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ああっ散る桜 残る桜も散る桜で 俺もそのうちに行くからな・・・

作者: 花 美咲

祖父が亡くなった、棺桶の祖父の顔を直視したら、祖父との思い出が走馬灯のように蘇る。

私、さくらの名前の由来になった人の、祖父のお話しは、生涯、忘れることはないだろう・・・



この小説は、フィクションです。


実在する人物、団体、出来事とは関係ありません。







「 なんだ... さくら... 」


「 お爺ちゃんなんでしょ... 私の名前を... さくらって名前に決めたの? 」


「 そうじゃ お爺ちゃんが決めた 」


「 何で? さくらにしたの? お爺ちゃんって桜が好きだったの? それに... 家族で... お花見をするじゃない? 」


「 (笑) 日本人って みんな... 花見が好きやぞ 」


「 だから... さくらにしたの? 」


「 違う 違う お爺ちゃんの親友が散る桜になってしまったんや お爺ちゃん... 散る桜になった親友の事を忘れたくなくてな... 」


「 お爺ちゃんの友達が... 散る桜になったの? 」


「 違う 違う 友達じゃない 親友だ さくらには... 親友はいないのかい? 」


「 友達と親友は違うの... 友達はたくさんいるよ 」


「 友達がたくさん 結構 結構 親友ってのは 友達とは違うんだな 自分が... その人の為に死ねるって思ったら... その人は... 親友なんじゃ... 」


「 お爺ちゃんには... 親友がいたの? 散る桜になった人が親友だったの? 」


「 (笑) さくら なんじゃ 自分の名前の由来を知りたいのか? 」



棺桶の祖父の顔を直視していたら、ふと、祖父とした会話を思い出してしまった。



今年、祖父、中谷(なかたに)多造(たぞう)が死んだ。



103歳だった、2024年4月12日に死んだ。


奇しくも、祖父の親友、雨傘(あまがさ)完爾(かんじ)中尉が、特攻で戦死した日と同じ日だった。


79年後に、同じ日に死ぬなんて思わなかっただろうな...


「 ああっ散る桜 残る桜も散る桜で 俺もそのうちに行くからな 」


祖父は、口癖を有言実行が出来て、さぞ本望だろうと思った。


幼少期は、祖父の口癖を理解が出来なかった。


しかし... 現在は、理解をしている。


どうやら、散る桜とは、特攻で戦死した祖父の親友、雨傘完爾中尉を指していて、残る桜とは、祖父のことを指している。


祖父は、自分が、特攻で戦死を出来なかったことを後悔しながら生きていたのだ。


祖父は、孫娘である私、中谷さくらに語ってくれたことがある。


「 さくらは知っていますか? 家族や友達を守る為に命をかけた若者がいたことを・・・ 」


「 お爺ちゃんの... こと... 」


「 特攻隊というのは... もう最高の名誉 誉れやね これで死ねる 頑張れる 現代の人 さくらには その気持ちは分からんと思いますよ 」


特攻とは、命と引き換えの必死の攻撃、必ず死ぬと言うこと...


「 ああっ散る桜 残る桜も散る桜で 俺もそのうちに行くからな 」


散る桜になった、親友、雨傘完爾中尉の事を、とある場所で語ってくれた事を... ふと思い出した。


私、中谷多造の孫娘、中谷さくらは、何故、さくらと命名されたのか?


祖父が、雨傘完爾中尉と、最後に別れた場所...


茨城県・鹿嶋市・桜花公園で、さくらと命名した理由を語ってくれた事を思い出していました。


両親ではなく、祖父が命名、不思議に思っていましたが、当時、素直に祖父のお話を聞いていました。




※ 茨城県・鹿嶋市・桜花公園




現在の鹿島製鉄所の敷地内に、太平洋戦争末期、海軍航空隊神之池基地が設置されて、特攻兵器・桜花の訓練が行われました。


桜花公園は、先の大戦の記憶が風化していく中、土地の歴史を記念し、平和を祈る公園として平成5年12月3日に開園されました。


園内には掩体壕(えんたいごう)・桜花碑があり、壕内には桜花の復元機を展示しています。



碑文


太平洋戦争も一段と熾烈を極めた昭和19年10月1日、祖国日本の荒廃をその一身に背負うと志願してきた紅顔の若者達は海軍百里原航空隊で、特別攻撃隊桜花隊を結成、同年11月7日この神之池に訓練基地の設置を見た。

やがて神之池基地で至難な訓練を受けた若者たちは九州最南端の鹿屋の野里村に移り、鹿屋を特攻基地として、わが日本国民として忘れてはならない、祖国の存立を護った尊い大和魂の故郷である。



掩体壕


昭和19年4月、神之池海軍航空隊がこの場所( 現在の住友金属工業 (株) 鹿島製鉄所敷地となっている所 )に開設され、ここで予科練や予備学生出身の将兵達が訓練していました。

戦争が激しくなるにつれ、721航空隊と改称され神雷部隊として特攻機【 桜花 】の訓練基地となりました。

この飛行場には、一式陸攻という双発機や零戦という戦闘機等が配備され、それらの飛行機を敵の襲撃から守るため格納庫から「 掩体壕 」に移しました。

この掩体壕は上部を土で覆い、草や木を植えて敵機からわからないようにしたものです。

このような掩体壕は飛行場周辺に十数箇所ありましたが、現在ではこの掩体壕だけが残っています。


掩体壕概要

主要寸法 高さ 4.4m 間口 15.3m 奥行 13.0m

構造 コンクリート構造 コンクリート厚25~70cm

工法

土で造った山の上に金網を敷きその上にコンクリートを流し、固まったあと、内部の土を掻き出して造られた、アーチ式構造で当時としては大規模なものである。


(説明板より)


発案者 大田正一少尉(偵練20期)

昭和20年8月17日、神之池基地から零式練習戦闘機を操縦して鹿島灘へ飛び去り行方不明。後、漁船に救助され、改名して生存していたことが判明。

平成6年12月7日に逝去。


設計者 三木忠直技術少佐(海軍航空技術厰第3班)


昭和19年8月中旬、第一線部隊を覗く内地と台湾の航空隊にて桜花搭乗員の募集を行う。

昭和19年10月1日、応募者の中から200名を選抜し、茨城県・百里ケ原にて、第721航空隊を編成。

司令 岡村基春(おかむらもとはる)大佐 (海兵50期)

後に、昭和23年、7月13日、千葉県の茂原付近で鉄道自殺をする。

昭和19年11月7日、茨城県・神之池基地に移転。

昭和19年11月末、4個分隊編制となる。

攻撃711飛行隊・攻撃708飛行隊( 一式陸攻24型丁 )

戦闘306飛行隊・戦闘307飛行隊( 零戦 )

桜花隊( 桜花 )

昭和19年12月26日、第一陣 ( 桜花隊第2・第3・第4分隊 ) が大分基地に進出。

昭和20年1月20日、桜花隊 ( 第2・第3・第4分隊 )・攻撃708・711飛行隊・戦闘306・307飛行隊は九州各地に展開、更に戦闘305飛行隊が編入される。

第2陣の桜花第1分隊は神之池基地に残留。

『 神雷部隊 』の主力が南九州へ展開したのち、桜花第1分隊を基幹として14期飛行予備学生30名 ( 第2美保空より15名、博多空より15名 )と第13期甲種飛行予科練習生100名等 総勢200名以上の隊員が配置される。

昭和20年2月15日、第722航空隊を編成。

神之池基地内の竜巻山から名前を取って『 竜巻部隊 』と称した。

終戦まで桜花搭乗員の養成と桜花部隊損耗の補充にあたる。






祖父、中谷多造と、祖父の親友、雨傘完爾は、海軍士官候補生だった。


祖父は、私に言った。


「 さくらよ この場所は 昔は 海軍・神之池基地って言ってな お爺ちゃんの青春の場所だったんや そして 完爾と別れた場所でもある 」


「 私の名前の由来になった... さっき あった 桜花の復元機 あんな飛行機に乗って 雨傘完爾さんは 特攻で死んじゃったの 」


私は、この場所が、海軍・神之池航空基地と言われてもピンと来なかった。





※ 海軍神之池航空基地


第2次世界大戦時、国内各地でも飛行場建設が行われ、昭和15年頃に当時の高松村 ( 現在の鹿嶋市南東部 )の栗生・国末・泉川と息栖村 ( 現 神栖市 )の居切の4地区の丘と浜の中間にまたがる約500㌶に海軍の飛行場が建設されることになりました。


軍により用地買収が行われ、翌16年には多くの徴用工具等を動員して造成工事が開始されました。

まず国末地区の台地の表土が、徴用工や勤労奉仕作業等により飛行場建設現場へトロッコ列車で運ばれました。

飛行場予定地は当時砂地だったので、まず地ならしし、その上にトロッコで運んだ赤土を敷いて、芝生化を行う必要があったのです。


基地の構造は1800mと1400mの2本の巨大滑走路と4本の小滑走路をもち南側に第2飛行場が設置されていました。

建設は急ピッチで行われ、滑走路や兵舎などが完成し、昭和19年4月に正式に練習航空隊が開隊して、多くの海軍士官候補生・予備学生・予科練出身の搭乗員などが集結して飛行訓練が開始されました。


当初は陸上練習機の操縦教育を担う航空基地でしたが、交通が不便だったことなどから、神之池基地は特攻隊の訓練基地となっていきました。


特攻隊というと九州の鹿屋基地などを思い起こす方が多いと思いますが、鹿嶋にはその鹿屋基地に行く前の練習基地があったのです。隊員や基地関係者などが下宿していた民家も多かったようです、大概の家では、兵隊さんも大変だろうということで下宿を受け入れていました。

兵隊さんは、そこで家族同様に扱われ、休養し鋭気を養いました。中には、若い娘さんと良い仲になり、後日結婚した人もいたそうです。


【 私たちの郷土嗚呼高松村 高野文男著 より引用 】


昭和20年になると戦局はますます悪化し、2月16日~17日、関東地方の各飛行場に米艦載機が襲来しました。

神之池基地には、朝8時頃から午後4時頃まで9回にわたり延べ130機余りが現れ、航空機や宿舎を攻撃し、壊滅的な打撃を受けました。

この時、既に迎撃機はなく、敵機のなすがままで、搭乗員たちは三々五々に基地周辺に避難したといいます。

米軍機は、数多くの反戦のビラを降伏のビラを空中からばら撒いていきました。

この年の8月15日には、日本は終戦をむかえる事となります。

戦後、神之池海軍航空基地は食糧増産のために開拓され、昭和30年代には【 鹿嶋開発 】の拠点となり、基地跡地に住友金属工業【 現新日鐵住金 】が誘致され鹿嶋製鉄所として現在に至ります。


『 参考文献 』


【 鹿嶋町史第5巻 】

【 私たちの郷土嗚呼高松村 】

【 図説 鹿嶋の歴史近現代編 】

【 鹿嶋史叢第20号 】






「 わしと完爾は海軍士官候補生だった 太平洋戦争末期 戦局を打開する為に大勢の若者が集まったんだ... 」


「 神之池基地に・・・ 」


「 イヤ 違う 台湾の高雄飛行場だ 」


「 台湾って... あの台湾? 」


「 わしは 太平洋戦争末期 台湾の高雄飛行場に居たんだ 」




台湾 高雄飛行場




1944年... 8月中旬...



夏から、秋へと、季節の変わり目の夜に、飛行学校を卒業したばかりの経験の浅い海軍士官候補生のグループが、台湾の台南基地に集合した。


士官候補生たちは興奮を抑えきれずに、作戦会議室の椅子に座って指揮官を待った。


士官候補生たちが知っているのは、極秘の任務のために召集されたということであり、必要な属性を表示すると、これまでの武器よりも強力な単一の武器の制御をする必要がある。


士官候補生のグループの中には、飛行訓練の友人であり、同級生でもある、雨傘完爾と、オレ、中谷多造もいる。


作戦会議室の扉が開いた、高雄飛行場の司令官・高橋(たかはし)俊作(しゅんさく)大佐が登場して、厳粛な顔をしながら、開口一番に言ったんだ。


「 今から言うもんは 作戦会議室を退室するように 妻帯者 それから 長男 または1人息子 そして 許嫁のおるもんは手を挙げろ 」


司令官・高橋大佐が真剣な眼差しで見守る中、作戦会議室の部屋中から手が挙がる。


司令官・高橋大佐は、手を挙げた者に言った。


「 手を挙げた諸君は 作戦会議室から出て行きなさい 」


唖然とした沈黙の後に、失望と混乱の表情が続く、手を挙げた者たちは静かに退場し、空席の不気味な群衆だけ残した。


司令官・高橋大佐が説明を始める...


わしたち、士官候補生たちにこう明かしたんだ。


「 日本のプロバカンダにもかかわらず 戦争は上手く進んでいない しかし... この武器が答えを出すかも知れない 」



わしたちにも、戦争が負けている状況であると察知していたが、ストレートに言われて困惑をしてしまったんだ。


困惑をしながら、司令官・高橋大佐の顔を直視する。


桜花(おうか)... 」


「 えっ!? 」


アメリカの航空母艦を一撃で撃破する能力がある...


桜花


士官候補生たちは信じられなかった、これは大変革だ。


司令官・高橋大佐は説明を続ける...


「 今 生きて命中すれば 戦艦でも 航空母艦でも 轟沈(ごうちん)出来るような強力な兵器を持った物を開発中である しかし... それに... 一旦 乗ったらですね 絶対に生きて帰るという事はない この兵器の運用は一方通行の任務だ 乗った者は... 必ず死ぬ 」


オレと雨傘は、毅然とした態度で頷き合った。


オレと雨傘は、日本を守る為なら生命(いのち)など惜しくはなかった、日本の勝利に貢献することを決意していた。


司令官・高橋大佐は、士官候補生たちにプロジェクトの緊急性を強調する一方、撤退することは恥ではないとも保証し、3日間の検討期間を与えてくれた。


厳しい内容の任務にもかかわらず、士官候補生たちの決意は固まっていた。


絶対に生きて帰るという事はない...


特攻だから... 当たり前だと思っていたら...


説明の終わりに、司令官・高橋大佐は言った。


「 強制ではないが もし その物へ 兵器に乗って行ってやると意思のあるもんは 司令官室の前に箱を置いとくから それに 自分の名前と 『 希望 』とか 『 希望せず 』とか書いて 箱に入れて置いてくれ 」


わしと、雨傘は、無論、希望と書いた。


その頃は、大和魂が爆発していたしな...


それから、翌月の12日に、台湾沖航空戦が始まったんだ。 




※ 台湾沖航空戦


台湾沖航空戦は、第二次世界大戦中、フィリピンのレイテ島への上陸作戦の布石として、台湾から沖縄にかけての日本軍航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊に対し、日本軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦、アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日本軍は大戦果と誤認した。



しかし、台湾沖航空戦を経験することなく、オレと雨傘と、希望と出した者は、茨城県・百里ケ原で結成された、第721海軍航空隊に転勤を命じられたんだ。




※ 第721海軍航空隊


第721海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ、特攻兵器・桜花の実験・訓練部隊として編成され、太平洋戦争終盤に沖縄戦線で桜花を含む対鑑特攻に従事した。


通称... 神雷部隊と呼ばれた...




1944年11月7日、茨城県・神之池基地に移転して、オレと雨傘と希望と出した者は、特攻兵器・桜花に乗る訓練が始まったんだ。




※ 特攻兵器... 桜花


太平洋戦争末期、日本海軍が開発した特攻兵器・桜花は、重さ1.2 ㌧ の大型爆弾を装備し、1機で戦艦や空母をも撃沈できるとされた切り札だった。

桜花の搭乗員は1人、操縦席には高度計や速度計など最低限のものしかなく、着陸用の車輪もなかった。

攻撃目標近くで爆撃機から投下され、グライダーのように滑空、加速するためのロケットを噴射し、操縦する人間もろとも目標に突入する。1度出撃したら、必ず死に至る兵器だった。




桜花と対面した時の事を、忘れた事はない。


桜花の説明をするって集合があった、わしと雨傘、希望を出した者は、みんな集合した。


その桜花の飛行機を、整備長が説明してくれた。


わしは、その時の事を、現在(いま)でも覚えている。


「 おお... これ あんた 本当に飛行機じゃのう... 」


そう思った、しかし、コックピットの計器盤は、3つか4つしかないんだよ。


そして、整備長に聞いたんだよ。


「 整備長... これロケットは... 」


そしたら、整備長は答えた。


「 ロケットは... 後ろの方にありまっせ.... 」


そう整備長が答えたら、わしは思ったから整備長に聞いた。


「 後ろの方にサソリみたいな こうなんかさ 俵積み... みたいに3本積んであるけど... これで何分噴くんじゃい? 」


あっさりと、整備長は答えてくれた。


「 3秒じゃ... 」


3秒と答えてくれた整備長の顔をガン見しながら、わしは思ったね、3秒か4秒ぐらいなんだと...


わしは思わず、言ってしまったね。 


「 これじゃあ 整備長 飛行機とびゃあせんじゃろう 飛行機から落とされてね 飛ぶ事にならんで 」 


言うたら、整備長は言い返した。


「 これ 一式陸攻の真下に吊り下げて 敵に接近したら 落として グライダーのように滑空して体当たりをするんじゃ... 敵に接近しないと意味のない桜花だけどな 桜花が 自ら飛んで 敵にぶつかるような事はできん武器なんじゃよ 」


整備長が、そないな事を言いよるけ... わしは思ったね。

 

「 ああ... こりゃあダメじゃわ... 」


思ってから、ガッカリしたんじゃよ。





※ 一式陸上攻撃機 ( G4M1 )


一式陸上攻撃機は、大日本帝国海軍の陸上攻撃機である。

略称は一式陸攻、日本海軍の呼び名は中型攻撃機の略の中攻、連合国側のコードネームは【 Betty 】〘 Betty bomberが、一式陸攻の米軍側の名称 〙三菱重工株式会社〘 改称前は三菱内燃機株式会社 〙の設計・製造、日中戦争・太平洋戦争で日本海軍の主力攻撃機として使用された。




一式陸攻... 言うたら、よう撃墜されていたね、一式ライター言うて、アダ名があるくらい、よう火もつくしね...


そりゃー、一式陸攻に、桜花を吊るしたら、桜花の重さで、一式陸攻のスピードは遅くなるって、即座にわかるから、こりゃー戦争で役に立たんと思ったんや...


一式陸攻は、鈍足で有名なのに、桜花を吊るしたら、更に、鈍足になるぞって思いながら、桜花に乗る訓練が始まったんや...


神之池に居る時に、Kー1と呼ばれる桜花練習機の訓練は、まず、零戦に乗ってね、上に上がって、高度3000㍍でエンジンを絞ってね、それで、滑空しながら、こう、旋回しながら降りて、飛行場の決められた場所へ突っ込む訓練をする訳さ...


雨傘は、2~3回したかな?、わしは、1回しかしなかった。


まぁ、それを全部、訓練して、この訓練は、もうええわと思うようになったら、今度は、Kー1に搭乗して落下をする訳だ。


一式陸攻に吊り下げてね、一式陸攻の床には50㌢ぐらいの四角い穴が開けてあるんじゃ、四角い穴の蓋を取ったら、下に、桜花の座席があってな、それで、その穴から桜花の座席に座るんじゃ、座ったら操縦措置を固定してあるようなのも外してね、それで、自分の準備が出来たら「 OK 」 って言って、一式陸攻の搭乗員も「 OK 」 と返答してくれて、一式陸攻の搭乗員の方で、ビビビと鳴るモールス信号のやり取りの後、ビビビの音が響いた瞬間、「 パタッ 」 と落とされる訳さ...


心配と言うよりか、簡単と言うか、やり換えがきかんわけで、落下に失敗したら、他所に落下しますからな...


だったら、しっかりとやらんといけん、そう言っても落下をするだけだから、桜花の練習は、そう心配をせんかったよ。


そして、訓練を終えると、わしと、雨傘の突然の別れる日が来てな...


わしは、この日を最後に、雨傘と再会することはなかった。



昭和20年1月20日



この日、雨傘は、神雷部隊に配属されて、わしは、予備役として、神之池基地に残ることになった。


神之池基地で、わしと雨傘が、最後の別れを交わす...


雨傘と戦闘に参加できないことに打ちのめされた、わしは、日本国の為に生命(いのち)を落とすという多大な光栄を雨傘に伝え、最後の別れを告げた。


神雷部隊に配属された瞬間、雨傘完爾は確実に死ぬ、死ぬって理解をしているのに、アイツは笑顔で言った。


「 多造 日本国の為 天皇陛下の為 日本男子として 見事に散って来る 決して無駄死にはしない... 」


「 完爾... 」


「 そんな顔をするな 人間 誰しも死ぬんだ 死ぬと言う事に関しては 人間 皆平等だな... 」


「 完爾... わし... わし... 」


「 多造... 先に靖国で待っている 靖国で再会した時は 美味しい酒を飲もうや 」



私... 中谷さくらは、この時の、お爺ちゃんの寂しい笑顔を忘れることはないだろう...



それから、わし、中谷多造は、昭和20年2月15日、第722航空隊が編成されたので、その第722航空隊の配属辞令を受けた。


第722航空隊は、神之池基地内の竜巻山から名前を取って、【 竜巻部隊 】と称された。


そして、わしは、終戦まで、桜花搭乗員の養成と桜花部隊の損耗の補充に専念したんや...


アイツは、完爾の方は、神雷部隊に配属された完爾は、鹿児島県・鹿屋基地に行ってしもうた。



昭和20年4月12日に、第3回神雷桜花特別攻撃隊の桜花搭乗員として出撃をする情報を最後に、わしは、残りの人生、雨傘完爾の冥福を祈るだけだった。


その後、雨傘完爾の最後は、戦争で生き残った奴らから聞いたお話しか知らん、そして、わしは、何故か、虚しかった。


わしと雨傘と同期で仲の良かった、宮本(みやもと)博行(ひろゆき)も神雷部隊に配属された直後、第5回神雷桜花特別攻撃隊の桜花搭乗員として出撃、雨傘は、死の恐怖に怯えていた宮本を励ましていたと聞いた。


アイツは、雨傘は、桜花に搭乗する直前、自決用のブローニング拳銃を遺品として、宮本に渡すように頼み、宮本は、雨傘の自決用のブローニング拳銃を腰に装着して、雨傘と同様に桜花に搭乗して、桜の花びらの様に散った。


俺の後に続けと、雨傘から宮本へのメッセージだったと、わしは思った。


同時に、竜巻部隊に配属されて、死ぬ恐怖から解放されて...


ホッとしている自分が情けなかった。


そして、人生、最後の最後まで雨傘の側にいることが出来た、宮本が羨ましいと思ったから、虚しかったのだと記憶をしている。



昭和20年4月11日... 夕刻...



雨傘完爾の桜花を吊り下げる、一式陸攻の搭乗員達が、最後の晩餐を開催していた。


作戦会議室...


「 雨傘完爾です... 明日は よろしくお願いします 」


テーブルを囲んで、上席に、一式陸攻の機長、晴山(はるやま)天馬(てんま)少尉が座っているが、全員、沈黙のままだった。


一升瓶を、目前に、沈黙の搭乗員達が呟いた。


「 オレ達... 全員... おかしくなっとるんとちゃうか!? 」


「 必ず... 死ぬ人間を運ぶんだ 仕方ないよ... 」


「 その... 死ぬ為に作った飛行機を設計した奴は もっとおかしくなっとんのかね? 」


沈黙の搭乗員達の呟きを聞いた、雨傘完爾は激怒する。


「 今更... そんなこと...【 激怒 】 」


上席に座っていた、晴山天馬少尉が、突然、両手でテーブルを叩いた。


バァァァーーンッ


「 ええぇーい みんな この戦争で死ぬ 早かれ遅かれ 死んでしまうと思っている だから... どうせなら... 体当たり... なんてことになる でもな 雨傘 士官候補生のお前が 何故 桜花の搭乗員に志願したのが 理由は知らんが 生命を大事にすることを... 何故... しなかったんだ 」


「 生命を大事にする... 」


「 冥土の土産に覚えておけ... ロケット特攻機の桜花は... 人間の生命を部品にしていることを... 」


晴山天馬少尉は、士官候補生である雨傘完爾が、何故、桜花の搭乗員に志願をしたのが理解不能だった。


前途有望な士官候補生なのに...


生命の大切さを諭す説教のつもりなのだろう...


酒が満杯になっている湯飲みを握りしめながら、湯飲みをガン見する晴山天馬少尉の心中は穏やかではないだろう...


なんせ、桜花搭乗の雨傘完爾の戦果を上層部に報告する義務があるのだから...


美味い酒だったのか? それとも不味い酒だったのか?


一式陸攻が撃ち落とされなければ、無事に基地に帰投が出来るが、桜花搭乗の雨傘完爾だけは...


確実に... 死ぬ


酒の美味いか?不味いかは?


その最後の晩餐に出席した者だけが知っている。



昭和20年4月12日



鹿児島県・鹿屋基地より、第3回神雷桜花特別攻撃隊...


一式陸攻8機、桜花8機が出撃...


この日は、さらに海軍の特攻機が約80機と、100機を超える護衛戦闘機を加えた大部隊であった。


先発の零戦特攻隊は、沖縄到着後に米艦隊を発見...


『 敵艦隊 北方45度 高度4545にて接近中 』


『 全砲撃手 集中放火を喰らわしたれ 』


『 来たか イカれた奴らめ! 残らず叩き落としてやる 』


米駆逐艦マナート・L・エベール、士官、兵員、336名は、全員、知っていた。




※ 米駆逐艦マナート・L・エベール



起工 1943年12月9日


進水 1944年4月23日


就役 1944年7月4日


その後、1945年4月12日、沖縄で沈没...



性能諸元


排水量 2200トン


全長 376 ft 6 in ( 114.8m )


全幅 41 ft 1 in ( 12.5m )


吃水 15 ft 8 in ( 4.8m )


機関 2軸推進 60.000shp ( 45MW )


最大速 34ノット ( 63km/h )


航続距離 6.500海里 ( 12.000km )

     15ノット時


兵員 士官 兵員336名


兵装 38口径5インチ砲6門

   40mm対空砲12門

   20mm対空砲11門

   21インチ魚雷発射菅10門





日本海軍の戦闘機は、理解不能の神風特攻をぶちかましてくるイカれた奴らだと...


ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ


5インチ砲による激烈な対空放火にもかかわらず...


すかさず敵艦へ突入を開始しました。


「 我 敵空母に突撃中 」


「 我 敵水上艦艇に突撃中 」


の長符連送と短符連送が、次々と入電した。


14時40分...


米駆逐艦・マナート・L・エベールに、3機の零式艦上戦闘機が接近...


激烈な対空放火により2機が撃墜されるも、3機目が艦の右舷に突入し、機関室後方で爆発した。


機関が破壊されて推進力を失った、米駆逐艦・マナート・L・エベールは完全に停止した。


そこに、やや遅れて、桜花を抱いた一式陸攻隊が到着する。


第3小隊1番機の陸攻に搭乗していた雨傘完爾は、その時、じっと目を閉じ、腕を組んだ姿勢を崩さず、寝ている様にも瞑想している様にも見えたと言う...


機長の晴山天馬少尉は、マナート・L・エベールを攻撃目標とし、桜花投下を指示した。


雲仙(うんぜん)佐助(さすけ)二飛曹は、雨傘完爾を起こし、桜花への搭乗を促した。


雨傘完爾は、飛行帽と救命胴衣を脱いでハチマキを締め直し、自決用のブローニング拳銃を雲仙二飛曹に渡すと...


宮本(みやもと)に 俺の遺品だと言って渡してくれ 」


...と、言い残して、一式陸攻の真下に吊り下げられた桜花に移乗した。


雲仙は、その時の様子を次のように語ってくれた。


「 まぁ立派というか 堂々たるもんですね 穏やかな口調でね とにかくあれですよ 落ち着いて穏やかな おとなしい話し方をしてましたよ 」


「 雲仙二飛曹 どうもご苦労さま お世話になったな 」


....って、なんとも言われなかったですね。


その時は... 


もう目先、死ぬのは、はっきりしているわけですからね。


で、なんとも言えないのと同時に、とにかく大成功させなけりゃあ、どうしようもないと言う...


私は、そう言う責任感がいっぱいでしたね。


雨傘さんを、犬死にさせないでやるには、あそこにちょうど、こう行くようにね...


晴山機長と、私は、そういうふうに、一式陸攻の真下に吊り下げられた桜花を落としてやらなければ駄目だと、こういうふうに思いましたね。


しかし...


桜花発進のブザーが響きましたが、作動せず、機長の晴山天馬少尉の指示により、緊急で手動による投下となった。


「 雲仙 手動で桜花を落とせぇー 」


第3小隊1番機の一式陸攻の機内に、晴山機長の怒号が響く、砲撃手、搭乗員、全員が雲仙二飛曹に視線を向ける。


手動で桜花を落とす、その行為は、雨傘完爾の死を確定させる行為となる。


俺が雨傘完爾を殺したことになるのか?


イヤ、戦争なんだ、敵を攻撃しなければ、自分が死ぬ、心の葛藤にもがきながらも、雲仙二飛曹は目を閉じ、祈る思いで投下索を引いた。


ガチャ


切り離された桜花は、ロケットに自動点火され、雲仙二飛曹が目を開けた時には、紫煙だけが残っていた。



ゴオオオオオオオォォォォォォォッッッッッッッ



一方、瓦礫とギザギザの船の破片が海面に飛び散り、米駆逐艦・マナート・L・エベールが、グラグラと停止をする。


しかし、その問題は、まだ終わっていない...


突然、米駆逐艦・マナート・L・エベールの監視員が小型飛行機を発見した。


1.5マイル先、1機が海面を猛スピードで低空飛行していく...


米駆逐艦・マナート・L・エベールの兵員は、これほど速くて、小さい飛行機を見たことがなかった。


兵員たちに反応する時間はありません...


雨傘完爾搭乗の桜花は、空を切り裂きながら、米駆逐艦・マナート・L・エベールに向かって突進し、雨傘完爾は、深呼吸をしながら目を閉じた... と、私、中谷さくらは推測する。


彼は、雨傘完爾は、神之池基地で別れた、祖父との切磋琢磨した日々を思い出していた... と、私は、思いたい...


何故なら、祖父は、婚約者、田中(たなか)(きく)という存在を隠して、桜花に志願をしていたことを雨傘完爾は見抜いていたと言っていた。


祖父が予備役として、神之池基地に残るって知った時、1番喜んでいたのは... 雨傘完爾だったと言っていたし...


最後に、わしに言った言葉が...


「 多造 本当に良かった... 俺の分まで田中菊さんと幸福(しあわせ)になってくれ 」


わしの幸福を願う言葉だったと、祖父は言っていた。



そして・・・



雨傘完爾搭乗の桜花、1.2トンの大型爆弾が、米駆逐艦・マナート・L・エベールの船側面に激突した。 


ドオオオオオオオォォォォォォォンンッッ...


そして、母機である一式陸攻が急旋回して機体を立て直した時、眼下には数百㍍まで黒煙が立ち昇り、周りの海面は西日に照らされた重油が、黒く盛り上がって見えたと言う...


雨傘完爾搭乗の桜花は、時速800㎞以上で目標に接近...


右舷の弾薬庫前方に突入し爆発したのだった。


雨傘完爾搭乗の桜花を手動で切り離した、雲仙二飛曹は、雨傘完爾のあらゆる段階を見守ってきた。


「 やったぞ! 雨傘さん!! 竜骨を折り曲げたな 」


雨傘完爾搭乗の桜花は、米駆逐艦・マナート・L・エベールの船中央部を消滅させた。


米駆逐艦・マナート・L・エベールは、すべての動力、照明および通信が切断されたのみならず...


中央区画は吹き飛び、船体が真っ二つに折れて、船首および船尾部分は3分間で沈没した。


船上では、あらゆる角度から海水が流れ込み、甲板の下にいる兵員たちは、何が当たったかを知るよしさえない...


雨傘完爾搭乗の桜花は、役目を終えた。


米駆逐艦・マナート・L・エベールの船長、アルトン・E・パーカー船長は、船が真っ二つに折れた為、放棄するよう命令を出した。


船首と船尾が波の下に滑り込む前に離れていきます...


数十人の兵員たちが、真っ二つに折れた船に閉じ込められている。


唖然とした生存者たちが渦巻く海域に群がる中、近くの米駆逐艦、USSジェファーズの乗組員は、別の桜花が、自分たちに向かってくるのを目撃した。


『 crazy guys 』 『 Don't be siIIy 』


ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ


『 Kiss my ass 』『 Fuck you asshoIe! 』


ジェファーズの砲撃手たちは、桜花を吊り下げていた一式陸攻に向けて発砲するが、一式陸攻の搭乗員たちは容赦なく攻撃を続け、また、桜花搭乗員たちも動じなかった。


爆発が船を揺るがす、デッキが破壊されてしまった。


しかし、船は沈没はしていない。


わずか、45.72㍍のところで、対空砲弾が桜花に命中した。


桜花と、桜花搭乗員は、目標に命中する前に破壊されて、米駆逐艦・マナート・L・エベールの船体での雨傘完爾の輝かしい死ほどの幸運ではなかった。


第3回神雷桜花特別攻撃隊による最初の攻撃と、その後の機銃掃射により、83名が死亡、35名が負傷した。


この攻撃は、後に、太平洋戦争末期における桜花の最も成功した使用法だと言われている。


雨傘完爾が搭乗した桜花が命中した、米駆逐艦・マナート・L・エベール号は、桜花によって沈没した唯一の船になるとは、雨傘完爾は、決して知ることはなかった。


或いは、雨傘完爾は、米国の主力艦の為ではなく、主力艦隊の外側からレーダーピケットとして送られた小型駆逐艦の為に生命を捧げたのだと...


桜花搭乗員たちの犠牲と献身にもかかわらず、桜花と桜花搭乗員たちは、作戦中に他の米軍艦艇6隻に損害を与えただけであった。


実際に使用された74機のうち、桜花を吊り下げている為に、一式陸攻も過積載となり、ほとんどの桜花は低速であった。


また、一式陸攻の範囲内で、攻撃に失敗して撃墜された。


桜花の搭乗員には、次のようなあだ名が付けられた。


米国の【 バカ 】または【 愚か者 】・・・


しかし、桜花の犠牲の尊厳は、中谷多造のような桜花搭乗員から取り残された人々にとって失われることはなかった。


中谷多造のような取り残された人々は、戦友の喪失と、戦争遂行の為に、自らを犠牲にするチャンスが無かったことを悲しんだ。


日本国の為に死ねなかった...


祖父は、後にこう言った。


桜花搭乗員に配属された17人の士官候補生のうち...


祖父と並んで、戦争を生き延びたのは、あと2人だけだった。


そして、17人の士官候補生たちの唯一の自慢は...


米海軍の歴史資料を扱うサイトにも...


【 あっという間に艦中央から二つに折れ 一瞬で沈んだ 】


...と、記されている事柄だった。


神雷桜花特別攻撃隊は、合計10回に渡り出撃した結果...


桜花の搭乗員55名が特攻で戦死...


母機である一式陸攻の搭乗員は365名が戦死している。


散華された雨傘完爾は享年24歳であった、そして中尉となる。



そして、雨傘完爾搭乗の桜花を吊るした一式陸攻の機長、晴山天馬少尉は、無事、鹿児島県・鹿屋基地に帰投していた。




第5航空艦隊指令部



指令長官・土井垣(どいがき)(さとる)中将に、雨傘完爾搭乗の桜花による戦果を報告していた。


戦果に喜ぶ土井垣中将を目の当たりにして、晴山天馬少尉は、日本国の敗戦を痛感していたと言う...


日本国の勝利の為に生命を捧げた雨傘完爾の死を悲しむ言葉など皆無だった状況に、虚しさを感じたと言っていた。


無数の生命が、日本国の勝利の為に失われた。


紛れもない真実・・・


だから、私、中谷さくらの祖父、中谷多造は、戦争を語る講演会をライフワークにしていたのか?


否、違うな!?


祖父の親友、雨傘完爾の死を後世に伝えたかったのだろうな...


今頃、靖国で、祖父と雨傘完爾さんは、美味しいお酒を飲んでいるのだろうか!?


再会を喜んでいるのだろうか?


私、中谷さくらのさくらの名前の由来になった雨傘完爾さんの活躍を後世に残す為にも、今回、祖父のお話を小説として執筆をしてみました。


その執筆した小説が、今回の投稿作品となります。







【 終わり 】









































 
























































































































 


































実在する人物、土肥三郎中尉の活躍をモチーフにした小説となります。

モチーフにした事により、不愉快な思いをされた方々が存在するのならば、この場を借りて謝罪を致します。

申し訳ありませんでした...

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