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落語【声劇台本書き起こし】

古典落語「さんま芝居」

作者: 霧夜シオン


原作:古典落語「さんま芝居しばい


台本化:霧夜シオン


所要時間:約35分


必要演者数:3名

      (0:0:3)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物



兄貴:弟分と二人で旅をしており、とある田舎の村に滞在たいざいしている。

   芝居が大好き。


弟分:兄貴と二人で旅をしている。芝居は嫌いな方。


老婆:村の宿の女中じょちゅうさん。

   兄貴もねえやん呼ばわりは無いだろう。


百姓ひゃくしょう1:村の百姓ひゃくしょうさんその1。

     年老いてる。名前が戸左衛門とざえもんとかいうらしい。


百姓ひゃくしょう妻:百姓ひゃくしょう1の年老いた奥さん。

     一緒に芝居しばいを見に来ている。


百姓ひゃくしょう2:村の百姓ひゃくしょうさんその2。

     話からしてこっちは多分中年くらい。


文弥ぶんや劇中劇げきちゅうげき、「蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ」に登場する目の見えない人物。

   目の不自由な人に与えられる官位かんいを得ようと、京都へ向かう途中。


十兵衛:恩人にむくいるべく百両ひゃくりょうの金を用立ようだてるも、返済に困って京都

    へ向かうも当てがすべて外れ、失意の中京都から帰ってくる途中

    、文弥ぶんやと出会う。

    劇中劇げきちゅうげき、「蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ」に登場する人物。


市川怨霊:村へ興行こうぎょうに来た歌舞伎かぶき役者。

     市川團十郎いちかわだんじゅうろうの弟子だというが…。


大道具:一座の大道具係。

    忘れ物をするなどそそっかしい。


語り:雰囲気を大事に。


●配役例


兄貴・十兵衛・百姓2・市川:

弟分・文弥・百姓1・大道具:

老婆・百姓妻・語り・枕:


※:枕は1セリフのみです。



枕:食べ物にも絶妙な取り合わせがあります。

  カレーに福神漬ふくじんづけ、すき焼きに生卵、秋刀魚さんまに大根おろし。

  秋刀魚さんまは安い、美味うまい、栄養価高いの三拍子さんびょうしそろった秋の味覚みかくです。

  もっとも、最近はとんでもなく値上がりしてしまい、昔ほど気軽に

  買って食べられなくなってしまいましたが。 

  大根にはすりおろした汁にビタミンCやジャスタウェイ…ではなく、

  ジアスターゼという消化酵素しょうかこうそを持ち、血液が固まってできる血栓けっせん

  を防止したり、解毒げどく作用さようもある成分が多く含まれています。

  これが油の強い魚である秋刀魚さんまにぴったり合うんですな。

  大根と言えば、大根役者て言葉がありますが、これは通常はても

  焼いてもオロシても、主役になる事がありません。そしてしょくあたりも

  しません。

  なので、何をしても当たらない役者のことを大根役者と言うようにな

  りました。

  また、真っ白な大根はしろ、素人とあてられ、どんなに頑張っても

  黒、つまり玄人くろうとにはならないとも言われます。

  ところが、ものの持っていき方によってはこの大根も主役級の活躍を

  するわけでして。


弟分:はぁ…。


兄貴:あぁー、食った食った。

   …って、なんでぇ、気のねェ溜息ためいきつきやがって。


弟分:兄貴の前だけどよ、この宿ってェものは実にあきれたもんだな!

   朝昼晩と三度三度サンマの塩焼きを出しやがる。冗談じゃねえよ。


兄貴:しょうがねえよ、ここはサンマの本場だからな。

   俺もそう思って宿のほうに言ったんだ。

   そしたら今晩はサンマの刺身だとよ。


弟分:うへぇ。

   江戸に帰って、マグロの赤身で一杯やりてぇなぁ。

   いや最初はね、サンマんめぇなぁって思ったよ?

   だけどこう、三日もサンマを出された日にゃ変な心持ちに

   なっちまわあ。

   あれかい? 三日だからサンマとかけてんのかね?

   それでさっき鏡を見たら口が少しこう、とんがってきた。


兄貴:気のせいだよ、つまらねえこと言うなぃ。


弟分:いや、つまらねえこと言うなったって…だけどなんだね、

   この大根おろしはうめぇな。


兄貴:だから気のせいだって。

   大根おろしは別に美味うまいわけじゃないよ。

   この大根おろしの中へサンマの油が染み込んでんだ、な。

   醤油しょうゆの味がしみ込んでるから、美味うまく感じるんだよ。

   変なことばっかり言ってよ。


弟分:気のせいだって!?

   何かってっと兄貴は二言目ふたことめに気のせいだ気のせいだって言うけどよ

   、じゃあ何かい?

   おもてがバカに人通りが多いけど、これも気のせいかい?


兄貴:人通りが多いってのが気のせいってこたぁねえだろ。

   ちと聞いてみるか。

   おーい、ねえや!

   ねえねえやー!


老婆:なんだぁねー?


兄貴:っ…、バカに人通りが多いようだけど、村になんかあったか!?


老婆:村の鎮守ちんじゅ様の祭りだぁよ。


弟分:祭りにしちゃ、バカに人が多すぎるな。


老婆:なんだか知らねぇけんどよ、江戸の歌舞伎役者かぶきやくしゃの名人が来てござら

   っしゃると。


弟分:へぇぇ、江戸の歌舞伎役者かぶきやくしゃの名人かい。

   なんて役者だい?


老婆:市川團十郎いちかわだんじゅうろうとかいう人のお弟子さんだかで、

   市川怨霊いちかわおんりょう中村無念蔵なかむらむねんぞうだっちゅうね。


兄貴:なんだか化けて出そうな名前の役者だな…。

   そん中に人魂ひとだまってのはいねえか?


老婆:そんなのおらァ知らねェよ。


兄貴:で、どんな芝居しばいやってんだい?


老婆:あんだか知らねェけんどもよ、坊さん化けて出るんだとよぅ。


兄貴:坊主ぼうずが化けて出る…?

   日蓮上人にちれんしょうにんさんが化けたって話は聞かねえな。

   弘法大師こうぼうだいし様も化けたって話は聞いた事がねェ。

   …ははは、そうか、そりゃあいいや。

   退屈してたんだ。

   どうでい兄弟、これからひとつ、その芝居しばいを見に行かねえかい?


弟分:いや俺ァ実は芝居しばいきれぇなんだ。


兄貴:んなこと言うなよ、付き合いってことがあるじゃねえか。

   こういう村芝居むらしばいってのはおもしろいんだよ。

   えーとこないだの、何て言ったっけな。

   あぁそうだ、鍋島なべしま猫騒動ねこそうどうって芝居しばいだよ、うん。

   知ってるかい? 殿さまがを打ってるんだ。

   そしたら庭の池の向こうから、化け猫が出て来るんだけどよ、

   猫と殿さまの間に焼酎しょうちゅうぬのっきれにひたしたやつ、歌舞伎かぶきとかで

   狐火きつねびや幽霊の出る場面に使うのがあるだろ。


弟分:ああ、なんだっけな、たしか焼酎火しょうちゅうびっつうんだっけな、それ。


兄貴:芝居しばいきれぇなクセによく知ってんな。

   で、それが化け猫と殿さまの間を行ったり来たりしてたんだ。

   だけどどう見当けんとうが違ったか、焼酎火しょうちゅうびを操ってた奴がうっかり化け猫

   の方に大きく振っちまったんだろうな。

   ぼっ、と火がつきやがったんだ。


弟分:おいおい、大丈夫なのかいそれ。


兄貴:大丈夫なわけがねェ。

   化け猫ったって綿わたでできた着ぐるみだ。中に人が入ってる。

   びっくりしたろうよ。

   「あちィーーーッ!」ってぇと、着ぐるみをぽーんッと投げ捨てち

   まった。

   だけどもっとびっくりしたのは見物客けんぶつきゃくだ。

   人間が猫に化けるのは話がわかるよ。

   その逆だってんで、

   「猫が人間に化けたァーーッ!」てよ、へへへ…。


弟分:いや信じるのかいそれ。

   とりあえず役者に怪我けがは無かったわけだな。


兄貴:ああ、だけど着ぐるみは燃えちまったからもう芝居しばいにならねェ。

   丸札まるふだ出して客に帰ってもらったんだ、大変な騒ぎよ。

   こういうところが村芝居むらしばいのおもしれェとこだ。

   こないだもよ、太閤記たいこうき十段目、光秀みつひでの出陣の一幕ひとまく

   腰元こしもとたちが薙刀なぎなたを持ってずらっと並んでるんだ。

   ところがこれがいい加減かげんなんだ、田舎芝居いなかしばいだからさ。

   本物の薙刀なぎなたは二本しかねェ。

   後の腰元こしもとのやつをちょっと見たらね、竹の棒の先にかまわえつけ

   てあるんだ、へへへ…。


弟分:まぁ、村芝居むらしばいだから物をそろえる金子きんすはさすがにねえだろ。


兄貴:とにかく、そういうところが村芝居むらしばいのおもしれェとこなんだ。

   だからどうでい、ひとつ見に行かねえかい?


弟分:いや俺はだよ。


兄貴:そう言うなよ。近いんだしさ。

   おーいねえやんねえやん!

   俺達ゃこれからな、その芝居しばいを見に行ってくるからよ、

   その間にとこを取っておいてくれ!


老婆:そうけぇ? もの芝居しばい見に行くけぇ?

   ハハ…。

   冥土めいど土産みやげに見て お か っ せ。


兄貴:嫌なこと言いやんな。

   じゃ、出かけようじゃねえか。


弟分:分かったよ…。


兄貴:しかしなんだな、田舎はいいなぁ。

   東京と違って空気がさわやかだな。


弟分:なんか聞こえてきたな。

   祭囃子まつりばやしか…あれが村の鎮守ちんじゅ様かな。


兄貴:見ろ兄弟、小屋ごやが見えてきた。

   小屋ごやってのはあまりいい芝居しばい掛からねえって言うけどな。

   出し物は何かな…ええと、「蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ」の文弥ぶんや殺しの場…。

   兄弟、蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ、知ってるかい?


弟分:冗談じゃないよ。


兄貴:そんな顔してるんじゃねえよ。

   付き合いってことがあるんだからさ。

   木戸銭きどせんは俺が払うから。

   さ、入ろうや。


語り:二人が中へ入りますと、ちょうど舞台もお中入なかいりというやつです。

   ざわざわざわざわしている間を仲売なかうりというのが首から下げた

   れ売りしておりました。

   田舎なことですから、売りに来る物もだいぶ違っております。


   え~草鞋わらじは良しかな?

   え~小田原提灯おだわらちょうちんはどうだね。

   え~ロウソクはいかが?

   え~にぎめしはどうだね?


弟分:兄貴、聞いたかよ。

   にぎめしにろうそくだってよ。

   変なもの売りに来やんな。

   ろうそくをおかずにしてにぎめしを食うかい?


兄貴:おい変なこと言うんじゃないよ、ええ。

   他の客に聞かれたらなんか言われるぞ。

   あのな、ここは田舎いなかだぜ?

   山越やまごしでみんな芝居しばいを見に来るんだよ。

   提灯ちょうちんで足元を照らさねえってぇと帰りなんざ危ねぇってもんだ。

   ロウソクが切れちまうといけねえってんで親切に売って歩いてるん

   だよ。

   わかったか?


弟分:ぁそうか。

   俺はまたロウソクがあぶらあるから、にぎめしのおかずに食べるのかと思っ

   た。

   しかし騒がしいね、なんだぃ?


百姓2:そこにござらっしゃるは、戸左衛門とざえもんさんでねえか!?


百姓1:あれまぁ、誰かね…。

    !!あーーーこりゃ久方ぶりでねえかぁ!?


百姓2:ははは…ばあ様あんべぇ悪ぃっちゅってたけどどうだね?


百姓1:あぁーおかげ様でもうすっかりよくなってなぁ。

    今晩な、芝居しばい見せに一緒に連れてきたぁ。


百姓2:そうかいそうかい。

    おぉーばあ様、陰に隠れて見えなかったぁ。

    どうだい、あんべぇは?


百姓妻:おかげさんで、ありがとうごじぇますぅ。

    あんべぇわりぃ時に見舞みめぇ来てもらぇやしてなぁ、

    り入れ時にゃあ人手ひとでが足らねえで手伝うてもらって、

    まだお礼にも上がりませんでよ。


百姓2:ああ、そんなのお互い様だぁ。


百姓妻:おじい様がねぇ、今晩、芝居しばい見に連れてきてくれたんだぁ。


百姓2:そうかぁ、良かったなぁ。

    まぁ夜道よみちは寒いでなぁ、風邪かぜぶり返さすといけねえから、

    注意した方がええぞぅ。

    そうかあ、ばあ様連れて芝居しばい見に来たかぁ。


百姓1:そうなんだよぅ。

    まああんべぇ良くなったようなもんだけど、年が年だでな。

    いつおっなねえものでもねぇが、おっんだとなれば、

    ひょっとしたらひょっとして化けて出ねえもんでもねえからね。

    どうせなら化けて出てもらう時に、できるだけ様子ようすよく化けて

    出てもらいてえと思ってな、ははは。

    化けて出る時の参考のために、今晩芝居こんばんしばいを見せに連れてきたぁ。


百姓妻:あぁら嫌ですよぅおじい様。

    あたしゃまだまだ向こうへは行きませんよぅ。


弟分:おいおい兄貴、聞いたかよ、ええ?

   ひでえこと言ってんな、年寄りつかまえて。


兄貴:まあまあ、あれが田舎いなかの人のいいところだ。

   あんまり目にかどを立てちゃあいけねえ。


語り:などとわいわいわいわいやっておりますうちに、舞台の方では

   ちょーんちょちょちょんと刻みに入り、定式幕じょうしきまくがす~っと開きます

   。

   ご存じ、「蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ

   鞠子まりこ宿しゅくも過ぎましたか、長源寺ちょうげんじ

   上手かみて継道つぎみち下手しもて杉松すぎまつ木立こだち藪畳やぶだたみどうもよろしくとありますが

   、そこは田舎いなかの事、だらしがない。

   黒幕くろまく一枚張ったっきり。

   つじやゴミめからひろって来たようなあかちゃけたささ

   二、三十枚差して藪畳やぶだたみのつもり。

   花道はなみちから本舞台ほんぶたいへ。

   座頭ざとう文弥ぶんや、続いて伊丹屋十兵衛いたみやじゅうべえ旅姿たびすがた



【※ここから劇中劇・蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげの一幕が始まります。】



十兵衛:文弥ぶんや殿、文弥ぶんや殿。

    それはそうと、さっきから聞こう聞こうと思っていたのだ。

    神奈川から護摩ごまの灰がけてきた。

    こなたのそのふところの包み、もしや金子きんすでも入っておるのか?


文弥:はい。

   京へのぼって官位かんいさずけていただく為の、百両ひゃくりょう金子きんすでございます。


十兵衛:百両ひゃくりょう

    これはまた物騒ぶっそうな…。

    ところでわしは、こなたに頼みがある。

    なんとか聞いてはくれまいか。


文弥:はい、大恩だいおん受けしあなた様。

   そのお頼みとおっしゃるは?


十兵衛:その金子きんす、どうかわしに貸してもらいたい。


文弥:えぇぇぇ、なんと…!


十兵衛:その驚きはもっともなれど、その理由わけというのはこういう次第しだい

    文弥ぶんや殿、わしの言うこと、気を落ち着けて聞いて下されぃ。


    何を隠そうわしは元、さるお屋敷の若党わかとうにて、

    友朋輩ともほうばい喧嘩けんかをし、すでに命の無いところ、

    ご主人様のお情けにて、いのち助かり町家ちょうかの暮らし。

    そのご主人の娘御むすめごが、悪い奴にかどわかされて、くるわのつとめ。

    ご恩返おんがえしに身請みうけせし、金の残りにつまりし所、

    その金貸して下されたは、ご主人様のご舎弟しゃていにて、

    金は殿より預かりきん、一つ良ければ二つもと、

    借りたる金を調達せねば、ご舎弟しゃてい様のご難儀なんぎゆえ、

    金の工面くめんに京都まで、はるばるけばその先の、

    あるじが死んだ後へ行き、いすかのはしとすごすご帰る道すがら、

    ゆう鞠子まりこ宿しゅくにおいて、金を持ったこなたと出会い、

    いっそろうか借りようかと、

    ちぢ々の心で切り出す無心むしん…。

    これ文弥ぶんや殿。

    決して長いこととは言わぬ。

    ほんの三月みつき四月よつきの間、その金貸して下されば、

    利に利をえて返そうほどに、

    どうぞこの無理聞き入れて、その金わしに貸してくだされい。


文弥:貸せとおっしゃるこの金子きんす

   ゆう鞠子まりこ宿しゅくにて、

   護摩ごまはいめにられるところ、

   あなた様のおかげにて、無事に手にあるこの百両ひゃくりょう

   義理にも貸さねばならぬところ、義理をいてお断り致しますは、

   こちらにもせつないわけあっての事、

   十兵衛じゅうべえ様、まず、お聞きなされて下さりませ。


   三つの時から目の見えぬ、わしを不憫ふびんに思われて、

   母者ははじゃ姉者あねじゃ艱難苦労かんなんくろう

   この百両ひゃくりょうの金も、姉者あねじゃ苦界くがいへ身を沈め、こさえてくれた身代金みのしろきん

   、官位かんいずに途中にて、人に貸したの盗られたの、

   とあっては江戸えどへ帰れません。

   十兵衛じゅうべえ様、お慈悲深じひぶか十兵衛じゅうべえ様、

   どうぞこの金ばかりは、お許しなされて下さりませ。


十兵衛:…これは、わしが悪かった。

    そういうわけの金と聞いては、よしんば貸そうと言われても、

    こればっかりは借りられぬ。

    文弥ぶんや殿、いま言うたことは聞かぬ事と忘れて下され。


文弥:それでは、それではこの金は思い切って下さいますか。


十兵衛:思い切るとも。

    思い切るとも。

    わしはすっぱりと思い切りました。


文弥:それで、安心いたしました。


十兵衛:文弥殿、こなたとわしはここで別れよう。


文弥:それはまた、何故でございます?


十兵衛:いったん無心むしんを言い出したわしが一緒では、

    さぞこなたもこわかろう。

    さいわいこれからとうげくだり道、夜明けにも間近まぢかいこと、

    怪我けがせぬようにかっしゃれぃ。


文弥:そんならどうでも旦那だんなには…。


十兵衛:別れて行くが、こなたの安心。


文弥:とはいえ…。


十兵衛:気を付けて、かっしゃいよ。


文弥:あ、ありがとうございましたぁ。


語り:礼を言って行きかける文弥ぶんやの後ろに回った十兵衛じゅうべえ

   腰に差しておりました道中差どうちゅうざしを抜き払い、文弥ぶんや肩先かたさき目がけて!


文弥:!!ひっ、ぎっ、ひぃああぁぁぁ!!

   そんならどうでも、このわしをぉぉ、殺すのじゃろぉぉぉう!


十兵衛:っつ口説くどいつ事情いりわけを、話したとても貸さぬは道理、

    さらさら無理とは思わねど、その金この手に入らねば、

    大恩だいおん受けた、あるじの難儀なんぎ

    道にそむいたことながら、わしも以前は若党奉公わかとうほうこう

    武士のろくんだからは、切り取りなすも武士のならい。

    あるじの為にはかえられぬ。

    その代わりに一周忌、遅くもこなたの三年までに、

    金こしらえて身寄みよりをたずね、かたきと名乗って討たれる心、

    京三界きょうさんがいまでけ歩き、工面くめん出来できぬその金を、

    持っていたのがこなたの因果いんが

    しゅうなったがこっちの因果いんが

    因果いんが同士の悪縁あくえんか、殺す所も宇都谷峠うつのやとうげ、しがらむつた細道ほそみちに、

    血汐ちしお紅葉もみじ血の涙、この引明ひきあけが命の終わり。


    許して下され、文弥ぶんや殿ぉぉぉぉ!!


文弥:眼界めかいの見えぬこのわしを、殺して金をとろうとは…!

   人里ひとざと離れた宇都谷うつのやで、殺して金をとろうとはぁぁ…!!

   世に頼もしき人と思い、ほとけ頼んで地獄とかや、

   こなたは鬼か、獄卒ごくそつかぁぁ…!

   この事知らぬ江戸の母人ははびとくるわに行かれし姉者人あねじゃびと

   今日は彼処かしこ、明日は何処どこと、指折り数えて待ちわびる、

   その陰膳かげぜん高盛たかもりが、枕飯まくらめしと聞かれたら、

   さぞやなげきはいかばかり…!

   こここここれみなこなたの仕業しわざ、かかる非道ひどうな心と知らず…!

   …殺さば殺せ、人でなし。

   たとえ殺されるともこのうらみ、五百生ごひゃくしょうまで生き変わり死に変わり、

   虫けらにまでしょうを得て、


   恨み晴らさでおくべきかぁぁぁぁぁ……!!

   ……。


十兵衛:…南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、なむあみだぶつぅぅぅ…!


語り:十兵衛じゅうべえ文弥ぶんやふところから金を奪い、

   死骸しがい人目ひとめにかからぬようにと、谷底たにぞこほうり、

   花道はなみちまで参りますと…!


【※劇中劇げきちゅうげき蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげ、終了】


   ーーと、ここで市川怨霊いちかわおんりょうて役者が幽霊になって出ようとしたんですが

   、演出に必要なけむが無い。


市川:おい、煙煙けむけむけむはどうしたぃ!!

   けむが無けりゃ幽霊が出らんねえじゃねえか!

   けむはどうしたァァ…!


大道具:親方おやかた、申し訳ございやせん!

    あの、花火、宿へ忘れやしたァ!!


市川:けむが無けりゃ幽霊が出らんねえじゃねえか!

   けむを持ってこぉぉぉいぃ!!


大道具:へ、へぃぃぃ!!


語り:てぇやってると、楽屋がくやの裏では晩飯ばんめしのおかず、

   七輪しちりんの上にサンマをのせて焼いております。


   【扇子せんすでも団扇うちわでもいいのでとにかくバタバタ手に当ててあお

   演技】


   このけむりがちゅぷちゅぷぱぁーっ、ちゅぷちゅぷぱぁーっ、って

   まぁ勢いよく出てる。


大道具:おっ、こいつぁもっけの幸いだ!

    おいっ、そいつを七輪しちりんごと舞台ぶたいに持ってきてくれ!

    けむだ、けむが必要なんだよ!


語り:とまぁ、渡りに船とばかりに舞台袖ぶたいそでまで持って参ります。

   客席へ向けて、


大道具:そりゃぁぁぁぁっ…!!!

    【扇子せんすでも団扇うちわでもいいのでとにかくバタバタ手に当ててあお

    演技】


語り:この煙が、ほわほわほわぁ~~って、ただよっていきます。

   やっとひゅ~どろどろと幽霊のお出ましかと客席がきたつ。


百姓1:見てみろぉぉ、

    さっきの坊さん化けて出たぁ、こえぇでねぇかぁぁ…!


    …ん?

    【鼻をクンクンさせて匂いをかぐ】


    あんだか知らねぇけど、バカに生臭なまぐせにおいして来たな。


百姓2:なにこくだぁ、生臭なまぐせぇこと、あぁあるでねぇかぁ…えぇ?

    昔から言うでねえかぁ、

    幽霊の出る時は、生臭なまぐせぇ風が吹くて…!

    ははぁ、ここが江戸の歌舞伎役者かぶきやくしゃの芸のこまけぇとこだ…!


弟分:おい兄貴、聞いたかよ。

   冗談じゃねえよ、ええ?

   何を言ってやんだよ、あんなとこにサンマの七輪しちりん持ってきて

   パタパタあおいでやがる。

   何か言ってやろうか?


兄貴:おう、言ってやれ言ってやれ!

   ったく、とんだ大根役者だ!


弟分:ぅおいッ! サンマの幽霊ッ!!

   生臭なまぐさ幽霊ィーーッ!!


兄貴:精進しょうじん忘れたかァーーーーッ!!


語り:ってぇとこの市川怨霊いちかわおんりょうて役者、すきっぱらな所へ好物のサンマのにお

   がただよってきた。

   鼻にツーンと刺さってきた。

   それで本来のセリフ、「うらめしいぃー」って言うところを

   ついうっかり言ってしまった。


市川:ばぁんめしぃぃ~~。


弟分:ハハハなぁにを言ってやんでェ、日本一の大根ーーーッ!


市川:その大根おろして、晩飯が食いたい。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


三笑亭笑三

三遊亭金時

桂歌丸(古典落語「毛氈芝居もうせんしばい」の蔦紅葉宇都谷峠つたもみじうつのやとうげのくだりを聞き使用)



※用語解説


・イスカのはし:イスカという鳥は、雀より少し大きい。

       上下のくちばしの先が食い違っているところから、

       物事が齟齬そごをきたし思うようにゆかぬことにたとえる。


・割つ口説いつ:(わっつくどいつ)割りつ口説きつ、が変化したもの。

        事情を打ち割って説明し、説得する。

        すべてを打ち明けて口説く。           


・京三界:(きょうさんがい) 京都およびその付近。

     京界隈(きょうかいわい)。京あたり。


護摩ごまの灰:昔、旅人姿で道中、他の旅人の持物を盗む泥棒。

      高野聖こうやひじりの姿をして、弘法大師こうぼうだいし護摩ごまの灰だといって押し売り

      して歩いた者があったところからの名という。


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