方言女子は異世界の聖女になるようです
「な、なんしちょーの!」
白を基調とした厳かな雰囲気を漂わせる広間に、なんとも間の抜けた声が響いた。
広間の中心にはぼうっと光る水晶。その隣に座り込んでいる声の主は、セーラー服を見に纏い。
忙しなく右に左に頭を振り、黒髪のショートヘアをぴょこぴょこと踊らせていた。
そんな少女を囲むのは、神官服を着た男たち。
頭の上に疑問符を浮かべ、呆然と立ち尽くしている。
その中で最も早く我に返ったアレクセイは、本を片手に少女の前に跪いた。
「聖女様にご挨拶申し上げます。
ずっとずっと、お待ちしておりました」
そう琥珀色の瞳を歓喜で潤ませ微笑んだ――。
****
「なんしちょーの!!」
嫌な夢にがばりと勢いよく飛び起きて、叫ぶ。
と、キラキラとカーテンを通り抜けた太陽の光に目がしょぼつく。
「……ふぇ?」
ゆっくりと瞼を瞬く。
「「「「「おはようございます。聖女様」」」」」
一斉に頭を下げる、見覚えのある神官服を着た女性たち。
体から力が抜けていく、そんな感覚に襲われる。
「ここはどこかいね!?」
「ど……?
ここはメントーリ王国、キュスタ大神殿でございます」
「め、めんとりー?きゅ……?」
「メントーリ王国、キュスタ大神殿です」
どこですか。
「わたし、家にえんでも?」
「それは困りますね」
耳触りの良い声がしたほうを向くと、腕を組んで扉にもたれ掛かる御仁がいた。
肩にかかる金髪をふわりと揺らして、静かに歩いてきた。これまた見覚えのある顔だ。
「聖女様。昨夜は失礼いたしました。
私どもが驚かせてしまったようで、お気を失われてしまわれて……心配しておりました。
ゆっくりおやすみいただけましたか?」
「はあ……」
無駄に神々しく、無駄に美しい。
「大神官アレクセイと申します。
お名前をお聞きしても?」
「……、遥香です」
「ハルカ様、私の話を聞いていただけますか?」
そう言ってアレクセイは柔らかな声音で続けた。
ここ大神殿では数十年に一度聖女を迎え入れていて、選ばれたハルカは聖女として扱われること。
――そして、元の世界に戻ることは出来ないこと。
「なして……?」
アレクセイは光に透けそうな金色の睫毛を伏せ、ゆっくりと顔を伏せた。
「……一度迎え入れられた聖女様が、お役目を放棄することはできません」
そして戸惑うように小さな声で告げた。
「そげん勝手な!
わたしは望んでないっていっちょーが!!」
アレクセイはこちらに視線を寄越さず、読み込まれたせいか装丁の擦り切れたを懐から本を取り出してパラパラと捲っている。
――なに、わたし無視されてるの?
「はやことえなんと
ばぁちゃんが待っとるけん!!」
パラパラとページを捲る音がした後、アレクセイが眉尻を下げて躊躇う様子を見せた。
「お祖母様は、ハルカ様が昨日この国に招かれることをご存知でしょう?」
「――え、?」
思いもしない言葉に、震えた唇からは掠れた声が抜けていった。
****
『ハルカや、ごぎゃん育ってごしてありがとうね。
……ええしがよおしてごしなーけんね。こらえるだわね。ばぁちゃんはいつもハルカの幸せをお祈りしとるけんね』
ばぁちゃんが唐突にそんなことを言ったのは昨日の朝のことだった。
いつだって朗らかに笑うばぁちゃんが、その時だけは神妙な表情を浮かべていたのを覚えている。
久しぶりにぎゅっと包まれた手は、カサついて皺皺で、しかし柔らかくて安心する温もりもあった。
『学校が終わったらハンドクリームを買いに行こうかな』そんなことを考えた。
「急にどうしたの、ばぁちゃん」
そう笑ったわたしを、ばぁちゃんは家の前で見送ってくれた。
そして、その通学路でわたしはここに飛ばされた。
両親が事故で早くに亡くなり、わたしと兄と姉を一生懸命育ててくれたばぁちゃん。
定年を迎えた体で三人も育てるのは、容易ではない。幸い両親がお金は残していたらしいけど。
まだ赤ちゃんだった私は毎日夜泣きをしてその度にばぁちゃんが抱っこして夜空の下を散歩したんだ、といつも誇らしそうに笑って話してくれた。
私が友達と喧嘩して落ち込んでいる時には、何も言わずに大好物のエビフライを作ってくれた。
そんなばぁちゃんが、大好きで。
早く一人前になって、食べることが好きなばぁちゃんに美味しいものをいっぱいプレゼントしたい。
それが私の夢だったのに。
私たちを別つのは死だけだと、そう思っていたのに。
「一番聖力の強い子は十八になったその日、ここに来ることとなっていると聞いています。それが初代聖女様からの取り決めだそうです」
初代聖女様はわたしの先祖だった。
その方は強い聖力を持っていて、召喚儀式でこちらにやってきた。
元の世界では聖力を放出することができないため聖力の暴走でいつか命を落とす。
しかしここではその聖力が求められた。
お互いの利害が一致したため、初代聖女様は取り決めをつくった。
そしてわたしの家の家主と契約を交わしたらしい。
その家を引き継ぐ者で一番聖力の強い者を聖女とする、と。
ばぁちゃんは分かってたんだ。
姉はもう十八を超えている。
他に従兄弟もいないし、家を継ぐ者ではない。
湿っぽい雰囲気が苦手だったばぁちゃんは、あえて言わなかったんだと理解はできる。
できるけど――
「なして教えてくれんかったの……?知ってたらもっと、」
伝えたいことが、いっぱいあったのに。
ポロポロと次から次へと涙が頬をつたい、手の甲に落ちる。
「まだハンドクリームだって、買ってないに……」
アレクセイは周りにいた女性たちに下がるよう目配せをした。
そうしてさっき開いていた本を、絨毯ではなく大理石の床に置く。
「ハルカ様、私はお側を離れるわけにはいきません。ですが、いないものだと思っていただけると」
アレクセイはハンカチを布団の上に置いてから、窓のそばの椅子に腰かけた。
それから懐にあった本を出して視線を落とした。
もっと嫌な人だったら、良かったのに。
ぶつける場所を失った怒りの感情は、宙ぶらりんだ。止まることを知らない涙は、更に出てくるばかりだった。
でも、ハンカチは使う気になれなかった。
現状を許したようで、受け入れたようで気に入らない。
涙が溢れないよう、上を向きグッと制服の袖で拭う。セーラー服の生地は薄めだ。
すぐにじわりと温もりが染み込んだ。
わたしが生きるためにはこの世界にいる。
それは初代聖女様の優しさだとわかる。
それでもこんなに突然の別れなんて受け入れられない。
わたしは昨日が誕生日だと言うことも忘れていたくらいなのに、ばぁちゃんはどんな気持ちで昨日を迎えたのだろう。
どんな気持ちでわたしを送り出したんだろう。
――ばぁちゃん。ばぁちゃん。ばぁちゃん。
こんな事になるなら、もっと……。
『ばぁちゃんはいつもハルカの幸せをお祈りしとるけんね』
ばぁちゃんの言葉が浮かんでは消える。
「きしゃが悪くてあばかんわ。でもこらえるよ、ばぁちゃん。だけん……」
聞こえてほしくない。
けど口に出さずにはいられず、小さくつぶやいた。
いつの間にか柔らかい朝日は、ギラギラとした日差しに変わっている。
これ以上水分の吸えなくなった袖をぱたりと下に落とす。そして浮腫んだ瞼を開いて、ゆっくりと彼のほうに顔を向けた。
カーテンが風に揺れ、たまに差し込む光がアレクセイの柔らかそうな金髪を照らす。
肌は不健康に見えるほど、白い。
足を組んで本を読む姿は聖職者に相応しくないと思うのに、やっぱり無駄に神々しい。
そして無駄に美しい。
なのに、スーッと消えてしまいそうな、儚さを孕んでいる。
「あなたは、大切なひとはいないの?」
そう、小さな声で訊ねた。
「大切なひと?」
「失ったら我を忘れそうな、そんな人」
「……いません」
アレクセイは困ったように、目を伏せるだけだった。
だからそんなに冷静な態度が取れるのね、そう口から出てしまいそうで、キュッと唇に力を入れた。
もっと冷静になるべきだと、わかっているから。
また顔を歪めたわたしを見て、アレクセイは視線を彷徨わせて口を開いた。
「ハルカ様も、同じ言葉で話すことも出来るのですね」
「どういうこと?」
「先程までは違う言葉で話していらっしゃったので、二代前の聖女様方と同じなのだとばかり――」
違う言葉とは方言のことを言ってるのだと、なんとなく理解した。
今は大体標準語で喋っているつもりだから。
「感情的になったりすると、つい出てしまいます。
けど、話せます」
アレクセイはあからさまに安堵の表情を浮かべた。
椅子から立ち上がって、大理石の床に置かれたままの本を拾いあげる。
「この本には歴代の聖女様から教えていただいた言葉が記されているのですが、これがなかなか難しくて。これでも随分と勉強したんですよ」
まさかあの時、パラパラと本を捲っていたのは。
「ふ……、ふふふ」
思わず笑いがこぼれた。
アレクセイは人間離れした綺麗な顔でぽかんとしているから、余計に笑いが込み上げた。
「ふぅ……もう帰れないのだから、どうしようもない。不義理をはたらけば、ばぁちゃんに雷落とされたなぁ。あーあ、ばぁちゃんの教えを無視できないよ……」
ひとしきり笑ってそう口に出せば、少し気持ちも晴れる気がした。
アレクセイが沈痛な面持ちで見ていることに気づかずに――
****
「では、ハルカ様。これからの予定を説明いたします」
翌日部屋を訪ねたアレクセイは、壁に地図を貼り棒を持って、先生さながらに説明を始めた。
「今いるキュスタ大神殿はメントーリ王国の中心にございます。
そしてこの大神殿を囲むように五つの神殿があり、この神殿は五年に一度、聖女様が巡礼にまわります。そこで各神殿で聖力を注いでもらうのが一番大事なお役目となっております」
「本当に私にそんな力があるのかな……?」
膝の上で手を開いたり閉じたりしてみても、なんの力も感じない。
訓練する時間があったりするのかも、と心の準備のために気になったことを訊ねる。
「次の巡礼は何年後ですか?」
「――今からでございます」
「はい!? 冗談ですよね!?」
「失礼だと存じておりますが、事は急を要するのでございます」
話を聞くと前の聖女様が十六年前に亡くなられ、それから代わりを務められる者もおらず、気休め程度にしかならないが神官が神力を注いでいるらしい。
「神殿には悪しきものが封印されている、だから早めに対処しなければ取り返しのつかないことに……」
その前兆なのか、神殿のまわりでは地盤の沈下や草木の枯れなどが起こっているとの報告があるそうだ。
つい折れてしまいそうになったけど、慌てて首を振る。
「いや、でも!
そう簡単に、出来るとは思えません!」
無理無理と、全身で訴えた。
「ご心配なく。私が側におりますゆえ」
わたしはぱちぱちと目を瞬かせて、
「え? いいの? 大神官様が神殿を離れて」と訊ねた。
「私はそのための大神官ですからね。
大神殿には他にも優秀な者は沢山おります」
隙のない笑顔と返答をするアレクセイに、それ以上聞く事も食い下がることもできなかった。
「それならもう出ます」
今度はアレクセイがぱちぱちと目を瞬かせ、言葉を失っている。駄々をこねると思っていたのだろうか。
――心外だ。わたしはきちんと仕事をする子だ。
少し口角を上げてなにか言おうとしたアレクセイを放って、部屋の扉を開けた。
「あ! お待ちください!」
慌てて追いかけてきたその手には、なにか白いものが握られている。
「その服だけでは心許ないので、このローブをお召しになってくださいませ」
バサリと広げたそれは、神官たちが着ていたものと似ている。けど、神官たちが青の差し色に対して、わたしが貰ったものは黄色が差し色だった。
「ありがとうございます」
ローブを羽織りアレクセイと大神殿を出ると、すでに複数の馬車が待機していた。
そのまわりには馬と神官服に似たものを着る騎士。
「あちらがハルカ様がご使用になる馬車で、こちらがハルカ様をお守りする聖騎士たちでございます」
――騎士までつくのね、なんてつらい旅。
しかもひとりふたりではないなんて。
騎士たちから熱い眼差しを感じるのは、気のせいではないはず。ぺこりと軽く頭を下げて、そそくさと馬車に乗り込んだ。
わたしとともに馬車に乗るのは、アレクセイ。
そして高位神官らしい、若い男性。
「はじめまして、聖女様。
神官のナハルと申します」
言葉の軽さの割に、恭しい仕草で挨拶をする。
適当に挨拶を交わしたところで、馬車内に密室特有の静けさが訪れた。
わたしは気にせずに、外を眺めることにした。
それに耐えられなかったナハルは、宿場に着くまでずっとひとりで口を動かしていた。
最初の火の神殿まで5日かかる行程だ。
長い付き合いを想像してげんなりしていたわたしだったけど、翌日の馬車にナハルの姿はなかった。
「ナハルさんは?」
「煩いので、馬車を移らせました」
平然と言い退けたアレクセイに目を丸くする。
「どうしました?」
「まあ、少し意外で。というか……」
清廉潔白を目指してるような人ではないと思っていたけど。
その神々しい見目でそんな発言をされると、こちらがいけないことを聞いた気分になるから困る。
アレクセイは言い淀んだ私をそれ以上追求することはなく、静かでゆったりとした時間が流れた。
車窓からの景色は街並みから畑や小さな家屋に変わって。筋肉隆々の男性が鍬を振り下ろし、そのそばで野菜の収穫をする朗らかな女性。
そのまわりを賑やかに騒ぎながら、走り回る複数の子どもたち。
幸せを絵に描いたようなそのすべてが羨ましく、寂しい。
子どものころは当たり前にあって、気づかない。
何気ない日常は当たり前ではなく、あっという間に過ぎ去っていく。
それに気づいて慌ててかき集めても、指の隙間から落ちる砂のようにすり抜けていくだけ。
あれは特別な時間なのだと、子どものころに気づいていれば――。
そうっと膝の上になにかが置かれた気配がした。
視線を落とすと、ぽたりとローブに染みが広がる。
その横にはハンカチが置かれていた。
対面に座るアレクセイは、本を広げていて視線は合わない。それが彼なりの気遣いらしい。
小さな声でお礼を言い、今度は遠慮なく使わせてもらうことにした。
決して無関心ではない優しいものに触れて、さらにローブに染みを作ってしまった。
それから数日、たまに言葉を交わし移動と休息を繰り返す。
目的の神殿に近づくほど、凍てつく寒さになる外は一面白銀の世界だ。
寒さと跳ねる馬車に腰とお尻が悲鳴をあげたころ、ようやく馬車から降りる機会がやってきた。
しかしまだ火の神殿は見えない。
ここから少し歩いて行った先にあるらしい。
サクリサクリと雪を踏み締める音を楽しむ。
なんとも言えないこの踏み心地がわたしは昔から好きだった。
子どもにかえったように夢中に踏みしめる。
「お待ちしておりました、聖女様。
遠いところをようこそいらっしゃいました」
だから、その声に飛び上がらんばかりに驚いた。
しんしんと雪の降る極寒のなかで、大勢の神官たちが待つという大層なお出迎えが待っていたのだ。
中には頬と手が真っ赤になっている者もいる。
勘弁して、と今すぐに回れ右したくなった。
「神殿長、早速で申し訳ないが【火の聖石】に案内してもらえますか?」
固まるわたしの前にスッと出たアレクセイは、手短に頼む。
今この場で、持つべきものはアレクセイだ。
真っ白の髪と髭を蓄えた御高齢であろう神殿長は、ゆっくりとした足運びで階段を登っていく。
踏み出す足がふるふると震えている。
見ているこちらがハラハラするほど危なっかしい歩きで着いたのは、厳重に複数の鍵が施された扉の前だった。
カチャリカチャリと解錠する音に、緊張が増し息苦しくなってくる。
「どうぞ」と開かれた部屋の中を覗くと、なにやら丸いものが置いてあった。
透明なガラス玉のようなそれは、1メートルはありそうだ。その真ん中に小豆サイズの赤い光が見える。
「報告は受けていたが、これはまた随分と……」と、アレクセイは瞬きを忘れたように凝視した。
『随分と』の続きは言ってくれない。
訴えかけるわたしの視線に気づくように、アレクセイに念を送る。
その視線を受け止めたアレクセイは不思議そうな顔で瞬きを繰り返し、ああ、と口を開いた。
「本来であればこの聖石は燃えるような赤色ですが、今はこの通り……今にも消えそうなもので」
――わお、それはかなりまずい状況ってこと?
「じゃあ急がないと。
……それで、わたしはどうしたら?」
「まずは聖石に触れて見てください」
言われた通りに聖石に触れると、ヒンヤリとした感触が手から伝わる。
「そうしたら、手から念を送るように集中させて」
いや、今まで生きてきて手から念を送ったことはないけど。
とりあえずイメージは大事だろうと、『ハンドパワー!』と心の中で唱えてみた。
すると、ぶわりと身体の中から湯気が湧き上がるようなそんな不思議な感覚に陥り、ぎゅっと瞼を閉じる。
「おおっ! さすが聖女様じゃ!」
呑気な声をあげる神殿長も気にならないほど、心地よい光を感じてそれを維持する。
数分後、手のひらに熱さを感じるほどになって薄く片目を開けてみる。
と、透明のガラス玉が見事にルビー色に染まっていた。
「あ……」
ただ驚きにぱちりと目を見開いたせいで、心地よい光は霧散してしまった。
「問題ありませんよ、もう十分ですから。
まさかこんなにもあっさりと満たしてしまわれるなんて。
やはりハルカ様は、かなりの聖力をお持ちのようですね」
どうやら聖女の聖力は光の色でその強さがわかるようで、黄色が金色に近いほど強い。
神官の神力は青色でその色が薄くいほど力が強い。
私は金色を纏っていたらしい。
聖力は癒しと救済の力、神力は浄化と守護の力。
神力はその性質上、聖石との相性が悪い。
聖石は悪でもなく、それ自体が守護の存在。
だから大神官であるアレクセイでも、聖石を満たすことは出来ない。神力で包むくらいらしい。
それを知って神殿長が興奮したのも頷けた。
なんせ満たされるのは実に十六年ぶりだ。
「しかしここがすでにこのような状態となると、あとの神殿も心配ですね。先を急ぎましょう」
神殿長の顔に『まだ行かなくとも……』と書いてある。わたしはそれを見なかったことにして、アレクセイに頷いた。
神殿から一歩出ると先ほどまでの景色とは一変、外は太陽が燦々と照りつけていた。
木々の緑が眩しく、彩豊かな草花もふんわりと香る。初夏の様相を呈していた。
「これが本来の姿ですよ。
聖石が弱まると、封印が弱まるのと同じですから」
やはり特別なんですね、と小さく呟いたアレクセイの表情は見えない。けど、変な感じがした。
「この調子でおわらせて大神殿に帰りましょうね」
アレクセイがわたしのその言葉に笑みを浮かべたことで、なんだか少し安堵した。
次の土の神殿までまた数日馬車に揺られる。
その間アレクセイは相変わらず本を読んでいた。
わたしなら即酔ってしまうだろう。すごい。
そんなことを考えるわたしを乗せた神殿ゆきの馬車は、大きくなってきた地面のひび割れにより先に進めなくなってしまった。
「仕方ありませんね。
ここから先は歩いて向かいます」
アレクセイのその一言に、聖騎士は人数を絞られて残りの者たちは馬車とともにこの場に待機することとなった。
ひび割れは大小様々あり、中には1メートルほどの亀裂ができているものもある。
そこ歩くことに恐怖を感じていると、アレクセイが先に見える亀裂に向けて手をかざした。
すると、薄い水色が煙のように漂う。
そうしてみるみるうちに1人が歩けるほどの道を作ってしまった。
「すごい!これ、私にはできませんか?」
「聖力ではできません。これは私の役目です」
「えー、残念です。
でも神力と聖力があれば、『向かうところ敵なし』って感じですね!」
ガッツポーズでアレクセイを振り返ると、曖昧な微笑みを浮かべられた。
馬鹿な発言だと呆れられたのかもしれない。
歩いては道を作って、を繰り返すことなんと四時間。
こんなに歩いたのは人生初だと思う、そんなことを考える余裕ができたのは、土の神殿が目前になって希望が見えた時だった。
しかし、道を作るために前を歩いていたアレクセイが突然咳き込んだ。
「……ゴホッ」
「大丈夫ですか!? 休みますか?」
「咽せただけです、心配ありません」
心なしか足取りがフラフラしている気がする。
しかし大丈夫だと言うアレクセイに、わたしはそれ以上なにも言えない。
だから心配しながら後ろをついて歩いた。
「着いたぁ……!」
神殿の階段に並ぶ神官たちは気にしないことにして、アレクセイの様子を窺う。
いつも日焼けとは無縁の真っ白の肌ではあるけど、より蒼白な気がする。
息も上がっているし、指先も小刻みに震えていた。
四時間も歩いたのだ。
――身体の弱そうなアレクセイには、辛かったのかも。
そんな口に出せば怒られそうなことを考える。
「大神官様が具合が悪そうで、どこか休める部屋はありませんか?」
アレクセイを追い抜いたわたしが神官にそう話しかけると、皆一様に戸惑いを見せた。
それに戸惑っていたわたしに、ひとりの神官が見かねたようにおずおずと口を開いた。
「えっと……?
聖力をお使いになれば、治るのでは?」
「聖力?
癒しの力って、治癒力があるってこと?」
驚きにずいっと顔を近づけたわたしに、神官は一歩後退りながら何度も頷く。
わたしはクルッと後ろを振り返り、まだ蒼白な顔で立ち止まるアレクセイの元に駆け戻った。
ぼうっとしているその手を握って、念を送る。
が、目を開けたままだと集中できないのか、うまくできない。
だから、あの時と同じように瞼を閉じて心の中で唱えた。
そこで意識が戻ったのかハッと肩を揺らしたアレクセイがわたしの手を引き剥がそうとする。
しかし、それよりも先にぶわりと舞い上がる金色の光。
「やめろ…!」
アレクセイは神官に似つかわしくない言葉を吐く。
慌てたようにまた振り払うも、そのまま金色の雪が舞い落ちた。
まわりの神官たちは興奮に目を輝かせながら、それを見ている。
「なんて……、」
アレクセイは血色の良くなった顔を歪め、苦しそうにつぶやいた。
わたしにはその反応の理由がわからない。
「辛そうだったから。……だめでしたか?」
「……いえ、貴重なお力を、申し訳ありません。
けれど、私には二度とお使いにならないでください」
なんで、と尋ねる間もなく「行きましょう」とアレクセイは先に歩き出してしまった。
案内された【土の聖石】は前回よりも大きい、こぶし大くらいの黄色い光が残っていた。
二度目とは思えないほど、手慣れたようにそれに触れる。そしてすぐに聖力を与えると、ものの数分で琥珀色に輝いた。
それはうっとりするほど魅力的な色を放ち、まるでアレクセイの瞳のように神秘的だった。
甘いはちみつのようなそれをわたしはしばらくの間眺めていた。
聖騎士たちが馬車を呼び寄せている間、神殿の神官たちは食事を用意してくれた。
道中も宿で食事をとったりしていたけど、ここの豪華すぎないその食事がとてもおいしく感じられた。
ただアレクセイはあれからずっと静かだ。
つられてわたしもなんとなく気まずい。
唯一の救いは、部屋にいた神殿長と神官たちがわたしを褒め称えていて、沈黙にならなかったことだった。
先ほどまでのひびがひとつもなくなり、神殿までの道のりを聖騎士と馬車が滑らかに到着した。
「では、失礼いたします」
神殿前で見送られて、乗り込んではや一時間。
髪に触れてみたり、爪を見つめてみたり。
気にしてませんよーとアピールするようなことは一通りした。
それでも些か空気が重い気がして、こっそりと溜息を吐く。
そんな空気のまま数時間後、休息地に着くなりナハルが乗り込んで来た。
「大神官様、聖女様。お邪魔しますね!」
「この馬車に乗れ、と神のお告げがありまして」
ナハルは神妙に手を組んだ。
一見真面目な顔に見えるが、口の端をピクピクと震わせている。
――笑っている気がするけど?
しかも仮にも神官がお告げだなんて。
「ほう?奇遇だな。私も今しがたお告げがあった。
今すぐにお前をつまみ出せ、と」
「ちょ、ちょっと!? 嘘でしょ!? 許して!」
アレクセイの手から淡い水色の煙が伸びる。
すると、一転して狼狽したナハルの腰に巻きつき、外に放り出した。
捕まった猫のように四肢をバタつかせて、宙に浮いているナハル。
アレクセイが形の良い眉を寄せると、巻き付いていた煙がパッと消えてナハルは地面にうつ伏せで叩きつけられた。
そんなに高くないとはいえ、痛そうだ。
「ちょ、未来の伴侶の前で、なにしてくれてんの!?」
「そうか。
その口は今すぐに役目を終えたいんだな?」
「あっ、ごめんなさい! もう言いません!!」
アレクセイに必死に謝る姿は滑稽だ。
一体なにを見せられているのやら。
あまりの遠慮ないやり取りにクスクスと笑ってしまった。
「……おふたりは仲が良いんですね?」
「「腐れ縁です」」
息ぴったりで返事をするふたり。
それがまた不愉快だと言わんばかりに、アレクセイは顔を歪めた。
「こいつの話は嘘ばかりですから、決して信じてはいけませんよ」
「そうなんですね、わかりました」
「え、聖女様!? 納得しないでくださいよ!」
「黙れ」
「くっ! ……大神官様、心穏やかに」
ナハルはまた神妙な顔で手を組む。
アレクセイはそれに眉を寄せ、不愉快そうに溜息をつくだけにとどめた。
このまま放置することにしたらしい。
ナハルはパッと表情を明るくすると、私のほうに身を乗り出した。
「さあさあ、聖女様。
どんなお話します?」
「えっ?」
「聖女様の好きなもの、すべて教えてください!」
「す、すきなもの?」
「まずは食べ物から、どうぞ!」
「えびと野菜が好きです」
「だから、さっき食事でいい笑顔だったんだ?」
微笑むナハルさんに、アレクセイは眉を寄せ、「馴れ馴れしい」と睨みつけた。
「はいはい、すみませんね。
じゃあ次は――」
それからずっとナハルさんの質問攻めにあった。
色や服や趣味や、さらには部屋のレイアウトまで。
「次は、好きな人!」
ドキッとした。
「……いるわけないじゃないですか!」
そう言ったとき、到着の声が聞こえた。
「ここからは足場が悪いので、歩かなければなりません」
アレクセイの言葉通り外は岩肌が見える。
金の神殿は岩場を抜けた先にあるらしい。
馬車から降りると、またアレクセイが先導する。
「大神官様、代わりましょうか?」
ナハルが少し真面目な顔をして小声で訊ねた。
「問題ない。私が適任だ」
「はあ……相変わらず、頑固なんだから」
やれやれと大袈裟にポーズをとっているナハル。
――睨まれていることに気づいてる?
案の定、ナハルはまた水色の煙によってすっ転んだ。
苦笑しながら手を差し伸べたわたしは、ナハルと並んで歩く。
「大神官の神力ってすごいんですね」
「まあ、それが大神官になるための条件ですからね。けどアレクはああ見えて誰よりも努力家ですよ」
「神力は生まれ持ったものではないんですか?」
「もちろんそれもあります。
ただ、聖力とは違って神力は増やすことも可能なんです」
どうやって、と訊ねる前に、ナハルは続けた。
「ギリギリまで使えば、少しずつ総量が増えていく、 ……とまあ私はほとんどしたことないんですけどね!」
「どうして?」
「ギリギリまで神力を搾り出すと、身体が軋むように悲鳴をあげて……あの辛さを何度もするなんて、とても正気じゃない!」
自分の身体を抱きしめるようにして、ブルブルと震えてみせた。
「まさか、努力って――」
「アレクは何度もしてますね」
「体調が悪そうだったのは、神力の使いすぎ?」
わたしはパッと数メートル先を歩くアレクセイが心配になって見つめる。
そんなわたしを横目で見るナハルに気づいて視線を戻せば、
「聖女様。アレクは誰よりも貴女を待っていた。
それだけは知っていてほしい」
いつも冗談ばかり言うナハルの顔つきが、真面目なもので、わたしはただ頷くことしかできなかった。
ようやくついた金の神殿でも、神官たちがお出迎えをしていた。
――金の神殿というから、金色をしているのかと思ったけど外観は普通の建物なんだ。
盗み見るアレクセイの顔色は悪くなさそう。
神力はそこまで消費してないようで、ホッとした。
「ようこそお越しくださいました」
壮年の男性が挨拶すると同時に、アレクセイは案内を促しすぐに【金の聖石】を目指した。
やはり光がかなり弱々しくなっていた。
けれども、前二つの聖石よりはマシだった。
目を開けたままでも使えるようになりたくて、今回は目を閉じないことにした。
わたしは聖石にそっと触れる
ふわりと温かな空気が髪を靡かせて、金色に光だす。ただ集中力が続かずに、たまに光が揺らぐ。
十分後にはすっかり金色に輝く玉が出来上がった。
目を閉じる時よりも時間がかかってしまったことに反省していると、神殿長は少し涙ぐんで頭を下げた。
聖石が安定したとはいえ、皆大袈裟なほど喜ぶ。
今までの神殿でもそうだった。
「これでこの国は安泰でございますね!」
アレクセイはぴたりと動きを止めて、そう喜ぶ神殿長を見る。
「そうですね」
と短く答えると、なぜか足を早めた。
神殿の外に出ると、神殿を囲んでいた岩場が開けていた。
そしてあちらこちらの岩肌が煌めいている。
「これが本来の姿、ここは鉱石が産出される土地なんです。さすが、聖女様ですね」
ナハルがパチパチと手を叩いて褒め添える。
本当に思っているのかな、と思ってしまうわたしは捻くれているのかもしれない。
「行きますよ」
アレクセイの声に慌てて、馬車に向かう。
「お前はいらない」
わたしの横にぴったりとついていたナハルは、アレクセイに弾かれて、トボトボと戻っていった。
「随分と楽しそうに歩いていましたね」
アレクセイはまた足を組んで本を開いている。
視線を落とし、伏せられた睫毛で表情は読み取れない。
「ナハルさんは大神官様が好きなんですって」
あの話をすべて集約すると、それに尽きる。
「――は?」
「だって大神官様のお話ばかりしていましたよ」
「……! 何を聞いたんですか!?」
思わずといったように立ち上がる。
「え? 神力の話や努力家だと……」
「他には?」
「? ……いえ、特には」
「ならいいです」
アレクセイは心底安堵したように腰を下ろして険しかった顔を緩めた。
――わたしが聞いてはいけないことでもあるの?
それはこの旅をはじめてから、わたしがずっと感じていること。
聖力で神力不足が治療できることも隠していた。
それにあれほど拒否された理由もわからないままで、誰にも聞けずにいた。
――ナハルが最後に言っていた「待っていた」と関係があるの?
しかし、アレクセイに聞いても答えないと、第六感が訴えている。
そんなわたしの苦悩を知ってか知らずか、アレクセイは優雅に本を捲るだけだった。
五日後、わたしたちは水の神殿についた。
ただそこには、見渡す限り砂地が広がり神殿らしきものは見つけることができない。
初めての事態に神官も聖騎士も騒めいて、アレクセイにも焦りが浮かんでいた。
「予定変更する。先に木の神殿へ向かおう」
今までより、少しスピードの速くなった馬車。
ガタガタと揺れが激しくなり、座って姿勢を保つだけでも大変だった。
アレクセイもさすがに本は読めないようで、窓の外を眺めている。
それが二日続くと、振動になれないわたしのお尻はズキズキと痛むようになった。
座るだけでも痛みが走る。
アザにでもなっているのかもしれないと本気で思った。
しかし、それに気づかれないように平静を装う。
だって恥ずかしいから。
「ハルカ様。こちらへ」
休息中の馬車はまだ動いていない。
わたしはそっと立ち上がってアレクセイの前に立つ。すると、馬車が大きく揺れた。
「ひゃっ」
バランスを崩したわたしを、アレクセイは受け止めてあろうことかそのまま横抱きに抱えた。
わたしは思わず悲鳴を上げる。
「なんしちょーの!?」
「久しぶりに聞きましたね、その言葉」
パッと口を押さえるも、アレクセイはなぜか慕わしげに瞳を緩める。
「このまま聞いてください」
アレクセイは私の頭をあいていた右手で自身の胸に押し付けて、話を続けた。
「ハルカ様はこの国の聖女様です。
いつか故郷に戻る方法を見つけるのも、この国で伴侶を見つけるのも、貴方が信じる道を行けばいい。この先なにがあっても、忘れないでください。
貴方はこの国で最も貴い存在だということを」
トクトクと鼓動の音と穏やかなアレクセイの声。
同時に青色のなにかにわたしは包まれて。
すると、返事をしたいのに、瞼が重くなってゆく。
そのまま眠りにつくように、意識が遠のいていった。
****
アレクセイは馬車の座席にハルカを寝かせて、自身の外套をそっと掛ける。
「どうか貴方は貴方の人生を生きてください」
そう囁いて馬車の扉をあけた。
「ナハル、聖女様をお守りしろ」
「はいはーい。 ――ってこれ、どういうこと?」
馬車に乗ったナハルは、寝ているハルカを見て首を傾げる。
「不埒な真似はするなよ」
「そうじゃない!!
アレク、お前なに考えてる!?」
「……あとは任せた」
ナハルの言葉を無視して、アレクセイは馬車から飛び降りた。
――そして無情にも神力で扉は閉められた。
「あんの、バカ! 頑固者!」
ナハルは閉められた扉に向かって叫ぶ。
ドンドンと叩いてももちろん返事は返ってこない。
馬車のカーテンを開けると、アレクセイが馬に乗って駆けるところだった。
「あいつまさか……」
ナハルはカーテンを握る手に力を込めた。
ご丁寧に窓まで神力で閉められている。
そして座席で横たわるハルカは、意識を神力で閉じ込められている。
起こすには相当な神力が必要だろうと、ナハルは人知れず溜息をついた。
そして悪態を吐きながら、ハルカにそっと手をかざした。
****
アレクセイとナハルは生まれてすぐに捨てられた。それも同時期に孤児院の前に。
だからふたりでいることが多いのは、自然なことだった。
孤児院とはいっても、極貧で。
国からの援助は微々たるもので、ほとんど自足自給の生活。
慈善事業は貴族の義務とはいうが、実際は大多数が神殿に納めるのみ。孤児院に施しはしない。
院長は善人ではあったが、それはお金にはならないものだった。
「アレク! あっちに神殿の奴が来てるらしい。
行ってみよう」
アレクと呼ばれた少年は、ゴミを集める手を止めた。
薄汚れた服を見に纏い、所々束になりくすんだ髪。
それは、一目で貧しいとわかる身なりだった。
「馬鹿馬鹿しい。神なんてこの世にいない」
「またそんなこと言って!
……ほらほら!いいから見にいこうよ」
ナハルは頬を膨らませて、アレクセイの腕を引いた。そのせいで集めたゴミを入れていたカゴが倒れて、風で散らばる。
孤児院で暮らすふたりはゴミ拾う。
それを神殿に持っていけばわずかな施しが受けられるからだ。
アレクセイは静かにナハルを睨みつけた。
「……ごめんって」
「うるさい」
「あ! やっぱり見に行けってお告げじゃない?
行ってみよう?」
弾けるように笑顔を浮かべて、またアレクセイの腕を引く。
引かれる腕を見つめたあと、盛大に溜息をついた。
また一からゴミを集める気も失せたアレクセイは、渋々ナハルについていくことにした。
「うわあ、人がいっぱいだね」
「………………」
「あ、見て! あの人たちじゃない?」
広場の遠くに、白い服を着た集団が見える。
その中心に一際、目を惹く女性がいた。
見たことのない黒髪と黒い瞳で笑顔を振りまいている。
じっと見ていたアレクセイと目が合った。
その女性は横にいる神官と仲睦まじい様子で、なにやら言葉を交わして。
その話していた神官はこちらに向かってくるなり、人好きのする笑顔で話しかける。
「君たち、神殿にこないかい?」
「「え?」」
「あぁ、突然で驚いたよね。
どうやらふたりには、神力があるようでね。
よかったら神殿にこないかなと思って」
ナハルとアレクセイは顔を見合わせる。
「僕たち、行きます!」
アレクセイが断る前に、ナハルが元気に返事をした。
あまりに軽率な答えにアレクセイは呆れる。
しかし、今の生活をしていても碌な暮らしはできない。
――ならば、どちらでも一緒じゃないか。
そんな諦めの気持ちでナハルについていくことにした。
それから、ふたりは神官見習いとして働いた。
あの女性が聖女様で、自分たちを神殿に誘ったのが大神官様。
アレクセイがそれを知ったのは、神殿に入ってすぐのことだった。
『異界から来た聖女様』
唯一の聖力保持者で現在の大神官の伴侶だった。
伴侶となれば、大神官の神力は自然には戻らない。
聖女が治癒力を与えることによって回復する。
大神官の神力は、聖女を聖力の暴走から守る。
お互いが持ちつ持たれつの関係になる。
そして伴侶は神聖力という特別な力を得るが、その代償も大きいとアレクセイはのちに知ることとなった。
聖女ミナは、いつも優しい微笑みを絶やさない。
そんなミナを大神官は溺愛していた。
アレクセイはそれに憧れを抱いた。
大神官になれば、あのふたりのように想い合う唯一無二の存在ができるだろうか、と。
だから努力を惜しまなかった。
人一倍勉学に励み、辛い神力の増幅にも耐えた。
二年かけてアレクセイはようやく見習いから六歳という最年少で神官になった。
そうしてミナのお付きになる機会を得た。
「あら、あなたはあの時の広場の子ね?」
はじめてお側に控えたとき、ミナはそう言った。
それだけでアレクセイは嬉しくて胸が温かいもので満ちる。
「覚えてくださっていたんですね」
「あちらの世界に、かわいい甥っ子姪っ子がいたのよ。だからあのまま放って置けなくって……元気そうでよかったわ」
ミナは少し寂しそうに眉尻を下げて笑う。
それからミナはアレクセイにあちらの世界の色々なことを話して聞かせた。
そして一年後、事件が起きる。
大神官レジェが、病により急逝したのだ。
運悪くミナが席を外している間に起きたことだった。
伴侶を失った聖女は、新しく誰かを伴侶にしないと、聖力暴走で命を落とす――
けれどもミナは伴侶を持つことを頑なに拒んだ。
それが国のためでも耐えられない、と。
聖力が溜まり動くこともままならなくなり病床に伏すミナはアレクセイを見つめて言った。
「きっとふたりの姪っ子のどちらかが来るのよね。
――ねえ、アレクセイ。
私の姪っ子を頼まれてくれる?」
痛々しいほど真っ青で正気のない顔に、アレクセイは悔しくて唇を噛んだ。
どうもしてあげられない自分がもどかしかった。
「聖女様……」
「私はね、レジェに出会えて幸せだったのよ。
レジェがいたから耐えられたの。
だから次の聖女の支えになって助けてあげてね」
それがミナがアレクセイに残した最後の言葉だった。
数日後に、ミナは静かに息を引き取ったから。
それからのアレクセイは、死に物狂いで神力の向上に励んだ。
すべては大神官になるため――
いつか来るであろうミナに頼まれた姪っ子を、一番近くで守れる存在になるために。
そして、自分の全てを使って尽くすつもりだった。
****
砂漠を馬で走り抜けるアレクセイは、周りを見渡す。いまだ神殿の姿は見えない。
まるでちっぽけな自分の存在を痛感させるような、ただただ砂漠が広がるだけだった。
無力感に苛まれたアレクセイは、手綱を力一杯握りしめてまた駆け出した。
その頃、ナハルはハルカにかけられた神力を解こうとしていた。
「……ん」
ハルカがわずかに眉を寄せる。
「あとすこし、頑張れ僕!」
ナハルはダラダラと汗を垂らしながら、力を込めた。
「……ナハル、さん?」
「聖女様! よかったぁ……」
「……? どうしたんですか?」
「とりあえず、ここ! 聖力で開けてください!」
わたしは状況がつかめないまま、馬車の扉に手を当てた。カチっと小さな音とともに開く。
ナハルはそこから慌てたように飛び出した。
「大神官様はどこいった!?」
「え、いや、あの……」
「いいから、早く。答えて!」
「『木の神殿を探してくるから、追うな』と……」
「あんの、バカヤロウが!」
ナハルは掴みかかっていた聖騎士の肩をおさえて、怒りでプルプルと震えている。
「今すぐに出発しよう。準備して!!
責任は僕がとる」
その固い表情から、いい状況ではないと知った。
皆が一様に、顔を曇らせていたから。
ナハルは馬にわたしを乗せて先を急いだ。
休んだせいなのか、わたしのお尻の痛みも気にならなくなっていて心底安堵した。
「おそらくアレクは、自らを犠牲にするつもりではないかと思います」
「犠牲って?」
「自らを聖石の代わりにして鎮めるのですよ」
「それって、」
――人柱ってこと……?
「たぶん想像の通りです。
最終手段なんです、国が滅びないための。
聖女様は、アレクの過去を知っていますか?」
「過去? 知りません……」
アレクセイは自分のことを話すことはなかったから。話すとすればわたしに関することだけだった。
「大事なことなので、お話します」
そう言うとナハルはアレクセイの話をはじめた。
わたしには前の聖女であった叔母の記憶はない。
年齢から考えると、わたしが二歳くらいの時にはもうこちらに呼ばれていたことになる。
――いや、それよりも伴侶になりたかった?
「……伴侶って、大神官様が?」
「それはアレクに聞いてください。
色々拗らせているんですよ?
愛なんて信じていないと冷めた態度をとりながら、本当は誰より愛に憧れ愛に飢えているんです」
そんな風には見えなくて半信半疑の目で見た。
「生まれた時から一緒の僕らはもう兄弟みたいなものなので、わかるんです。
あ、もちろん僕が兄ですよ?」
冗談めかして言ったナハルは、きっと僕は怒られますよ、と笑った。
その時、ドカンと大きな音が響いた。
そして一瞬の静寂のあと、薄い水色の閃光か弾けた。
「あれ、大神官様じゃ……」
「間違いないですね」
「はやく行きましょう!」
心配になったわたしは馬を操るナハルを急かす。
「ここまで連れてきておいて今更ですが、本当にいいんですか?これをおさめるには、聖女様は……」
「もちろんです! わかっています!
大神官様に断られたら、そのあと考えます」
グッと拳を握ると、ナハルは声を出して笑った。
そして、真剣な目で見つめわたしたちの身体に神力を纏わせた。
そうすると馬はアレクセイのもとに超特急で駆ける。
振り落とされそうになるわたしを、ナハルが支えてくれていた。
わたしたちは光が上がる場所に一直線に向かう。
すると、その全貌が見えてきた。
アレクセイが対峙するのは、巨大な蠍のような生き物。
山と見間違うほどの大きさのそれは、ぶんぶんと黒光りする尾を振り回している。
一瞬アレクセイはこちらに視線をやるも、蠍の足止めに必死なようですぐに逸らされた。
ただ撫然とした表情を浮かべている。
「聖女様、行きますよ」
ナハルの声に頷くと、スピードを落とした馬から飛び降りた。
そしてずぶずぶと埋まっていく足を素早く引き抜きながら歩いて、アレクセイに抱きついた。
と、同時にナハルや神官たち皆が神力で蠍を包み抑え込む。
「ハルカ様! どうしてここに来たんです!!」
ただならぬ悲壮感を漂わせるアレクセイには焦りも垣間見えていた。
わたしは無計画にお腹にまわしていた腕の力を強める。
「アレクセイ様、逃しませんよ」
ぎゅっと抱きつくわたしをアレクセイは剥ぎ取るわけでもなく、ただ顔を顰める。
「ひとつだけ教えてください。
わたしと伴侶になるのが嫌で、教えてくれなかったんですか?」
アレクセイはその問いに、びくりと身体を揺らした。
「なぜ、それを……!
それはありえません!」
「じゃあ、わたしを受け入れてもらえますか?」
「なにいって……!? 後悔しますよ!」
「しませんし、させないように頑張りますから!
――もし帰る方法が見つかった時は、アレクセイ様も連れて行っちゃうのもアリでしょうか?」
「馬鹿なことを言ってないで、」
「わたしにとって命はなにより大切なんです。
だから、アレクセイ様のお慈悲をください」
「な……っ、まったく貴方という人は、どこでそのような言葉を……!?
後悔しても、知りませんよ!」
呆れたような表情をしながらも、わずかに口角は上がっている。
決して嫌々ではないとわかるそれに胸が高鳴った。
――あっ、伴侶になる方法を聞き忘れた!
それに気づいて開こうとした口は、柔らかいものに塞がれた。
そしてぶわりと舞い落ちるものが驚いたわたしの視界の端を掠める。
固まっている間に、アレクセイが離れた。
「これでわたしは貴方のものです」
見せられた手の甲には金色の複雑そうな印が浮かび上がっていて。
混ざり合う金色と水色は雪のように、降り続ける。
それに神官たちは、見惚れていた。
ナハルだけは、面白そうにわたしたちを見ているけど。
アレクセイはほんのりと赤く染まった頬を隠すように、蠍に向かって手をかざした。
すると、金色と水色が混じった光が蠍を突き抜けて、毛糸のようにぐるぐると巻き付いていく。
獰猛だった尾も包まれていき、最後はコロンと透明な球体になった。
それはまさしく神殿に収められている聖石だった。
一部始終を見た神官たちは、安堵と興奮で盛り上がっている。
わたしはというと、現実味のない光景とあまりのスピード解決にぽかんとするばかりだった。
「……おわり?」
「ええ、あとはハルカ様の出番です。
あれに聖力を」
アレクセイはさっきまで蠍だった聖石を指差す。
わたしは砂漠の砂に足をとられながら、聖石に触れた。温かい金色の光が吸い取られるようにぐんぐんと球体に閉じ込められていく。
すると、砂漠が土に変わり地面から木が生えた。
数分後に翡翠色になれば、景色は一変。
豊かな自然の森のできあがり。
あとはこの聖石を神殿におさめて、最後の水の神殿を探すのみだそう。
「聖女様! ありがとうございます!」
皆から頭を下げられて、驚いて縮こまる。
慌ててわたしもお礼を言った。
「こちらこそ、皆様のご協力でとても助かりました!ありがとうございます」
「さあさあ、皆さん。撤収しますよ〜!」
僕たちお邪魔になりますから、とナハルが言っているのが嫌でも耳に入る。
神官たちの背中を押して、撤収撤収と楽しそうだ。
「ナハル!!」
アレクセイの怒号が響き渡る。
しかしナハルは動じることなくニヤニヤと返した。
「……おおっと!感謝の言葉なら聞きますけど?」
「うるさい」
「素直じゃないなぁ」
やれやれと頭の後ろで手を組んで、それでもにやけながら去っていった。
風に揺さぶられる木々の音と小鳥の囀りが、わたしたちの間を抜けていく。
その沈黙を破ったのは、わたしだった。
「アレクセイ様。
ごめんなさい。ナハルさんから勝手に色々とお話を聞いてしまいました。
でも、やっぱりアレクセイ様から聞きたいです。
どうしてわたしに伴侶のこと教えてくれなかったんですか?」
陽の光を浴びて神々しさの増した美丈夫は、困ったように眉尻を下げる。
そして逡巡しながら、躊躇う口を開いた。
「生まれてすぐに捨てられた孤児院育ちで、その後神殿に拾われた、ことは聞いていますか?
当時の大神官様と前聖女様はそれは仲睦まじく。
恥ずかしながら、私はその関係が羨ましくて大神官を目指しました。
前聖女様に頼まれたことは些細なことで、口実に過ぎない。私自身が会いたくて待ち望んでいたんです。ただ……」
アレクセイは睫毛を伏せて、言葉をとめた。
「聖女様は故郷や家族を失う、ことの重大さに気づいたのはハルカ様を迎えてからでした。
ただひたすらに迎えたあとのことだけ考えていた自分が酷く恥ずかしかった。
伴侶なんて、とんでもない。
命を盾にして脅しているものではないか、と。
だから、ナハルには口止めをしましたし、気づかれないように細心の注意を払っていました」
「アレクセイ様……」
そんなにもわたしを気にかけてくれていたなんて、気づきもしなかった。
わたしはただ自分の立場を悲観して、アレクセイを知ろうともせず涙を流しただけ。
『誰よりも貴方を待っていた』
そう言ったナハルの言葉が今になって、思い起こされる。
「それなのに結局、私は人柱にもなれずに。
結局ハルカ様を伴侶として縛りつけることに、」
ぐっと眉間に皺を寄せて俯く。
その姿を見て沸々と怒りが沸いてきた。
「あほんだら!
アレクセイ様が人柱となっていたら、わたしは自分を許せんかったに!
自分を犠牲にしようなんて……二度と思わんで」
怒っているはずの瞳から、ポタポタと雫がこぼれおちる。もしわたしたちが間に合わなかったらアレクセイは……そう考えたら怖くてたまらない。
「涙が……」
「アレクセイ様を大切に思う人もいるんだけん」
「そうでしょうか」
「ナハルさんだってわたしだって、アレクセイ様がいなくなったら、悲しいんです!
……だけんもっと自分で自分を大切にしてください」
「……申し訳ありません。
ハルカ様が望んだ人と伴侶になれるまで、時間を稼ぐことができると。
そうしたら、ナハルと伴侶になることも不可能ではありませんから」
「……………………ナハルさん?」
「おふたりは、気が合うように思えます。
まるでレジェ様とミナ様のように」
――気が合う、なんて思ったことないけど。
わたしがはてと首を傾げれば、アレクセイは困惑の色を強めた。
「……ハルカ様の、家族を失った心の穴を埋めてくれるのは、彼のはずです」
「どうしてそう思ったのかわかりませんけど、ナハルさんにはそんな気は一切ないと断言できます」
――でなければ、あれほどアレクセイを推すはずがないし。
それに彼は、軽薄な言動はするけど、実は情に厚い人だと思う。
さっきだって私のためではなく、彼はアレクセイのために動いたと言っても過言ではない。
だから、アレクセイが待ち望んでいた伴侶を、横から奪うようなことはしない。
アレクセイは、理解できないとでも言うように、顔を顰めた。
「……はあ、そういうことにしておきます」
やれやれとでも言いたげに、あからさまなため息をつく。
「信じてないですね!?」
「ええ、まったく」
「でもまあなんと言おうと、わたしはもうアレクセイ様のものですけどね?」
わたしは大きく一歩を踏み出して、悪戯に笑う。
そして手の甲を見せつけるように、アレクセイの眼前に差し出した。
それは精巧なデザインの印で水色をしている。
アレクセイの手の甲と似通ったものだった。
人ふたり分ほどあった距離は、ぐっと近づく。
「……今まで大神官と呼んでいませんでしたか?」
アレクセイはグッと眉間に皺を寄せて、咳払いをしながら言った。
「ふふふ、とっておきの秘策だと」
「そんなくだらないことを言ったのはアイツか?」
わたしはきょとんと目を丸くした。
ナハルがいないところで言葉を崩すのは、初めて聞いたからだ。
そんなわたしをみてアレクセイは慌てて弁解する。
「ああ、失礼しました。言葉が乱れましたね」
アレクセイはまたコホンと咳払いをして目を逸らす。
「やっぱりそっちが素ですか?」
「素といいますか、まあ……育ちがアレですから。
こちらのほうが大神官らしい品格を保てます」
「うーん、神聖さは増しますけど」
「けど?」
「誰もいないので、楽にしてください。
わたしは心の距離が近づいた感じがして、そのほうが嬉しいです」
アレクセイはため息をついた。
「これから私たちは、伴侶だ。
気持ちが伴っていないのは、よーく理解してる。
だが、もとより私は憧れだけではない」
「はい! よーくわかっています!」
「……わかっているようには思えないのは私だけか?」
うんうんと頷くわたしに、アレクセイは感情の籠っていない目を向けた。
「憧れだけでなく、責任感もあるということですよね!わかっています、勘違いはしていませんよ!」
「……どうしたらそうなる……」
ボソボソと呟くアレクセイは、額に手をあてて空を仰いだ。
そして、また大きくため息をついた。
「まあ……それでもいいか。
ハルカ、私を助けてくれてありがとう。
私は貴方のものだ。全身全霊を捧げて守ろう」
そう言ってそのままわたしを抱きしめた。
それから、ぶわっと神力が身体を巡る。
気持ち悪い訳ではないけど、ぞわぞわする感じ。
「ふ、ふふ……あっはは、こちょばしい」
「こら、暴れない。
こちょ……それは? 本にはなかったな」
「だって! 『くすぐったい』ですよ」
「くすぐったいか。……聖女の言葉は難解だな」
「ええ? もうあの本は開かないんですか?」
「あの時は追いつけなかっただけだ。
ひとつの言葉を考えているうちに次が出てきて……。実践練習をしなかったのは盲点だったな」
「ふふふ」
今ここにナハルがいたら、絶対揶揄っていたはず。
「大神官様がアレクセイ様で良かったです」
わたしはそう言って微笑んだ。
****
ニヤニヤとしたナハルは、
「随分とゆっくりでしたね?」
と揶揄う気満々でわたしのもとへやってきた。
「置いて行ったのはナハルさんでしょ?」
「お礼はいいですよ」
「あれ、そうですか? とびっきりのお礼をしようと思っていたのに……残念です」
「聖女様、強かになりましたね?」
「ふふ、わかりますか。
伴侶となってくれたアレクセイ様のご恩に報いるためにも、わたしは強くならなきゃいけないんです」
「あー、なるほど。くくっ、それは……大変ですねぇ」
僅かに唇を震わせたナハルは、顔を背ける。
――どうみても、笑ってると思うんだけど?
ぶすっとしながら、ナハルを半目で見る。
「いや、失礼しました。立派だなぁと思いまして」
「また思ってもないことを……」
怒ったように歩くわたしに、
「そんな! 僕を信じてくださいよ」
とナハルは笑いながらあとをついてくる。
「ハルカ様」
パッと離れたところにいた声の主に笑顔を向ける。
「はい。なにか御用ですか?」
「申し訳ないのですが、このまま水の神殿に向かおうと思います。馬車で寝てもらうことになるのですが……」
「問題ありません!
じゃあ馬車に乗りますね」
アレクセイの返事も待たずに、わたしは馬車のほうへ向かった。
****
「では、僕はどうします?」
ナハルはニヤニヤとしながら、横目で見る。
そんなナハルにアレクセイは目を細めた。
「はあ?」
「おー、こわ! いつから見てたのやら」
ヘラヘラと笑うナハルはアレクセイの睨みなどものともしていない。
「余計なことを吹き込むな」
「あまりの報われなさに泣けてね」
ナハルはハンカチで目元を押さえて、泣き真似をする。アレクセイは怒りを露わにしてはっきりと告げた。
「本当に! 余計なことするな!」
そう念押ししてハルカのあとを追うアレクセイに、ナハルは思わず笑みがこぼれる。
「どうかアレクセイの初恋が実りますように」
ナハルは祈るようにぽつりとつぶやいた。