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おにぎり聖女

亡き聖女に捧げるおにぎり

作者: 中村くらら

『おにぎり聖女の最期』の後日譚です。

ネタバレになりますので、できれば先に『おにぎり聖女の最期』をお読み頂けると嬉しいです。

 澄んだ秋晴れの空の下、草を踏む俺の足音と、木々の葉擦れの音だけが辺りに響く。

 目指すのは、丘のてっぺんに佇む梅の木のふもと。

 あの人に会うため、俺は今日も丘を上る。




 聖女であり、俺の婚約者であったあの人がこの世を去って、もうすぐ一年になる。

 昨年の秋、無事に米の収穫が終わるのを待っていたかのように体調を崩し、寝込むようになった。日に日に弱り、新年の訪れを待たずに亡くなった。

 享年九十五歳。老衰だった。


 七十五歳も年上の婚約者と出会ったのは、今から六年前。俺が十五歳の時だった。

 凶作が続き、藁にもすがる思いで行われた古の秘術。それにより異世界から召喚された救国の聖女、それがあの人だった。


 聖女を国に留めおくため、王族の男子と娶せる。それがこの国の決まりだ。唯一独身だった俺が、聖女の婚約者に選ばれた。

 目の前が真っ暗になった。

 それまでの俺は、兄達と年の離れた末っ子の第三王子として、気楽な立場を享受していた。正式な婚約者はいなかったものの、同い年の侯爵令嬢との婚約が内定していた。純粋な好意を向けてくれる彼女のことを、俺も好ましく思っていた。

 そんな生活が一変した。

 母親どころか祖母よりも年上の老女が俺の婚約者。悪夢を見ているようだった。

 国のためだと頭では理解していても、気持ちがついていかなかった。

 

「お前のような者と結婚など、絶対にごめんだからな!」


 婚約の場で、感情に任せてあの人に投げつけた言葉を、俺は後々まで悔やむことになる。


 あの人は強い人だった。

 突然、有無を言わせず異世界に連れて来られたというのに、恨み言一つ言わなかった。


「聖女というのはよく分からないけれど……これも何かの縁。私にできることをやってみましょうかね」


 朗らかにそう言って、王宮の裏庭で野菜作りを始めた。聖女の力なのか、あの人が手をかけた畑は不思議なほどによく実った。

 次にあの人は、米という作物を育て始めた。誰も知らない、異世界の作物だった。あの人が召喚された時、たまたま米の種を持っていたのだそうだ。

 米は畑ではなく、田という農地で作るらしい。国が半信半疑ながらあの人に協力し、王宮の外れに小さな田んぼが作られた。

 秋になり、米が実った。炊きあがったご飯が王族や高官達に振る舞われ、皆その美味しさに目を輝かせた。あの人への反発を続け、ご飯を口にしなかった俺を除いて。

 米に大きな可能性を見出した国の指揮で、すぐさま郊外に広い水田が作られた。あの人は毎日のように郊外の水田に足を運び、人々に米作りを教えて回った。聖女の力か、それともこの国の気候と土が米作りに合っていたのか、それまでの凶作が嘘のような豊作となった。水田は年々その規模を広げていき、米はこの国の食糧難を救う救世主となった。


 さらに、あの人がご飯を握って作るおにぎりという食べ物には、癒やしの力が付与されていた。あの人のおにぎりのおかげで、俺の母も健康を取り戻した。

 あの人が救ったのは母だけではない。病気や怪我で苦しむ者がいれば、身分を問わずおにぎりを振る舞った。

 いつしかあの人は、『おにぎり聖女』と呼ばれ、皆から慕われるようになっていた。


 あの人は、俺のためにもおにぎりを握ってくれた。俺はそれを、あの人の目の前で投げ捨てた。潰れたおにぎりを拾い上げるあの人の悲しげな姿が、今も頭を離れない。

 そんな酷い俺なのに、あの人は俺が怪我や病気をする度におにぎりを握り、そっと差し入れてくれた。

 五回目に差し入れてくれたとき、俺は初めてあの人のおにぎりを食べた。たちの悪い風邪にかかり、高熱に苦しんでいるときだった。

 美味かった。

 ぽっと灯りがともったように胸の中が温かくなり、身体が軽くなるのが分かった。訳も分からず涙が溢れた。


 ありがとう、美味しかった、また作って欲しい。

 そう伝えに行きたいと思うのに、過去の自分の仕打ちを思い出すと足が竦んだ。どんな顔であの人に会えばいいのか分からなかった。

 ようやく会いに行く決心がついたのは、いよいよ危ないと聞いてからだった。謝りたい、その一心だった。


 あの人の葬儀で、俺は人目も憚らずに泣いた。俺に泣く資格などないと分かっていても、後悔の涙を止めることはできなかった。

 葬儀の後、国王である父から知らされた。あの人が、俺のために、婚約の解消を何度も嘆願していたということを。それが叶わないと知ると、少なくともあと十年は正式な婚姻を結ばないで欲しいと願ったことを。「それまでにはお迎えが来るでしょうからね」と、からりと笑って言ったそうだ。父から話を聞いて、俺はまた泣いた。


 あの人のお墓は、王宮の裏手にある丘の上に作られた。あの人が手入れしていた梅の木の木陰。街の外に広がる水田が見渡せる場所だ。

 それ以来、この場所に通うのが俺の日課になった。




「ウメコさん、来たよ。今日はさ、新米で作ったおにぎりを持って来たんだ。ウメコさんに一番に食べて貰おうと思って」


 ハンカチでウメコさんの墓石を綺麗に拭き上げ、その前の地面に腰を下ろす。

 懐から取り出した包みには、不格好な三角おにぎりが二つ。その一つを、墓石の前にそっと置いた。


「この米、俺が育てたんだよ。ウメコさんの田んぼで」


 ウメコさんが亡くなった後、俺は父に頼み込んでウメコさんの田んぼを譲り受けた。王宮の外れに作られた、小さな田んぼだ。

 俺はその田んぼで米を育てた。米作りの知識も技術もなかった俺は、生前ウメコさんから指導を受けた人々に教えを請うた。俺のウメコさんへの態度を知っていた彼らの反応は冷ややかだったが、俺は諦めずに頭を下げ続けた。もう、後悔したくなかった。


 春、ぬかるみに足を取られながら稲を植えた。

 毎日、草を引き抜き、虫や鳥を追い払った。

 嵐の晩には、せっかく伸びた稲が倒れやしないかと心配で、びしょぬれになりながら田んぼまで駆けた。

 秋になり、黄金色の稲穂が実ったときには思わず涙が滲んだ。ウメコさんに会えたような気がして。


「でも、米作りって難しいね。結局、半分くらいしか収穫できなかった……」


 難しい問題に直面するたび、ここにウメコさんがいてくれたらと、何度も思った。

 そして、反発ばかりで何もしなかった五年間を、心の底から悔やんだ。


「おにぎりを握るのも、難しいね。どうしても、ウメコさんのおにぎりみたいに綺麗な三角にならないんだ。手が、違うのかな……」


 たった一度きり握った、ウメコさんの小さな手を思い出す。しわくちゃで、柔らかな手だった。


「本当は貴女のおにぎりが好きだった。これまでの酷い仕打ちをどうか許して欲しい……」


 遅すぎた懺悔。もう聞こえていないかもしれないと思っていたのに、ウメコさんは俺の手を握り返して応えてくれた。弱々しい力で。そしてそれっきり、動かなくなった。

 力を失い次第に冷たくなっていくその手を、俺はいつまでも握り続けた。俺の手と涙の熱で、去りゆくウメコさんの魂を繋ぎ留めたかった。


「味もさ、なんか違うんだ。もう一度、食べたいなぁ、ウメコさんのおにぎり。ウメコさんと一緒に……」


 もう一つ、自分用に持って来たおにぎりを齧る。

 鼻の奥がツンとして、目の前のおにぎりがぼやけた。

 ウメコさんが生きているうちに、こうやって一緒におにぎりを食べたかった。

 美味しいと笑って、お礼を言いたかった。

 また作ってと、甘えたかった。

 その願いはもう、叶わない。

 いつもよりしょっぱいおにぎりを飲み込み、両目を袖でぐいと拭う。

 真っ直ぐに、ウメコさんの墓石を見上げた。


「俺、これからも米作りがんばるよ」


 ウメコさんがこの国にもたらしてくれた米作りを、守り、広めていく。

 きっとそれが、俺の使命であり、唯一の償いになるのだ。


「だから見ててね、ウメコさん」


 涼やかな風が梅の木を揺らし、色づいた葉がウメコさんの墓石にひらりと舞い落ちる。

 風に乗って、がんばってねと、ウメコさんの声が聞こえたような気がした。



〈了〉  


 


 

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

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