マッチョなハスキー警部と気まぐれポメラニアンは幼馴染4
お話はこれで最終話です。次話は登場動物紹介です。
小宮は慌ただしく湯船から上がり、ブルブルと全身の水分を浴室内で飛ばした。タオルで身体を拭きガーゼコットンのパジャマを着る。寝る前は体毛調整しない。
長湯で火照った身体を冷ますため、小宮は冷蔵庫からミネラルウォーター入りのペットボトルを取り出し顔を上げて一気飲みした。
カウンター越しにリビングでだらけている大輔を見る。二足歩行姿のままうつぶせになり、スマホの動画を見続けている。面白い場面が出てきたかどうか、天を仰いでいるフワフワの尻尾の跳ね具合で分かる。
「俺はもう隣の部屋で寝るぞ。明日は何時に出るんだ?
俺は明日夕方までに出勤する予定だから、朝食の支度は出来るぞ」
小宮が見下ろしながら言うと、大輔がピョンっとこちらを向いて座る。
「俺は午前中までに出るから、朝飯食べさせてくれ」
「分かった、お休み……」とスライドドアを閉める途中で小宮は手を止めた。
「ところで、お前は何しに来たんだ?」
小宮の問いかけに、大輔は一瞬、出していた舌を納めた。そしてすぐ出した。
「お前の飯が食いたくなってさ」と大輔はニヤリと笑いながら返した。
小宮は目の上の筋肉を少し持ち上げたが、無言でドアを閉めた。
消灯した部屋で小宮はパジャマを着たまま四足歩行姿に戻る。フワァとあくびをして、クッションに身体を任せて眠りにつく。
大輔は頼み事がある時しか小宮の前に現れない。面接試験の練習相手や、元カノから要求された慰謝料対応など、面倒な内容もある一方で、「背中にスリスリしたくなった」や「新しく買った鞄を見てほしい」等、下らないことも多かった。
昔はもっと深刻な何かを抱えて、自分に遠回しに助けを求めているのか? とも小宮は考え込んだこともあったが、今は大輔のただの気まぐれだと解釈するようになった。
そして、何となく本当に深く悩んでいることがあれば、いつか自分に打ち明けてくれるはずだと、小宮は期待に近い想いで待っていた。
◆◇◆◇◆◇
寝静まっていた小宮の耳がピンと動く。
のそっと首を起こす。大輔の匂いが近付いてくる。スライドドアがスススと開いた。
「やっぱり俺もこっちで寝るわ」
小宮はマット傍で充電中のスマホを肉球で叩く。パッと目に光が差し込み、時刻は日付回ってしばらく経った頃だと知る。
「好きにしろ」
「ありがと」
小宮が頭を下ろすと、傍でフワフワした塊がクルンと丸まって転がってきたのを感覚で知る。大輔も四足歩行姿になり、自分の腹の幅に収まる小さな身体に戻ったのだ。
待つこともなく、大輔は熟睡したことに小宮は気付く。思いの外、彼は自分にくっついて眠っていた。
暗闇に浮かび上がる尖った口元に濡れた鼻先。大輔は仰向けになっていた。貸したパジャマのボタンを留めておらず、胸から腹の毛並みの様子が想像出来る。
小宮はすくっと四足歩行姿のまま起き上がる。ポムポムと肉球で敷マットを踏みながら、腹を見せて寝る大輔に跨がった。彼の身体の大きさでは、頭の両端にある小宮の前足も、覆い被さる胴体にも触れない。
暗くて見えないが場所ははっきり覚えている。昔、大輔の下腹部には傷があった。炎症がひどく、周囲に毛が生えていなかった。
――何でおかしいと思わなかったんだろうな? 母親からは病院は危ないから自力で治せって言われたよ。
大輔を連れ去った実母は、公的機関に行けば子の存在がバレる為、病院に連れていかなかった。彼の怪我は実母の内縁男の連れ子から喧嘩の延長で受けたものだった。
子ども園に来て、適切な治療を受けられ、怪我は回復し、毛も生えてきたのだが、今も跡は残っている。小宮も毛流れの向こうにある傷跡を見たことがある。
「俺は、いつまでお前の幼馴染なんだろうな?」
眠る大輔を見下ろしながら小宮は呟いた。
頼み事以外で、大輔が小宮に擦り寄ってきたことが一度だけあった。
小宮が自身の幼少期の頃を話した時だった。大輔は黙ったまま彼の顎下に耳を擦らせ、鼻先で突いた。
柔らかい感触を味わいながら、小宮は大輔に対する気持ちが強くなっていくのを自覚した。
小宮はそぉっと自分の鼻先を下ろす。その先に大輔の横顔がある。少しずつ慎重に距離を縮めていく。
「アーックチュ!」
反射的に小宮はグンッと首を上げた。くしゃみの後、大輔は前足で顔を擦った後、身体をグルンと動かして背中を上にして丸まった状態で眠り続けた。
フシューと小宮は息を吐く。ブルルッと全身を震わせた後、大輔の傍で横になり、目を閉じた。
◇◆◇◆◇◆
過酷な警察の仕事が、何時に寝ても決まった時間に起きる身体を作り上げた。
小宮は隣で仰向けで寝ている大輔の傍を、二足歩行姿になってから歩いて通り、寝室を出た。
洗面所でパジャマを脱ぎ、ムンっと力を込めると、毛並みが消え、パンッと膨らんだ胸筋が現れた。鏡で念入りにチェックの後、糊付けされたワイシャツに袖を通し、ネクタイを結び、サスペンダーをつけた。今日はオレンジ色にした。
その上からエプロンを着て、卵を鍋に入れて茹で、冷凍の鶏肉ササミの塊を電子レンジで解凍する。
コーヒー用のお湯が沸いたところで、スライドドアが開き、頭部の毛先があちこち飛び跳ねている大輔が現れた。
「おはよー。お前、早くね?」
「お前も意外と早起きだな。顔を洗ってこい。
もう朝飯は出来ている」
ダイニングテーブルに淹れたてコーヒーと野菜無しサラダとオリーブオイルを置く。
毛並みが少し収まった大輔がヒョコッと椅子上の補助台に座る。
「いただきまぁふ」
あくびしながら大輔は食べ始める。
2人は向かい合った状態で黙々と食べた。
食後大輔はテレビを見てダラけるのかと小宮は思ったが、彼が後片付けをしてる間に、大輔は着替て荷物をまとめていた。
「どうした? 随分テキパキしているな」
「うん、引っ越しトラックが予定より早く着きそうなんだ」
大輔の回答に、小宮は髭をピンと立てた。
「お前、引っ越すのか?」
「ああ、南灯の方な」
エプロンを脱ぎながら、小宮は彼に近付く。
「南灯?! 園近くのアパートを借りてから一度も地元から動かなかったお前が?」
大輔は照れくさそうに視線をそらした。
「子どもが産まれた。雌ポメラニアンと結婚して一緒に育てるんだ。彼女、南灯で野菜農家してるんだ」
小宮は喉奥から込み上げてくるものを必死で押し込んだ。
「そうか、おめでとう。後で引っ越し先住所を教えてくれ。お祝いを送るよ」
「ありがとう。なぁ、小宮ぁ」
リュックのジッパーを閉じる音が、妙にくっきり聞こえる。
「俺、ちゃんと『親』出来るかな?」
大輔は斜め上天井を見上げながら言った。
「大事なのは、出来るかどうかじゃない。出来ないと思ったらすぐに子ども課に駆け込むことだ。
お前も妻も子どもも、子ども課が役所の何階にあるか確認しておけ」
「そうするよ」と大輔はクスッと笑った。
そして、隣でしゃがんでいた小宮の顎下に自分の頭を擦り寄せた。
◇◆◇◆◇◆
自分の背中をすっぽり覆うリュックを背負い、大輔は玄関ドアの前で振り返る。
「助かったよ。
引っ越しトラックが事故って、荷物が届くのが遅れてさ。
アパートも出払った後だったから、一晩泊まる場所が無かったんだ。
嫁さんはまだ子どもと病院だし」
「大変だったんだな」小宮は壁にもたれながら言った。
※イラスト:猫じゃらし様
「お前、野菜食うよな? 今度送るから食べてくれよ」
「ああ、分かった」
大輔はドアを開けて部屋を出る。閉める時にクンッと鼻先を動かす。
パタンと閉まったドアを、小宮はしばらく見続けていた。
とても静かになった気がする。
踵を返し、小宮は寝室に向かう。敷マットのシーツを剥がして洗濯機に放り込む。コードレス掃除機で室内全体を掃除する。掃除機に溜まったゴミをパカッと蓋を外してゴミ箱に落とす。灰色の毛と細長いオレンジ色の毛が絡まっていた。
ワイシャツ・サスペンダー姿のまま、軽いストレッチと筋トレをした後、昼食としてバナナとプロテインゼリーを食べた。
ダイニングテーブルでバナナを齧り口を動かしながら、ふとリビングのテレビに視線を動かす。次にスマホを触り、検索ページを開く。
「有料配信サービスってこんなにあるんだな。
テレビとインターネットってどうやって繋ぐんだ?」
食べかけバナナ残りを全部口に入れ、クローゼットにきっちり保管してる取扱説明書ファイルを取り出す。テレビの説明書も入っている。
気まぐれなアイツの幼馴染でいられることが、自分にとってベストなんだ。
小宮は自分に言い聞かせながら、目次ページを開いた。
お読みくださりありがとうございます。次話は登場動物・用語紹介です。
2023/04/23猫じゃらし様の小宮警部をこちらに移動させました。
2023/06/22柴野いずみ様の大輔を掲載いたしました。