたいと、ニアは思った。

 だからニアはここにいる。

 王に希望を託されたからではない。国に希望を押しつけられたからではない。

 ニアは、自身の意志と願望から、人間の地ではない魔族の地で、生きることを決めた。


「……。ニアさま、本気で陛下を慕っていたのですね」


 ジャックが感心したように言うから、ニアは頬を膨らませつつ唇を尖らせた。


「なんだよ、冗談だと思ってたの? じゃあ来春の結婚式は? それも嘘なの?」

「いえ、言質は取った者勝ちですから、来春の挙式はもはや決定です。陛下が嫌がろうと、逃走なさろうと、現実を否定なさろうと、その決定は覆されません」


 どうやら魔王に逃げ道はないらしい。言ってみるものだ、とニアが思ったのは内緒である。


「ただ……」

「ただ?」

「あなたの本心が、いまいち読めないもので」


 ニアが魔王に心惹かれ、恋情を抱いていることは、ジャックには確信がなかったようだ。


「わたしはリカの背中が好き。リカの横顔が好き。だから後ろから見るのも、隣から見上げるのも、どっちも好き。だってリカ……かっこいいから」


 魔王だから、ではない。ニアが心惹かれ、恋情を抱く魔王は、明日へ突き進む強さを持った魔族の青年だ。たまたま魔王が魔王だっただけで、それは元勇者であるニアの事情と、なんら変わらない。


「かっこいい、ですか……それは素晴らしい賛辞ですね」

「ありきたりでごめん」

「いいえ。今の陛下をかっこいいと言ってくださるなら……陛下の御心は救われるでしょう」


 随分と大げさにジャックは捉えてくれたが、嘘というわけではなく、本当にそう思って言ってくれているらしい。いやいやそこまでのものでは、とニアが慌てても、それこそ首を左右に振り、救われるのです、と繰り返した。


「いつまでも弱虫のままではいられませんからね」


 ああ、と思う。

 魔王は、ジャックに言わせれば泣き虫だ。ニアも泣かせたことがある。打たれ弱くて、すぐに涙目になって、大泣きはしなくてもぐずぐずと泣くのだ。


「リカはすぐに泣くよね」

「打たれ弱くて情けないですね」


 容赦ないジャックだが、ニアがそう思うように、魔王のその顔は可愛いと思っているから、魔王に対していつだって容赦がない。一種の遊びのように、魔王はいつも泣かされている。

 それはそれでどうかと思うところもあるが、それでいいのではないかとも思う。


「それが、リカだよね」

「ええ。それが今代の魔王さまでいらせられます」


 打たれ弱くて泣き虫でも、それがリッカという今代魔王であるから、いいのだ。


「かっこいいのに、勿体ない気もするけど……それがリカなんだよねぇ」


 しみじみと、思う。

 ニアがいとしいと想うひとは、ただ感情のあるがままを、誰に臆することもなく見せる魔族の青年だった。









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