第三話 盗んだ戦車で走り出す!(二)
三人が乗った蒸気戦車は、帝都の大通りを郊外へ抜け、田舎道を南へ向かう。
帝都の南側は軍港であり、すぐ近くに海があるのだが、帝都近郊の海岸線は岩場であるため、ゲオルグは白い砂浜のある南へと蒸気戦車を向け、街道を半時ほど走行する。
やがて、蒸気戦車は、田園地帯と防風林を抜けて、砂浜のある海岸線の田舎道に出る。
クラウディアは、蒸気戦車の砲塔のキューポラを開けて上半身を乗り出すと、外に広がる景色に目を見張る。
「シャロン、おいで! 海よ!」
クラウディアに呼ばれ、シャロンもクラウディアの脇から顔を出し、砲塔のキューポラから外の景色に目を向ける。
「わぁああああ!」
二人は、目の前に広がる景色に目を輝かせる。
目の前に広がる青い海が、果てしなく広がる水平線で空と溶け合う。
紺碧の海が陽光を浴してきらめき、白い砂浜は、波の囁きに柔らかく応え、波打ち際へと誘う。
遠く水平線の彼方では、海鳥の群れが軽やかな翼で空を切り、風と戯れながら弧を描く。その鳴き声は、海と空の間に響き、日常の喧噪を忘れさせた。
風が運ぶ潮の香りが車内にそっと忍び込み、ゲオルグに海への到着を知らせる。
(海に着いたか!)
ゲオルグは、砂浜から少し離れた木立の日陰に蒸気戦車を停車すると、発動機を止めて運転席のハッチを開けて顔を出し、砲塔のキューポラから身を乗り出している二人に告げる。
「二人とも、着いたぞ!」
「やったぁ!」
クラウディアとシャロンは大喜びで蒸気戦車から降りていくが、ゲオルグは蒸気戦車に乗ったままであった。
クラウディアは、怪訝な顔でゲオルグに尋ねる。
「ゲオルグは海に行かないの?」
ゲオルグは、したり顔で答える。
「オレは、何回も海に来ているからな。蒸気戦車を調べているから、二人で行って泳いでこいよ!」
クラウディアは、少し困惑気味に答える。
「『泳ぐ』って……水着、持ってきてないから」
シャロンも続く。
「シャロンも。水着、ないよ」
ゲオルグは呆れたように告げる。
「二人とも、服を脱いで裸になれば良いだろ? オレは蒸気戦車の中にいるし、他に誰もいないんだから」
クラウディアは、納得した様に答える。
「それもそうね……シャロン、行きましょう!」
「うん!」
二歩三歩と歩いたところで、クラウディアはゲオルグのほうを振り返り、頬を染めながら上目遣いに声を掛ける。
「ゲオルグ」
「ん?」
「……のぞかないでよ?」
ゲオルグも赤面しながら答える。
「『のぞき』なんて、しねぇよ! 蒸気戦車の中にいるから!」
ゲオルグの答えを聞いたクラウディアは、シャロンを連れて波打ち際へ小走りで駆けていく。
半時後。
ゲオルグは、蒸気戦車の運転席に座ると、以前、ヒマジン伯爵と乗ったことのある旧式の蒸気戦車と違う機能や装備を見つけては、大喜びで興奮していた。
ゲオルグは、左手で変速装置のシフトレバーを握り、右手で整備マニュアルをめくりながら呟く。
「すげぇ……これが同期機構付き変速機って、ヤツか? 旧型より簡単にシフトチェンジできたからな……帝国の最新技術だ!」
次にゲオルグは砲手席に移ると、主砲制御桿を握り、主砲の発射トリガーに指を掛け、照準器を覗く。
「これが主砲……」
ゲオルグは、蒸気戦車を操縦して戦場にいる様を想像しながら独り言を呟く。
「帝国騎士、前へ! 目標、正面、敵投石器! 距離二千! 主砲、撃てぇ!」
そう呟くと、ゲオルグは砲弾の入っていない主砲の発射トリガーを引く。
発射トリガーは、乾いた機械音を立てる。
ゲオルグは、トラキア戦役で兄ジークとヒマジン伯爵が率いる帝国機甲兵団が敵と戦っている姿を想像する。
帝国軍総旗艦を務める純白の飛行戦艦ニーベルンゲンの艦橋で戦闘の指揮を取る兄ジーク。
蒸気戦車のハッチから上半身を乗り出し、帝国機甲兵団に命令を下すヒマジン伯爵。
ひと呼吸の後、ゲオルグは再び呟く。
「くぅぅ~! 『男のロマン』だぜ!」
ゲオルグは主砲制御桿から手を離すと、自分の両手を広げて見つめ、膝の上で両手を握り締めて口を開く。
「くっそぉおおお! あと三年早く生まれていれば! オレも兄上と一緒にトラキアで戦いたかったぜぇええええ!」
これはゲオルグに限ったことでは無く、帝国ではゲオルグと同年代の少年たちは、皆、ゲオルグと同じ想いを抱いていた。
トラキア戦役が勃発した当時、ゲオルグと同年代の少年たちは、帝国法で定められた兵役年齢に達しておらず、トラキア戦役に従軍することができなかったことを悔んでいた。
トラキア戦役において、帝国軍を率いて短期間でトラキア連邦を降伏させて帝国を勝利に導き、凱旋式で美しいソフィアを伴って先頭の馬車に乗る皇太子・長兄ジークは、まさに『帝国の若き英雄』であり、『次代の皇帝たる雄姿』であった。
超大国バレンシュテット帝国は、元々、軍事国家であり、軍人の社会的地位は高く、帝国の男にとって従軍した戦争での武勲は『大変な栄誉』であった。
ゲオルグは呟きながら、主砲同軸の索敵用望遠鏡を覗き込む。
「この蒸気戦車に乗っていたら、鼠人やトラキア騎兵なんて、イチコロだぜ!」
そして、砲塔の向きを変えながら望遠鏡の焦点を動かす。
「……って、え!?」
ゲオルグは、望遠鏡が映し出した光景に驚く。
望遠鏡は、裸になって波打ち際で笑顔で遊ぶクラウディアとシャロンの姿を映し出した。
シャロンの下着姿を見たゲオルグが呟く。
「……カボチャパンツか。シャロンは、まだ子供だな」
次にゲオルグは、クラウディアに望遠鏡の焦点を合わせる。
「クラウディアは……と」
望遠鏡がクラウディアの姿を映し出すと、ゲオルグは絶句する。
「……クラウディア!?」
ゲオルグの目に映ったのは、『大人になりかけている美少女の姿』であった。
思わずゲオルグは息をすることも忘れ、美しいクラウディアに魅入ってしまう。
「はっ!?」
四半時ほどの後、ゲオルグは我に返り、望遠鏡から目を離すと両手で自分の顔を拭い、その手を口元に当てたまま考える。
(クラウディア…………)
ゲオルグは胸が高鳴る。毎日、あまりにも近くにいて、異性だと意識することもなく、その成長に気付かなかったのであった。
ゲオルグが考えごとをしているうちに、波打ち際で遊んでいた二人が帰ってくる。
「ただいま~」
こっそりと蒸気戦車の望遠鏡で二人の裸を覗いていたゲオルグは気まずかった。
「お、おぅ」
クラウディアの声にゲオルグが気まずそうに答えると、不審に思ったクラウディアが蒸気戦車の中を覗き込んでくる。
「ゲオルグ?」
クラウディアは、濡れた髪の毛先をタオルで拭きながらゲオルグに尋ねる。
「どうしたの? 何か、あった?」
ゲオルグが声のほうに顔を向けると、クラウディアと目が合う。
再びクラウディアが尋ねる。
「ゲオルグ?」
ゲオルグは、クラウディアが美しい青い瞳で自分の目を見つめたまま小首を傾げて尋ねる仕草が、いつもと違って可愛らしく見え、照れて赤面しながら、ぶっきらぼうに答える。
「な、何でもねぇよ!」
「そう? ……変なの」
ゲオルグが幼馴染のクラウディアを『異性として』『女の子として』意識し始めた日であった。
「お腹空いた~」
シャロンが上げた声にクラウディアが答える。
「そうね。お昼ご飯にしましょう」
正午からすでに二時間ほど過ぎていた。
三人は蒸気戦車の外に出ると、砲塔の上にクラウディアとシャロンが座り、運転席のハッチの上にゲオルグが座る。
クラウディアは、持ってきたバッグから焼いたトーストとソーセージ、りんごを取り出すと、ゲオルグとシャロンに手渡し、三人は簡単な昼食を食べる。
食べ終わったシャロンが右手の甲で額の汗を拭いながら呟く。
「暑い……」
「暑いね……」
シャロンに続いてクラウディアもそう呟くと、ハンカチを取り出して顔の汗を拭う。
食事を終えたゲオルグが冷たいお茶を口にしながら何気に砲塔の上に座るクラウディアを見上げると、驚きのあまり、その姿で固まってしまう。
「むはっ!?」
クラウディアは、着ている白いブラウスが汗で身体にぴったりと貼り付き、身体の線が浮き出て、淡い水色の下着が透けて見えていた。
クラウディア自身はそのことに気付いておらず、自分を見つめたまま固まるゲオルグを見て、怪訝な顔をしながらゲオルグが見つめる視線の先を追う。
ひと呼吸の後、クラウディアはゲオルグが自分を見つめており、汗でブラウスが身体に貼り付いていて下着が透けて見えていることに気付く。
その直後、クラウディアはゲオルグと目が合うと、みるみるうちに頬を赤く染めて恥じらい、慌てて両腕で自分の胸を隠してゲオルグに背を向ける。
ゲオルグも、クラウディアが恥じらって背を向ける姿を見て気まずくなり、慌ててクラウディアに背を向ける。
「どうしたの?」
事情が判らないシャロンは、互いに背を向けた二人を訝しむ。
「き、気にしないで。何でもないから」
クラウディアがシャロンに気取られないように答えると、ゲオルグも気まずそうに話題をそらす。
「そ、そうだな。昼メシも食ったし、そろそろ帰るか」
「そうね!」
クラウディアはゲオルグに話を合わせる。
「うん!」
シャロンは二人の事情に気付かず、満面の笑みで答える。
ゲオルグはハッチを開けて運転席に入ると、蒸気戦車の魔導発動機を動かす。
クラウディアとシャロンもキューポラから砲塔内に入り、蒸気戦車は皇宮への帰途に着く。
やがて、蒸気戦車は帝都に到着し、ゲオルグは、今朝、三人が蒸気戦車に乗り込んだ皇宮のゲオルグの部屋の前で停める。
三人が蒸気戦車から降りると、皇宮の出入口からゲオルグの両親である皇帝ラインハルトと皇妃ナナイ、執事長のパーシヴァルが現れる。
出入口から現れた三人を見て、ゲオルグはたじろぐ。
「げぇっ! 父上!? 母上!?」
ラインハルト達がゲオルグの声に気付くと、ゲオルグの元へ駆け寄ってくる。
ラインハルトは、左手でゲオルグの襟首を掴んで詰問する。
「ゲオルグ! 皇宮警護軍の蒸気戦車を勝手に持ち出すとは! どういうつもりだ!?」
長身のラインハルトに襟首を掴まれたことでゲオルグはつま先立ちになり、普段は穏やかで無表情なラインハルトに詰め寄られ詰問されたことに、ゲオルグは焦ってしどろもどろに答える。
「いや……その……ちょっと、新型蒸気戦車の試運転を……」
ラインハルトは怒りの表情をあらわにゲオルグを叱りつける。
「誰がお前に『蒸気戦車の試運転をしろ』と命じた!?」
バレンシュテット帝国軍百万の将兵の頂点に立つ皇帝の迫力に、ゲオルグの顔は恐怖に引きつらせる。
ラインハルトの剣幕に、傍らのクラウディアが慌ててラインハルトに告げる。
「陛下! 私がいけないのです! 私がゲオルグに『海に連れて行って欲しい』と申しました!」
すかさず、シャロンもクラウディアに続く。
「父上! シャロンもです! シャロンもゲオルグ兄様に『白い砂浜が見たい』と言いました!」
二人の女の子に庇われてバツが悪いゲオルグは、ラインハルトから視線を逸らす。
「……そうか」
クラウディアとシャロンの言葉を聞いたラインハルトは拳を握る。
ゲオルグは、過日、メイドにいやらしい悪戯をした次兄アレクがラインハルトに殴り倒されていたことを思い出す。
(やっべぇ! 殴られる!)
そう思ったゲオルグは目をつぶる。
ラインハルトは、ゲオルグの顔の前で拳を解くと、中指でゲオルグの額を弾いた。
「痛ってぇ~!」
ラインハルトが襟首を離したため、ゲオルグは中指で弾かれた額を両手で押さえ、その場にしゃがみ込む。
しゃがみ込んだゲオルグに、クラウディアとシャロンが寄り添う。
二人のやりとりを見ていたナナイは、笑い出すのを堪え切れず、口元に手を当てて吹きだす。
「プッ! ……デコピン」
ラインハルトは、しゃがみこむゲオルグ達三人に告げる。
「では、三人に罰を与える。蒸気戦車を洗車して皇宮警護軍の車庫に戻すこと。潮風に当てると錆びるからな」
「は~い」
ゲオルグ達三人は返事をすると、蒸気戦車に乗り込もうとする。
ラインハルトは、蒸気戦車に向かう三人に続けて告げる。
「ミランダにも、ちゃんと謝るんだぞ」
そう告げてゲオルグ達が蒸気戦車に乗り込んで走り出すのを見送ると、ラインハルトはナナイとパーシヴァルを連れて皇宮の中へと戻っていった。
--皇宮 廊下。
ナナイは、並んで廊下を歩くラインハルトに語り掛ける。
「アレク(※次男)の時は殴り倒したのに。ゲオルグには甘いのですね」
ラインハルトは、歩きながら微笑みを浮かべると、ナナイに答える。
「フッ……女の子や年下の子の前で無茶なことをやって、格好良いところを見せたい年頃なのだろう。……しかし、ゲオルグは、どこで蒸気戦車の運転を覚えたのだ?」
パーシヴァルがラインハルトの疑問に答える。
「畏れながら陛下。ゲオルグ殿下は、以前、『ヒマジン伯爵に頼んで伯爵の戦車に乗せて貰った』と、おっしゃっておりました」
ラインハルトは軽く驚く。
「ゲオルグの奴。ヒマジン伯爵が蒸気戦車を運転する姿を見て覚えたというのか」
パーシヴァルは、恭しく答える。
「陛下。皇太子殿下だけに限らず、ゲオルグ殿下も優秀であらせられます」
「ふふふ」
ラインハルトは、ゲオルグの才能の一端を見ることができて、上機嫌であった。
--皇宮 皇宮警護軍の車庫前
ゲオルグ、クラウディア、シャロンの三人は車庫前で、水を汲んだバケツとデッキブラシを手に蒸気戦車を洗車していた。
ゲオルグは、デッキブラシを持つ手を止めると、洗車するクラウディアに話し掛ける。
「なぁ、クラウディア」
クラウディアは、デッキブラシで洗車しながらゲオルグに答える。
「何よ?」
ゲオルグは、悪びれた素振りも見せず、クラウディアに告げる。
「次は、飛空艇だな!」
クラウディアはデッキブラシの手を止めると、呆れたような顔でゲオルグに答える。
「ゲオルグってば、全然、懲りてないのね!」
「まぁな!」
ゲオルグは、冒険者になって飛空艇で新大陸に渡り、人跡未踏の世界を探検することを夢見ていた。