夜の自動販売機
深夜ニ時、ベッドの中でXをスクロールして世の中の光に張り付く。
今日も眠れない。
政治の汚職だとか芸能のゴシップだとか、自分と一切関係なく行われるそれは、自分の深い何かを忘れさせる様に意識を背けることが出来る。だがその時間も、もう終わりだ。何度スクロールしても新しい情報は得られないのだから。
「つまんねぇな……俺」
蒸し切った布団の中から抜け出し、財布を持って部屋を後にする。寝静まった親を押さないように慎重に歩きながら、玄関から家を出た。
深い暗闇の中、ただ歩く。
踵の擦り切れたボロボロのスニーカーで、固く湿ったアスファルトを踏み締め、夜の道路を一人歩いていた。
ここは田舎だから、街灯はまばらで間隔が広い。街灯の光と光の間にある闇は、都会の人間が想像できない程に深い。ゆえに、本来ならこんな時間に出歩くべきではない。
遠くの光をみながら、暗闇の中にあるものに目を向ける。夏が過ぎ去り、少し冷えた風が肌を撫でている。この時期の夜はジャージ一枚だと肌寒い。周りの田畑からカエルや鈴虫の声川の音もよく聞こえる。昔から聴き馴染んだ音だ。
見上げれば星の光が見えた。空気が澄んでいるからか、夏の空よりもよく見える。
ふと持っていた携帯を開き時間を確認する。午前2時13分。
そのあと、流れるようにXを開いて何かを見ようとする自分に嫌気がさし、すぐに閉じる。
少し先には光。真夜中の街に不釣り合いに輝く自動販売機の光があった。ポケットにしまった財布に手を掛けて、手と足を止める。
自動販売機の目の前に誰かがいたからだ。不審者かと警戒しながら少しずつ近づくと、輪郭がはっきりしてくる。そこには少女が佇んでいた。年は高校生くらいで、フードを被った少し背の小さい女の子。携帯をいじっているわけでもなく、自販機に寄りかかり、ただ星のある空を見つめていた。その姿は、少し寂しそうに見えた。
「こんばんは」
しばらく立ち尽くしていると、不意に少女はこちらを見て挨拶をする。
「うわっ、……こんばんは」
こちらに気付いていると思わなかったので、思わず驚いた声をあげてしまった。というか、挨拶したのなんて何ヶ月ぶりだろうか。
「おじさん…はこんな時間に何してるんですか?」
動揺する俺をよそに、少女は真っ直ぐにこちらを見て首を傾げた。
「お、おじさん?」
おじさん。自分を呼ぶ音として聞き馴染みのないそれ。そう呼んだ彼女の声に鸚鵡のように聞き返すことしかできなかった。
ただ、自分に向かって言われていることはわかる。ここに居るのはどう見ても自分一人しかいないからだ。
「そう、おじさん。こんな遅い時間に何で起きてるのかなーって」
この歳でおじさんか。今年で23歳になるのだが、高校生くらいの若者にはそう見えるのだろうか。少しショックを受ける。
「あ〜、眠れなくてね」
突然の質問だったが、バツの悪くなった手を首に当てながら正直に答える。
「そうなんだ」
少女は無感情にそう答え、一拍。鈴虫の鳴き声と自販機の駆動音が鳴り響く。
「そしたらまあまあ歩くことになった」
「あはは、ここの自販機やけに遠いよね」
少女は少しはにかんでそう言う。しばらくの沈黙の空気の後、会話は途切れた。
自販機の前まで来ると、寄りかかっていた少女は買いやすいように少し横にずれる。
俺は硬貨を取り出して自販機で缶のホットコーヒーを購入する。丸く光ったボタンを押すと電子音の後にガタンとコーヒーが落ちる音がした。
しゃがみ込んで缶コーヒーを取り出しながら、必死で考えた質問を相手に投げかける。
「君はここで何してるの?」
すると、少女は少し意外そうにしながら質問に答えた。
「私は……ちょっと考え事してた」
「どんな考え事?」
お年頃と言ったやつだろうか。未成年、深夜の外出、静寂の中で一人物思いに耽る。自分も経験がないわけではない。
俺は取り出したコーヒーを持って手を温めながら、自販機の端に寄りかかる。
「うーん、私って誰なんだろうなぁ。とか?」
彼女は少し考えるようにして答えた後、遠い空を見上げた。
「それは変わった考え事だ」
「でしょ?」
そう言うと、彼女は同じように空を見上げた俺を覗く。
「そう言われても、ただの女子高生に見えるけど」
視線を移し、上目遣いでこちらを覗く少女に目を向ける。
「ただの女子高生かぁ、こんな時間にこんな所にいるのは普通の女子高生かなあ?」
そう言うと少女は、体を起こし俺の前まで移動する。
深くかぶったフードを両手で下ろすと、中で押し込められていた黒髪が柔らかく流れ落ちる。
パーカーの袖を掴んで片足を後ろに引き、軸足を支点にして、バレリーナのように華麗に一回転した。
セミロングの髪とスカートがふわりと舞い、オーバーサイズのパーカーの裾が少し遅れてついてくる。
揺れたセーラーのリボンが、夜風に光を返した。
遅れて届いたのは、爽やかなシトラスの香り。
少女は華麗なターンを決めたあと、どうだと言わんばかりにこちらを見上げた。
「どう見てもただの女子高生です」
俺は簡単に、そう答える。
一瞬、綺麗な少女だとは思った気持ちは無いわけではない。しかし、それを伝えたとて変に下心があるように思われても困る。
何より、大人としてこのドヤ顔に屈する訳にはいかなかった。
「うーん、TikTokとかテレビとか見ないタイプ?」
少女の整えられた眉が片方吊り上がり、切れ長の目で不思議そうにこちらを覗く。
「見ないね。流行には疎いもので」
質問の意図がわからなかったが、今のは流行りのメイクやダンス動画のミームだったりするのだろうか。だとしたら反応が悪くて申し訳ない。
「そっか、普通の女子高生か」
少女は歩き出すと自販機に寄りかかり、再び横並びになる。
「じゃあ、それでいうとそっちはただのおじさんだね」
「ただのおじさん……いうほどおじさんかな……」
視線を下に落とし、自分の姿を確認してみる。ボロボロの靴に着慣れたジャージ、下を向いた時に少し伸びた髪が鬱陶しくなって来たが、これは年齢が出るものでもないか。
「うーん、いうほどおじさんですねぇ。ちなみに今幾つくらいなんですか?」
「え、一応23歳だよ」
缶コーヒーを開け、口に含む。苦味と共に広い口からコーヒーの芳醇な香りが薫る。
「え?23歳?……全然見えない」
空いた口を手で隠し、驚いた顔を見せる彼女。そして俺の心には大きな穴が空いた。気がする。
距離を詰めて、覗き込むように目の前まで迫る彼女。少しだけ暖かい吐息が肌に当たる。
「大学生?」
「いや」
「じゃあ、フリーター?」
「いいや」
二口目、コーヒーを飲む。さっきよりも少しだけ苦い。香りもちょっとだけ薄い。
少女は顎に人差し指を置き、首を左右に傾けて質問を続ける。
「自営業とか、クリエーターとか」
「いーや?」
「ん?……じゃあ何だろう。」
平静を装いきれない俺と、一生懸命に考え続ける彼女。気まずい。
学生でもフリーターでもないとすれば、答えは一択しかないのだから。
「うーん…………あ、無職」
「……正解」
三口目。苦い。香りはもう感じない。
「やった〜」
とても苦い顔をしているであろう俺を尻目に、彼女はニヤニヤしながら満足そうに喜ぶ。
「俺の事はどうでもいいでしょ」
自分自身のどうしようも無い現実にため息をつきながら、コーヒーの蓋を閉める。
「ふふ、そうだね。でも、そんなこともないがしれないよ」
少女は不意に体を起こして、向かいへと歩き出す。自販機のネオンの光が揺れる。
「というと?」
「人は自分のことを映す鏡だ。と、どこかの誰かが言いました」
「私にはあなたがおじさんに見えて、あなたは私のことがただの女子高生として見える。私もあなたもそれに疑問を抱くけれども、案外その視点の方が本当なのかもしれない」
「他人から見た姿が本当の姿だと?」
「その通り」
つまり、他者からの評価が、外面的な自分自身を正しく表す指標。と言うところだろうか?
「他人に自分を決められるのは嫌だな」
「ふふふ……おりゃあ!」
パシャリと携帯のシャッター音と共に、カメラのフラッシュが炊かれる。
どうやらいつの間にか取り出した携帯で、俺の姿を撮ったらしい。
「眩しっ」
「これ見て、よく撮れてない?」
そう言いながら、写真を見せるために真隣まできた少女は携帯の画面をこちらに見せる。
「俺?……こんなヒゲ伸びてたのか」
画面の中では髭の生えた不健康な猫背のおじさんが、ジャージ姿で立ち尽くしていた。
写真を見ながら、まばらに伸びた髭をじょりじょりとさする。
これではまるで深夜に徘徊する不審者じゃないか。
「はははっ、クマ…クマもやばいよ!こわーい!」
写真のズーム機能限界まで引き伸ばしたおじさんの目元は、真っ黒なクマで不健康さを加速させていた。
「クマいっぱいだからクマの耳つけちゃおーっと。あと頬を赤らめてっと…」
スタンプ機能でデコレーションされたおじさんは、余計にキモ……奇妙なデザインと化している。
だが、こんなに自分の写真で遊ばれていたとしても不思議と悪い気はしなかった。
「こんな不審者に声かけられたら怖いかもな」
「でしょ!普通におじさんなんだって〜」
そこは流石に否定して欲しかったが、完全に同意されてしまった。この写真の中の人物像ではしょうがないか。
「じゃ、選手交代。私の事も撮ってくれない?」
携帯をポケットにしまうと、数歩ほど歩いて俺の前に立つ。
「良いのか?こんな不審者に撮られて」
「いいよ、特別サービス」
振り返り、髪の毛を少しいじった後、手を後ろで組んでこちらのことを見る。なんでもないポーズだというのに、自信に満ち溢れてるように見えた。
「いつでもどうぞ」
携帯のレンズ越しの少女は、自販機の明かりに照らされ妖しく映る。慣れないながらもフラッシュのアイコンを探し、有効に切り替えてから少女を中心に捉える。そしてシャッターのボタンを押した。
カシャリ
「みせてみせて」
少女はすぐに隣へとやってきて、俺の携帯を覗いた。
「これで良い?」
少し手間取りながら写真アプリを開いて、先ほど撮影した写真を携帯に映す。
「めっっちゃ不細工だ! おじさん、写真撮るのへったくそだねー!」
そこにはフラッシュで真っ白になった少女の姿が映っていた。
「あははは、これはフツーの女子高生! ……いやちょいブサかもしれませんねぇ」
何が面白いのか、しばらく笑っていた。言うほど下手に撮れているとも思えないが。
「ね、おじさんは自分のこと何だと思ってた?例えば、もっとかっこいいはず!とか、もっと若かったはず!みたいな」
人差し指で涙目になった目を拭いながら、そう問いかける。それを受けて、先程の写真を思い出しつつ、今までの自分はどう考えていたのか思い浮かべる。
「うーん、一応あるけど、笑われないか心配だ」
「いいよ、もうめちゃくちゃ笑っちゃったし」
俺は腕を硬く組みながら、今までの自己認識を開示する。
「控えめに言うならば」
「うんうん」
「童顔でスタイルの良い、近所の頼れるお兄さん」
「実際は?」
「髭面で背の曲がった、近所の怪しい不審者……って何を言わせてるんだ」
「だよねー」
だよねじゃない。
それにしても、ヒゲはこんなにも伸びていくものなのだな。高校生の時点では全くと言っていいほど気にしなかったが、成人してから増えていくとは思っていなかった。
そして、少し生えているだけで大幅に印象を左右している。主に悪い方向に。
「君は?」
「ユカリでいいよ、名前」
「無理。君は君、知らない女子高生だろ」
「あははっ、そっか」
なんとなくそう見てほしい雰囲気があったので、即座に否定する。それに、俺は人の名前を覚えるのが苦手なのだ。
「私はね、超絶美少女。それはもうとんでもなく美少女だと思ってた。清楚で、可憐で、非の打ち所がない優曇華の花」
「でもどうだった?」
「ぶっさい!こんな変な顔した奴、原宿とか新大久保に無限にいるよねって感じ」
流石に言い過ぎなのではないかと思ったが、本人が言っているのだから良いのだろう。それに、自分への悪口を言っていると言うのに楽しそうだった。
「ショック?」
「うん。でも、なんか気持ち軽くなったかも」
少女は大きく伸びをしながら、ふーっと息を吸い込む。
「俺も……何というか、今なら何でもできそうな気がする」
胸の奥で掛かっていたモヤみたいなものが取れて、だいぶ動きやすくなった。というより動き出したい。そんな気分だった。
「犯罪?強盗?詐欺……もしかしてシリアルキラー?」
「やめてくれ、外見差別だ」
「冗談冗談」
いや流石に言いすぎだ。
「そんな風に見える最底辺の自分でも、こうやって話してくれる人がいるのはさ、嬉しいんだよ」
「何ができるかは分からないけど、何かやってみようと思う」
「バイトとか?」
「バイトはちょっと……へへ」
「えー?へへへ」
お互いに顔を見合わせて、妙な笑い声を上げる。それは言葉にならない謎のやりとりの時間だった。
何をやりたいのかは明確には言葉にできない。思い浮かばない訳じゃないが、言葉にしてしまうと嘘になってしまうような、そんな気持ちがしていた。
「私はちょっと気張りすぎてたかな。別にどうでもいいことは適当でいいやって」
「学生は色々抱えるもんだしな」
ふと白んだ記憶を思い出す。学生時代はそれはそれで大変な時期だった。
「だね。ま、お互い適度に頑張って行きましょーってことで」
大した夢がなくても、揺るぎない心情がなくても、それでもいいのだ。俺たちは大した人間ではないのだから。
「じゃ、私向こうだから」
「うん、じゃあ気をつけて」
彼女は片手でフードを被り直すと、胸の高さで手を振りながら元来た闇へとゆっくり消えていく。
俺も軽く手を上げて、それに応えた。その時、外に出て良かった。そう思った。
夜の道路を一人で歩く。歩きながらも考える。自分の人生とは何だろうか。何のために生きたら良いのだろうか。答えのないその問いは、今も頭の中で回り続ける。
長いトンネルの中にいるかのように、明滅する夜の明かりを頼りに、闇と光を繰り返し通過していく。
だが、見知らぬ女子高生に笑われる程度の人生だ。ハードルを低く考えて仕舞えば良い。そういった感覚で、今は生きていけば良いのかもしれない。
部屋につきコーヒー缶の半分を飲みながら、窓の外を見る。日が登って来てあたりは明るくなり始め、次第に朝焼けが顔をのぞかせる。
ふと携帯を開き、Xのおすすめ欄を見ていると、有名らしい女性アイドルが投稿した一つのポストが目に入る。
彼女はよく分からない画像をテキストもつけずに投稿していた。そこには見切れたジャージ姿の誰かと、背後に映る夜の自販機の姿があった。




