第3話
深夜。医局に戻った私は目の前の現実にショックを隠し切れなかった。
「カップ麺にする先生が悪いんですよ」
そう言って一人そそくさとコンビニ弁当に箸をつける神谷ちゃんの幸せそうな顔。腹が立つ。
「外のコンビニなら開いてますよ?」
「食べ物を粗末にできないでしょ」
「そういうとこ真面目ですよねぇ」
卵焼きを頬張る神谷ちゃんは面倒臭そうなやつを見る目をしている。よし後でそこの唐揚げ盗んでやろう。そう決意して伸び切ったカップ麺に箸を延ばした時だ。
「誰か来ましたね」
医局のドアをノックする音に神谷ちゃんが反応する。この時間に来客など考え難いけどさっきの事故の件で警察でも来たのだろうか。ただでさえ不規則になりがちな休息を取られたくないけど仕方ないから相手してあげるか。
――失礼します
どうぞと素っ気なく入室を許可すると入ってきたのは顔見知りの救急隊員。活動服のままの佐伯くんはまだ現場の空気を纏っていた。
「あれ、佐伯くんまだいたの」
「なんか置いて行かれちゃって」
「えー、なにそれ。ぼーっとしちゃダメだよ」
ヘルメットを腕に抱え入室するドジっ子を笑う神谷ちゃんだけど、なぜ彼がここに残ったのかを彼女はわかっている。もちろん私も。だからなにも言わず静かに食事を続けた。
「みなと中央に送った負傷者は一命をとりとめました」
「……そう」
「一つ、聞いても良いですか」
佐伯くんが私へ尋ねた。
「なに?」
「トリアージ、間違っていなかったですよね」
「間違ってない」
私は断言する。
「タグの色は固定されない。状態が変われば自ずと色も変わる。対象が多ければ尚更」
「……はい」
「少なくとも今日のアレは正しいと思うわ。私も見逃すところだった」
頷く佐伯くんは元気がない。自分たちがトリアージした負傷者が急変して命が危険に晒されたのだ。一歩間違えば、そう思ってしまうのは当然だから彼の気持ちを否定はしない。でも肯定もしない。
「現場は毎回違うからね。今日の事、ちゃんと覚えときなよ?」
神谷ちゃんが佐伯くんの背中をポンポンと叩く。彼にだけ見せる先輩面を少しだけ微笑ましく思う。
「現場での先生、意外と怖いでしょ?」
「え?」
「医局じゃズボラなんだけどねぇ」
余計なことを口にする裏切り者は無視しよう。なにも聞かなかった振りをして汁気がなくなったカップ麺を啜る私を見て佐伯くんが笑う。その拍子に彼の胸元でなにかが揺れた。
「あれ? 佐伯くん、それペンダント?」
神谷ちゃんの問い掛けに佐伯くんが首元に手をやり、代々伝わる家宝みたいな物だと答えた。
装飾はほとんどない銀の指輪。特有の輝きは薄れ、くすんだ色へ変色している。
「現場でも外さないなんて気に入ってるんだね」
「御守りみたいなものなので」
「お守り?」
「なんでも俺の先祖の結婚指輪らしいです」
結婚指輪――何気ないその言葉に私は無意識に自分の胸元に触れた。白衣の下で同じ形の指輪が揺れている。
偶然。そう、ただの偶然だ。
「大事にしなさい」
自然と出たその声は思ったより静かだった。
「これまで守ってきた大切なものならこれからも大事にしなさい」
「はい。ありがとうございました。戻ります」
「はいはい。それじゃ、気を付けてねぇ」
律儀に一礼して医局を後にする佐伯くん。軽く手を振り彼を見送る神谷ちゃんはドアが閉まり、室内に静寂が戻ったところで小さく言った。
「先生もしてますよね。佐伯くんのと同じやつ」
「別になにも無いわよ」
「知ってます。でも本当にそっくりですよね」
「気のせいよ」
そう答えながら、私は指輪に触れる。代々受け継がれている指輪。私が受け継いでからはペンダントにして身に着けているそれには古い言い伝えが残っている。
遠い昔――どこかの国の小さな村に薬師を生業とする少女がいたらしい。彼女にはいつもそばで支える少年がいてやがて2人は結ばれた。私は彼らの子孫になるらしいが半分作り話だと思っている。ただ言えるのは私の家系は代々医師だということ。
「先生?」
ふと気づけば神谷ちゃんが私を見つめていた。
「どうしたんですか。固い顔してましたよ」
「ごめん。ちょっと考え事」
「もう。やめてくださいよ。先生の勘は当たるんですから。ちょっと外のコンビニに行ってきます」
「まだ食べるの?」
「先生の分です。やっぱりそれだけだと栄養不足するので適当になにか買ってきます」
お財布を手にそう言う神谷ちゃんは外出用のカーディガンを羽織り、医局を出て行く。ホント、彼女には頭が上がらないな。
「それにしても、佐伯くんも同じの持ってたなんてね」
神谷ちゃんが出て行き一人になった医局で呟く。彼女の前では気のせいだと誤魔化したけど彼の着けているペンダントの指輪は私のやつと同じものだ。見間違えなんかではない。
言い伝えには続きがある。結ばれた2人には子供が2人いたそうだ。男の子と女の子――2人とも母親と同じ道を進んだそうだが、男の子の方は国を離れ異国の地へ、女の子の方は国に残ったそうだ。そして彼女が残った国は私の生まれ故郷。祖母から聞いた話を半分事実だと思う理由はそこだ。
「――まさか、ね」
久しぶりに思い出した昔話に自然と笑みが漏れる。あれはただの偶然。そして昔話は昔話。
仮にそうだとしてもそんなの関係ない。私は医師として助かる命を助けるだけ。そこに理由や過去は要らない。
なぜなら私は――




