幻覚
俺が幻覚を見始めたのは、新卒で入ったブラック企業の営業の仕事を1ヶ月で辞めた1週間後からだった。
初めは、空中を魚が泳いでいたり、街中を兵隊さんが行進していたりと、そこにいる筈のないモノが見える程度で、生活に支障をきたさないからあまり気にしなかった。
だが、困ったことになったのはそんな生活にも慣れ始めた2ヶ月後のことだった。
俺に付き纏う女の幻覚が見え始めた。
それに気づいたのは、二日酔いで目覚めた時だった。
目が覚めると俺と同じくらいの歳の女が、俺を覗き込んでいた。
見た事もない女が、床に横たわる俺を覗き込んでいたのだ。
俺は一瞬で『あ、幻覚だな』と理解した。
なぜなら俺は23年間生きてきて、女と関わりを持ったことがなかった。
無縁だったのだ。
それがいきなり、俺の部屋に現れ、「大丈夫?具合悪い?」なんて聞いてくる。
幻覚の他なかったのだ。
女は常に俺の視界に入っていたが、風呂とトイレへ行く時だけは現れなかった。
気まぐれに、なぜなのか聞いてみたことがあったが、少々怒ったような、困ったような顔をして、「一緒に入りたいの?」と質問返しされてしまった。
女は相変わらず俺のそばで、都合の良い、耳障りの良い言葉ばかり投げかけてくる。
俺はその度に『ああ、やっぱり寂しい俺が作り出した幻覚だ』と再認識する。
魚は相変わらず空を泳いでいる。
そんな生活も3年続いたが、通院を続けていたおかげか、段々と症状が軽くなってきた。
空中を泳ぐ魚は段々と減り続け、街中を行進する兵隊さんもついには見なくなった。
だが、3年経った今でも女の幻覚は消えていない。
それどころか、俺に話しかける頻度が増えていった。
見え始めた最初は優しかったのに、最近は「ねえ、聞いてる!?」とか、「そろそろ、次の仕事探しなよ!」なんて怒る時もあるくらいだ。
幻覚に怒られるなんて、ストレスだった。
俺は日に日に、女の幻覚に対して怒りを募らせていった。
せっかく他の症状が良くなったのに。
あとはお前さえ消えてくれれば完治したと言えるのに。
お前さえ消えれば、仕事探しだって始められるのに。
お前さえ……お前さえいなければ………
ふと気がつくと、外が騒がしかった。
窓の外からはパトカーのサイレンの音と、玄関からは、お隣さんが何やら怯えながら説明する声が聞こえてきた。
近くで何かあったのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は延長コードを片手に、部屋の真ん中で佇んでいた。
俺の足元には、目を見開き、泡を吹いた女の幻覚が横たわっていた。




