アヴィセンナの著書第6章に関する研究
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
アヴィセンナの書物の第六篇には、地球とはまったく異なる進化を遂げた「サララ族」という異星生命体についての記述が見られる。
彼らは常に二体一組で生活する。
雌が雄に生命エネルギーを分け与え、雄はその力を糧として外界へ狩りに出る――両者の役割分担は極めて明確であり、これを「双星共生」と呼ぶ。
しかし、その共生が破綻した一組のサララ族が物語の中心となる。
若い雄のサララは、毎日のように狩猟に出かけ、獲物を家に持ち帰った。
彼は誠実であり、真面目であった。
彼の伴侶である雌も、初めのうちは温かい光のようなエネルギーを惜しみなく与え、二体は互いを星のように照らし合っていた。
だが、いつからか、雌は変わった。
雄が狩りから戻っても、その光は弱々しく、冷たく、
そして出発の前に与えられるべき活力は日に日に減っていった。
雄は理由を問おうとしたが、雌は黙したまま目を逸らすだけであった。
ある日、雄が狩りから戻ると、住居の内部に異様な波長の振動が漂っていた。
そこには、彼らの社会で忌避される「寄生種」がいた。
しかも、その寄生種は、雄がかつて愛した雌に深く絡みつき、
彼女自身もまた、寄生種と同じ波長を放つ「第二の寄生存在」と化していた。
二体は、雄が帰還したことにさえ気づかぬほど、安穏と身体を絡めていた。
雄の内部で、長い間抑えていた暗い衝動が爆ぜた。
彼は怒りに任せ、寄生種を引き剥がし、
そして二体を――かつて愛した者をも――殺した。
静寂だけが残った。
この寓話について、かつて私に深い洞察を与えてくれた雲川博士は、次のように述べている。
「あの宇宙人の夫婦は共生ではない。
共生とは互いを知り、互いに語りかけ、互いに成り立つ関係である。
この宇宙人の雄と雌の関係には、その要件が欠けていた。
彼らは本質的には赤の他人だったのだ。」
博士の主張は明快であり、科学的でもある。
しかし、私はどうしてもその結論に同意できない。
共生とは、たしかに現象学的には「成立している関係」を指す。
だが、本質的な共生とは、本来「成立しうる可能性」までも含めて語られるべきではないだろうか。
雄は努力した。
彼はエネルギーを受け取り、食糧を運び、
その循環を永続させようとしていた。
もし雌が――ただほんの少しでも――彼に歩み寄ろうとし、
もし寄生種に呑み込まれる前に意志を向けていたなら、
彼らは真の「双星共生」を築けたはずだ。
共生とは、現に成立している関係だけで評価すべきものではない。
成立しえた関係の輝きをも含めてこそ、その価値を測るべきだ。
少なくとも私はそう考える。
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