10 : 心優しき魔王陛下。
*ジャック(王佐)の回想です。
*流血描写、残酷描写があります。申し訳ありません。ご注意ください。
苦手な方は、この回を飛ばしてください。
魔王陛下が、魔王陛下となられたときのことを、王佐であるわたくしジャックが語りましょう。
とはいえ、わたしが魔王陛下に出逢いましたのは、魔王陛下が御年十九歳の頃、成体となられるまであと五十年もあるとき、わたし自身も赤子同然であった頃のことです。
そして、わたしの目の前で、母であった先代魔王陛下が殺されたときでもありました。
今でもはっきりと憶えています。
「おれに従え」
母の血に塗れた魔王陛下が、わたしに向かって、そうおっしゃいました。
力の差は歴然としておりましたし、母を殺された無念を晴らそうにも、わたしには魔王陛下に一矢報いる気力などもありませんでしたから、そのときはただ項垂れ、母の死に涙いたしました。
多くの魔族を前に臆すことなく堂々と立たれていた魔王陛下に、それまで母の隣で毅然と立っていた父が平伏すことで、魔王陛下は魔王陛下となられたのです。
誰もが、幼い魔王陛下に平伏す父に、瞠目しておりました。
「なぜ……父上」
「わたしはヴィイの選択を受諾する」
そう言った父は、母がこの運命を受け入れていたのだと、皆に告げたのです。
「陛下は……母上は、殺されたのに」
「違う。ヴィイは、自ら死を受け入れた」
父の言葉は、衝撃的でございました。
それからさらに、衝撃的なことが起こったのです。
「オールドー」
先の魔王であった母が死んだことで、新たな魔王となった魔王陛下は、伴侶であるがために廃されることになった父を「オールドー」と呼びながら、全身を淡い蒼の光りに包みました。
「喰らうぞ」
魔王陛下がそうおっしゃったとたんのことです。
血塗れで倒れていた母から、死した母から、その胸の奥にある核といえる心臓を魔王陛下は取り出し、喰らいました。
魔族の心臓は魔力の核です。魔力なくして魔族は生きられません。言ってしまえば、心臓に傷がなければ、魔族はどんな重症を負っても肉体を再生させることができるのです。
つまり、母は魔王陛下に殺され死んだとはいえ、生き返らせることが可能だったかもしれないということです。あくまで可能性ですから、心臓を貫かれて殺された母には、そもそも絶望的な可能性でした。
ところが、魔王陛下は、母が生き返るかもしれない絶望的な可能性を、その目の前で、完膚なきまでに潰したのです。
「はは……うえ」
生命の源である魔力の核、心臓を喰われてしまえば、核を護るための肉体は塵と化します。
魔王陛下に心臓を喰われた母は、あっというまに塵と化し、消えました。
生き返る可能性は絶望的だったにしても、その可能性を捨てていなかったわたしは、悔しさに拳を握りしめました。
ただ、そのとき陛下を憎む気持ちは、ありませんでした。
母の死は無念ではありましたが、一矢報いようという気持ちが起きなかったのは、魔王陛下に見せつけられた魔力の強大さです。力ある者に母は負けたのですから、言葉は悪いですが、殺されても仕方ないのです。
「これでおれが魔王……だな」
血に塗れた魔王陛下がおっしゃいました。その次の瞬間には、そうでなくても強大であった魔力が、母の核を喰らったことで、増大しておりました。
この瞬間に、その場にいた魔族の全員が、魔王陛下に平伏したのです。かくいうわたしも、母の完全な死に涙しながら、魔王陛下に平伏いたしました。
忌まわしき黒烏の魔王の誕生でございます。
幼い魔王陛下は、集まった魔族をぐるりと見渡し、笑うことなく、小首を傾げられました。
「レイトヴァーナ、ログヴィエヌ、どこにいる?」
誰かを捜しておられるようでしたが、その魔族はすぐに見つかりました。母が殺されるところをみすみす見逃す近衛兵たちではなかったので、母を護ろうとしていた近衛兵たちを、誰ひとりとして母に近づけさせることなく魔王陛下の手助けをしていた者だちだったからです。
「ここよ、リッカ」
「さすがにこの数をふたりで抑えるのは大変だったぞ」
母が生きていれば、裏切り者、と謗られるべきふたり、レイトヴァーナ騎士長と、ログヴィエヌ女官長です。
「レイト、ログ」
ふらりと動いた魔王陛下に、平伏していた者たちはびくりとしましたが、そんなことを魔王陛下が気にするはずもなく、レイトヴァーナ騎士長とログヴィエヌ女官長に走り寄って行きました。
魔王陛下を抱きとめたのは、ログヴィエヌ女官長です。わたしは彼女のそのときの表情を、よく見ていました。そして驚きました。ログヴィエヌ女官長は笑わないことで有名です。なにがあっても、どんなことがあっても、彼女は氷のように冷たい女官でありました。ですから、その彼女が魔王陛下を抱きとめて微笑んだことに、わたしは驚いたのです。
また、レイトヴァーナ騎士長も、同胞を同胞とも思わぬような戦いぶりをすることから氷塊のようだと言われるような魔族で、その微笑みは冷酷なことで有名でございました。ですがその彼も、ログヴィエヌ女官長に抱きとめられた魔王陛下を見るやいなや、いとおしそうに微笑まれたのです。
周りがざわめきました。誰もが驚いておりました。むしろ、混乱が大きすぎて、皆がどうすればよいのかわからなくなっていました。
唯一冷静だったのは、父でしょうか。
「幼き魔王陛下を、居城へ」
父はログヴィエヌ女官長にそう言いました。ログヴィエヌ女官長は頷き、レイトヴァーナ騎士長を見上げます。
「もういいわよ、レイト。リッカは成し遂げたわ」
その瞬間でございました。
わたしは、またも驚くことになるのです。
「これでおれも解放されるなぁ」
どん、といきなり、レイトヴァーナ騎士長の魔力が、増大したのです。それは魔王陛下にも匹敵するほどの、大きく強い魔力です。
ばかな、ともちろん思いました。先代魔王の母を凌ぐ力を魔王陛下がお持ちであったこともそうですが、それと同じ力を騎士長が持っていたなど、知らなかったからです。いえ、今まで感じられることもなかったからです。
なにが起こっているのか、わたしはもはや、理解できませんでした。幼かったせいもあるでしょうが、それでも魔族の精神年齢は人間の成長とさほどかわりませんから、心は完全に幼かったわけではないのです。むしろわたしは、成体となったときが楽しみだと、このときすでに言われていたくらいに優秀な個体でしたから、そのわたしですら混乱を起こしていることに、戸惑うしかありませんでした。
「おいおまえら、おれの弟に変な気ぃ起こすんじゃねぇぞ? まあ、起こしたとしても弟はこのとおり魔王さまだし、おれもこのとおり……強ぇからな?」
にんまりと微笑まれたレイトヴァーナ騎士長に、父以外の魔族が、震え上がりました。酷薄で、残虐で、冷酷なレイトヴァーナ騎士長は、魔力を隠しておけるほどの魔族であったことを、このとき知ったのでございます。
そして、魔王陛下がレイトヴァーナ騎士長の弟であったことも、このとき皆が初めて知りました。またログヴィエヌ女官長が、魔王陛下とレイトヴァーナ騎士長の姉上さまであられたことも、このとき知らされたのでございます。
「わたくしの弟を、よろしくね」
ログヴィエヌ女官長が、皆に微笑まれたのは、これが初めてのことでございました。
「ログ、眠い」
「そうね、力を得たのだもの、疲れたわね、リッカ。お眠りなさい」
「ん……あとでレイトぶっ飛ばす」
物騒なことをおっしゃられてから、魔王さまはログヴィエヌ女官長に抱きしめられたまま、眠られました。
「おやすみなさい、リッカ。準備しておくわ」
「え……ちょ、姉ちゃんっ? おれも一応あんたの弟なんだけどっ?」
「眠ったリッカを護るのはあなたの役目よ、レイト」
「任せとけ! て、そうじゃなくて」
「レイト?」
「お任せください姉上さま」
姉弟の力関係はよくわからなかったが、魔王陛下を腕に抱き、騎士長を従えたログヴィエヌ女官長は、力を得て休眠に入った魔王陛下を軽々抱き上げると、先代魔王の死から始まった混乱の最中にある魔族たちを背にし、魔王城へと立ち去ったのでした。
その後、わたしが魔王陛下に呼ばれたのは、五日後のことでした。
「言えるときに言っておく」
そう切り出した魔王陛下に、わたしは、魔力の強大さからくる畏敬の念を持ち、頭を下げました。
「なんでしょう」
「おまえの母を、おれは殺した。おまえの父を、おれは追い出した。怨め」
初めはなにを言われているのか、お恥ずかしながら理解できませんでした。
「おれには必要だった。おまえの母の力が、どうしても、必要だった。だから奪った。おまえには理不尽に映っただろう。おまえの母が拾った忌まわしい黒烏が、恩を忘れて牙を向けたのだから」
お逢いしたのは母が死んだときではありましたが、わたしは魔王陛下の俗称は知っておりました。逢う機会がなかっただけで、話は聞かされていたからです。ですから、わたしは魔王陛下がなぜ「忌まわしき黒烏」という俗称で呼ばれているのかも、実は知っていたのです。母を殺されたことに怨みを持てなかったのは、魔王陛下のそれらを話だけでも聞いていたからということもあるでしょう。
「父……いえ、オールドーは言いました。先代魔王は、自ら死を受け入れたのだと。なれば、わたしから言うことはなにもございません。あなたさまを怨むなどもってのほか。わたしは力を示されたあなたさまに、この忠誠を捧ぐのみにございます」
わたしには嘘などございません。父は、母に対してだけは正直な魔族でしたので、父が母の死を受け入れている時点で、わたしの心は決まったも同然なのです。
あのとき、母の核を喰らって魔族の頂点に立たれたとき、わたしの生涯はこの幼い魔王陛下に捧げるのだと、わたしはどこかで確信していたのです。
「……謝らせても、くれないのか」
「なにを謝られるのですか」
「おれはおまえの母を殺したんだ」
「それがなんでしょう? 魔族とは、そういう生きものであることを、あなたさまとてご存知でしょう」
強い者が頂点に立つ、それが魔族社会です。強いとは、魔力のことを言います。魔力の強大な魔族が、魔族の頂点に立ち、魔王となるのです。血筋など関係ありません。
わたしは、魔族の頂点に立たれた幼い魔王陛下に、その役目を終えられるときまで、忠誠を捧ぐことを誓いました。
「おまえは……」
魔王陛下がそのお綺麗な顔を歪め、わたしを見ました。
「おれが、なぜ忌まわしき黒烏と呼ばれるのか、知っているだろう」
「承知しております」
「誰がその名で呼び始めたのかも、知っているだろう」
「存じております」
「そこに隠された意味も、おまえは、知っているだろう」
「はい。すべて、母から聞かされております」
「それを知ってなお、おれに傅くのか!」
怒鳴った幼い魔王陛下を、歳はわたしとあまり変わりませんが、見守るような想いで、わたしは見つめ返しました。
泣きそうなお顔をされています。いえ、目尻には涙が見えました。それだけで、魔王陛下の気持ちは、充分に伝わってきました。
「わたしはあなたさまに、リッカさまに、この生涯を捧げたく思います」
母から、先代魔王から、わたしはすべてを聞かされております。まさかお逢いする機会が、母の死するときであったとは思わなかっただけでございます。
父から、母が自ら死を受け入れたと、その言葉を聞いたあと、わたしは魔王陛下がなにを求めたのか、なにを必要とされたのか、わかりました。
「母の力があなたの糧となったことを、喜ばしく思います」
そもそも母は、魔王としては未熟であったと思います。国政はそのほとんどを重臣に任せるような魔族でしたから、失格、と言えたかもしれません。母はただ、魔族の頂点に立てるほどの魔力を持っていただけに過ぎないのです。国を支配する能力は、なかったと言えるでしょう。
そんな母でも、この幼き魔王陛下の、求めて突き進む道の糧となれたのですから、喜ばしく思うのが息子として当然だと思うのです。
「ヴィイの、言うとおりだ……」
ふと、魔王陛下が肩の力を抜かれました。強張っていらっしゃった様子で、とすん、と頼りなく椅子に座られます。
「母がなにか?」
「ジャックは魔族らしい魔族だから、力を示せばすべてを理解する、と」
「……そうですか」
母は、魔王陛下にわたしのことも、話していたようです。
「ジャスディック・ラクト・ホロウ・アルバトレイ」
久しぶりに聞くわが真名に、少しだけ驚きました。支配する力が込められていなかったので本当に吃驚しただけですが、お教えする前に暴かれてしまったので、魔王陛下の御力をつくづく思い知りました。
「おまえを、縛ってもいいか」
魔王陛下の真っ黒な双眸は、懇願するでもなく、ただ、問うておりました。
「おまえがおれを殺すんだ。おれが、魔王の座を欲してまでも成したいと思ったことを、成せなかったときに」
「……そのような大役を、わたしに任せてしまうのですか?」
「おまえがいい。ヴィイに、おまえの話を聞いたときから、おまえに頼もうと思っていたんだ。おまえになら……殺されても文句は言えないからな」
母を殺したという罪悪感が、魔王陛下に、わたしに大役を任せるという手段を取らせたようでございました。
わたしは一呼吸置き、魔王陛下を見据えました。
「では、わが母を弑してまでも欲した成したいものを、わたしにお見せくださいませ」
なかなかに魔王陛下は感情的なお方です。そしてわたしよりも幼いというのに、とても固い決意をお持ちです。とてもお強い願いを持っておられます。
忠誠を捧げると誓ったわたしは、さらに誓いました。
「あなたさまの作られる世界を、国を、見届けましょう」
こうしてわたしは、魔王陛下をそのおそばで支える王佐となりました。
後悔はありません。
楽しみばかりでございます。
魔王陛下は、わたしが望んだものを、見せてくださいます。
これほど楽しいことは、ございません。
ただ問題は、魔王陛下が魔王となられてから三十年ほど経った頃から、魔王陛下が執務室だけでなく国まで抜け出されることでしょうか。勇者と名乗る人間を追い払うのは日常的でございましたが、人間に囚われた魔族の救出に魔王陛下自らが向かわれるので、追いかけるわたしは大変です。おとなしく机に向かってくださる時間が短いので、宰相閣下は頭の血管が一部切れてしまったようです。お歳を召された重臣たちも、お若くていらっしゃる魔王陛下の奔放さに倒れられる方が増えました。私腹を肥やしていた重臣を糾弾する目的もあったようでしたが、それにしてもよく振り回されるようになりました。
「なあジャック、この山とあの山、繋がったように見せかけりゃ人間たちがアホなこと考えねぇかな」
「考えるでしょうね」
「よし、じゃ、繋げっか」
やることは唐突です。そして意図が掴めません。
しかし、間違ったことはなさいません。真実正しいわけでもありませんが、結果的には良い方向に行くのです。
「あそこ、迷丘って呼ばれるようになったらしいぜ、ジャック」
「迷丘、ですか」
「入ったら出られねぇんだと。ざまぁみろ。これで勇者の侵入路が潰れたぜ」
「法力のある勇者には効かない幻術のようですが」
「あれを看破できたらおまえっていう王佐が直々に相手してやる」
「は……わたしですか」
「クソ兄貴でもいいけど、あれバケモンだからな。死者を出しちまう」
母を殺したあの幼き魔王陛下は、殺しを厭う心優しき魔王陛下となりました。




