温泉好きな三人娘1
月光苑の二大名物といえば料理と温泉だが、仮にどちらが好きかという究極のアンケートを取った場合は八割以上が料理と答える。
要因は色々と考えられるが最も大きな理由として、この世界には風呂という文化が根付いていないことが挙げられるだろう。
月光苑へと足を運べば喜んで大浴場へと向かう客でも、普段は体を拭くだけの者が大半だ。そもそも自宅に風呂がある家など全体の一パーセントにも満たないので当然だった。
そんなこの世界の風呂事情だが中には毎日風呂に入っている地域も存在していて、そこには例外なく温泉が湧いている。
そして東の端にある小さな国ヤマトもそんな地域の一つだった。周りを高い山に囲まれているせいか周りの国との交易が少なかったヤマトは独自の文化が形成された。
豊富な水源を利用して狩りではなく稲作をして暮らしたり、山に囲まれているせいで熱がこもりやすい土地柄ゆえに、家には通気性のある茅葺屋根を使ったり。
その独自な文化の中でもお風呂に対する情熱は相当なもので、各家庭とまではいかなくとも小さな村でさえ共同の温泉を有しているくらい風呂が身近なものだった。
そこまで温泉がある理由としては小さな国土に百を超える活火山があることが挙げられる。そんなヤマトに暮らしているのは半数以上が獣人達だ。
獣人といっても多種多様な種族で、例えば武を尊ぶ竜人族だったり、商いを生きがいとする狸人族など様々な獣人がいる。
そんな様々な種族がいるヤマトの獣人達に唯一共通するのが温泉を愛しているということであり、そんな獣人達にとって月光苑の温泉は最高の贅沢であった。
それゆえに今日も月光苑の招待状を求めて迷宮へと挑む冒険者の姿がヤマトでは見られる。『三尾の三日月』もその中の一つだ。
「この箱もハズレかぁ。今日はとことんついてないなぁ」
八千橋と呼ばれる迷宮で宝箱を開けた葉月が小さくぼやいた。緋色の髪に爬虫類のような尻尾を生やした彼女は、蜥蜴族だった。
職業が盗賊である彼女が見つけた宝箱を開けることになるのだが、今日は中々月光苑の招待状を手に入れることが出来ない。
五つ目の宝箱も中から出たのは金の指輪で、いい値段にはなるがそうじゃないとため息を吐いた。こうも連続で外してしまうと自分の運が悪いのかと疑ってしまう。
「そういう日もあるわ。もう少し探してみましょう」
落ち込む葉月に優しく声をかけたのは銀狐族の日和だった。種族特有の銀の長い髪は彼女の自慢で、それをケアしてくれるシャンプーとトリートメントを心から愛する一人である。
「日和の言う通りだ。見つかるまで探せばいい、帰るまで時間はたっぷりとあるからな」
最後に声をかけてきたのは熊人族の三波だ。この三人で立ち上げたのが三尾の三日月で、自分たちの名前をもじって三日月にしたのは渾身のアイデアだったと思っている。
三人が探索している八千橋は朱塗りの橋がかかった一本道の迷宮で、遠くに見える岸には沢山の紅葉が見えて、橋の下の池には綺麗に咲く睡蓮や赤い魚が泳いでいる。
非常に美しい迷宮なのだが他と比べてかなり特殊な迷宮でもある。
敵が橋のど真ん中で待っていて、それを倒すと次の道が現れ先へと進むことができる仕様なのだ。
道を進むと次の橋には敵が待つか宝箱が置いてある。これを繰り返すシンプルな迷宮だが、不意打ちを警戒しなくていい分出てくる敵は非常に強いものばかりだ。
それに挑んで稀にしか出ない宝箱を五つも開けられているのだから、三尾の三日月の実力の高さが伺えるというものだろう。
先を進むと橋の上で待ち受けるのは、僧兵が着るような服に七つの武器を背負った半透明の魔物だった。
「ムサシボウだ」
短く呟いた三波の声には緊張感を感じさせる。ムサシボウとは稀に八千橋に現れるジョーカーに付けられた名前だ。他の迷宮に現れるものと比べて自ら襲うことはないが、橋に一歩でも足を踏み入れた者には容赦なく戦いを迫ってくる。
「どうしましょう。帰るのが正解でしょうけど」
なぜ日和が困っているのか。それはジョーカーは倒せば必ず招待状を落とすためだった。
「前に一度勝ててるんだし、ここは招待状を貰って月光苑へ温泉旅行といこうよ」
ハズレを引き続けた鬱憤を晴らすように葉月は愛刀である小太刀『八咫烏』を構えた。漆黒の刃にはアサシントードの麻痺油が塗られており、並みの魔物なら軽く切るだけですぐに動けなくなる業物だ。
それを引き金に日和は愛杖『日輪』を、三波は愛刀『影法師』を構える。
まず先陣を切ったのは三波だ。橋にて仁王立ちをするムサシボウに影法師を逆手に構えて肉薄すると、真っ二つを狙って振り上げた。しかしムサシボウは鉄の棒でその一撃を受け止めてみせる。
「くっ、流石に通用しないか!まあいい!葉月頼んだ!」
「了解!脇腹もらうよ!」
音もなく近づいていた葉月が脇腹に八咫烏を突き入れると、ムサシボウの霊体が僅かに揺らぐ。麻痺は入らなくとも手傷は負わせたらしい。そんな一撃を警戒したのか今度は木槌に持ち替えると葉月相手に振り下ろした。
「力勝負は私とお願いしよう!」
ズガン!そんな音を立てるほどに重い一撃を三波は影法師で受け止めた。そんな三波に今度は熊手とのこぎりの攻撃が迫るが、今度は葉月がそれをカバーする。
「日和!そろそろいけそう?」
「もう少し待ってもらえるかしら!?ここは太陽の光が薄くて溜めるのが大変ね」
日輪を構えて目を閉じていた日和の声に時間を稼ぐように葉月が前に出る。ムサシボウが構えるさすまたを凌ぎながら隙を見て尻尾の一撃を繰り出した。
「にしし。尻尾癖が悪くてごめんね!蛇蝎には及ばなくても結構強い毒だよ。どこまで通用するかな?」
葉月は尻尾の先端を器用に巻いて針を持っていた。そこに塗られているのは猛毒葛の花の蜜。とっておきの猛毒は霊体にすら効果を及ぼしたらしい。ブレるように何度も体を震わせるムサシボウに今度は日和の声が響く。
「お待たせ!準備ができたからそこから離れてちょうだい!日輪よ!その光を敵に降らせたまえ!」
日和の持つ日輪から光の線が天に昇ると極太の光線に変わり降り注ぐ。まさかりを手に持って日輪の一撃を切り裂こうとするムサシボウだったが、少しずつ膝を着いて最後は光に飲み込まれた。
「はあ、はあ、わたしの全力の一撃なんだけど。まだ立ってるなんて化け物ね」
そう。ムサシボウは光の中で立っていた。体を激しく明滅させながらも、まさかりを地面に突き刺し耐えている。このままでは光が消えてしまう、そんな中で三波が一歩前に出て影法師を構えた。
「最後は任せてもらおう」
そう言って飛び出した三波に、薄くなった光の中でムサシボウはなぎなたを構える。二つの武器が交差して打ち勝ったのはムサシボウだ。三波の体を真っ二つに切り裂くと絶ち分かれた上半身が地面に落ちる。その瞬間なぜかバシャリと音を立てた。
「ここまでの光の中だ。影法師にも惑わされるだろう?」
三波の愛刀影法師は強い光の中では影を生んで敵を惑わす効果がある。振り返ったムサシボウを三波は今度こそ二つに断ち切った。