まえ歯のない吸血鬼とジャムパン
夜の帳が下りる頃、町の外れの古い洋館では、コトコトと鍋が鳴る音がします。
そこには、吸血鬼のヒースが住んでいました。吸血鬼といっても、彼の口元には鋭い牙がありません。かつて、凍えて震えるおばあさんに「これがあれば一生、悪い病気にならないよ」と嘘をついて、自分の一番丈夫な牙を抜いてお守りとしてあげてしまったからです。
牙を失ったヒースは、もう血を吸うことができません。その代わりに彼は、真っ赤なイチゴを丁寧に煮詰めたジャムを作るようになりました。
「甘い匂いが、誰かの窓を叩きますように」
ヒースは出来立てのジャムを厚切りのパンにたっぷり塗って、夜の街へと出かけます。
街の公園のブランコには、少女アンナが座っていました。彼女は学校でうまく笑うことができず、いつも自分の心の置き場所を探しています。
「ねえ、おじさん。そんなマントを着て、ハロウィンの準備?」
アンナが冷めた声で言うと、ヒースは困ったように笑い、ジャムパンを差し出しました。
「これはね、夜が終わるのが怖くなくなる魔法のパンだよ。食べてごらん。口の周りが赤くなって、ちょっとだけ悪い子になった気分になれるから」
アンナは不審そうにパンを受け取りました。一口かじると、甘酸っぱくて、少しだけ焦げたような、温かい匂いが鼻をくすぐります。
「……変な味。昨日泣いたこと、全部バレてるみたいな味」
「それはね、僕が寂しさも一緒に煮込んだからだよ」
ヒースはブランコの横に腰を下ろして言いました。
「僕には前歯がないんだ。誰かを傷つけるための武器がない。でもね、そのおかげで僕は、誰かに美味しいと言ってもらう喜びを知った。アンナ、世界はきらきらしているものばかりじゃないけれど、暗闇の中でしか見つけられない光もあるんだよ」
アンナはパンの耳を噛み締めながら、ポツリと言いました。
「私、明日の朝が来なければいいって思ってた。でも、このジャムの味が明日も続くなら、少しだけなら起きてみてもいいかな」
ヒースの胸の奥が、小さな星を飲み込んだように「きらっ」と光りました。
夜明けが近づき、街の輪郭が白んできます。ヒースの体は朝日に弱く、少しずつ透き通り始めました。
「もう行かなくちゃ」
「待って、ヒース! また会える?」
アンナが手を伸ばしましたが、ヒースは優しく首を振りました。
「ジャムの瓶が空になったら、夜空を見上げて。一番星が、僕の抜けた前歯みたいに白く光っているはずだから。それを合図に、僕はまたパンを焼くよ」
ヒースは消えていきましたが、アンナの手のひらには、甘くてベタベタしたイチゴの香りが、消えない思い出のように残っていました。
空には、まだ三日月と一番星が残っています。それはまるで、少しだけ欠けた笑顔のように、優しく世界を照らしていました。
アンナはカバンから、学校へ持っていくための筆箱を取り出しました。 「おはよう」 練習した言葉を、まだ誰もいない公園の空気に向かって、そっと放ってみました。
その声は、朝の光に反射して、目に見えないくらいの小さな粒になって、キラキラと空へ昇っていきました。




