ある日の喧騒
よろしければギルドの酒場のBGMを聴きながら読んでください
業務運用の「改善」と称した変更が何度も続き、社内全体が疲弊していた。もちろん自分も例外ではない。おかげで最近は不眠気味だ。
そんな時、何か入眠作用の動画はないかとサイト内を漁っていると、「意識を奪われるほど眠れるASMR。中世雨の酒場にて。囁く旅人の会話。注がれるエールの音。受付嬢の万年筆が走り、ホールスタッフの軽快な足音」そんな説明文が書かれた静止画が目に止まった。
言葉の並びに眠れるか怪しかったが、他にめぼしい動画もなく試しに再生アイコンをタップする。
すると静止画と思われた画像内の蝋燭や窓の外の雨粒が動き出す。そして次第に雷鳴混じりの雨音が響きだした。少しすると言語の分からない男達の囁き声があちらこちら聞こえてくる。まるで落ち着いた酒場にでもいるような雰囲気で不快ではない。コツコツと軽快な足音が近づくと左耳のそばでジョッキが置かれる。程なくして酒が注がれる水音が鼓膜を優しく震わせてきた。
確かにこの環境音は悪くない。子供の頃、親戚が集まって深夜の宴会場でうとうとしていたのを思い出す。あの安心感と適度な騒がしさが心地いい。
どれくらいかしたか。気がついたら眠っていた。深く眠ってしまったようで頭がぼやける。動画はまだ流れているようで軽い喧騒が続いている。ふと目を覚ますと体が固まった。
「え……」
目の前に広がるのはあの画像の世界だった。蝋燭と松明だけの薄暗い店内に、楽しげな旅人の出立をした男達。器用に料理を運ぶエプロン姿の女性が数人。肉の焼ける香りやパンの香ばしい香りが通り過ぎる。
すぐ真横の窓を見ると外は雷雨だった。遠くの方で稲光が走る。自分の姿を見下ろすと、冒険者というよりは村人のような簡素な姿をしていた。テーブルには木製のジョッキが置かれている。
「おおアンタここは初めてか?」
頭上から声をかけられ顔を上げるとスキンヘッドの酔っ払いが機嫌良さそうに笑っていた。
「なんだ安酒だけじゃ景気が悪ぃ。ほれ、一つやるよ」
そう言って干し肉を手渡してきた。
「あ……どうも。ありがとうございます」
お礼を言って頭を下げると、彼は豪快に笑って酒を煽った。
周囲を見ると暖炉の前では弦楽器を演奏している羽根帽子の青年や、その横でうたた寝している老人がいる。暖炉の火が爆ぜて暖かそうだ。
「あなた宿はもう決めてる?」
受付嬢らしき女性が声をかけてくる。
「まだならあそこのリストから選んで。しばらく雨が降りそうだし決めておいた方が良いわ」
彼女はそうウインクしてさらさらと何かを記帳して受付に戻って行った。
彼女が指差した方へ顔を向ける。そこには壁にびっしり羊皮紙が貼られていて、絵が全面に押し出されたものがあれば、細かく文字が書かれているものもあった。
「おう、俺のこの間の勇姿を聞いてくれ!」
突然酒場の中央で、一人の剣を携えた男が椅子の上に立った。
「俺と寄り集まった仲間はあの赤竜に挑んだのさ。奴は硬い鱗に覆われて炎の塊を吐きやがる。だが俺たちは迫り来る大口をかわし、俺は地面を転がり、奴の鼻先を切ってやった!」
すると周囲から歓声が上がり口笛が聞こえてくる。その時足元に猫が擦り寄ってきた。にゃあんと鳴いて喉を鳴らすと膝に飛び乗ってくる。滑らかな黒い毛並みを撫でると、また猫が鳴いた。
「赤竜の喉元に剣を突き立てた瞬間、奴は山を揺らすような悲鳴を上げた!」
彼が拳を上げるとまた歓声が上がる。猫が満足そうに離れていくのを見送り、自分は彼らの盛り上がりを横目に眺め羊皮紙の壁に近づいた。文字ばかりのリストからふっくらしたパンと簡易地図が描かれた羊皮紙もある。ふとカリカリと言う音に目を向けると、木箱を台にして旅人が羊皮紙に羽根ペンを走らせていた。思わず見ていると彼は顔を上げて笑った。
「ああ、これかい?ポーション屋から頼まれた広告文だよ。魔女のおばあちゃんはもうペンが握れなくてね。僕が代筆しているんだ」
そう言って綺麗な文字を並べていく。
「俺の武勇伝を聞いてくれてありがとうな、お前ら!おいマスター!俺からみんなに一杯奢らせてくれ!」
背後でみんなが彼に歓声を送った。しばらくすると人々にジョッキが運ばれ、席に戻った自分のところにも木製のジョッキが置かれた。その頃にはまた店内は落ち着き、窓の雨音と暖炉の火が爆ぜる音が聞こえるほどの喧騒に戻った。
隣を見ると男が二人額を合わせて話している。
「なぁこの話乗らないか?なに悪い話じゃねぇ……」
「その依頼なら、ちと高くつくぜ?」
男達は含み笑いをして一度酒に手をつける。まるで映画のワンシーンのようだ。
自分もジョッキに手を伸ばして酒を飲んだ。ぬるい。でも味は悪くなく、口元の泡を拭った。
そう言えば酒なんて飲んだのはいつぶりだろう。ずっと飲んでなかったなとふと思う。
「ふわぁ〜俺はそろそろ宿に戻るか」
最初に話しかけてきたスキンヘッドの酔っ払いが腹を掻きながらムニャムニャと口を動かす。
「アンタもまた来いよ!じゃあな!」
そう言ってわしゃわしゃと頭を撫でられた。
男が店の入り口に向かうとうっすら雨雲が薄れて朝陽が見えた。
少し眩しいと思った時には目を閉じていた。どこか遠くで聞き慣れた音が響いたのが聞こえた。
うるさい。無意識に手を這わせてけたたましく鳴り響く携帯電話のアラームを止めた。カーテンから光が漏れて朝だと気付かされる。
部屋を見て先ほどのは夢だったのだと息を吐いた。でも小旅行から帰ってきた気分で、少しの疲労感と心地よさに口元が綻んだ。
画面を見ると画像は終わり作者から「またのお越しを」と書かれたタイトルが浮かんでいた。
仕事が落ち着いたら飲みにでも行こう。夢に見た、すこし騒がしいけど居心地のいい飲み屋で。立ち上がりカーテンを開けると窓には夜更けの雨粒が残り、朝日に照らされて静かに光っていた。




