第五話 学校へ行こう!(二)
クラウディアはゲオルグに追い付き、隣を並んで歩きながら尋ねる。
「二人は?」
クラウディアからの問いに、ゲオルグはぶっきらぼうに答える。
「クラウディアに気を遣って、向こう側に行ったよ」
「ふぅ~ん」
クラウディアは、何かを察したような顔を浮かべて返事をすると、ゲオルグの顔を覗き込むような仕草で尋ねる。
「ねね。三人で、楽しそうに、なんの話をしていたの?」
「べつに……」
ゲオルグは、学校の他の女の子の話や『クラウディアと、どこまで関係が進んでいるのか?』と聞かれたと、当のクラウディア本人には言えず、話をはぐらかせる。
しかし、頭の回転の速いクラウディアは、ゲオルグの態度からすぐに会話の内容を察し、横目でゲオルグを見ながら悪戯っぽい笑顔を浮かべて告げる。
「は、は~ん。さては! 男の子同士でエッチな話をしていたんでしょ? 別に隠さなくて良いのよ。男の子の頭の中って、そればっかりなんだから。ゲオルグみたいな野生児なんて、社交界の誰も相手したがらないでしょ。……エッチなことをしたくなったら、いつでも言ってね。お相手してあげるから」
言い当てられたゲオルグは、照れながら反論する。
「う、うるせぇ! 余計なお世話だ!」
クラウディアは、ゲオルグの右腕を両腕で抱き締めるように絡めて組むと、顔を近づけてゲオルグの耳元で囁く。
「だぁ~め。ゲオルグの相手は私がするの。初めてだから優しくしてね」
「……なっ!?」
意味深な囁きに、ゲオルグが耳まで赤くなって狼狽えると、クラウディアは口元に手を当ててクスクスと笑う。
「ゲオルグ、赤くなってる。うふふ」
「男をからかうんじゃねぇ!」
二人で話しながら歩いていると、やがて学校の校門に到着する。
校門の真中には、着崩した服装をした見るからに『貴族のドラ息子』といった風体の二人の男が立っており、意地の悪そうな顔で登校してくる生徒を眺め、検分していた。
二人の男はゲオルグと目が合うと、その前に立ち塞がる。
「ちょっと……ゲオルグ……」
クラウディアは、不安げに呟きながらゲオルグの後ろに隠れる。
ゲオルグが二人の男に告げる。
「なんだ? お前ら??」
男の一人が口を開く。
「お前、登校初日から女連れとは調子に乗ってるなぁ~」
もう一人の男が口を開く。
「オレたちは、お前みたいな『調子に乗っている奴』がいたら、『先輩に対する礼儀』というやつを教えてやろうと思ってな」
すかさず、ゲオルグが口を開く。
「なんで、一年制の学校に『先輩』がいるんだよ? ……ひょっとして、お前ら、『留年』か?」
基本的に貴族子弟や子女を対象とした準備学校(Gymnasium)は、卒業が難しい学校ではなく、余程、成績が悪いか、出席が足りなくなければ卒業できる学校であった。
ゲオルグが口にした『留年』という言葉に、クラウディアは思わず口元に手を当てて笑い出す。
「プッ! クスクス……」
女の子に笑われたことで、二人組の男たちがいきり立つ。
「くっ!」
「お前に話がある! 校舎の裏に顔を貸せ!」
次の瞬間、二人組の後ろから二本の腕が伸びてくると、後ろからそれぞれ男達の首に腕を回して羽交い絞めにする。
羽交い絞めにした長身の男は、二人組の間から顔を出して静かに告げる。
「『留年』など。……感心できることではないな」
「なんだ!?」
「てめぇ……何しやがる!?」
二人組の男は、それぞれ自分を羽交い絞めにしている腕を引き剥がそうともがくが、鍛え抜いた長身の男の腕は、鋼鉄の万力のように男達の首を捉え、締め上げていた。
ゲオルグは、その長身の男の顔に見覚えがあった。
「おっ!? 兄上」
二人組の男を後ろから羽交い絞めにしたのは、ゲオルグの長兄であるジークであった。
クラウディアは、すかさずゲオルグの隣に並ぶと、これ見よがしに片膝をついてジークに対して最敬礼を取る。
「これは、皇太子殿下」
クラウディアが口にした言葉に、二人組の男達は自分達を羽交い絞めにしているのが皇太子だと知り、絶句する。
「皇太子殿下!?」
ジークは、最敬礼を取るクラウディアに微笑み掛ける。
「『臣下の礼』は不要だと言ったはずだぞ? 立つが良い」
「はい」
クラウディアは安心した表情を浮かべると、ゲオルグの隣に並び立つ。
羽交い絞めにされている男の一人がゲオルグを指差して尋ねる。
「……すると、お前は!?」
男の一人に尋ねられ、ゲオルグは右手の親指で自分を差しながら答える。
「ん? 俺か? 俺は、ゲオルグ・ヘーゲル・フォン・バレンシュテット。帝国第四皇子だ! よろしくな!」
ゲオルグの名乗りを聞いた二人組は再び絶句すると、自分達が絡んだ相手が皇族の第四皇子であると知り、その顔から、みるみるうちに血の気が引いて青ざめていく。
ジークは、意地の悪い笑顔を浮かべながら、羽交い絞めにしている二人組の一人に告げる。
「弟に『話がある』というのなら、兄である、この私が伺おう。ここでは往来の邪魔になる。皇宮でじっくりと話を聞こうじゃないか」
ジークに話し掛けられた一人は、顔面蒼白で答える。
「こ、皇宮……」
ジークは、もう一人の男に告げる。
「何なら、父上と一緒にお前たちの話を聞いてやっても良いぞ。どうだ?」
もう一人の男は、恐怖に震えながら答える。
「こ、こ、こ、皇帝陛下ですか? そ、それは……」
ジークには、この二人の男の身分が直ぐに推察できた。
皇宮に参内できる伯爵家以上の家柄、身分なら、第四皇子であるゲオルグの顔を知っているはずである。
ゲオルグの顔を知らずに絡んでいる時点で、この二人の男は、皇宮に参内できない子爵以下の下級貴族の子弟であることは明らかであった。
ジークは、最初に話し掛けた男の頬を締め上げている右手の指先でピシャピシャと軽く叩きながら、更に告げる。
「皇宮に参内すらできぬ田舎貴族の分際で、このような狼藉をはたらくとは。父上が知れば、さぞ、お怒りになることだろう」
更にジークは、もう一人の男の頬を左手の親指と人差し指でつまみながら告げる。
「私の権限で特別にお前たちに選ばせてやる。『不敬罪』と『大逆罪』のどちらが良い? ……好きな方を選べ」
帝国では、『不敬罪(※絞首刑)』と『大逆罪(※斬首刑)』は、処刑方法が異なるだけで、どちらも『死刑』であった。
「そ、そんな……」
「なにとぞ、なにとぞ、お慈悲を……」
ジークから死刑宣告を受けた二人の男は、羽交い絞めにされたまま、顔面蒼白でガクガクと足を震わせ盛大に失禁し始めた。
周囲には、ゲオルグ達を取り囲むように登校してきた生徒達が集まって人だかりができ、失禁する二人を見て、女の子達がクスクスと笑い出す。
ゲオルグは、衆目の前で失禁を続ける二人の様子を見かね、ジークに告げる。
「兄上。その辺で許してやって」
「そうか?」
ジークが二人を締め上げていた両腕を離すと、二人はその場にへたり込み、転がるようにその場から逃げ出して行った。
ジークは、逃げていく二人を目で追うと、呆れ顔で小さなため息を交じえてゲオルグ達に呟く。
「……まったく。トラキアでは、いまだ戦火が燻っているというのに。帝国本土の貴族たちは、たるんでいる」
ゲオルグがジークに尋ねる。
「兄上は、なんで学校に来ているんだ?」
ジークは、穏やかにゲオルグに答える。
「父上の代理で、入学式で生徒に訓示をすることになってな。それで来たのだ」
ゲオルグたちとジークが立ち話をしていると、校舎の中からジークの第二妃のアストリッドが現れ、ジークの元に駆け寄ってくる。
「ジーク様、こちらでしたか。学校の役員たちが待っております。どうぞ、こちらへ」
「……そろそろ時間か。先に行っているぞ」
アストリッドの話を聞いたジークは、アストリッドと共に校舎に向かって歩いて行った。
クラウディアは傍らのゲオルグに、校舎へ向かって歩いて行くジークとアストリッドの二人の後姿を見つめながら語りかける。
「ソフィア様も美人だけど、アストリッド様も美人ね。ソフィア様とは違うタイプの。ソフィア様は『綺麗』。アストリッド様は『かわいい』かな」
「そうだな……」
ゲオルグもクラウディアに同意する。
だが、ゲオルグとしては、二人の義理の姉を比べると、『かわいくて優しい』第二妃アストリッドよりも、『綺麗でカッコ良い』正妃ソフィアが憧れの年上お姉さんであった。
ジークとアストリッドが校舎へ向かって歩みを進めていく度、集まっていた生徒たちは左右に分かれて、ジーク達の進路を開け、最敬礼を取っていく。
ゲオルグは、ジークとアストリッドに対して最敬礼を取る生徒たちの中にゲオルグの悪友の二人の姿を見つける。
普段はゲオルグと対等に口をきいている悪友二人であったが、ジークとアストリッドには目を向けることすらできず、青ざめた顔で最敬礼を取ったまま、生徒たちの列の片隅にいた。
ゲオルグはクラウディアと一緒に、ジークとアストリッドが校舎の中に入るまで、その背中を見送る。
ゲオルグにとって長兄ジークは、『皇帝の右腕』『帝国の若き英雄』『次代の皇帝』と帝国内外から称賛されている誇らしく尊敬する兄であった。