第2話
臨海部を走る高速みなと港湾線。この街を東西に貫く掘割構造の片側2車線の道路。その東行きは緊急車両が車線を塞ぐように配され、ある一点を境に完全に封鎖されていた。
「酷いわね」
消防からの要請で現場へ向かった私はその光景に息を呑んだ。
車5台が絡む多重追突事故。コンクリート壁や地上から聳え立つビル群に無数の赤色灯が反射して眩しい。玉突きを起こした車両からオイルが漏れているのだろうか少し油臭く、なにより事故現場特有のヤなにおいがする。負傷者多数とここへ向かう途中で無線が入ったけどこれは、うん。酷い。
「ウチで全員は厳しいかもしれませんね」
「そうね」
「でもやる。そうですよね」
「わかってるじゃん。行くよ」
「了解です」
力強く頷く神谷ちゃんは救命バックを背負い直し私の後に続く。向かうのは負傷者が集められた救護テント。先着の救急隊によってトリアージされているらしく負傷者の右手にはタグが巻かれている。
「東都医大高度救命センターです。搬送順位は?」
救護テントに入ると同時に助っ人が来たと告げる私に救急隊の一人が駆け寄ってくる。何度も見たことがある城北署の隊員だ。
「佐伯くんたちも呼ばれたの?」
「臨港署の隊が別件で出払っていて。赤をお願いします」
「そんなのわかってるわよ。どの赤タグから先かって聞いてるの」
「え、えっとそれは……」
佐伯くんが答えに迷う。それもそのはず。彼は配属されて半年にも満たない新人クンなのだ。この状態で卒倒しないだけマシだ。
「とりあえず一通り診て決めるわ。神谷ちゃん行くよ」
「はい。それじゃ、あとでね」
神谷ちゃんが先輩ぶるのを横目に手袋をはめて臨戦態勢を取る私。赤タグの負傷者は4人。手前から右大腿部の開放骨折が1人と頭部外傷、あとは外傷無し。見た目だと骨折が最優先ね。
「神谷ちゃん。奥の2人を2次トリアージ」
「わかりました!」
「私はこっちの処置を……ん?」
暫定最優先の負傷者の処置を始めようと屈み込んだ時だ。白衣の裾をつまむ手が見えた。手首には緑色のタグが巻かれている。
「……すみません」
ガードレールに寄り掛かるように座るその男性は途切れそうなか細い声で私を呼ぶ。
「どうしました?」
「さっきより……痛くて……」
「どこが痛みますか?」
「……腹が……横腹が」
途切れ途切れの声に不安を抱き彼の方を見る。その刹那――
「神谷ちゃん!」
私はトリアージに取り掛かっていた神谷ちゃんを呼んだ。叫び声に周囲にいた救急隊の視線が一気に向けられる。
顔面蒼白で冷汗。呼吸も荒くどう見ても緑タグとは思えない容態だった。いくらなんでも初期選別を間違えるとは思えない。要は見抜けなかったのだ。お腹が痛いと言っていた。
「聞こえますか! どこが痛いですかっ」
遠のきそうになる男性も意識を繋ぎ止めるべく声を荒げる私は血圧を測るよう神谷ちゃんに指示を出す。同時にどっちへ運ぶべきか考える。
「あ、あの……」
背後から佐伯くんの声が聞こえる。その様子から城北隊がトリアージしたのだと悟り、彼がどんな状況から救出されたのかを問うた。
「最後部の軽です。運転席に挟まれていました。でも自力で脱出して――」
間違いない。佐伯くんの返答で確信した。この人は――
「先生!」
神谷ちゃんが叫ぶ。男性が倒れ込み間髪入れずに嘔吐したのだ。
アスファルトに散らばる吐瀉物。街灯の光に照らされるその中に血は混じっていない。胃の中の物が圧で押し上げられただけのようだ。
「気道確保して!」
逆流物で気管が塞がれないように指示を飛ばす。私の背後で佐伯くんが後退りするのがわかった。
「逃げるな!」
「っ!」
「あなたたちのせいじゃない。急変しただけ」
「で、でも」
「この人を最優先で運ぶ。準備して」
それ以上の感情は出さず、淡々とこの先のプランを伝えると佐伯くんも力強く頷き返し消防側の指揮隊へ伝令に行く。そう。それで良い。そうやって成長するの。
「……さてと」
ここからは私の戦いだ。ここにいる全員を助ける。まずはこの男性をあいつへ繋ぐために手を尽くす。
「神谷ちゃん。場所交代」
「はい」
彼女と場所を交代して男性の前に片膝を付く私は彼の腹部を触診する。グッと押し込もうとしても押し込めない。腹部板状硬――間違いない。この人が最優先だ。
「神谷ちゃん、みなと中央の早瀬先生に繋いで」
「え?」
「早く!」
思わず怒鳴る私に動じることなくその意図を察して業務用スマホを触る神谷ちゃん。電話が繋がるとすぐにスマホを私の頬へ近づけてくれる。視界を遮らないように口元までは寄せず、私の動きに合わせてくれる。やっぱりこの子とは相性が良い。
『――はい。みなと中央救命の早瀬です』
電話口の彼女は他人行儀だ。神谷ちゃんのスマホから掛けているからだろうけど口調に違和感がある。
「私よ」
『エレナ? どうしたの』
「そっちに回して良い?」
『もしかして港湾線の事故?』
早瀬理緒――みなと中央病院の救命センターの医師。全て言わずとも状況を理解してくれる。さすが私の戦友だ。
『状況は?』
「赤が4、いや5人。できれば2人回したい」
『ごめん。赤は厳しい。さっき別件で受け入れたの』
「時間が無いの」
『……容態は?』
少しの間。理緒は一瞬だけ考えるが答えを出してくれた。
「腹部板状硬。たぶん脾臓」
『わかった。その人だけなんとかする。トランサミン入れて90キープ』
「もうやってる」
『了解。オペ室空けさせるからとにかく急いで』
今度ランチを驕れと言う理緒はそのまま電話を切る。そのタイミングを見て神谷ちゃんがスマホを私から遠ざけてくれる。そして搬送準備が整え待機している救急隊を呼び寄せ搬送先の指示を出す。
「先生が処置をしている人を最優先で。搬送先はみなと中央。向こうには先生が伝えています」
「神谷ちゃん。次向こう行くよ」
「了解です!」
応急処置を終えて男性を救急隊へ引き継ぎ、残りの負傷者の処置へ向かう。赤タグは残り4人。全てウチで受け入れるけど順番は決めないといけない。無論、誰かを見捨てるつもりなど全くない。全員を助ける為に選別するのだ。現場で待機している救急隊は搬送準備を整えている。
「あとで嫌味言われますね」
トリアージ中、神谷ちゃんが苦笑いする。仕方ない。いくら3次救急――最後の砦でも限度はあるのだ。一度に緊急オペが必要な怪我人を複数受け入れれば現場は混乱する。それでも私は迷わない。とにかくいまは目の前で助けを求める人を救うだけだから。




