アヴィセンナの著書の第一章についての研究
これは論文に見せかけた物語の第2話です。皆さんに楽しんでいただけたら嬉しいです。
神聖ローマ帝国のルネサンス期において、最も謎に満ちた知識人の一人、ルドルフ・レンホッフェンは、『宇宙の進化』第一章に深い関心を抱き、人生の大半をその研究に費やした人物である。彼の残した断片的な書簡と未完の論文群から、彼がこの章に含まれる神秘的な宇宙生成論に強く惹かれていたことは明白である。
この第一章において述べられているのは、いわば生命の根源的起源である。著者アヴィセンナ・アル・ファラービによれば、神(どの宗教の神かは重要ではない――この書はあくまでも汎宗教的な視点を採る)によって選ばれた存在、すなわち天使たちは、彗星のような姿をした霊的存在として、地球に降臨したとされている。
彼らは、全エネルギーを費やしながら「命の火花」を地上にもたらし、最初の生命体――単細胞生物――を誕生させた。この火花は、ある種の神的な自己犠牲の行為であり、それ以降、地球上の全生命体はその「火花」を絶やさぬために存在し続ける使命を背負わされた。
アヴィセンナの記述において興味深いのは、初期の単細胞生物たちが個としての価値を持たず、ただ「生命という現象」の維持・拡張のために存在していたと描かれている点である。進化とは、無数の命の喪失と苦痛の果てに生命の継続性が選ばれた結果であり、初期生命は常に非人間的な過酷さと向き合っていた。
この記述に対し、レンホッフェンは非常に独自かつ政治的な解釈を加える。彼はこれらの単細胞生物たちを**「見えざる天使たち」(Angeli Invisibiles)と呼び、彼らの無私の自己犠牲を国家の理想像**として称賛した。すなわち、個人の幸福や自由よりも、より大きな「生命=帝国」の繁栄こそが重要であり、それに身を捧げるべきだという思想である。
この思想は、レンホッフェンによる神聖ローマ帝国の再統一と拡大の理論的根拠として用いられた。彼の主張によれば、生命の誕生そのものが「犠牲に基づく繁栄」である以上、人間社会もまた、同様の法則に従うべきだという。
しかし、私(この論文の筆者)は、この解釈には根本的な誤りがあると考える。
レンホッフェンは、進化の主体である単細胞生物に意志や崇高な理想があったかのように語るが、それは明確な誤読である。彼らは知性も自由意志も持たない存在であり、ただ物理的・化学的な法則に従って変化し、生き延びたに過ぎない。
したがって、その「自己犠牲」を美徳化し、それを人間社会に応用しようとすることは、根源的に危険な政治思想であると私は主張する。単細胞の進化的忍耐は偶然と強制の産物であり、道徳的選択ではない。人間社会においては、自由意思と倫理的判断が存在する以上、同列に扱うべきではない。
レンホッフェンの解釈は、『宇宙の進化』の本質を読み違えた一例であり、それが歴史的にいかに多くの誤用と正当化を生んできたか、我々は注意深く検証せねばならない。
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