12 : 心優しき魔王陛下。補足。2
*ジャックの回想です。後半少々は現在に戻ります。
*残酷描写があります。ご注意ください。
ガナン・セイルの大陸で起こっていた戦争が、兄上さまのご活躍によってわが魔国に影響を及ぼすことなく決着した数日後、兄上さまに対する噂が流れて魔王陛下が振り回され、それも落ち着いたときのことでございました。
「ジャック……っ」
些か焦っておられる様子で、わたしは魔王陛下に呼ばれました。この日のわたしは魔王陛下の執務室ではなく、調べものをするために書庫に籠っていましたので、そばについていなかったのです。
魔王陛下のお声は、書庫によく響きました。書庫の司書である文官たち、またわたしと同じように調べものをしていた文官たちが、魔王陛下の登場にひどく驚いていたのを憶えています。
「如何なされました、陛下」
「山が赤いっ」
その言葉は、数日前にも聞いたばかりです。わたしはすぐさま魔王陛下のおそばに走り寄り、そして魔王陛下と共に窓の向こうへと視線を向けました。
「なぜ……」
ガナン・セイルの大陸を隔てている山の、正確にはその麓が、赤く染まっておりました。
「レイトだ……レイトが」
「騎士長?」
「見誤った。くそ……っ」
「陛下、騎士長が如何なされたと……見誤ったとは」
「魔国に辿り着いた人間のうち、半数は降伏してきたらって、見逃していたんだ」
「なんと……」
いつもなら見せない慈悲を、兄上さまは見せていたようでした。その結果が、山麓にある村を、真っ赤に染め上げていたのです。
「レイトは一度興が削がれると、どんな命令でも無視する。だが、苛々しているようだったから敵兵を見逃してやるなんてこと……っ」
わたしは瞬時に、あの真似できない喋り方をした兄上さまの言葉を思い出しました。確かにあの言葉を聞いていれば、いつも見せない慈悲を見せるなど、思いつきもしないでしょう。
これは魔王陛下ばかりの責任ではありません。わたしにも、責任はあります。兄上さまのご気性を、きちんと把握していなかったわたしの責任です。
「ジャック、今度ばかりは止めるな。おれは、行く」
「止めはいたしません。ですが、わたしもお連れください」
「わかった。あと、むろんレイトも連れて行く。これはレイトの不始末だ」
由々しき事態です。しかし、魔王陛下は多少焦っておられましたが、冷静さを欠いていたわけではありません。山麓で起きていることに対処すべく、すぐさま向かう準備をされたあと、飄々としておられる兄上さまを引き摺って、麓の村へと飛びました。
文字通り飛んだ、わけではありますが、それは兄上さまのお力を使いましたので、一っ跳びでございました。
山麓の村は、凄惨を極めておりました。そこかしこから炎が上がり、また血や肉の焼ける匂いが充満し、至るところに遺骸が転がっていたのです。
「こりゃまたすごい……さて、おれはなにすりゃいいかな、弟よ」
魔王陛下に采配を求めた兄上さまは、やはり魔王の器はあっても、魔王であるべきお方ではありませんでした。
「捕縛して海に捨ててこい」
「え、殺して駄目なのか」
「それがあんたの罪だ。もしできなかったら……」
魔王陛下はぎらりと、兄上さまを睨みました。肩を竦めた兄上さまは、未だ続けられている殺戮の中へと早々に入っていきます。魔王陛下のお言葉をどう捉えたのか不明ですが、ほどなくして充満していた住民の悲鳴が消え、兄上さまのものと思われる淡紫の光が村の中央で柱を上げました。
魔王陛下がホッと息をつかれました。
「レイトの享楽主義にも、ほとほと疲れる……」
あれを享楽主義と言ってよいのか、わたしには判断がつき難いものでしたが、享楽主義以外のなにものでもない雰囲気は感じられました。
魔王陛下が連れてきたのはわたしだけではありません。時間差で、救援が続々と転移の魔法で山麓の村に現われました。魔王陛下はその彼らに命じ、生き残ったものを助け、炎の消火をし、事態の収拾に動き回りました。僭越ながらわたしも、魔王陛下の支えとなるべく、動き回りました。
そのあとです。
淡紫の光の柱があったところから、兄上さまが戻ってこられました。
真っ赤な、お姿で。
「レイト……あ、んたっ」
「おう弟よ、悪いな、兄ちゃんおまえみたいに器用なことできねぇわ」
あの淡紫の光の柱は、捕縛したガナン・セイル大陸の人間を海に放り投げる転移の魔法では、なかったようなのです。
なんてことだ、とわたしは力なく項垂れました。やはり兄上さまは、戦いにおいて、信用すべきお方ではありません。このようなお方が魔王でなくてよかったと、つくづく思います。
その、ときでした。
「おれの気も、知らないで……っ」
隣から、そう隣から、息が詰まるほどの魔力の放出を感じました。
魔王陛下です。
「陛下……っ」
俄かに焦りました。
魔王陛下の魔力は、普段から強大だと感じさせるほどのものですが、先にも述べましたように、魔王陛下はお身体の成長を慮って隠されているのです。そうです、隠した状態でも強大だと、感じられるほどの魔力を魔王陛下はお持ちなのです。
それを解放したら、どうなるでしょう。
膨れ上がった魔力の大きさに、わたしは息を詰まらせました。すぐに呼吸を思い出し事なきを得ましたが、それはわたしが常から魔王陛下のおそばにいて、慣れていたからできたことなのです。魔王陛下の近くで作業していた者たちは、魔王陛下の大き過ぎる魔力に当てられて、次々と倒れました。
「おれが勝手に、やっていることだと、しても」
「陛下、落ち着いてください」
「あんたとログには、どうでもいいことだとしても」
「陛下、冷静に」
大変です。
暴走、とまではいきませんが、肉体が子どもですので、魔力がそれに近しいほど荒れ狂うことがあれば、成熟していない肉体は崩壊してしまいます。魔力の核たる心臓が無事であれば肉体の再生は可能ですが、それにしても、肉体を損なうことになるのです。
大変です。
魔王陛下が、壊れてしまいます。
「おおぅ、弟が怒った」
こんなときでも飄々としておられる兄上さまを、わたしはひどく恨みがましく思いました。
そして。
「死んでこい」
それはいきなりでございました。
黒い塊が、兄上さまを襲ったのです。
魔王陛下の、凝縮させた魔力の塊でした。そう、ただ魔力を凝縮させただけの、力の塊です。魔法などではありません。
「ぐへえっ?」
兄上さまは華麗にぶっ飛びました。それはもう、表現が難しいほど華麗に、黒い塊にぶっ飛ばされました。
兄上さまのあんな姿、見たことありません。連戦連勝無敗のお方ですから、倒れたところなど誰も見たことがないのです。いえ、今も健全な観戦者は魔王陛下の魔力に当てられてなお立っていられるわたしだけですが、倒れた者たちは意識まで手放したわけではありませんので、微かな視界ながらも見ていたでしょう。
「ジャック」
ものすごいことになってしまった、と思っていると、わたしは魔王陛下に呼ばれました。
「はい、陛下」
返事をしたときには、わたしが危惧した魔王陛下のお身体に対する心配は、消え去っておりました。おそらくあの強大な魔力は、凝縮され放出されたことで、魔王陛下のお身体から離れたのでしょう。魔力を切り離すことができるなど、これは魔王陛下だからできることです。
「レイトの足枷になる奴を、連れてこい」
「と、言われましても……たとえばどのような?」
「稀に産まれるだろう」
そのときの魔王陛下のお顔は、忘れることができません。
ひどく、そうひどく、悲しげでございました。
「おれみたいに、魔力を吸収できる魔族が」
魔王陛下のお顔に落ちた翳に、わたしは少々、口を噤みました。
「……ご自身を卑下なさらないでください」
言えたのは、これだけでございます。
「事実だ」
魔王陛下は淡々と答えられましたが、わたしの心中は複雑でした。
魔族は魔力の保有量によって、相応の立場につきます。魔王陛下が魔王であるように、わたしが王佐であるように、力によってすべてが振り分けられる、それが魔族社会です。ゆえに、産まれたときからそれは決まっているのです。
けれども例外が、一つだけあります。
魔力を吸収することで保有量を増幅させることができる、希少な魔族の存在です。その魔族は、産まれたときは微々たる魔力しか持たず、魔族の亜種、と呼ばれます。亜種は産まれたときがそれでも、吸収の方法によっては大きく成長することもあるので、立場が定まらないのです。
しかし、吸収することで大きく魔力の保有量を増やしていく亜種は、代わりに、常に魔力を吸収していなければそれを維持することができません。吸収を得意とするわけですから、消化もしてしまうのです。そんな亜種ですから、一般的な魔族の寿命を全うすることなど、叶いません。大抵が成体を得る前に、死に絶えます。魔族の亜種に進んで魔力を分け与えようなど、産み落とした両親以外に思う魔族が少ないからです。生命の源でもある魔力ですから、分け与えることは自殺行為にほかなりません。ゆえに亜種は希少であり、虐げられることはありませんがかといって庇護されるでもなく、静かに潰えていくのです。
今代魔王陛下は、魔力を吸収することができる、その能力をお持ちの希少な魔族でした。
おわかりになるかと思いますが、今代魔王陛下は、兄上さまと姉上さまの魔力を少しずつ喰らって、魔王になれるほどの魔力を得た方でございます。そして、わが母たる先代魔王の核を喰らったことで、亜種であった魔王陛下は、完全な魔族となられました。
兄上さまの強大な魔力、それに劣らない姉上さま、力だけは魔王の器であったわが母、亜種であるはずの魔王陛下が完全な魔族となるには、充分な魔力量だったのです。むしろ過ぎたものであったかもしれません。魔王陛下は、亜種の能力を、未だお持ちなのですから。
わたしが魔王陛下のこの事情を、誰かに明かすことはないでしょう。魔王陛下が亜種であった、という事実は、明かされてはならないのです。それは魔国の威信のためなどではなく、魔王陛下ご自身のために、明かしてはならないことなのです。今、こうして思い出しているだけでも、実に複雑です。リーガルヴェッカ、忌まわしき黒烏、その異名に腹立ちさえ覚えます。
わたしは思考の奥から現実に戻るため、深呼吸しました。
「陛下」
呼びかけ、そのひどく悲しげなお顔に、そっと触れました。
「兄上さまは、姉上さまは、あなたさまを足枷だなどとは、思っておりません」
「……だからなんだ」
「今を生きておられることを、悔やまないでください。それはわが母への、侮辱です」
やめてください、と恐れ多くも訴えたのですが、魔王陛下は微かに目を見開かれ、わたしを見上げただけでした。
「……侮辱、しているつもりは……なかった」
「では、そうであることを覚えてください。あなたさまには、わが母を弑してまでも成したいことがあったのです。その願いにわが母は協力したのですから、今あなたさまが生を悔やむことは、侮辱にほかならないのです」
生涯を魔王陛下に捧ぐと誓ったからこそ、口にできたことでした。
「確かに兄上さまにはそのお力を控えていただかねばなりませんが……その方法に亜種を使われるのは、あなたさまだけでなく、亜種として産まれた魔族を、それこそ侮辱することになります。それだけは、どうか、おやめください」
亜種は尊ばれもしませんが虐げられる存在でもありません。
わたしの懇願に、魔王陛下はしばらく呆然としておられましたが、静かに頷いてくださいました。
「おれ……」
「なにもおっしゃらずに」
わたしは、失礼して魔王陛下を抱き上げました。これでも魔王陛下より歳上ですから、姉上さまのように造作もありません。そもそも魔王陛下は、なんというか、わたしにとっても弟のようなものです。落ち込む子どもに、それ以上は叱ることができません。
立派な立ち振る舞いに、うっかり子どもであることを忘れがちになりますが、こうしている姿はやはりまだ子どもなのです。
「ジャック」
わたしの肩に頭を落とした魔王陛下は、落ち込まれた声でわたしを呼びました。
「はい、陛下」
「レイトの扱いが、わからない」
それは魔王陛下の、初めての、弱気な愚痴でございました。
「ログなんか、もっとわからない」
「兄上さまも姉上さまも、陛下のことを大切に想っていらっしゃいます」
「でも、ふたりが、怖い」
魔王陛下は、その生い立ちから、隠されるようにしてこれまでお育ちになりました。わが母が拾ったとき、それは兄上さまと姉上さまが城に召し上げられたときでもありましたが、過保護であるおふたりが懐から離そうとなさらなかったからです。わたしが、魔王陛下のご姉兄であると、魔王陛下の話を母から聞いていたのにも関わらず気づかなかったのも、その過保護な姿が、ログヴィエヌ女官長とレイトヴァーナ騎士長に結びつかなかったからです。お恥ずかしながらお名前を聞いておりませんでしたので、魔王陛下が魔王となられたそのときに、漸く知ることとなったのです。
今考えてみますと、魔王陛下は、なぜそこまで護られねばならないのか、わからなかったのも頷けます。怖いと、そうおっしゃられたのもわかります。
この頃の魔王陛下は、今も少々名残がございますが、亜種であるがゆえの脆弱性を、勘違いしておられました。他者を喰らって生き永らえる外道、だと。そうではないのだと、その勘違いをこのときに正していれば、魔王陛下のお心に巣食っていた深い闇を膨れ上がらせることはなかったでしょう。
とても、とても悔やまれます。
このときに気づいていれば、魔王陛下は……。
「ジャック、おいジャック。聞いてんのか、ジャック。あのクソ兄貴逃げ出したんだが、おまえの魔法でしばらくこの部屋閉めてくんね? この書類、今日中に片づけねぇとヤバい。クソ兄貴に邪魔されてる暇ねえ。むしろクソ兄貴どっかの空間に放り投げてくれてかまわんのだが」
わたしは回想を終わらせました。
わたしの腕に抱かれて落ち込んだ幼い魔王陛下は、もうどこにもおられません。些か寂しいと思うのは、あれから随分と口数が増え、さらに悪くなるという残念な成長を遂げてくれたからでしょう。ああいえ、お顔は幼い頃の面影を残しておられます。寝顔は今でもお可愛らしいです。姉上さまとそのことを語らわない日は少ないでしょう。
「……はぁぁ」
「なんだよそのため息」
「いえ、少々昔のことを思いだしておりましたので」
「昔ぃ?」
「兄上さまは、陛下の通路に落とされては如何でしょう」
「あれ、悪意ある奴しか閉じ込めねぇんだよ。クソ兄貴だとすぐ出てくる。つか壊しかねん。あの通路修復すんの面倒だから、通路にクソ兄貴放り込むのはヤだ」
「では大海の向こうに放り投げましょう」
「すぐ帰ってくんじゃねぇか」
「そうできないよう、あなたさまがすればよいのです」
「んー……面倒な構築式になるな」
「できなくはないのですから、わたしの魔力を吸収してもかまいませんから、完成させてお使いください」
「おまえがそう言うなら……やってもいいか。姉ちゃんいねぇから、あんまり魔力は消費したくねぇんだが」
「姉上さまが出かけられてから、兄上さまを追い出すために放出した魔力の量を考えれば、最低限で済むと思いますが?」
「……それもそうか」
立派にお育ちになられた魔王陛下は、その御心に巣食う深い闇に目を背けながら、今日も魔王業に勤しんでおられます。
*今さらですが、回想中のジャックは人間でいうところの成人前、魔王はその半分くらいの精神年齢です。魔王が早熟、というのは、ジャックの主観です。魔王は立派に子どもなのですが、子どもらしからぬ発言をしていました。
魔族年齢でジャックは三十歳くらい、魔王は二十歳くらいですが、この物語の魔族は七十歳で成体となる設定ですので、どちらもまだ子どもです。ジャックは先代魔王とオールドーの影響で、わりとおとな扱いされていましたが。
また、兄と姉は魔族年齢百歳前後となっています。




