世界中にコスモスが咲く日まで
こちらの小説では、戦争を題材としています。苦手な方は、お控えください。
今日もだるい一日が始まった。いや、始まってしまった。朝、起きて、朝ご飯を食べ、学校に行き、宿題をして、晩御飯を食べ、お風呂に入って、寝る。何の変哲もない、私の一日。先生は今、テスト対策で社会の追い込み授業をしているのだけれど、ノートは真っ白。こんな昔のことを学習して、何がいいのだろう。第二次世界なんちゃらがどうとか、原爆がどうとか、空襲がどうとか言っているけれど、その時のことを知ったとしても未来や過去が変わるわけでもない。一番くだらない。どうせ先生にもバレないだろうし、机の上で寝てしまおう。
どのくらい寝てしまったのだろうか。あたりは騒がしくなっていて、日も赤く染まっていた。しかし、居眠りしていたのはツルツルの学校の机の上だったのに、この机はザラザラだ。目を開けると、さらに驚いた。なぜなら、そこは食堂らしき場所だったからだ。そして、みんな着物を着ている。私と同じような年に見える子も、着ている服はブレザーやセーラーではない。この部屋にはテレビがない。そして、7月とはいえ、クーラーが稼働しているはずだが、蒸し暑い。しかも、壁を見渡しても、クーラーらしきものは見当たらない。近くにある新聞があったので、急いで日付を確認する。そして、目をぱちくりさせた。なんとその日は、昭和20年7月23日、場所は広島、新聞記事によると戦争真っ只中だった。
絶望の瞬間、幸いなことに気がついた。それは、足の上にスクールバッグが置いてあることだ。スマホはその中に入れているので、ひとかけらの希望を胸に電源ボタンを押してみる。しかし、もちろん電源は入らなかった。
「いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますでしょうか。」
その言葉に、はっと我に返った。その人は、若い女性だった。とても綺麗な方だった。
「えぇ〜と……じゃあ、これとこれをください。」
なんとか選んだそのメニューは、とても和食っぽくて、今までで一番美味しいと感じたご飯で、とても心に沁みる味だった。
食べ終わったあと、さっき注文を尋ねてきた人にこの人になら頼れると思って勇気を振り絞って訊いてみた。
「美味しいご飯、ありがとうございました。実は私、この近くに住んでいなくて、家はないし、家族もいないんです。だから……この食堂に住ませていただけませんか? あ、もちろん、その分もしっかり働きますので。」
私はご飯を食べながら、どうやったら元に戻れるか考えてみたが、どうやっても無理だろうという決断に陥った。なので私は、この食堂で働かせてもらいたいと思ったのだ。断られるとは分かっていた。しかし、1%でも0.1%でもいいからその可能性に賭けてみたかったのだ。
「あぁ、そうだったんですか。それは大変お気の毒ですね。住み込みお手伝い、もちろんいいですよ。こんなに将来有望で若い子が栄養失調にでもなってしまったら日本国民として悲しいですしね。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
私は、その若い女の人が言ったことの意味がすぐには理解できなかった。しかし、この人はこんな見ず知らずの人を助けてくれるというのだ。この人は命の恩人だ。
「あ、本当ですか!? ありがとうございます! もう、なんとお礼したら良いか……。本当に、ありがとうございます!!」
何度も頭をペコペコと下げてお礼を言った。
お手伝いをしようと思ったその日からお手伝いが開始するわけにはいかない。まず、さっきの人にこのお店で働いているスタッフの名前を教えてもらった。
「この人が、林田さん。厨房で料理を作っている人です。その右が梅本さん。会計所を担当している人です。そして私が、高木です。客間を担当しています。戦争前までは男の人がたくさんいたらしいんですけれど、徴兵されてしまったらしく、そのあとも色々あり、今は3人で営業しているんです。あなたが来てくれて、本当に助かります。そういえば、あなたの名前をまだ訊いていませんでしたね。あなた、お名前と年齢は?」
そういえば、まだ名前を教えていなかった。
「あ、『中野愛良』と言います。『愛良』って呼んでください。14歳です。」
「愛良ちゃんですね。変わった名前ですね。14歳ですか。私は17歳です。林田さんは15歳で、梅本さんは13歳です。みなさん似たような年齢ですので、仲良くしていきなしょう。そういえば、服とか小物とか、愛良ちゃんが持っているもの全て変わっていますよね。金属取りや物取りに取られなかったんですか?」
「金属取り? 物取り?」
どちらも初めて聞くものだ。もしかしてこの時代は当たり前だったのだろうか。そしたら、よそ者って思われちゃうかも……。
「あら、愛良ちゃんは知らないのですか? まあ、こんな贅沢なものを持っている人たちにはわからないのかもしれないですよね。金属取りは兵隊さんのために金属を取る金属回収兵たちのことで、物取りはものがなくて勝手に物を奪う貧乏さんたちのことです。でも、私たちがそう呼んでいるだけなんですけれどね。私たちもその人たちにお店経営に必要なものがいろいろと取られてしまって……。今は必要最低限のもので運営している感じです。」
「あ、そうなんですか。それは大変失礼しました。」
次に、厨房担当の林田さんからこのお店とその周辺の地図をもらった。
「ここ・高田食堂は四角で囲んでいるところです。いつもここの青田農業さんから野菜を、ここの林村漁業さんからお魚や貝を仕入れていますよ。ちょうど丸を囲んでいるところですね。」
「はい、ありがとうございます。」
高木さんや林田さん、梅本さんはとても親切な人だ。この人たちに助けてもらえて本当に良かったと思う。
次に、客間担当の高木さんから1日の仕事を教えてもらった。
「朝、5時30分に起きて、店前の掃き掃除や机の掃除、床の掃き掃除などをしてください。6時になると青田さん、6時15分になると林村さんが来るので、手が空いている人が対応します。野菜はあの箱の中に、魚や貝は氷冷蔵庫に入れてください。6時30分になったらお店の看板を『開店』にしてください。お客さんが来たら大きく、元気な声で『いらっしゃいませ!』と言ってください。そのあとは『いらっしゃいませ。ご注文はいかがなさいますでしょうか。』と言って順番に注文を聞き回ってください。そして聞き取ったものはこのメモ帳に書いて、それをこちらの厨房にまで持ってきてください。料理はお盆に乗せているので、お盆の上に乗ってある紙をチェックしてその座席番号のところまで料理を持って行ってください。お客さんが帰る時は、元気な声で『ありがとうございました!』と言います。夜、8時15分になると最終入店終了の看板を出して、8時20分になると最終受付10分前、8時30分になると最終受付の呼びかけをして、9時になるとお店の前の看板を『閉店』にします。愛良ちゃんがする客間の仕事はこんな感じ。まあ、一回やってみましょうか。」
「はい!」
私が考えているほどこの仕事は簡単ではなかった。練習とはいえ間違いがプレッシャーとして心にのしかかってくるし、そのたびに心にゆとりがなくなっていく。そんな時、
「愛良ちゃん、そんなに重苦しくしなくてもいいのよ。私はまだ13だから年齢でいうと愛良ちゃんのほうがお姉さんだけど、店員歴でいうと私のほうが先輩でしょ。だから、いつでも頼ってね。」
と優しい声がかかってきた。私は自然と笑顔が生まれ、練習がはかどった。
気が付いたら、11時を回っていた。
「遅くまでお付き合い、ありがとうございました。」
「いえいえ、新人教育ってこんなもんですよ。梅田さんの時なんか、一日中かかっていたもんですし。」
「ちょっと、高木さん! それは内緒って約束したじゃないですか!」
「いえいえ、すみませんね~。」
「許さないですよ~!」
林田さんの提案で、その時代では高価だった銭湯に行かせてもらうことになった。
「今日は愛良ちゃんの歓迎会だから、夏だと普段は水釜だけど、今日は特別に銭湯でゆっくりしていきましょうか。高木さんがおごってくれるだろうし。」
「私がおごるって、いつ言いましたっけ。」
「アハハ、すみませんね~」
銭湯と言っても現代の温泉とは違って、ただ銭湯に入るだけなのにすっごい並んでいたり、髪を洗うだけでも値段がかかったりしていて、すごく驚いた。驚いていることがばれたのか、
「愛良ちゃん、こんな銭湯、初めて? そりゃあ、愛良ちゃん、絶対お金持ちだもん。家にお風呂があるんだろうな〜。」
「あ、ま、まあ……。はい、ありますね……。」
もしかして、この時代はお風呂すらなかったのだろうか。この時代はどれだけ不便なのだろうか……。
脱衣所に入ったら、さらに驚いた。「誰か、私のモンペを知りませんか~?」と言っている女性を見つけたのだ。私はその女性に「どうされたんですか?」と問いかけた。するとその女性は、「お風呂からあがったら、私の貴重な配給で手に入れたモンペが盗まれてしまったのよ。あなた、盗んだ瞬間、見ていなかった?」と言っていた。モンペというものがどんなものなのかは知らないが、この女性にとってモンペというものは、とても貴重なものだったということは伝わってくる。そもそも脱衣所で盗みを働く人がいることがおかしいのだが。
大浴場に来ても驚いた。なんと、つかるところがないのだ。ぎゅうぎゅうになっているところにやっとの思いで入ることができた。この時代の人は、なんでこんなにも銭湯に行きたがるのだろうか……。
たくさんの驚きを抱えて高木食堂に帰ってきた。そして、私はなんてこの人たちは優しいのだろうと思った。なんと、見ず知らずの私のために自分の部屋を用意してくれたのだ。
「私のためにここまで親切にしていただき、本当にありがとうございます……! このご恩はどうやって返したらいいものか……。」
私は、感謝でいっぱいになりながら、深く頭を下げた。
「いえいえ、最近はみんな自分のことでいっぱいなのに働いてくれるっていう愛良ちゃんが私たちにとっては本当に嬉しくて……。私たちは愛良ちゃんに働いてもらえるだけで嬉しいの。」
「本当に、本当にありがとうございます!」
タイムスリップしてしまったのだから、この時代について知っておかないといけない。私は高木さんたちに用意してもらった部屋に入って、ピカピカの教科書を開いた。
「新聞によると、今は戦争中。戦争って、どんなことがあったんだっけ……。」
慣れない手つきで「どんどん激しくなっていった戦争」という見出しのページを開いた。
「今は、昭和20年。この年表によると……、ん!?」
その年表を見て驚いた。なぜなら、昭和20年は、終戦の年でもあるが、8月6日は広島に、8月9日は長崎に原子爆弾が落とされた年でもあるからだ。そしてここは広島。今日は7月23日。あと14日で原子爆弾が落とされるのだ。社会の時間はいつも授業を聞いていないからよくわからないが、「爆弾」とついているから怖い物なのだろう。そして、教科書で原子爆弾について調べてみたら、「広島への原子爆弾(原爆)は、午前8時15分に落とされました。世界中で日本でしか使われなかった爆弾で、その日のうちに亡くなった人と白血病などで後から亡くなった人を合わせると、12月末までに約14万人の方が亡くなったと推定されています。」と書かれている。そして、原爆が落ちた真下には、「島病院」という病院があり、そこから1.2kmにいた人はその日のうちに約ぼ50%の確率で亡くなり、それよりも爆心地に近い地域では80~100%の確率で亡くなられたと推定されているそうだ。即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆し、傷害の重い人ほど、その後の死亡率が高かったらしい。そして、その病院から10㎞以内にいた人は影響を受けたという。
「……なんて恐ろしいの……。」
私はそのことを知り、唖然とした。そして、「島病院」と言う単語に聞き覚えがあるような気がして、林田さんからもらった地図を見てみた。そして、焦りに包まれた。なぜなら、その地図に「島病院」が書かれているからだ。この地図の縮尺はわからないが、手書きで書かれた地図にわざわざ書かれていると言うことは、大事だからに違いない。もしもよく行くから書かれているのであれば、歩いて行ける距離だと言う事だ。
「ということは、私の命って、あと14日しかないの……? 元の時代にも戻れずに? 高木さんや林田さん、梅本さんと一緒に? そんなの……そんなの、信じられない……。」
私は、この衝撃な事実を高木さんたちに伝えるかどうかを悩んだが、この時代の日本国民はみんなこの戦争には絶対勝てると思い込み、日本は負けるような発言をしたら逮捕されてしまうらしいから、秘密にしているほうがいいだろうという決断に陥った。そして、8月6日はみんなで早めに避難しておこうと思った。しかし、それには様々な問題がある。まず、安全地帯はここから約10㎞以上も離れているのだが、歩いていけるのだろうかということ。次に、「8月6日」という日付限定で遊びに行きたいと言って、不審がられないのだろうかということ。最後に、お店をお休みしてもいいのだろうかということだ。だが、この状況で行動しないという手はない。あと14日しかないが、あと14日もある。不審がられないように、頑張って避難方法を考え出そう。
原爆が落ちるまで、あと一週間となった。私は、助けてもらった日から毎日、練習と実践を繰り返していった。そして、この時代で友達ができた。「竹田美穂」という子で、13歳だ。高木さんによると、ここ・高木食堂の常連さんで、戦争前からずっと1週間に1回から2回ほど来ているそうだ。
「愛良ちゃん、最近の調子はどう?」
「もう、絶好調だよ! 美穂ちゃんのほうは?」
「お母さんのお手伝いでいつも大変だけど、まだまだ元気! 高木食堂で一休みできるからね。」
「それはよかった。お互い、頑張ろうね。」
「うん! じゃあね!」
「はぁい!」
いつもこんな何気ない会話をして美穂ちゃんは店から出る。私も美穂ちゃんも、お互いこの店で会って何気ない会話をするのが元気のスタミナになっている。美穂ちゃんの笑顔はいつも太陽みたいに輝いているのが印象的だ。それから、常連さんたちにも「愛良ちゃん、今日も元気だね。」と声をかけてもらえたり、「愛良ちゃん、ご褒美あげるね。」と言って当時は希少だったお菓子をもらったりした。そのたびに私は、「ありがとうございます。皆さんもお仕事、頑張ってくださいね。」という。そして美穂ちゃんや常連さんたちを守るためにも、やっぱり「原爆から逃げよう作戦」は大事だと思った。
今日は8月5日、いよいよ原爆が落ちる1日前となった。仕事終わりに、高木さんに明日一緒に外に出ようと誘った。
「明日一緒にお出かけしようって? いいけど……突然だね。林田さん、梅本さん、明日一緒にお出かけしようって話、どう思う?」
「明日お出かけ? いいね、楽しそう! 私は賛成。」
「お出かけか~。最近忙しくて行っていなかったね。良いんじゃない? 行こうよ!」
みんなが賛成してくれてとてもうれしかった。
「そういえば、どこ行くのか考えているの? この地図見ながら一緒に考えようよ。」
そう言って梅本さんが地図を渡してくれた。そして、大事なことを私は聞いた。
「この地図の縮尺ってどうなっているんですか?」
「あ~、縮尺ね~。例えば、この地図の一番右側に乗っている小林動物園は歩いて2時間くらい……ここから約2貫かな。」
2貫。出ました、古い単位。絶対に古い単位は出てくると思って教科書に古い単位の変換が載っていることを確かめていたのだ。私が教科書を取りに行くところに「どこに行くの。」と言われたけど、「ちょっと忘れ物を取りに行くだけです。すぐに戻ります。」と言ってごまかした。
しばらくして、みんながいるところに集まった。私はこっそり隠れて単位変換のページを確認しようとした。しかし、林田さんに「愛良ちゃん、こっそり隠れて何を見ているの。」と言われてしまった。私は隠し事がどうも苦手で、この前は自分の部屋でこっそり食べたプリンをゴミ捨ての日にお母さんに見つかってひどく怒られてしまったし、その前は宿題を写して提出したら計算した形跡がなかったらしく怒られてしまったし。今回も林田さんにバレてしまった。「ただの本ですよ〜。」と言ったが、覗かれてしまった。そして、
「高木さん、梅本さん、見てくださいよ!」
と言いながら取られてしまった。
「こんなカラフルな本は見たことがないな〜。」
「この記号、なんだろう……。」
と二人も覗き込んで頭を抱えていた。
「正直に教えてくれる? 愛良ちゃんは本当にこの時代に生まれた子?」
林田さんの厳しい言葉に目を泳がしていた。そんなところに、高木さんの優しい仲介が入った。
「まあまあ、林田さんもそこまで言わないの。愛良ちゃんも困っているよ。もし仮に愛良ちゃんが他の時代に生まれた子だとしたら、すっごく心細い思いをしていると思うしね。」
私はその言葉に胸が洗われた。そして、本当のことを話す決心がついた。
「高木さん、優しいお言葉をありがとうございます。そして林田さん、その通りです。実は私……」
全てを話した後、みんな、「だからか」と言いたがっているような顔をしていた。
「金属取りや物取りを知らなかったのはこのためなんだね……。やっとわかったよ。」
「2025年ってすっごい未来だよね。今とは何が違うんだろう……。」
「今まで心細い思いをさせちゃってごめんなさいね。でも、もう大丈夫だよ。大きな声ではいえないけど、私たちは戦争反対者だから。」
みんなの優しい言葉に、目頭が熱くなった。そして、あっと思った瞬間に、嗚咽まじりで涙が溢れ出てしまった。
しばらくして落ち着いた後、2025年の説明をした。
「2025年は、この時代とは大きく違うんです。この時代の人からすると信じられないかもしれないですが、戦争はとっくの昔に終わり、アメリカと日本は仲良しになっているんです。同盟国になって、お互い協力します。日本は終戦後にオリンピックが東京で開催され、それに向けてどんどん復興します。そしてその勢いで、アメリカにつぐ世界第2位にまで登り上がります。そのまま日本国民は幸せになり、アメリカを抜くか抜かないかというくらいになります。しかしその後日本は貧乏になってしまい、今では世界第4位にまで落ちてしまいました……。だけど、この時代になかったものがどんどん生まれ、豊かになっていったのは確かです。」
「へぇ〜。2025年って、すごいんだね!」
最近の話をした後、みんなは感心した様子だった。
「ところで、2025年って昭和何年なの?」
「昭和ではなくて令和です。令和7年です。昭和の次が平成、平成の次が令和です。」
「そっか〜。私たちからしては2025年は途方もないほど未来のように感じるけど、愛良ちゃんからしたら今なんだよね。」
私からして「今」である2025年のことをいろいろ話すと、心にあった重りのようなものがなくなったような、不思議な感覚になった。
しばらく2025年のことを話した後、今回の本題に移った。
「実は明日は、午前8時15分に世界中で日本にしか落ちなかった『原爆』という爆弾が落ちるんです。爆心地は島病院で、そこから1.2km——660間にいた人は50%の確率で即死だそうです。ここから島病院は近いですよね? なら、もしもここにいたら私たちは明日、ここで即死です。なので、私たちは逃げないといけません。しかし、10km——5.4海里以内にいた人は被害を受けたそうなので、それよりも遠いところに避難しないといけません。それも踏まえて、明日はどこに行きますか?」
私が話した後、しばらく空気が固まった。そのあと、高木さんが声を上げた。
「そうなんだね。でも、流石に5.4海里は歩けないね……。だけど私たちも死ぬわけにはいかないし。私たちの夢のためにもね……。」
「私たちの夢……?」
完璧そうに見える高木さんたちが持っている夢とは、一体なんだろう。
「あぁ、まだいっていなかったっけ。私たちね、家族と離れ離れになっちゃったのよ。私の場合はお父さんとお兄さんは徴兵され、そのうちお父さんは徴兵先で戦死。お母さんは飢餓死。妹は栄養失調死で、残った私と弟は別々のところに行った。高木さんと梅本さんもだいたい同じような感じだよ。それで私たちは『モク拾い』っていう捨てられたタバコを集めて売る作業をしていた時に出会ったの。そこから仲良くなって、高木さんが一人で後をついでいたこの食堂で働いているっていうわけ。今はもうすっかり仲がいいけど、みんな訳ありなんだよね。特に梅本さんは人見知りだから私たちと馴染むのにも時間がかかって……。さっき、『私たちは戦争反対者』っていったでしょ? それは、私たちの家族をバラバラにした戦争を憎んでいるっていうわけ。で、『私たちの夢』っていうのは、いつか戦争が終わって復興したら、戦争の後に生まれてきた子供達に戦争の恐ろしさを伝えること、そして、日本中や世界中がいつまでも平和になることなの。」
「とても素晴らしい夢ですね。もうすぐ——8月14日に戦争は終わります。あと9日後ですかね。それまでの我慢ですね。」
林田さんのとても素晴らしい話に心が洗われた。
「そういえば、その5.4海里っていう長い道のりは、目の前に走っている電車で行かない? 戦争前に少しずつ貯めていたお金があるのよ。多分、そのお金で電車に乗れるよ。隣町にある中谷自然楽園所っていうところは、ここから7海里くらいだから、そこに行こうよ。」
高木さんがとてもいい提案をした。
「いいですね! そこだったら原爆被害地である5.4海里より遠いし、自然がたくさんあって楽しそうだし!」
「愛良ちゃん、自然が好きなの? 私たちも好きなの。じゃあ、そこに行きましょうか。」
いよいよ8月6日。原爆が落ちる日だ。昨日から店前に貼ってある貼り紙のおかげで、店の前には人が集まっていた。その中には、美穂ちゃんもいた。
「愛良ちゃんが提案した、『常連さんたちもできるだけ原爆の被害から守るために、店の前に6時30分から中谷自然楽園所に行くので一緒に行きたい人はそれまでに店の前に集まってくださいっていう内容の貼り紙を貼ろう』っていう作戦、大成功だね。いつもの常連さんはみんないるほか、人だかりが気になって常連さんではないけど何回か来てくれていたお客さんもいるし。」
「はい、そうですね。」
梅田さんがいった通り、このことは私が提案したのだ。その第一の理由としては、友達である美穂ちゃんを守ることだ。あの輝かしい笑顔を守るために、一緒に避難できたらと思ってこのことを提案した。すると美穂ちゃんは来てくれて、ほかの常連さんも来てくれた。私のおかげでこんなにもの命が助かるなんて、今までの私だったら想像できなかっただろう。
「本日は朝早くからお集まりいただき、ありがとうございます。今回は日頃の皆様の疲れを癒そうという目的で、中谷自然楽園所に行くことになりました。植物には疲れを癒す効果があるので、みなさん、ごゆっくりお過ごしください。」
今回の司会者である高木さんのアナウンスによって、このイベントが幕を開けた。
この時代の電車には、初めて乗った。運転員さんはとても親切な人で、団体だったのでこんな時代なのに割引きをしてくれた。
1時間ほどして、「中谷自然楽園所前駅」にたどり着いた。
「はい、みなさん、つきました。降りてください。」
高木さんの声で、居眠りしていた人もみんな起きて、慌ただしく降りていった。駅の目の前では、「ようこそ中谷自然楽園所へ」と書かれたボロボロのアーチが目に止まった。
「ここが中谷自然楽園所です。みなさん、2列に並びましょう。」
「ここが中谷自然楽園所か〜」や、「久しぶりに来たな〜」など、色々な声が聞こえてきた。私は一番後ろから梅本さんと一緒にみんなを見守る係になった。
「愛良ちゃん、ここに来るのは初めてだよね?」
「はい。でも、確か名前は違うけど2025年にもこの場所に自然公園がありますよ。小さい時に時々来ましたが、大きくなると来なくなりましたね。梅本さんは来たことがあるんですか?」
「うん、戦争前に何回か、家族で来たよ。」
そんな何気ない会話をしていたら、腕時計を見ると7時45分を指していた。原爆が落ちるまであと30分。私は安全な場所に逃げているのに、心臓がバクバクしてきた。
「愛良ちゃん! これ、見て! すごくきれいでしょ?」
指の刺されたほうを見ると、そこには坂一面にヒマワリが咲いていた。
「はい、とてもきれいですね~。」
ここに咲いている花は、とてもきれいに手入れされているのだろう。しかし、所々でとてもよく咲いていたり、植わっていなかったりしている花もある。例えば、グロキシニアという花は古びた看板だけ刺さっていて、花は全然植わっていなく、草がたくさん生えている。そして、ここに植わっている赤に白い斑点があるバラは、とてもきれいに手入れされている様子だ。私の趣味は花言葉を調べることで、スクールバックに「花言葉辞典」という本を持ち歩いていた。今日もその本を持ってきていたのだ。その本でグロキシニアの花言葉を調べてみた。私は、息をのんだ。なんと、グロキシニアの花言葉は一般的な「華やかな日々」「艶麗」のほかに、「媚びた態度」「媚態」そして、「贅沢」という意味もあるそうだ。この時代では「贅沢は敵だ」と言われているので、「贅沢」の意味を持つグロキシニアは植えていないのだ。そして赤に白い斑点があるバラは、「戦争」「争い」という意味だそうだ。この時代の多くの人は戦争をどんどんやりたかったそうだ。だから、「戦争」という意味を持つこのバラは、とてもきれいに手入れされているのだろう。戦争時代は、花の種類まで制限されていたということだろうか。2025年では、とても信じられないことである。
「梅本さん、咲く花の種類も花言葉で選んでいるそうですよ。この花言葉辞典で見てみると、赤に白い斑点があるバラの花言葉は『戦争』や『争い』だそうです。」
「愛良ちゃん、花言葉が好きなんだね。それにしても、私たちの自由どころかお花たちの自由まで奪っちゃう戦争って、やっぱり終わったほうがいいよね。」
「はい、そうですね。予定どうりの8月14日に戦争が終わるといいのですが……。」
腕時計を見ると8時10分を指していた。
「梅本さん、原爆が落ちるまで、あと5分です。なんか、緊張してきましたね。」
「落ちるまであと5分か~。なんだか、早く感じるね。」
8時15分になった。遠くのほうで少しの光があった。そのあと、花火のような音が聞こえた。12㎞も離れているのに、光を感じた。音が聞こえた。原爆とは、なんて恐ろしいものなのだろうか……。一緒に来ている人たちは、敏感な人以外、気づいていない様子だった。
昼ごはんの時間になった。高木食堂から持ってきたお弁当をみんなに配った。昨日高木さんが、「どうせ明日私たちは逃げても建物が被害にあうんだったら、来てくれる人たちのために明日届く食材でお弁当を作って持って行ってあげましょうよ。」と提案したのだ。なので今日の朝はいつもより1時間早く起きた。空はまだ暗かったが、薄明りを頼りにおいしい弁当ができた。
「皆さん、ここでお昼ご飯にしましょう。昼ご飯は高木食堂お手製のお弁当です! 一人一つあるので、皆さん食べましょう。」
高木さんが声を上げると、みんながとても喜んだ。中には、「高木さんのところのご飯だけが生きがいだよ~」と言っている人もいた。
「愛良ちゃん一緒に食べよ~。」
「うん、いいよ。」
美穂ちゃんが、私の横に座ってお弁当を食べ始めた。それに吊られて、私もお弁当を食べ始めた。
「美穂ちゃん、愛良ちゃん、仲良くご飯食べているみたいだね。私も一緒に食べていいかな?」
ご飯を食べている最中、高木さんや林田さん、梅本さんが話しかけてきた。
「いいですよ。こちらへどうぞ。」
「ありがと〜。」
私たちは、美味しいご飯を幸せそうに食べた。
「そういえばみなさん、なんでそんなに大きなバックを持ってきているんですか? お弁当を入れていたのかもしれませんが、それなら今はぺっちゃんこになっているはずです。」
食べ終わったあと、急に美穂ちゃんが尋ねてきた。そうなのだ。私たちは、とても大きなバックを持ってきた。その理由は、原爆の被害から大切なものを逃すことだ。私は、自分の服や常連さんからもらったものなどをスクールバックに入れている。高木さんは、お品書きや会計紙、そろばん、お金など、お店経営に必要な物やアルバムなどといった大切なものがお店で代々使われてきたというカバンに入れている。林田さんは本を読むことが好きなので、大切な本をお母さんからもらったという可愛らしい花模様のカバンに入れている。梅本さんは絵を描くことが好きなので、デッサンボードや色鉛筆、絵の具、絵筆などが自分で縫ったというちょうちょが描かれたカバンに入れている。そういうことなので、美穂ちゃんにこのことを説明することは難しい。
「あぁ〜、このバックね。万が一のためにお出かけする時は持ち歩いているのよ。だから、気にしないで。」
頭が真っ白になっている中、代わりに言ってくれたのは高木さん。私が高木さんの方を見ると、「気にしないで。」と言っているかのように優しく微笑んだ。
みんながお昼ご飯を食べ終わったころを見計らって、次へ進んだ。
温暖展示室の前を通った。ドアの前に張り紙が貼ってあるのが見えた。その張り紙には、「軍事体制のため しばらくの間 温暖展示室の営業は中止いたします」と書いてあった。……て、ちょっと待って? 「温暖展示室の営業は中止いたします」ということは、ここの温暖展示室は見ることができないっていうこと? 「軍事体制のため」ということは、戦争中だから? 合わせると、戦争中だからここの温暖展示室は見ることができないっていうこと? じゃあ、温暖展示室の中にいたお花たちは、どうなっているのだろう。そもそも2025年ごろの温暖展示室はエアコンを使っているはずだけど、この時代にはエアコンがあるはずない。じゃあ、どうやって温暖展示室を営業していたのだろう。やはり、この時代についての謎は深まるばかりである。
今日の中谷自然楽園所ツアーも、もう終わりだ。私は、出口付近で風に揺れていた数輪のコスモスに心を奪われた。
電車は動いていなかったのでなんとか歩いて自分たちの街に戻ってきた時、私たちは唖然とした。そして同時に、冷や汗を感じた。なぜならそこはもう、悲惨な状況だったからだ。やきただれながら「水をくれ〜」とうなっている人々、家の下敷きになりながら「暑いよ〜」となげいている子供達、歩きながらバタバタと倒れている老若男女。
「嘘……でしょ……?」
私たちは声も出なかった。そして、そこに立ち止まることしかできなかった私たちに、頼りなさを感じた。
その日の晩は、みんなで近くにある公園で寝た。しかし、まぶたを閉じてもさっきのことがまぶたの裏に映し出された。
「怖いよ……。」
心なしと出てしまった声は、近くにある草むらに溶けていった。そして、目の前に四葉のクローバーがあることに気がついた。私は、そっと摘み取ってハンカチに包み、大事にポケットの中にしまい込んだ。そのおかげか、目を閉じると自然と寝ることができた。
「……野、中野、起きろ! 今は授業中だぞ!」
懐かしい声にゆっくり目を覚ます。そうすると、そこはなんと、教室だった。どうやら、戻ってきてしまったらしい。
「あれ、私、芝生の上で寝てたんだよね……。」
「中野、寝ぼけてないで質問に答えろ! 広島に落とした原子爆弾は、どこが中心だったんだ?」
急に質問されて一瞬焦った。しかし、原爆のことは戦争時代にいたときに調べていたじゃないか。こんなの、今の私にとってカンタンだ。
「はい、島病院です。」
はっきりと言った私の答えに、質問をしてきた先生は驚いていた。
「あ、あぁ……そうだ、正解だ。前に質問した時はいつも決まって『さあ〜、わかりませんね……。』って言っていたのに、しっかり答えてくれたから先生、びっくりしちゃったよ。じゃあ、そんな調子の良い中野に、もう一問。広島に原爆を落としたのはなぜだかわかるか?」
先生は、「難しい問題を出して苦しめてやろう」と言いたそうな顔をしているが、やはり今の私には効かない。中1の時に配られたらしい「原爆ドームが見つめる先に」というテキストを読み込んでいたからだ。
「はい、原爆の威力が受けやすい地形だったからです。そのために、空襲の被害もありませんでした。」
クラスが、今までにないほど静かになった。遠くにいる鳥の声が、うるさく感じるほどに。
「あ、あぁ、そうだ。正解だ。教科書に書いていないし先生も授業で説明していないのに、よく調べ学習をしたんだな。先生、感心したぞ。それじゃあ、金曜日にある期末テストはもちろん、9月の17日にある校外調べ学習も楽しみにしておくぞ。」
校外調べ学習とは、年に一回、私の学校にだけある行事で、学校から出て調べ学習をしようというものだ。しかし、それが9月17日にあるとは知らなかった。去年は知らぬ間に事前学習が始まり、知らぬ間にバスに揺られ、知らぬ間にその場所につき、知らぬ間に終わっていた。今年はどうなのだろう。どこに行くかはもうみんな知っているらしい。まあ、どこに行くかを知らなくても、なんとかなるだろう。
授業が終わる時間になった。私は、数多くの疑問や不安に押し倒された。まず、あれは夢だったのか。次に、高木さんたちとはもう、会えないのか。そして、高木さんたちは私がいなくなってどう思ったのだろうか。それから、高木さんたちはみんなに私のことを伝えたのだろうか。さらに、高木さんたちの夢は叶ったのだろうか。最後に、高木さんたちはみんな原爆の被害を被らずに長生きできたのだろうか。頭の中をぐるぐると巡るそれらの考えは、休み時間中、ずっと消えなかった。
次の時間の後の休み時間、トイレに行って手を洗った。ハンカチで手を拭こうと思ったら、カサッという音がした。慌ててハンカチを広げたら、四葉のクローバーが入っていた。それは、私にとっての希望となった。そして、家に帰ったらこのクローバーはしおりにしようと思った。高木さんたちの似顔絵を添えて。
9月17日になった。あの日から授業を含め何事にも全力で取り組むようになった。先生やクラスメイトから、「愛良ちゃん、最近変わったね。」と言われる機会も少なくなかったし、家に帰ったらお母さんから「愛良、最近明るくなったよね。」と言われたこともあった。そして寝る前には、決まって高木さんたちのことを思い出すのだ。私は読書が嫌いだけれど、林田さんの影響と自分で作ったしおりのおかげで、本を読むことが好きになった。特に好きなのがミステリーで、主人公が不可解な事件を解決していくところに爽快感があって面白い。今もバスの中だけれど、読んでいる。
「つきました。みなさん、降りてください。」
先生の声で、現実世界に引き戻される。私は、読書をしている中でこの瞬間がとても嫌いだ。せっかく世界に入り込んでいるのに、とても残念だと思うばかりだ。世界で一つだけのしおりを、本に挟む。
バスから降りたら、そこは港だった。海の匂いが鼻に心地よい。
「皆さん、今年の校外調べ学習は、大久野島です。皆さんが事前学習で学んだ通り大久野島は別名『うさぎ島』とも呼ばれ、うさぎがたくさんいる島ですが、暗い過去があるんですよね。今回は、その暗い過去を館長の話や資料をもとに、深掘りしていこうと思います。大久野島へはフェリーで行くので、皆さん、一列に並んでください。」
みんなの後をついていって、私も船に乗り込んだ。15分ある船の移動時間を使って、先生はみんなにテキストを配った。そのタイトルは、「うさぎたちの瞳の奥に」だった。いかにも小説らしいタイトルだが、テキストを開くと、大久野島について書かれていた。
「大久野島につきました。皆さん、荷物を片付けて降りてください。」
先生がそう言って、みんなは慌てて船を出た。
「わ〜! 可愛いうさぎさん!」
そんな声が、前の方から聞こえてきた。私の足元を見ると、うさぎが集まってきていた。
「今日はウサギと遊びに来たのではないのですからね。この人がここ『毒ガス資料館』の館長です。よろしくお願いします。」
「はい、毒ガス資料館の館長をしております、畑長です。今日は一日、よろしくお願いします。毒ガス資料館では、毒ガスを製造した過程で多くの犠牲者を出すに至ったこと、そして戦争の悲惨さを多くの人に伝え、この歴史を二度と繰り返さないよう、毒ガスに関する資料を展示しています。日本軍が使った毒ガスの資料も展示しています。よく観察して、いっぱい学んで帰ってくださいね。」
畑長さんの紹介をしたあと、毒ガス資料館に入った。その瞬間、私は息を呑んだ。入り口には、服が置いてあった。何の服だろうか。宇宙人のようなかっこうをしている。
「これは、毒ガスを製造するときに来ていた服です。毒ガスはとても危険なので、このような服を着て作業するのです。しかし、毒ガスは隙間から浸透し、工員たちは次々に気管支や肺を壊していったといいます。なので、この島で働いていた人々は毒ガスの後遺症に苦しめられました。戦争が終わった後も病院通いを続け、苦しんだ人たちがたくさんいます。」
これは毒ガスを作るときに着ていた服なのか。ということは、ここでは毒ガスを作っていたのだろうか。こんなにかわいいうさぎたちがいるのに。私はとても不思議に思った。
「ここにうさぎが来て観光名所になったのは、つい最近のことなのです。実はここで毒ガスを作っていったときは、うさぎなどが毒ガスの実験動物として使われていたのです。その数なんと、200匹と言われています。そのうさぎたちは終戦時に処分されたので、ここにいるうさぎたちはその子孫ではありません。ちなみにここにいるうさぎたちは、小学校にいたうさぎだそうですよ。」
心の声が漏れてしたのかと思い、慌てて口をふさぐ。それよりも、昔はうさぎたちが実験台だったのだ。うさぎには何も罪がないのに実験台にされてしまい、とてもかわいそうだと思うばかりだ。
「大久野島の毒ガス工場で働いたのは約6700人と言われています。島には13歳~15歳の子どもたちも動員され、その数は約1100人。防空壕を掘ったり島にあった家屋を解体したり、毒ガス缶を運んだりなど、危険な作業にも従事しました。危険な毒ガス兵器を作るとは知らず、新型の化学兵器を作るぐらいの軽い認識だったそうです。」
そんなにたくさんの人が毒ガスを作っていたなんて……。言葉にならないほどの驚きがたくさんある。そもそも、13歳~15歳なら、私たちがぴったりとあてはまる。私だったら、毒ガスなどは作りたくない。しかし、昔は嫌でも作らされていた幼い子がいたのだ。とても胸が痛くなる事実である。
「ここで、大久野島の歴史を紹介します。大久野島は、竹原市忠海町の沖合い3キロメートルに位置し、数戸の農家が耕作を続ける島でした。昭和2年には、島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となりました。欧米諸国の毒ガス戦の技術に追いつくため、大正6年に東京に研究室が設置され、毒ガス研究が進められました。毒ガス製造所として全国各地の候補地の中から選ばれたのが大久野島だったのです。戦時下、大久野島には毒ガス製造のための施設が点在していました。昭和4年には、東京第二陸軍造兵廠火工敞忠海兵器製造所による毒ガスの製造が始まり、昭和20年まで続けられていました。昭和10年ごろには島では、猛毒であるイペリットやルイサイトなどといった毒ガスが製造されるようになっていました。大久野島では15年間で6616トンの毒ガスが製造され、これは何千万人もの致死量にあたります。戦後に島内に残っていた約3000トンが処理されました。日本軍が毒ガスを製造していたということは、昭和59年まで日本ではほとんど知られていませんでした。化学戦の実態は慎重に秘匿され、旧軍関係者以外の日本人はほとんど事実を知らなかったのです。昭和59年に日本の化学戦実施に関する報道がされて以来、日本の毒ガス兵器の研究開発は東京にある旧陸軍化学研究所、大量製造したのはここ・大久野島、充填は福岡県北九州市にある曽根、化学戦の運用、訓練には旧陸軍習志野学校、といった日本の化学兵器の構図が明らかにされています。軍から出された当時の日本地図は、大久野島周辺が切り取られたかのように空白になった状態だったということから、後に『地図から消された島』と呼ばれるようになりました。このように、大久野島には暗い歴史があるのです。」
畑長さんが紹介してくれた後、あたりはしん、と静まり返った。
「実は第一次世界大戦で各国が毒ガスを使用した反省から、毒ガス兵器の使用を禁止する条約が新たに結ばれていたのです。日本もベルサイユ条約やジュネーブ議定書に調印し、積極的に使用禁止に賛成の立場をとっていました。しかしその裏には、日本軍の毒ガス戦能力を高めるまでは毒ガス戦を避けたい狙いがあったようです。」
畑長さんがそう言った後、あたりがざわついた。
——え、それって、約束破りじゃん。
——日本って、そんな悪いことしたん?
——信じられない。
私も、みんなが言っていることに賛成だ。
今日の校外調べ学習も、もうそろそろ終わりだ。
「数少なくなったとはいえ、今もはっきりとその歴史を写し続ける史跡群。毒ガスを消すために火炎放射器で焼かれ真っ黒に焦げたコンクリート、それを覆う眩しいほどの緑。痛々しい史跡の周りに、うさぎがひょっこりと顔を出すこともある。その強烈なコントラストに、今ある平和の大切さを痛感せずにはいられません。平和だからこそ、うさぎは無邪気に人々にすり寄ってきます。その状況が本当に尊いものだと考えさせられます。思わず顔がほころぶかわいいうさぎと、毒ガスの戦跡......。そのギャップは正直に言うと私でもうまく表現できません。皆さんもそうでしょう。ただ、いつまでもうさぎを可愛がることができる世の中でいてほしい。だからこそ記憶をつないでいかなければなりません。そのために私はここで働きます。大久野島は、地図から消され、3度戦争に利用された島です。『加害の歴史』の面を持つ島でもあります。私の話を聞いて、皆さんは何を思いましたか。何を考えましたか。平和について、少しでもわかりましたか。皆さんが考えた平和を、これからも思い続けてください。平和とは何かという問題は、学者でもわからないほど難しいものです。ですので、自分流でいいのです。自分流でいいので、いつまでも平和を考え、願い続けてください。」
畑長さんが言う一言一言が、とても重く感じる。そして、改めてこれからも平和を守り続けようと思えた。畑長さんのお話は、高木さんたちに出会ったからか、分かりやすいように思えた。それにしても、戦争での被害は広島への原爆だけではない。大久野島で働いた人もだ。長崎に落ちた原爆で被害にあった人もいるだろうし、沖縄での地上戦ではもっと被害があっただろう。様々な地域で起きた空襲だってそうだ。それに、日本だけではなく、海外にも被害があった。安心して生きることができなかった時代や自分の意見を自由に言えなかった時代もあったにもかかわらず、今私たちが安心して暮らせるということ、こうやって、妄想できること、今日のように、安心して遠出ができること、今日のように、自分の意見をはっきりと言えること、そして、当たり前のように戦争がなく、空襲警報でおびえることがなくなったこと。それらは、どれほど尊いことなのだろうか。私たちは、これらの尊いことを守り、未来に繋いでいくという使命がある。
帰りのバスの中。ふとスクールバックに入っている「花言葉辞典」を出した。そして、自分でも驚くほどのスピードで開いた。そのページは、「コスモスの花言葉」。向こうの時代で行った「中谷自然楽園所」の出口付近に咲いていたコスモスが、さっと頭をよぎったのだ。
コスモスの花言葉:平和
Fin.
※この物語に出てくる名前や場所名などはフィクションですが、原爆が落ちたことや爆心地、原爆の被害、大久野島のこと、毒ガスのことなどは実話です。この物語が平和について考えるきっかけとなったら、私はこれ以上嬉しいことはありません。




