古典落語「さんま芝居」
原作:古典落語「さんま芝居」
台本化:霧夜シオン
所要時間:約35分
必要演者数:3名
(0:0:3)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
兄貴:弟分と二人で旅をしており、とある田舎の村に滞在している。
芝居が大好き。
弟分:兄貴と二人で旅をしている。芝居は嫌いな方。
老婆:村の宿の女中さん。
兄貴も姉やん呼ばわりは無いだろう。
百姓1:村の百姓さんその1。
年老いてる。名前が戸左衛門とかいうらしい。
百姓妻:百姓1の年老いた奥さん。
一緒に芝居を見に来ている。
百姓2:村の百姓さんその2。
話からしてこっちは多分中年くらい。
文弥:劇中劇、「蔦紅葉宇都谷峠」に登場する目の見えない人物。
目の不自由な人に与えられる官位を得ようと、京都へ向かう途中。
十兵衛:恩人にむくいるべく百両の金を用立てるも、返済に困って京都
へ向かうも当てがすべて外れ、失意の中京都から帰ってくる途中
、文弥と出会う。
劇中劇、「蔦紅葉宇都谷峠」に登場する人物。
市川怨霊:村へ興行に来た歌舞伎役者。
市川團十郎の弟子だというが…。
大道具:一座の大道具係。
忘れ物をするなどそそっかしい。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
兄貴・十兵衛・百姓2・市川:
弟分・文弥・百姓1・大道具:
老婆・百姓妻・語り・枕:
※:枕は1セリフのみです。
枕:食べ物にも絶妙な取り合わせがあります。
カレーに福神漬け、すき焼きに生卵、秋刀魚に大根おろし。
秋刀魚は安い、美味い、栄養価高いの三拍子そろった秋の味覚です。
もっとも、最近はとんでもなく値上がりしてしまい、昔ほど気軽に
買って食べられなくなってしまいましたが。
大根にはすりおろした汁にビタミンCやジャスタウェイ…ではなく、
ジアスターゼという消化酵素を持ち、血液が固まってできる血栓
を防止したり、解毒作用もある成分が多く含まれています。
これが油の強い魚である秋刀魚にぴったり合うんですな。
大根と言えば、大根役者て言葉がありますが、これは通常は煮ても
焼いてもオロシても、主役になる事がありません。そして食あたりも
しません。
なので、何をしても当たらない役者のことを大根役者と言うようにな
りました。
また、真っ白な大根はしろ、素人とあてられ、どんなに頑張っても
黒、つまり玄人にはならないとも言われます。
ところが、ものの持っていき方によってはこの大根も主役級の活躍を
するわけでして。
弟分:はぁ…。
兄貴:あぁー、食った食った。
…って、なんでぇ、気のねェ溜息つきやがって。
弟分:兄貴の前だけどよ、この宿ってェものは実に呆れたもんだな!
朝昼晩と三度三度サンマの塩焼きを出しやがる。冗談じゃねえよ。
兄貴:しょうがねえよ、ここはサンマの本場だからな。
俺もそう思って宿のほうに言ったんだ。
そしたら今晩はサンマの刺身だとよ。
弟分:うへぇ。
江戸に帰って、マグロの赤身で一杯やりてぇなぁ。
いや最初はね、サンマんめぇなぁって思ったよ?
だけどこう、三日もサンマを出された日にゃ変な心持ちに
なっちまわあ。
あれかい? 三日だからサンマとかけてんのかね?
それでさっき鏡を見たら口が少しこう、とんがってきた。
兄貴:気のせいだよ、つまらねえこと言うなぃ。
弟分:いや、つまらねえこと言うなったって…だけどなんだね、
この大根おろしはうめぇな。
兄貴:だから気のせいだって。
大根おろしは別に美味いわけじゃないよ。
この大根おろしの中へサンマの油が染み込んでんだ、な。
醤油の味がしみ込んでるから、美味く感じるんだよ。
変なことばっかり言ってよ。
弟分:気のせいだって!?
何かってっと兄貴は二言目に気のせいだ気のせいだって言うけどよ
、じゃあ何かい?
表がバカに人通りが多いけど、これも気のせいかい?
兄貴:人通りが多いってのが気のせいってこたぁねえだろ。
ちと聞いてみるか。
おーい、姉や!
姉や姉やー!
老婆:なんだぁねー?
兄貴:っ…、バカに人通りが多いようだけど、村になんかあったか!?
老婆:村の鎮守様の祭りだぁよ。
弟分:祭りにしちゃ、バカに人が多すぎるな。
老婆:なんだか知らねぇけんどよ、江戸の歌舞伎役者の名人が来てござら
っしゃると。
弟分:へぇぇ、江戸の歌舞伎役者の名人かい。
なんて役者だい?
老婆:市川團十郎とかいう人のお弟子さんだかで、
市川怨霊に中村無念蔵だっちゅうね。
兄貴:なんだか化けて出そうな名前の役者だな…。
そん中に人魂ってのはいねえか?
老婆:そんなのおらァ知らねェよ。
兄貴:で、どんな芝居やってんだい?
老婆:あんだか知らねェけんどもよ、坊さん化けて出るんだとよぅ。
兄貴:坊主が化けて出る…?
日蓮上人さんが化けたって話は聞かねえな。
弘法大師様も化けたって話は聞いた事がねェ。
…ははは、そうか、そりゃあいいや。
退屈してたんだ。
どうでい兄弟、これからひとつ、その芝居を見に行かねえかい?
弟分:いや俺ァ実は芝居が嫌ぇなんだ。
兄貴:んなこと言うなよ、付き合いってことがあるじゃねえか。
こういう村芝居ってのはおもしろいんだよ。
えーとこないだの、何て言ったっけな。
あぁそうだ、鍋島の猫騒動って芝居だよ、うん。
知ってるかい? 殿さまが碁を打ってるんだ。
そしたら庭の池の向こうから、化け猫が出て来るんだけどよ、
猫と殿さまの間に焼酎を布っきれに浸したやつ、歌舞伎とかで
狐火や幽霊の出る場面に使うのがあるだろ。
弟分:ああ、なんだっけな、たしか焼酎火っつうんだっけな、それ。
兄貴:芝居が嫌ぇなクセによく知ってんな。
で、それが化け猫と殿さまの間を行ったり来たりしてたんだ。
だけどどう見当が違ったか、焼酎火を操ってた奴がうっかり化け猫
の方に大きく振っちまったんだろうな。
ぼっ、と火がつきやがったんだ。
弟分:おいおい、大丈夫なのかいそれ。
兄貴:大丈夫なわけがねェ。
化け猫ったって綿でできた着ぐるみだ。中に人が入ってる。
びっくりしたろうよ。
「あちィーーーッ!」ってぇと、着ぐるみをぽーんッと投げ捨てち
まった。
だけどもっとびっくりしたのは見物客だ。
人間が猫に化けるのは話がわかるよ。
その逆だってんで、
「猫が人間に化けたァーーッ!」てよ、へへへ…。
弟分:いや信じるのかいそれ。
とりあえず役者に怪我は無かったわけだな。
兄貴:ああ、だけど着ぐるみは燃えちまったからもう芝居にならねェ。
丸札出して客に帰ってもらったんだ、大変な騒ぎよ。
こういうところが村芝居のおもしれェとこだ。
こないだもよ、太閤記十段目、光秀の出陣の一幕。
腰元たちが薙刀を持ってずらっと並んでるんだ。
ところがこれがいい加減なんだ、田舎芝居だからさ。
本物の薙刀は二本しかねェ。
後の腰元のやつをちょっと見たらね、竹の棒の先に鎌を結わえつけ
てあるんだ、へへへ…。
弟分:まぁ、村芝居だから物を揃える金子はさすがにねえだろ。
兄貴:とにかく、そういうところが村芝居のおもしれェとこなんだ。
だからどうでい、ひとつ見に行かねえかい?
弟分:いや俺は嫌だよ。
兄貴:そう言うなよ。近いんだしさ。
おーい姉やん姉やん!
俺達ゃこれからな、その芝居を見に行ってくるからよ、
その間に床を取っておいてくれ!
老婆:そうけぇ? 化け物芝居見に行くけぇ?
ハハ…。
冥土の土産に見て お か っ せ。
兄貴:嫌なこと言いやんな。
じゃ、出かけようじゃねえか。
弟分:分かったよ…。
兄貴:しかしなんだな、田舎はいいなぁ。
東京と違って空気が爽やかだな。
弟分:なんか聞こえてきたな。
祭囃子か…あれが村の鎮守様かな。
兄貴:見ろ兄弟、掛け小屋が見えてきた。
掛け小屋ってのはあまりいい芝居掛からねえって言うけどな。
出し物は何かな…ええと、「蔦紅葉宇都谷峠」の文弥殺しの場…。
兄弟、蔦紅葉宇都谷峠、知ってるかい?
弟分:冗談じゃないよ。
兄貴:そんな顔してるんじゃねえよ。
付き合いってことがあるんだからさ。
木戸銭は俺が払うから。
さ、入ろうや。
語り:二人が中へ入りますと、ちょうど舞台もお中入りというやつです。
ざわざわざわざわしている間を仲売りというのが首から下げた荷を
触れ売りしておりました。
田舎なことですから、売りに来る物もだいぶ違っております。
え~草鞋は良しかな?
え~小田原提灯はどうだね。
え~ロウソクはいかが?
え~握り飯はどうだね?
弟分:兄貴、聞いたかよ。
握り飯にろうそくだってよ。
変なもの売りに来やんな。
ろうそくをおかずにして握り飯を食うかい?
兄貴:おい変なこと言うんじゃないよ、ええ。
他の客に聞かれたらなんか言われるぞ。
あのな、ここは田舎だぜ?
山越しでみんな芝居を見に来るんだよ。
提灯で足元を照らさねえってぇと帰りなんざ危ねぇってもんだ。
ロウソクが切れちまうといけねえってんで親切に売って歩いてるん
だよ。
わかったか?
弟分:ぁそうか。
俺はまたロウソクが油っ気あるから、握り飯のおかずに食べるのかと思っ
た。
しかし騒がしいね、なんだぃ?
百姓2:そこにござらっしゃるは、戸左衛門さんでねえか!?
百姓1:あれまぁ、誰かね…。
!!あーーーこりゃ久方ぶりでねえかぁ!?
百姓2:ははは…ばあ様あんべぇ悪ぃっちゅってたけどどうだね?
百姓1:あぁーおかげ様でもうすっかりよくなってなぁ。
今晩な、芝居見せに一緒に連れてきたぁ。
百姓2:そうかいそうかい。
おぉーばあ様、陰に隠れて見えなかったぁ。
どうだい、あんべぇは?
百姓妻:おかげさんで、ありがとうごじぇますぅ。
あんべぇ悪ぃ時に見舞ぇ来てもらぇやしてなぁ、
刈り入れ時にゃあ人手が足らねえで手伝うてもらって、
まだお礼にも上がりませんでよ。
百姓2:ああ、そんなのお互い様だぁ。
百姓妻:おじい様がねぇ、今晩、芝居見に連れてきてくれたんだぁ。
百姓2:そうかぁ、良かったなぁ。
まぁ夜道は寒いでなぁ、風邪ぶり返さすといけねえから、
注意した方がええぞぅ。
そうかあ、ばあ様連れて芝居見に来たかぁ。
百姓1:そうなんだよぅ。
まああんべぇ良くなったようなもんだけど、年が年だでな。
いつおっ死なねえものでもねぇが、おっ死んだとなれば、
ひょっとしたらひょっとして化けて出ねえもんでもねえからね。
どうせなら化けて出てもらう時に、できるだけ様子よく化けて
出てもらいてえと思ってな、ははは。
化けて出る時の参考のために、今晩芝居を見せに連れてきたぁ。
百姓妻:あぁら嫌ですよぅおじい様。
あたしゃまだまだ向こうへは行きませんよぅ。
弟分:おいおい兄貴、聞いたかよ、ええ?
ひでえこと言ってんな、年寄りつかまえて。
兄貴:まあまあ、あれが田舎の人のいいところだ。
あんまり目に角を立てちゃあいけねえ。
語り:などとわいわいわいわいやっておりますうちに、舞台の方では柝が
ちょーんちょちょちょんと刻みに入り、定式幕がす~っと開きます
。
ご存じ、「蔦紅葉宇都谷峠」
鞠子の宿も過ぎましたか、長源寺。
上手に継道、下手に杉松の木立、藪畳どうもよろしくとありますが
、そこは田舎の事、だらしがない。
黒幕一枚張ったっきり。
辻やゴミ溜めから拾って来たような赤っ茶けた笹っ葉、
二、三十枚差して藪畳のつもり。
花道から本舞台へ。
座頭の文弥、続いて伊丹屋十兵衛、旅姿。
【※ここから劇中劇・蔦紅葉宇都谷峠の一幕が始まります。】
十兵衛:文弥殿、文弥殿。
それはそうと、さっきから聞こう聞こうと思っていたのだ。
神奈川から護摩の灰が尾けてきた。
こなたのその懐の包み、もしや金子でも入っておるのか?
文弥:はい。
京へ上って官位を授けていただく為の、百両の金子でございます。
十兵衛:百両!
これはまた物騒な…。
ところでわしは、こなたに頼みがある。
なんとか聞いてはくれまいか。
文弥:はい、大恩受けしあなた様。
そのお頼みとおっしゃるは?
十兵衛:その金子、どうかわしに貸してもらいたい。
文弥:えぇぇぇ、なんと…!
十兵衛:その驚きはもっともなれど、その理由というのはこういう次第、
文弥殿、わしの言うこと、気を落ち着けて聞いて下されぃ。
何を隠そうわしは元、さるお屋敷の若党にて、
友朋輩と喧嘩をし、すでに命の無いところ、
ご主人様のお情けにて、命助かり町家の暮らし。
そのご主人の娘御が、悪い奴にかどわかされて、廓のつとめ。
ご恩返しに身請けせし、金の残りにつまりし所、
その金貸して下されたは、ご主人様のご舎弟にて、
金は殿より預かり金、一つ良ければ二つもと、
借りたる金を調達せねば、ご舎弟様のご難儀ゆえ、
金の工面に京都まで、はるばる行けばその先の、
主が死んだ後へ行き、いすかの嘴とすごすご帰る道すがら、
夕べ鞠子の宿において、金を持ったこなたと出会い、
いっそ盗ろうか借りようかと、
千々の心で切り出す無心…。
これ文弥殿。
決して長いこととは言わぬ。
ほんの三月か四月の間、その金貸して下されば、
利に利を添えて返そうほどに、
どうぞこの無理聞き入れて、その金わしに貸してくだされい。
文弥:貸せとおっしゃるこの金子、
夕べ鞠子の宿にて、
護摩の灰めに盗られるところ、
あなた様のおかげにて、無事に手にあるこの百両、
義理にも貸さねばならぬところ、義理を欠いてお断り致しますは、
こちらにも切ない訳あっての事、
十兵衛様、まず、お聞きなされて下さりませ。
三つの時から目の見えぬ、わしを不憫に思われて、
母者姉者の艱難苦労、
この百両の金も、姉者が苦界へ身を沈め、こさえてくれた身代金
、官位も得ずに途中にて、人に貸したの盗られたの、
とあっては江戸へ帰れません。
十兵衛様、お慈悲深い十兵衛様、
どうぞこの金ばかりは、お許しなされて下さりませ。
十兵衛:…これは、わしが悪かった。
そういうわけの金と聞いては、よしんば貸そうと言われても、
こればっかりは借りられぬ。
文弥殿、いま言うたことは聞かぬ事と忘れて下され。
文弥:それでは、それではこの金は思い切って下さいますか。
十兵衛:思い切るとも。
思い切るとも。
わしはすっぱりと思い切りました。
文弥:それで、安心いたしました。
十兵衛:文弥殿、こなたとわしはここで別れよう。
文弥:それはまた、何故でございます?
十兵衛:いったん無心を言い出したわしが一緒では、
さぞこなたも怖かろう。
幸いこれから峠も下り道、夜明けにも間近いこと、
怪我せぬように行かっしゃれぃ。
文弥:そんならどうでも旦那には…。
十兵衛:別れて行くが、こなたの安心。
文弥:とはいえ…。
十兵衛:気を付けて、行かっしゃいよ。
文弥:あ、ありがとうございましたぁ。
語り:礼を言って行きかける文弥の後ろに回った十兵衛、
腰に差しておりました道中差しを抜き払い、文弥の肩先目がけて!
文弥:!!ひっ、ぎっ、ひぃああぁぁぁ!!
そんならどうでも、このわしをぉぉ、殺すのじゃろぉぉぉう!
十兵衛:割っつ口説いつ事情を、話したとても貸さぬは道理、
さらさら無理とは思わねど、その金この手に入らねば、
大恩受けた、あるじの難儀。
道に背いたことながら、わしも以前は若党奉公、
武士の禄を食んだからは、切り取りなすも武士のならい。
あるじの為にはかえられぬ。
その代わりに一周忌、遅くもこなたの三年までに、
金こしらえて身寄りを尋ね、仇と名乗って討たれる心、
京三界まで駆け歩き、工面の出来ぬその金を、
持っていたのがこなたの因果、
欲しゅうなったがこっちの因果。
因果同士の悪縁か、殺す所も宇都谷峠、しがらむ蔦の細道に、
血汐の紅葉血の涙、この引明けが命の終わり。
許して下され、文弥殿ぉぉぉぉ!!
文弥:眼界の見えぬこのわしを、殺して金をとろうとは…!
人里離れた宇都谷で、殺して金をとろうとはぁぁ…!!
世に頼もしき人と思い、仏頼んで地獄とかや、
こなたは鬼か、獄卒かぁぁ…!
この事知らぬ江戸の母人、廓に行かれし姉者人、
今日は彼処、明日は何処と、指折り数えて待ちわびる、
その陰膳の高盛が、枕飯と聞かれたら、
さぞや嘆きはいかばかり…!
こここここれ皆こなたの成す仕業、かかる非道な心と知らず…!
…殺さば殺せ、人でなし。
たとえ殺されるともこの恨み、五百生まで生き変わり死に変わり、
虫けらにまで生を得て、
恨み晴らさでおくべきかぁぁぁぁぁ……!!
……。
十兵衛:…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、なむあみだぶつぅぅぅ…!
語り:十兵衛、文弥の懐から金を奪い、
死骸を人目にかからぬようにと、谷底へ放り、
花道まで参りますと…!
【※劇中劇・蔦紅葉宇都谷峠、終了】
ーーと、ここで市川怨霊て役者が幽霊になって出ようとしたんですが
、演出に必要な煙が無い。
市川:おい、煙煙、煙はどうしたぃ!!
煙が無けりゃ幽霊が出らんねえじゃねえか!
煙はどうしたァァ…!
大道具:親方、申し訳ございやせん!
あの、花火、宿へ忘れやしたァ!!
市川:煙が無けりゃ幽霊が出らんねえじゃねえか!
煙を持ってこぉぉぉいぃ!!
大道具:へ、へぃぃぃ!!
語り:てぇやってると、楽屋の裏では晩飯のおかず、
七輪の上にサンマをのせて焼いております。
【扇子でも団扇でもいいのでとにかくバタバタ手に当てて扇ぐ
演技】
この煙がちゅぷちゅぷぱぁーっ、ちゅぷちゅぷぱぁーっ、って
まぁ勢いよく出てる。
大道具:おっ、こいつぁもっけの幸いだ!
おいっ、そいつを七輪ごと舞台に持ってきてくれ!
煙だ、煙が必要なんだよ!
語り:とまぁ、渡りに船とばかりに舞台袖まで持って参ります。
客席へ向けて、
大道具:そりゃぁぁぁぁっ…!!!
【扇子でも団扇でもいいのでとにかくバタバタ手に当てて扇ぐ
演技】
語り:この煙が、ほわほわほわぁ~~って、漂っていきます。
やっとひゅ~どろどろと幽霊のお出ましかと客席が湧きたつ。
百姓1:見てみろぉぉ、
さっきの坊さん化けて出たぁ、怖ぇでねぇかぁぁ…!
…ん?
【鼻をクンクンさせて匂いをかぐ】
あんだか知らねぇけど、バカに生臭ぇ臭いして来たな。
百姓2:何こくだぁ、生臭ぇこと、あぁあるでねぇかぁ…えぇ?
昔から言うでねえかぁ、
幽霊の出る時は、生臭ぇ風が吹くて…!
ははぁ、ここが江戸の歌舞伎役者の芸の細けぇとこだ…!
弟分:おい兄貴、聞いたかよ。
冗談じゃねえよ、ええ?
何を言ってやんだよ、あんなとこにサンマの七輪持ってきて
パタパタ扇いでやがる。
何か言ってやろうか?
兄貴:おう、言ってやれ言ってやれ!
ったく、とんだ大根役者だ!
弟分:ぅおいッ! サンマの幽霊ッ!!
生臭幽霊ィーーッ!!
兄貴:精進忘れたかァーーーーッ!!
語り:ってぇとこの市川怨霊て役者、すきっ腹な所へ好物のサンマの匂い
が漂ってきた。
鼻にツーンと刺さってきた。
それで本来のセリフ、「うらめしいぃー」って言うところを
ついうっかり言ってしまった。
市川:ばぁんめしぃぃ~~。
弟分:ハハハなぁにを言ってやんでェ、日本一の大根ーーーッ!
市川:その大根おろして、晩飯が食いたい。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
三笑亭笑三
三遊亭金時
桂歌丸(古典落語「毛氈芝居」の蔦紅葉宇都谷峠のくだりを聞き使用)
※用語解説
・イスカの嘴:イスカという鳥は、雀より少し大きい。
上下のくちばしの先が食い違っているところから、
物事が齟齬をきたし思うようにゆかぬことにたとえる。
・割つ口説いつ:(わっつくどいつ)割りつ口説きつ、が変化したもの。
事情を打ち割って説明し、説得する。
すべてを打ち明けて口説く。
・京三界:(きょうさんがい) 京都およびその付近。
京界隈。京あたり。
・護摩の灰:昔、旅人姿で道中、他の旅人の持物を盗む泥棒。
高野聖の姿をして、弘法大師の護摩の灰だといって押し売り
して歩いた者があったところからの名という。