月曜日の来ない世界
「あぁ、明日は月曜日か……」
日曜日の午後11時……また学校へ行くと思うと憂鬱で仕方がない。
毎週の事だが、昼過ぎぐらいから明日のことが頭をよぎり、何をしていても楽しめない。
テレビを見ていても、ゲームをしていても、つい「明日は月曜日だ」という事実を思い出してしまい、気分が落ち込んでしまう。
僕の名前は、楠木悠人。今年の春、つまり高校2年生になる時、この街に引っ越して来た。
父親の仕事の都合……栄転だなんて言ってるけど、こっちは数少ない仲の良い友達と別れて、誰も知らない環境に放り込まれた。
友達なんてすぐにできるって言うけど、僕の性格上簡単ではない。引っ込み思案な僕は人と話すのが苦手だ。今まではたまたま話しかけてくれた人と気が合ってごく少数の友達ができた。一度仲良くなれれば話も出来るようになるのだけど、自分から話しかけるのは苦手なので友達は増えない。
転入した高校は、ほとんど地元の中学校から上がってきた人達ばかりで、仲のいい奴らでグループが出来ている。初めての転校で普段以上に緊張している僕がそこに入っていくのは、難しかった……。
もう6月だというのに友達は出来無い。学校に行っても、授業で当てられた時以外は一言も言葉を発っすることは無い。もしかして皆で示し合わせて無視されているのかも。裏で僕を笑っている気がする。
毎週、毎週月曜日が来るのが辛い。また一週間が始まる。また学校に行かなければいけない。あの教室で過ごさなければいけない。
明日は今度の修学旅行の班を決めるらしい。ぼっちにとっては最も過酷なイベントの一つだ。あぶれて邪魔者を押し付け合う展開が目に見えている。
もう行きたくない。月曜日なんか来なければいいのに。いっそ死んだ方がマシなんじゃないか……。
僕は暗い気持ちに落ち込みながらも、惰性で明日の支度を済ませて布団に潜り込んだ。
「明日起きたら、もう一度日曜日だったらいいなぁ。いや、日曜日だとすぐ月曜日だから、土曜日がいいなぁ……」
僕はそんなどうしようもない現実逃避をしながら、いつのまにか眠りについた。
夜中にふと、目が覚めた。「今何時だろう?」辺りは、まだ薄暗く、窓の外は夜明け前特有の青白さを感じる。枕元の目覚まし時計を見ると、午前4時半を指していた。
もうすぐ明るくなってくる、目覚ましは6時半に合わせているからまだ2時間寝れる。
基本的にネガティブ思考だけど、特に寝起きはネガティブな事しか考えられないから、今は何も考えずに、もう一度眠ろう。出来るだけ朝が来ないように。月曜日がまだ来ないように……厳密には0時を回っているので、もう月曜日なんだろうけど、朝起きるまでは月曜日と思いたくない。現実を認めたくない。
無理矢理思考を停止して布団を被ると、すぐに眠りにつく事ができた。出来るだけ月曜日の事は忘れていたい……。
暫く眠った後、再び目が覚めた。辺りはまだ暗いようだ。
「まだ眠れるかな」僕は目覚まし時計を見た。
「……4時半?」
一度目が覚めて時計を見た時、4時半だった気がするけど……見間違いだったのか?どっちにしても、まだ眠れるって事だ。
僕は現実を逃避するように、もう一度眠りについた。
そして再び目が覚めた。結構眠った気がするが、辺りはまだ薄暗い。
今日は天気が悪いのか……もうそろそろ目覚ましが鳴ってしまうだろう。
僕は再び目覚まし時計を見た。
「4時半……」
嫌な考えが頭をよぎる。
「しまった、電池が切れて止まっているのか!?」
月曜日が来て欲しくないせいで、まだ眠れると思い込んでしまった。
今何時なんだ?遅刻して教室に入るのも勇気がいるし、今日は仮病で休んでしまおうか。
しかし親も起こしに来ない。かなりの時間眠った気がするけど、実はまだ大した時間ではないのかもしれない。
取りあえず正確な時間を知る必要がある。僕の部屋には目覚まし以外の時計は無いので、一階のリビングで壁掛け時計を見てみよう。
僕はやむなく布団から抜け出し、自分の部屋を出て階段を降りる。
しかし薄暗い、本当にまだ4時半なんじゃないか?そんなあり得ない願望を頭に思い浮かべながらもリビングに入ると、壁掛け時計を見あげた。
「4時半……」
サッと顔から血の気が引くのがわかった。
何かおかしい。流石に家の時計が全て止まっているなんて事はないだろう。たっぷり眠った事もあるが、おかしな状況に眠気はすっかり消え失せた。
辺りは静寂に包むまれている。嫌に静かだ。「親はまだ寝ているんだろうか?」気は進まないが、両親の寝室を覗いてみよう。
念の為、起こさないように静かにドアを開く。まだ二人共布団の中にいるのがわかる。
そっと忍び足で近づき、顔を覗き込む。
「まだ眠っているようだ……ん?息をしていない!?」
「お父さん!お母さん!」大声を出し、激しく体を揺すったが反応は無い。
死んでいる?でもそうは見えない、身体に体温も感じる。深い眠りについて、身体の機能だけ停止しているような、まるで時間だけが止まっているような……。
僕は困惑して、暫く立ち尽くした。
「そうだ、誰かに助けを求めよう。とゆうか、こんな時は救急車を呼べばいいんだ」
急いでリビングに戻り、受話機を取った。119番なんてかけるのは初めてなので、少し緊張しながら数字を押した。
しかし――「あれ?音がしない」
受話機を耳に充てると、聞こえるはずの「プー」という音も聞こえない。
線が抜けているのかと思い、配線を確かめようと部屋の明かりのスイッチを押した。
「電気がつかない……停電か、それとも――」
混乱で思考が追いつかない。ふと時計を見ると、まだ4時半を指している。
「4時半……外はどうなんだろう?」
とても不安で、胸にザワザワした気持ちを感じながら、一応制服に着替え、玄関のドアを開けた。
やはり夜明け前だ、青白い世界が拡がっている。いつもの街並みだけど、色を無くした世界は違う世界のようだ。
それにしても静かだ、何の音も聞こえない。人も車も何も見当たらない。市道の方まで少し歩いてみたが、信号機は……電気がついていない――
いや、おかしい。おかしすぎる。どこまでも青白い世界。まるで、世界が死んだようだ。
立ち止まり空を見上げた。夜明け前の薄暗い空が広がっている。
「この止まった世界はどこまで続いているんだ?街全てなのか、それとも、日本……または、地球全て……」考えると目眩がしてくる。
僕は家まで戻り、自転車を引っ張り出した。通学で使っている、少しくたびれた自転車だ。この世界がどこまでも続いているのか?他に起きている人はいないのか?頭の中は混乱状態だけど、家の中で時間が経つのを待つ気にはなれなかった。僕は自転車に乗ると行き先も決めずにとにかく走り出した。
夜明け前の青白い世界……どこまで行っても静寂しかないように見える。僕は急かされるようにペダルを漕いだ。
いくら走っても人の気配は無い。動くものが何も無いので音も何もしない。聞こえるのは自分が乗っている自転車の走る音とハァハァという自らの呼吸音……。余計に不安が募る。
ふと、公園の横を通り過ぎる時、設置された時計を見る。
「4時半……」
世界はどこまでいっても4時半なのか――
無我夢中で自転車を走らせていると、いつの間にか自分が通う高校に着いてしまった。
「学校に行きたくないと思っていたのに、習性なのかな……」
自分の行動に呆れていると、不意に何か違和感を感じ校舎を見上げた。
「?……屋上の一部が光っている――いや、色が付いているんだ!校舎の下から見るとまるで光っているように見える」
世界は夜明け前特有の全てが青白い――色を失ったような世界だけど。あそこだけ太陽の光を浴びているかのように明るい色を帯びている。
じっと色の付いた屋上を凝視していると――「!?何か動いた様な?エッ!人がいる……」
遠いので確かではないが、人らしき影が動いたように見えた。「僕以外に動いてる人がいる――」
僕は心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、考えを巡らせた「世界で動ける人間が、僕だけじゃなかったのは嬉しい。でも、こんな時間に誰なんだろう、学校にいるって事は学校関係者か?」
誰とも分からない人物に不安を感じる。でも、今更人見知りを発揮してる場合じゃないし、会ってみるしかない。この時が止まった世界の事を何か知っているかもしれないし――
僕は自転車を校舎脇に停め、ひっそりとした校舎に入っていった。誰もいない薄暗い校舎に入るのは、何だか後ろめたい気持ちになる。静寂の中、妙に自分の足音だけが響くので、出来るだけ音を立てないように階段を上がり、ようやく屋上のドアまでたどり着いた。
このドアの先が屋上だ。屋上に用がある事なんて無いので、こんな場所は初めて来る。
僕は一呼吸おいて、ゆっくりとドアを開け辺りを見回した……誰もいない。
校舎の下から見た状況を思い出し、光っていたであろう方向に歩みを進めようとしたその時――
「誰なの!?」
見ると女の子が貯水タンクの陰から顔を半分だけ出してこっちを見ている。
「あっあの、僕は怪しいものではなくて――」
突然の事にしどろもどろになりながら応えた。
「どうなってんの!一体どうなってんのよ!」
「い、いや、僕にも何がなんだか――」
突然の訪問者に警戒しているのだろう、女の子は貯水タンクに隠れたまま叫んでいる。どうやらこの女の子も、この止まった世界の事を知っているわけではなさそうだ。
女の子一人こんな場所で不安だっただろう。僕は冷静を装い彼女に話しかけた。
「じ、時間が止まっているみたいなので、外に出てここまで来たんだ、そしたら光が見えたので、この屋上まで来たんだよ」
「光……あなたこそ光っているように見える」
「エッ!?」自分自身の事は意識して無かったけど、良く見ると確かに自分の手や服……それに、僕の周囲の壁や床は色が付いている。
「そうか、動けている人の周囲だけ色が付いて、傍から見ると光っているように見えるのか」
僕が一人で納得しながら自分の手や周囲を見比べていると、警戒を解いてくれたのか、貯水タンクの陰から「あなた制服を着てるけど、あなたもここの生徒?」と言って、肩まで届く髪を揺らし、制服を着た女の子が姿を現した。
あっ、この子は!――この顔は知っている!名前は知らないけど隣のクラスの子だ。かわいいので廊下などで見かけると、つい目で追ってしまっていた。
「ねぇ聞こえている?」僕が固まっていると彼女が不安げに問いかけた。
「あっ!うん、そう2年1組の名前は楠木悠人」
好意を持っていた女の子が目の前に現れて動揺してしまったが、何とか応えることが出来た。
彼女は少し安心したのか、若干表情が和らいだ。
「隣のクラスなんだ。私は2組の白野未月。でも、あなたの事見たことないかも……」
「4月に転校して来たんだ、クラスでも目立つ方じゃないし……」
見たことがないと言われ、軽くショックを受けながら答えた。でも、しょうがない。クラスで目立たないどころか、輪に入れてさえいないのだから。
「あなた……楠木君?今何時かわかる?」
彼女は僕への呼び方を言い直しつつ、再び表情を曇らせて問いかけてきた。
「えぇと、4時半みたいなんだけど、だいぶ前からずっと4時半だと思う。まるで時が止まったみたいに」
「そう、やっぱり私の時計が壊れた訳じゃなかったのね」
彼女は左腕に巻かれた腕時計を見ながら呟いた。時刻は4時半を指している。
しかし、どうしてこの世界で動けるのが、僕と彼女の二人だけなんだろう。そして彼女も制服を着ている。早出にしても早すぎるし、どうして屋上にいたんだろう?僕は彼女に質問してみた。
「あの、白野さんはどうして屋上に来たの?やっぱり時間が止まったから見に来たとか……」
「……私は時間が止まる前からここに来たんだ。もっと暗いうちから……」
意外な回答だった。「えっ?暗いうちからって、どうして屋上なんかに?」
すると彼女は視線を落とし、口籠りながらも応えた。
「……眠れなくて……月曜日になるのが嫌で眠れなくて……もう、飛び降りて死のうと思って屋上に来たんだ」
「エッ!?そんなどうして!死ぬ為になんて――」
ショックだった。まだ高校生なのに、しかもこんなにかわいい女の子が自殺をしようと思っているなんて。僕は反射的に理由を問いただした。
「どうして死のうとなんて思ったの!?まだ若いのに勿体ないよ!」顔もかわいいのにと言いそうになったが、口から出る寸前で呑み込んだ。
「……聞きたいの?まぁ最後だし教えてあげる。簡単に言うとクラスの女王様的な子に目を付けられたのよ。そいつが好きな男子――サッカー部のイケメンで、女子の間でも人気がある奴なんだけど、私に告白して来たわけ。私は脳筋パリピ野郎なんて大嫌いだから、あっさり断ったんだけど、何故か周囲に知られて……女王様はその事が悔しかったのか、嫌がらせをするようになって、結局クラスの女子全員から無視されるようになった……仲の良かった友達も含めてね」と彼女はうつ向きながら話してくれた。
「それは災難だったね、君は悪いわけじゃないのに――」
「そう、女子ってほんと陰湿で……やっぱり友達だと思ってた子に裏切られたのがショックだな。その時、そもそも人間ってそうゆうものだって思った。自分の身を守る為なら、他人はどうなったっていいんだって。絶望したの……人間に、この世界に――だから、もう月曜日は迎えたくなかった」
月曜日は迎えたくない――僕と同じ気持ちだったんだ。でも、白野さんの方がより深刻かもしれない。彼女の話は続いた。
「それで屋上から飛び降りようって決めて、ここへ着いたのが3時44分――それから1時間経つと4時44分だから、その時飛び降りるのが丁度いいやって思って……その間今までの人生を振り返って、自分にお別れをしてたんだ――で、いよいよあと15分位になったんだけど、突然街の明かりが全部消えて、時計の針も一向に進まなくなったわけ」
「そうなんだ!良かった時間が止まってくれて」彼女の告白を聞き、思わずそう応えた。
すると、彼女は僕を睨んで声を張り上げた。
「良くはないわ!もう心の準備は出来てるんだから、早く時間を進めて!」
僕は驚いて問いかけた。
「進めてって、まだ死ぬ気なのかい?」
「それはそうよ!考えれば考える程、生きてる意味なんて無いって思うわ、私なんて何の価値も無い!」
「そんな……価値はあるさ。君を必要とする人だっているはず――例えば両親とか?」僕はとっさに反論した。
でも彼女は僕から視線を外し「私の母親は5年前に事故で死んだの、父はいるけど忙しいらしくて、たまに顔を見るだけ。私がいない方が、再婚もしやすいんじゃないかな」と淡々と話した。
そんな事が――僕は本気で死んで欲しくないと思い始めていた。好意を持っていることもあるが、この子が悲しみの中、命を落とすなんて、実現させてはいけないと思った。さっきまで自分も死にたいなんて考えていた事は、もう忘れていた。
何とかして自殺を止めようと思った。一時の感情で衝動的に自殺を考えてしまう場合もあると思うから、少し時間をおけば冷静になってくれるかも。
少なくとも一時間以上前からここにいて、計画的に飛び降りるつもりだったというのは気になるけど、それだけ時間をおいて実行しないというのは、本当は死にたくないはずだから……。
「この世界……嘘みたいだけど、時間が止まってしまったみたいなんだ。
僕の両親とか死んではいないと思うんだけど、息もしないで眠り続けてる。
僕の家からここまで自転車で走って来たんだけど誰にも会わない。車も何も動いてないし、電気も止まってる。
それでやっとこの世界でも動ける白野さんに会えた。取りあえずってわけじゃないけど、この世界がどうして止まったのか知りたくないかい?さすがに動ける人間が僕たち二人だけって事は無いと思うんだ」
白野さんは僕の話を黙って聴いてくれた。
「そうなんだ……動けるのは私たちだけ……。確かに、この状況はかなり不思議で気持ち悪いね……。
でも、時間が動き出して4時44分になったら私死ぬから……」
「いや、まぁそれはその後考えるとして――」
僕にはその場を誤魔化す言葉しか出てこなかった。やっぱり死ぬ事にこだわりがあるようだ。いっそ時間が止まったままの方がいいのか?いや、そういうわけにはいかない。この世界で生きていける気がしない。でも、調べるにしても何も手掛かりなんてない。
「えぇと、よし……では早速この世界の事を調べてみよう。
で……どこから何を探せばいいんだろう?他にも動ける人がいないか探してみようか、でも、どうやって?」
僕が自問自答していると、白野さんが答えた。
「動ける人の周囲は光っているように見えるのかもしれない」
そういえば、そうだった。近くにいると自然な色なので気にならないのだけど、遠くで見るとまるで光っているように見える。
「そうだ、屋上が光っていたので白野さんに会えたんだった」
「うん、私も遠くから光が近づいてくるのが見えて、それが楠木君だったみたい」
「あっ、そうなんだ!僕が来るのは見えていたんだね、自分が光っているなんて全然わからなかったけど」
白野さんは僕が来るのがわかっていたから、事前に物陰に隠れていたようだ。
この校舎は街の中でも高い地形に位置している。ここの屋上からなら、かなり遠くまで見渡せるかもしれない。
「それなら、ここから他にも光が無いか探してみようか――」
「あるわ」
「エッ?」
「3つあるわ」
なんと白野さんは、既に僕以外の光も見つけていたようだ――飛び降りるまでの時間が経つのを待っている間に……。
僕は白野さんに促されて屋上の北側の端まで行き、柵の間から周りを見渡した。どこまでも薄暗く青白い街が広がっている。
「ほら、あそこと、あそこと、あと向こう」
白野さんが指差した方を見ると、確かに微かに光っているように見える。
「東の団地の方と、北側の住宅街と……もう一つはかなり遠いな、北西の駅の方か……」
僕は光の場所を確認して、もう一度屋上を一周した。白野さんが言うように3ヶ所以外に光は見あたらないようだ。
ちょっと探検みたいで、少し気持ちが盛り上がってきた。それに白野さんもいる――
「よし、じゃあまずは、一番近いあの団地に行ってみよう」
僕が力強く声を掛けると、彼女はうつむいてボソリと言った。
「私も行くのよね……」
「い、行かないの?」ショックだ。コミュ障のくせに、自分をわきまえず調子に乗ってしまったようだ。「ご、ごめん僕と一緒になんて嫌だよね……」
「ううん、そうじゃないの。そんなんじゃないんだけど」彼女は大きく首を振りながら答えた。
「この屋上に来た時、もう二度と地面には降りないつもりだった。地面に降りる時は飛び降りて死ぬ時だって――」
僕は頭を打たれたような気持ちになった。白野さんがどんな気持ちで屋上まで来て、飛び降りようと決心して、時間を待っている間に何を考えていたかなんて、全然理解できてなかった。
でも、彼女には死なないで欲しい、考え直して欲しい。
「ごめん急いじゃって!そ、そんな急に切り替えられないよね。白野さんの気持ちを考えて無かったよ……でも、出来れば――まだ――死なないで欲しい。もう一度だけ地面に立って欲しい!――いや、もう少し落ち着いてからでいいよ。取りあえず様子を見てくるからさ!」
僕は語彙力が無い中、必死に笑顔を作りながら話しかけた。すると彼女は、気持ちが伝わったのか、それとも僕が必死過ぎて可笑しかったのか、薄く微笑んで応えた。
「うん、わかった。私も行くよ。取りあえずだけどね……」
僕たち二人は薄暗い校舎を降りていく。完全な無音の中、聞こえるのは二人の足音だけだ。
気まずい……何か話した方がいいんだろうけど、僕にはそんなコミニュケーション力は無い……そんな事を考えながらも、ようやく一階、校舎の出口にたどり着いた。
僕は当たり前のように乗ってきた自転車にまたがった後に気付いた。あれ、彼女も自転車で来たのだろうか?
「私、電車通学なんだよね、今日は歩いて来たんだ……」ポツリと彼女は言った。
「そ、そうなんだ、夜中じゃ動いてないもんね……でも、歩きじゃ相当かかったよね」
「うん、一時間近くかかったかな。まぁ、初めから学校に行こうと決めていたわけじゃなくて、色々考えてたら――入り込める高い建物無いかなとか……それで、ここに来ちゃったんだよね。色んな感情が混ざったこの場所で最期を迎えるのもいいかななんてね」
彼女は相当な覚悟を持ってここに来たんだ。そりゃ死ぬ気なんだから当然か――そこまで追い詰められるなんて、どんなに辛いのか……僕は改めて彼女の気持ちを想像して、声をかけられずにいた。
そんな僕の顔を見て気を使ってくれたのか彼女は「じゃあ自転車の後ろに乗せてくれる?いいかな?」と遠慮がちに言った。
「エッ!後ろ?二人乗り?い、いいの?」
「うん、楠木君がよければ……ちょっと重いかもしれないけど、歩いていくには、少し遠いし……」
「も、もちろんいいよ、が、頑張るよ!」
動揺を隠せず、間抜けな返事をしてしまった。女の子と自転車二人乗りなんて創作の世界の出来事だと思っていたのだから。
白野さんを乗せて自転車を走らせる。荷台に横向きに座った白野さんが倒れないように、出来るだけ車体を傾けない様に気を付けながら。
シャーという車輪の回る音だけが街に響く。白野さんを乗せて走るのに緊張していたが、周囲の異様な雰囲気に、徐々に不安の方が勝ってきた。僕は交わす言葉も無いまま目的地の団地へ向かった。
「本当に何も動いていないんだね、街が死んでいるみたい……」彼女は少し怯えるように呟いた。
青白い街から生命の気配は感じられない。建物の中に人はいるのだろうか、僕の両親のように眠ったままなんだろうか?
やがて、細い路地を通り、団地が見えてきた。六階建ての古い団地だ。
たしか、あの団地の横あたりが光っていた気がする。団地の手前まで来ると、二人は自転車を降り、ゆっくりと近づいていった。
「確かこの辺りに見えたんだけど……」
周囲を見渡しても光は見あたらない。光が人だとすると、その場に留まってるとは限らないわけで、どこかへ移動してしまったのだろうか――そう思った時。
「見て、あの倉庫みたいな建物。ドアの隙間から光が漏れているみたい」白野さんが僅かな光に気付いた。
「ほんとだ光が漏れてる」辺りが暗いので僅かな光でも結構目立つ。
何か団地の備品等を入れておく倉庫だろうか、団地の奥に建つ5メートル四方位の年季の入った建物だ。
僕たちは音を立てないように息を潜めて近付く。建物の前で目で合図をした後、そっとドアを開いた――
「ワアァァァァァ?!」「うわぁぁ!!」中からの叫び声で、こちらも思わず叫んでしまった。倉庫の中は外よりも暗く、あまり良く見えないが、中にいたのは中学生位の少年のようだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いて!僕たちは怪しいものではないよ――」自分自身にも言い聞かせながら、彼に話しかけた。
「だ、誰ですか……」彼は少し怯えているように見える。それはそうだ、この時が止まった世界におそらく一人きりだったのだから。
「僕たちの他にこの世界でも動ける人がいないか探しに来たんだ。君は一人かい?ここで何をやって……」
暗がりに徐々に目が慣れてきた。視えるのはおかっぱ頭で気の弱そうなパジャマ姿の少年が、シーツのようなものを輪にして上から吊るしている。まるで、今から首でも吊るような……。
「えっ?まさかだよね……」僕が尋ねると少年は急に声を張り上げた。
「何がまさかだ!僕だって死ぬ勇気ぐらいあるぞ!邪魔するな!」
「いや、死ぬ勇気っておかしいでしょ!ちょっと落ち着こう!」
「折角みんな止まって、死ぬ舞台を整えてくれたっていうのに!死んで人生をやり直すんだ!」
少年が言ってる事は滅茶苦茶だ。死ぬ為にここに来たみたいだけど、目の前で死なせるわけにはいかない。
「何があったか知らないけど、死んだら人生をやり直せないぞ!」
「じゃあもう人生はいい!とにかくこの苦しみから逃れたいんだ!できれば、幽霊になってアイツらを呪い殺してやる!」
少年は悲しみと怒りが入り混じった表情でこちらを睨んでいる。彼をここまで追い詰めてしまったのは何か――その時、今まで黙って様子を見ていた白野さんが口を開いた。
「あなた、いじめられたの?良かったら私たちに話してくれないかな?」白野さんの穏やかな問い掛けに少し落ち着いたのか、少年はポツポツと話し始めた。
「クラスに僕をいじめる奴らがいるんだ。いつも陰キャだオタクだってバカにして、蹴られたり、給食にゴミを入れられたり……毎日だよ!いつもビクビクしながら過ごしてる。最近は上納金を出せとか言ってお金を取るんだ……出さないと殴られるし……」
白野さんが顔を曇らせる。
「酷い……恐喝じゃない。親や先生には相談してないの?」
「告げ口したらSNSで僕の動画バラまくとか言うし、アイツら先生の前では調子良くて、チョット気に入られてるし――お母さんには、心配かけたくないというか……離婚してから遅くまで働いて稼いだお金なのに……僕は盗んでしまった。お小遣いじゃ足りなくて、アイツらに渡すために……」
「ちょっと!そこまで?君は悔しくないの!?」
「悔しいよ!だから死ぬんだ。アイツらもこれで自分達の罪の深さを知るよ!」
少年の言葉を聞いて、白野さんは複雑な表情を浮かべている。彼女も同じような理由で死のうと思っていたのかもしれない。
僕は意を決して少年に言った。「いじめた奴らに後悔させようとしてるのかもしれないけど、そんな奴らは、懺悔なんてしない。同情なんてしない。そんな想像力があったらイジメなんてしないよ。自分が楽しければいいだけだ。人の気持ちなんて考えない。これで死んだら君は犬死にだ、ただ母親を悲しませるだけだよ」
少年は愕然とした表情を浮かべながら泣き出した。
「じゃあどうすればいいんだよ――もう、嫌なんだ!学校に行くのは嫌なんだ!月曜日は来ないで欲しいんだ!」少年は泣きじゃくっている。
「お金取られてるんなら、もう立派な犯罪だよ。警察に言おう!呪えはしないけど法が裁くよ」
「警察は嫌だ!万引で捕まった事がある……それもやれって言われたんだけど――」
「だ、大丈夫だよ、今度は君が正しいんだ!」
少年の境遇に同情しつつ必死に説得した。でも、少年の心には届かない。
「嫌だ、怖かった。警察は僕の言う事もあまり聞いてくれなくて、一方的に怒鳴られたんだ。どうせ裏でヤクザと繋がってるんだ、シャドウヴィジターでもそうだった……」
「シャドウヴィジターはマンガだろ!殆どの警察官はちゃんとしてるよ!」
「嫌だ!勇気が無い……僕は弱虫で何の取り柄もない。お母さんに迷惑かけてばかりだ――やっぱり死のう!」
少年は衝動的に輪になったシーツに首をかけようとしている。
「ま、待てって!」「ちょっと落ち着いて!」僕と白野さんが止めようと駆け寄ると、少年はスルリと二人の間をすり抜けて倉庫の外に飛び出した。
「あっ、どこ行くんだ!」僕たちは急いで追いかけた。
少年はすぐ横の団地の階段を駆け上がり、二階の一番奥の部屋へ飛び込んだ。
「あそこが少年が住んでいる部屋か……」
僕たちは少年から少し遅れて部屋まで辿り着いた。幸いドアは開けっ放しだ。
「行くしかないよね」同意を求めると白野さんは頷いた。
「お邪魔します……」小声で挨拶をして僕たちはゆっくりと中へ入っていった。
古びた団地だ。間取りは狭く部屋数も少ないようだ。
「あ、女の人が寝ているみたい……お母さんかな……」白野さんが手前の部屋で少年の母親らしき女性を見つけた。
「きっとそうだよ。僕たちのように時間が止まった街でも動ける人以外は眠ったままみたいで……僕の親もそうだったんだけど、いくら揺すっても目を覚まさないんだ」
「本当にそうなんだ……私、時間が止まる前に屋上に行ったので、動いてない人は初めて見た……やっぱりこんな世界のままではいけないのかもしれない。でも、時間が動き出したら、月曜日が来るんだよね……」彼女は暗い顔をしている。
「僕も月曜日が来て欲しいわけじゃないけど――と、とにかく少年を見つけよう。三人目の動ける人間だし、ほっといて死なせるわけにもいかない」僕は気を取り直して前を向いた。
奥の部屋を覗き込むと、少年をあっさり見つける事ができた。ゲー厶ソフトが散らばったテレビの横で、ひざを抱えて丸くなっている。
この部屋は少年の部屋のようだ。本棚にはマンガがギッシリ詰まっていて、壁にはアニメの女の子のポスターが貼ってある。奥にはベッドがあり、掛け布団はその横に落ちているがシーツは無い。少年がいた倉庫にあったのがこのベッドのシーツと思われる。
少年は取りあえず落ち着いているみたいなので、出来るだけ刺激しないように声をかけた。
「ここ君の部屋かな?いい部屋だね」
「いい部屋なもんか、どうせオタクだと思ってバカにしてるんだろ」
「そんな事無いよ、僕だってゲームやマンガは好きだよ」少年を励ます為に言ったけど、これは本当の事だ。
「クラスではバカにされるよ、女子にもキモがられてる……」と少年が言うと白野さんが口を挟んだ。
「私はマンガとか好きだよ。スポーツばっかの人よりマンガとか、ゲームや音楽とか、文化系の人が好き。だってスポーツ選手とかって、そのスポーツ取ったら、何の知識も教養も無いんだもん」
それはちょっと言い過ぎな気がするけど……。本棚を見るとさっき少年が口にしていた『シャドウヴィジター』というマンガの単行本が並んでいる。
「シャドヴィの新刊、来月出るよね」僕が声を掛けると「うん、知ってる」少年は顔を伏せながら答えた。
「死んだら読めないじゃないか」
「それは、そうだけど……」
「そういえば冬にアニメ化するらしいよ」
「エッ!本当に?」少年は顔を上げ、やっとこちらを向いてくれた。
「それに、そこのゲーム。僕もプレイしたよ。エンディング感動したなぁ……続編が来年発売するって発表あったよね?生きていないと出来ないからね。君もやるでしょ?」
「やりたい、やりたいけど……」少年はウジウジしている。
「これ、君が描いたの?」いつの間にか白野さんがノートをパラパラと開いている。どうやら、机の上に置いてあったようだ。
「チョット?!勝手に見るなよ!」少年は急いで立ち上がり、ノートを取り返そうとしたが――「ほら楠木君も見てみなよ、すごい上手!」ノートは僕の手に回って来た。
そこにはマンガが描かれていた。中学生が描いたとは思えない完成度だ。少しページをめくっていると少年に奪われてしまった。少年は机の前の椅子に座りノートを抱え込んでいる。
「このマンガ君が描いたの?」白野さんが尋ねると、少年は顔を赤くして無言でうなずいた。
「すごいじゃない、ちゃんとペンで描いて本物のマンガみたい。君、さっき何の取り柄もないなんて言ってたけど、充分才能あるよ!プロになれるんじゃない?」白野さんの言葉に少年は、恥ずかしそうにしているが嬉しそうだ。
「僕は思うんだ、マンガやゲーム、それに映画や音楽、小説とか……良い作品は感動するよね、時に人生感が変わるぐらい!君も、もし漫画家とかになったら、人に感動を与えられるんだよ。それって素晴らしい事だよね!」
少年を励ます為に言ったが、これも本心だ。感動を与えられる作品を作る人を、僕は尊敬している。
「なりたい……そうゆう人になりたい……」
少年からやっと前向きな言葉が聞けた。
「……でも、学校に行くのは辛い」少年は苦渋の表情を浮かべている。
「うん、学校行かなくていいよ」僕は言った。
「イジメが解決するまで行かなくていい。そんな辛い思いをしてまで行く必要は無いと思う」
「で、でもそんなの、お母さんが許さないよ、心配するだろし……」少年の言葉を聞いて白野さんが続けた。
「君は優しいね。今までイジメられてた事とか、お母さんに話してないんでしょ?心配かけないように」
「う、うん……」
「それで自殺なんてしようものなら、お母さん本当に悲しむよ!心配するかもしれないけど、イジメられてるとか、お金を盗ってしまったとか、正直に話すといいよ。どこの親だって子供の味方になってくれるよ、どこの親だって……」
白野さんは自分で言った言葉にハッとしているようだ。自然に出た言葉で自分自身の事を思い返したのかもしれない。
うつ向いている少年に「警察が怖かったら、お母さんと一緒に行くといいよ。全てを話して……ね。イジメられた君は何も悪くない、何も悪くないんだから」と声をかけると、少年は不安そうに言った。
「……イジメられるには理由がある、イジメられるような態度を取ってしまう僕が悪いんだとか思ったりもしていたけど……」
「何言ってんだ!どんな事があってもイジメていい理由にはならない。君は何も悪くない、イジメる方が100%悪いよ。君は優しくて想像力と絵を描く才能がある。十年、二十年後に充実した生活を送っているのは君の方だよ。イジメをするような想像力の無い奴らは、ろくな人生を送れないと思う」
僕の言葉に白野さんも微笑んで大きく頷いている。それを見た少年は次第に穏やかな顔になっていった。
「ありがとう、明日お母さんに話すよ。そして警察に行ってみる……こんな見ず知らずの僕の為に一生懸命になってくれて本当にありがとう。僕は人生を変えられそうな気がする……」そう言って少年は目を閉じて微笑んだ。
良かった、考え直してくれたみたいだ。こんな時が止まった世界で、数少ない動ける人間だ。――そもそも明日話すと言うけど、いつ明日が来るのかわからない。もしかしたら、ずっとこのままなんて事もあり得る。
この少年も世界がこうなった理由なんて知っていそうもないし、少年も含めた三人で探しに行こうか……そういえば、まだ名前も知らない。
「ところで君の名前はなんていうんだい?僕の名前は楠木悠人。この近くの高校に通う高校生なんだけど、君は中学生かい?」
少年は聞こえていないのか、目を閉じたまま反応が無い。
「あの、もし良かったらなんだけど一緒に……」
「楠木君!」白野さんが叫んだ。
「あっ、ゴメン白野さんの意見も聞かずに。人数が多い方が心強いかなって……」
「ううん、そうじゃないの!この子の足を見て!」
よく見ると少年の足が薄くなっている!爪先から徐々に消えているようにみえる。まるで時が止まった世界――青白い風景に溶け込んでいくように……
「チョット大丈夫?!ねぇ起きて!」白野さんは少年の肩を激しく揺するが、少年は目を閉じたままだ。やがて頭の先まで色を無くし、消えてしまった。後には椅子だけが残っている。
僕が恐る恐る椅子に触れてみると……何も無い――元から誰もいなかったかのように……
「そんな……」僕たちはその場に立ち尽くした。
ふと白野さんがこちらを見て、驚いた表情で声を上げた。「く、楠木君!後ろ後ろ!」
僕は後ろを振り向いて思わず飛び上がった。誰もいなかったベッドに少年が寝ているのだ。
「い、いつの間に移動したんだ!?」いや、移動なんかしていない。少年は確かに目の前で消えた。
ベッドの上の少年を見ると、ちゃんと布団を肩までかけ、よく見るとシーツもしっかり敷いている。倉庫にあったはずのシーツを……。
「起こしてみる?」白野さんの提案に頷き、僕は少し布団をめくり、少年を揺さぶりながら声をかけた。
「おーい、大丈夫かー」反応は無い。息もしていない。家で両親を揺さぶった時と同じ感覚だ。
「死んじゃったの?」白野さんが不安そうにしている。
「いや、死んだわけじゃないと思う。予想だけど……。この子の母親とか、僕の両親と同じ感じだ」
「他の人たちと一緒になっちゃったって事だよね。でも場所まで移動するなんて……」
白野さんは部屋を見回しながら困惑しいる。部屋にかけられた時計は、4時半を指している……。
時計の針を見て僕に一つの考えが浮かんだ。
「もしかして、本来の4時半の状態に戻ったのかも……」
「えっ?」白野さんが聞き返す。
「多分本当の4時半の時、少年はまだベッドの中で寝ていたんだと思う。時間が止まってから起き出し、シーツを持ち出したんじゃないかな」
「時間が止まってからの事は無い事になっている?」
「うん、だからシーツも元通りきれいに敷かれている……想像だけどね」
「だとしたら……この子は私たちの事は覚えてないのかな?夢を見たように忘れてしまったら、まだ辛い、死にたい気持ちに戻ってしまうのかな……」白野さんは悲しそうに少年の顔を見ている。
「わからない、でも……」僕は眠っている少年を覗き込んだ。
「この寝顔、少し微笑んでる様に見える。消える前、最後に見た表情のままだよ……憶えてる、きっと……」
「そうだよね、きっと憶えてるよね」
僕たちは少年がこの事を憶えていて、死の運命から逃れられる事を願った。
僕たちはモヤモヤした気持ちを抱えながら少年の住む団地を出ると、二つ目の光る場所を目指した。街に変化は無い、相変わらず静寂を保っている。
自転車を走らせながら僕たちはポツポツと話した。
「結局さっきの場所では何もわからなかったね」自転車の荷台の上の彼女が言う。
「そうだね、でも少年が死ぬのを止められたのは良かったと思う」
「……うん」
「母親からしたら、朝起きて息子が自殺してたら、悲しいどころじゃないよ」
「…………」
白野さんは返事をしなかった。父親の事を悪く言っていた彼女へ、わざと言ってみたのだけど……。彼女はまだ死にたいと思っているんだろうか?意気地のない僕は問い詰める事はせず話題を変えた。
「それにしても光っている場所には、やはり動ける人がいるんだね。たぶん次の場所にもいるんだろうね」
「……うん、どんな人だろうね?」
「わからないけど、頼りになる人……この世界の謎を解く力になってくれる人だったらいいな」僕はそんな淡い期待を持ちながら、次の目的地である住宅街へ向かった。
「確かこの辺りに光があったはず……」
僕たちは光を探しながら閑静な住宅街を自転車で走った。通路には人はおろか生物の気配も無い。住民全てが家の中で死んだように眠っているのかと思うと恐ろしくなる。
ゆっくり自転車を走らせていると「あっ!あの家光ってるよ」白野さんが20メートル位先にある、他の家より1.5倍位大きい家を指差した。
僕たちは自転車を降りて、少し緊張しながらジワジワとその家に近づいた。
10メートル……5メートル……家全体が視界に入る位置まで来て気付いた。
2階の窓から女の子がジッとこちらを見ている――。
思わず体がビクッとして、硬直してしまった。白野さんも気付いたようで、息を呑んで2階の窓を見上げている。
窓の少女は目を見開いてこちらを見ている。年は小学生の高学年位だろうか、髪が長く、顔は青白く生気が感じられない。でも、目玉は交互に僕たちを見ているようだ。
僕たちは声が出せずに、暫くにらみ合いの状態が続いた。
「来てくれたんだ」――甲高い少女の声が沈黙を割いた。
「エッ」僕は声にならない声を上げた。
少女は「待ってて今支度するから――」と言って部屋の中に入っていった。
僕たちは顔を見合わせた。白野さんはどうしたら良いかわからないという顔をしている。おそらく僕も同じだろう。
「……待っててって言ってたよね」
「うん、言ってた……取りあえず待って見ようか……」
僕たちはザワザワした気持ちを抑えて、少女が出てくるであろう門の扉の前で無言で待ち続けた。
時計が進まないので正確にはわからないが、5分から10分位経ったあと扉が開いた。
「お待たせ、さあ行きましょう」少女は場違いな程おしゃれな服に着替えている。
「い、行くってどこに?」僕は思わず聞き返した。
「どこって、天国でしょ?」
僕たちは絶句して再び顔を見合わせた。
少女は訴える様な表情でこちらを見ている。顔色が悪く儚げで、少し不安そうでもある。
「天国って何の事かな……」僕はようやく声を出せた。
少女は急激に悲しそうな顔をして「もしかして地獄なの?」と言って僕を見つめた。
「い、いや、天国とか地獄とかは知らないけど……」
僕がしどろもどろに答えると少女は怯えるように「あなた達天使じゃないの……」と呟いた。
「天使?僕たちが天使に見えるかい?僕たちは普通の高校生だよ」白野さんも困惑した表情で頷いている。
少女は「だってマユ神様に祈ったんだよ。マユを助けてください。ここから連れ出してくださいって――そしたら光が見えてあなた達が来たから、マユを連れて行ってくれるのかと思ったのに……」と言い、今にも泣き出しそうにしている。
そうか、この子からも僕たちが光っているのが見えてたんだ。この止まった世界で光っている人が来たら特別に思うかもしれない。でも、助けて欲しいと言うのは……。
僕が何て声をかけようか躊躇していると、白野さんが少女に優しく声をかけた。
「マユちゃんていうのかな?残念だけど私たちは、そんな特別な存在じゃないんだ。時間が止まって誰も起きないし、一人で寂しかったよね」
少女は顔上げて「一人は寂しくないの慣れているから。でも天国に行きたいの。やっぱりちゃんと死なないとダメかな――」
心臓がドクンと脈打つのを感じた。
「ちょっと待って、助けて欲しいのは、時間が止まったからじゃなくて……」白野さんが慌てて問いただした。
「そうよ、月曜日に学校に行くくらいなら死んで天国に行こうと思ってたら朝にならなくて……マユの願いが叶ったと思ってたのに……」
僕は少女の告白に悲しくなった。こんな小さな小学生が自分の死を望むなんて……。
白野さんはしゃがんで少女と目を合わせると「学校で辛い事があったんだね。よかったらお姉ちゃんに話してくれないかな」と優しく声をかけた。
少女は唇を震わせ、目に涙を溜めて話し始めた。
「……学校の皆ってバカばっかりなの」
「どうして?」
「だってマユの家が医者だからって、金持ちだとか言って仲間外れにしたり……医療ミスで人を殺したことがあるとかデマ流して――そんなのウソに決まってるのにみんなバカみたいに信じて悪口言ったり、靴隠したり……それに、かわいい髪飾り付けていったら、カッコつけてるとか言われたり……」
「確かに……小学生だとまだ子供っぽい子が多いよね。意地悪してくだらない事言ったりね。先生には言ったの?」
「あのオバサン先生あまり真剣に聞いてくれないの。ちょっと注意するだけで、仲良くしなさいとか言って。マユが辛いのわかってくれないんだ……」少女の涙は今にもこぼれ落ちそうだ。
「それはひどいね。お父さんかお母さんには言ったの?」
「パパもママもそれぐらい我慢しなさいって言うの。そんな事より勉強しろとか言って、マユは医者なんかなりたくないのに。
誰もマユの気持ちわかってくれないんだ……だから……だからこんな世界もうイヤだ!死んで天国に行くの!」
「マ、マユちゃん、ちょっと!――」
白野さんは急に大声を出した少女に慌てている。
「マユちゃん……」僕はハッキリ言わなくてはいけないと思った。
「まず、最初に言っておくけど、たぶん天国なんて無い――死んだら天国とか地獄に行くとか、お話しの中だけの事だと思う」
少女は睨んで言い返す「そんなの、どうしてあなたにわかるの!あるかもしれないじゃない!」
「そうだね、わからない。誰にもわからないよ――あるかもしれないし、無いかもしれない。それで、もし死んで、無かったらどうする?仮にあったとしても、思っているのと違ったら?今より居心地が悪い世界かもしれない」
「そんなのわからないよ……」少女はうつ向いて苦しそうにしている。
「そう、わからないよね。わからない事はしない方がいい。やり直しは効かないのだから。死ぬという事は君の想像している事とは違うんだ」
「じゃあ……だったらどうしたらいいの!もう我慢は出来ないよ……」少女の瞳から大粒の涙が溢れた。
小学生のイジメは残酷だ。中学、高校生よりも他人の気持ちに考えが及ばない分、純粋に相手を傷つけ、面白がり、限度が無い。
大人は子どもがフザケてやる事だと、軽く考えがちだ。大人にとっては些細な事も、学校が世界の全てである人生経験の浅い子どもにとっては、生死を考える程の大きな問題なんだ。僕も経験があるからこの子の気持ちは痛い程わかる……。
白野さんは泣きじゃくる少女の両肩に手をかけ、優しく声をかけた。
「マユちゃん、我慢する必要は無いよ。辛い思いをするなら学校も行かなくていいと思う。逃げたっていいんだ。死ななければ何をしてもいいよ」
「そうだね、何をしてもいいし、何だったら、何もしなくたっていい」僕はそう言いつつ自分で納得していた。そうだ、死なない限り何かが出来る。可能性はいくらでもある。
数時間前まで死にたいなどと言ってたけど、こうやって本当に死にたいと叫んでいる少女やさっきの少年、白野さん……この子たちを見ると、自殺なんて決して選んではいけない道だって事がわかる。
押し黙っている少女に、白野さんは続けて話しかける。
「学校なんて行かなくていいけど、出来たらお母さんかお父さんにもう一度話してみよう。いい子振らなくていいんだ、辛い思いをそのままぶつけてみよう。それで担任が駄目なら、校長先生や教育委員会に訴えるとか方法はいくらでもあるよ」
白野さんの言葉に少女は顔を上げ「お姉ちゃんありがとう……でも、ママは勉強して医者を継げしか言わないの。マユはオシャレとか好きだからファッションデザイナーとかになりたいのに、そんなの無理だって言うし……」少し心を開いたのか、ようやく話をしてくれた。
「そうか、かわいい髪飾り付けていったんだもんね。大丈夫、ママも一番マユちゃんの事が大事だから、一生懸命真剣に話せば聞いてくれるはず。
勉強だって今からしておけば、デザイナーだって医者だって、どっちにだってなれるよ。今決めなくてもいいんだ。まだ小学生なんだから、死なない限り何にでもなれる……」
白野さんの話を聞いて、少女は笑顔を浮かべた。
「ありがとう、お姉ちゃん……マユにこんなに一生懸命話してくれた人は初めてだよ。ずっと我慢しなきゃいけないと思ってた。いつも月曜日が来るのか辛かった。無理しなくていいんだね?」
少女の問いかけに僕も白野さんも笑顔で大きく頷いた。
「マユ、ちょっと元気になってきたかもしれない……気持ち良く月曜日を迎えられる日は来るのかなぁ――」
マユちゃんの前向きな言葉を聞き、僕たちはホッとして顔を見合わせた。
「来るよ、きっと来る。世の中変わらない事なんて無いんだから、楽しい月曜日だってきっと来るよ!」白野さんはとびきりの笑顔で応えた。
「マユね、本当は大人になったらやりたい事があるの」
「ん、なぁに?」
「あのね、デザイナーになって、自分のお店出して――」
マユちゃんは嬉しそうに白野さんへ夢を語っている。
未来のあるこんな小さな子が死を選ぶなんて、どう考えても間違っている。この子はイジメの苦しみから逃れる為に、死を選ぼうとした。
天国なんて無い。死んでもそんな都合のいい場所へはいけない。或いは天国に行けないまでも、死んで何もかもリセットしたいと考える人もいる。死ねばリセットされるのだろうか?命は無に帰るだけなのだろうか?
只の原子の集まりであるはずの身体は、意識を持ち、心を持っている。これも死んだら本当に無くなるだけなのか?苦しみや悲しみも無くなってくれるのか?
人は死んだら生まれ変わるという人もいる。そうだとすると、何らかの循環機能によって、命?魂的なものが運ばれるのだろう。その時、それまでの事は果たしてリセットされるのか?もし苦しみや悲しみも引き継いでしまったら、次の世界でもその気持ちを持ち続けてしまう。もしかしてその気持ちに相応しい世界に生まれてしまうのかも……。この世が地獄だと恨んで苦しんで死んだら、次の世でも地獄のような環境――まさに地獄に行ったようなものか……。
とにかく、いずれにしろ自殺しても良い事は無さそうだ。連日テレビのニュースでは自殺した子どもや芸能人を報道している。ともすれば可愛そうなどと同情されたりもする。これを見た苦しんでいる子どもが自殺という方法があるんだ、同情もしてくれるんだと思ってしまう……。
自殺というのは間違った方法だし、決して楽にはならない。両親や家族も巻き込んで苦しみが増すだろう。この子達がどんなに苦しくても「自殺」という選択肢は、候補に入れないように教えてあげないといけない……。
「楠木君!」
白野さんの声で我に返った。
「ゴメン、少し考え事してた――アッ!」
瞼を閉じたマユちゃんが、足元から徐々に色を無くし消えていく。
「マユちゃん大丈夫だよ!今からだったら何にでもなれるよ!」
白野さんの呼びかけに、マユちゃんは微かに頷いたように見えた。そして、暫くすると頭まで消えてしまった。
僕たちは確かにそこに居たはずの空間を見つめていた。
「……消えちゃったね」
「うん、少年の時と同じだ」
少年は消えた後、自分のベッドに現れた。マユちゃんは――
「ねぇ、マユちゃんも元の場所に戻ったのかな?心配だから確かめに行かない?」
白野さんの言葉に頷き、僕たちはマユちゃんの家に入る事にした。門を抜け花壇の薔薇を一目してから玄関のノブに手をかける。幸い鍵は閉まっていない。
「おじゃまします」言ってはみたがもちろん返事は無い。
静まり返った家の中で二階への階段を上り、マユちゃんが外を見ていた部屋に辿り着いた。
「マユちゃんいるかな……」小声で呼びかけながら白野さんがドアを開いた。
8畳程の広さの女の子らしいかわいい部屋だ。奥にはベッドが見える。その中には――
「マユちゃん、良かった……」白野さんが思わず声を漏らす。さっきまで話していた少女、マユちゃんが穏やかな顔で眠っている。
「不思議だね、やっぱり元に戻るんだね」白野さんがマユちゃんの顔を見つめる。
「そうだね、本来の4時半時点の場所に戻るのかな。時が止まってからの事が無かったかのように……」
枕元の目覚まし時計の針は4時半を指している。相変わらず世界の時間は進んでいないようだ。
「少年の時と同じだね。でも、どうして戻ったんだろう?他の人たちと同じようになっちゃって。ううん、どっちがいいのかわからないけど……」白野さんが呟く。
そう、他の人たちのように元に戻ったんだ。それまでは他の人とは違ったけど同じになった……戻る為のキッカケがあったのだろうか。
僕たちはマユちゃんにお別れを告げて家を出た。外は相変わらず青白い静寂が拡がっている。
白野さんが不意にこちらを向いて「でも良かったよね、マユちゃんも、さっきの少年も死ぬつもりだったのに、考えを変える事ができたみたいで」と笑顔を見せた。
「そうだ、二人共死ぬ事を止めたんだ。他の人たちと違うのは死のうと思ってた事――死ぬのを止めることで元に戻った……?」
僕が思わず口にすると白野さんは真剣な顔で「――そうね、私も少し考えてた。二人共自殺しようとしてたなんて、偶然じゃないよね」と考え込んでいる。
僕は白野さんの顔を見ながら思った。それに加えて白野さんも同じ様に自殺しようとしていたんだ。しかもその寸前だった……もしかして今動けるのは死のうと考えてる人だけなんだろうか?
白野さんがじっと僕の顔を見て「楠木君も、まさか……」と呟いた。白野さんも気付いたようだ。
「うん、そうなんだ僕も自殺を考えてた。行動まで起こしたわけじゃないけど、月曜日が来ないように必死に願っていた……」
「月曜日が来ないように?」
「そう月曜日が来ないように……」
月曜日だ!みんな月曜日が来ない事を願っていた。
「まさかとは思うけどみんなの月曜日が来て欲しくない意思が時間を止めたのだろうか……」
「そんな事ってあるの……」白野さんは目を丸くして僕の顔を見ている。
「うん、信じ難いけど、実際死ぬのを思いとどまった――つまり月曜日が来ることを許した二人は、その他大勢の人たちと同様に止まった世界に戻って行った」
「私たちは……?」
白野さんの言いたい事はわかる。どうして僕たちは元に戻らないのか?もっとも、月曜日が来て欲しい訳じゃないけど、今のままでいいとは思っていない。
白野さんはどうだろう。もう自殺は思いとどまってくれただろうか。
「白野さんは……まだ……あの……」
僕が聞きづらそうにしてるのを見て白野さんは答えた。
「うん大丈夫だよ、自殺は止めた。マユちゃんたちを励ましておいて、半分は自分に言っていたのかもしれない。私も頑張らないとね」
僕は白野さんの言葉を聞いて胸を撫で下ろした。白野さんは死んで欲しくない。他の人は死んでもいいという事ではないけど、白野さんともっと同じ時間を過ごせたら……なんて思っている。
白野さんが僕の顔をじっと見ているので、気持ちが顔に出てしまったかなと、少し焦りつつ話を続けた。
「でも、もし僕たちが月曜日が来るのを許して元に戻ったら、世界は止まったままなのかな」
「確かに……世界の誰か一人でも月曜日を拒む人がいると時が進まないんだったら、永遠にこのままなのかも」白野さんは苦い表情を浮かべる。
僕も苦笑いを浮かべるがすぐに気を取り直して考える。
「月曜日を憂鬱に思っているのは、程度の違いはあっても誰しも思っている事だろうけど、時間を止めるのは死にたいほど強く思っている人たちなのかな」
「マユちゃんと少年、それに私たち……つまりこの世界でも動ける人か……」
僕たちは顔を見合わせた。どうやら同じ考えに辿り着いたようだ。
「屋上から見た光は3つだったよね」
「そう、私が見た限り3つしか見えなかった」白野さんが応える。
「という事は、あと1つ……あと1人助ける事が出来れば世界は元に戻るのかもしれない。屋上からは見えない、もっと遠くにまだ何人もいる可能性もあるけど……」
「そうね、まずは3人目を助けに行きましょう。その後の事は……またその時考えるしかないよね」
白野さんは前向きだ。最初に会った頃より大分元気になったように見える。
「よし行こう、駅の方だったよね。少し遠いけど頑張って行くよ!」
僕たちは再び自転車に乗り、時が止まった街を走り出した。
静寂の中、二人乗りの自転車が走る。白野さんの髪が風に揺れる。二人で協力して少年とマユちゃんを助けてきた事もあって、二人乗りもあまり緊張しなくなった。客観的に見ると、僕にとっては凄いことだけど……。
それにしても白野さんは一生懸命マユちゃんを励ましていたと改めて思い返した。
「マユちゃん大丈夫だよね」不意に白野さんが口を開いた。
「うん、大丈夫だと思う。最後は結構元気そうに白野さんと話してたよね。白野さんが一生懸命話したのが伝わったと思う」僕は素直な感想を話した。
「ううん、楠木君がわかりやすく話してくれたのが良かったんだと思う。本当、自殺っていう選択は考えちゃいけないってわかった。他にいくらでも選択肢はあるのに……でも、当人は思い込んじゃったりするんだよね」
「……うん、それもわかる。周りに相談できる人がいないと、余計にだよね」僕は自殺の直前までいってしまった白野さんの気持を思いやった。
「マユちゃんを見て、自分の小学生の頃を思い出したんだ。私も小さい頃から人付き合いが苦手で、辛うじて友達と呼べるのも数人だけだった。でも中学ではそれなりに楽しく過ごせて……だけど高校ではこんな風になっちゃったんだけど……。
とにかく!こんなに小さいのに死んじゃうなんて違うと思った。これから良い事も悪い事もあるだろうけど、未来はどうなるかわからないから……」白野さんは少し涙声のようだ。
僕は前を向いたまま話しかけた。
「そうだね、先の事はわからないけど、子どもにはできなかった事が大人になったらできる事もある――自分の意思で道を選ぶ事もできる。3人目がどんな人かわからないけど、必ず助けよう」
「うん、やろう」後ろで白野さんが応える。
昨日までの月曜日に怯えていた自分とは違う。白野さんも屋上で絶望していた時とはまるで違う。大げさかもしれないけど、僕たちは世界を取り戻そうとしている。ほんの数時間で気持ちは変わるものだ。時計の針は1秒も進んでいないけど。
駅へ向かって自転車を走らせる。どこに行っても景色は依然、青白い夜明け前の雰囲気を漂わせている。いつもと同じ街なのに信号も街灯も電気が消えていて、人も車も走っていない。まるで生き物が死に絶えた世界のようだ。
自転車の走行音しか聴こえない静寂の街を走っていると不安になってくるけど、後ろに座っている白野さんを思うと勇気が湧いてくる。
僕は心の中で「大丈夫だ、何とかなる」と何度も自分に言い聞かせながらペダルを漕いだ。
住宅街から市道を抜けると東から西へ延びる大通りに差し掛かった。大通りはかなり勾配のある長い坂道になっている。坂道を上り終えると線路が横切っていて、そこから百メートルほど北に進むと駅がある。
坂道の上からは、軽く街を見下ろす形になる。普段は車が行き交う大通りだが、走っているのは僕たちだけだ。とても見通しがいい。
大通りを息を切らして上っていると、前方にぼんやりと光が見えて来た……。
「あっ、光が……」僕が声に出すと白野さんが「本当だ、遂に来たね……でもあの光、丁度坂道の一番上、踏み切りの辺りみたい……」と不思議そうに言う。
確かに……家から出て彷徨っているんだろうか?無理も無い、時計は進んでいないけど、実際は数時間経っているはずだから……。
光に段々近付いて行く。3人目は一体どういう人だろう、また学校でいじめられている大人しい子だろうか、それとも……。
今まで二人助けた自信と今度も上手く行くだろうかという不安な気持ちがごちゃまぜになる。
光が鮮明になってきた。光は遠くから見ると大きくぼやけているが、近付くと小さく鮮明になり、どこから発しているのかわかりやすくなる。これまでの経験でわかった事だ。
僕たちが光の中心に向かって進んで行くと……遂に見つけた――踏切の真中で男が大の字で寝ている!!
僕たちは自転車を道路の脇に止めた。異様な光景に躊躇したが、恐る恐る近づいて行った。
予想と違い子どもでは無かった。身長165センチの僕より背が高く見える。上下ジャージを着ているようだ。部屋着のままここまで来たのかもしれない。
眠っているのか、僕たちが近付いても目を開かない。止まったままの人たちとは違い、ちゃんと色が付いているから、動けると思うんだけど……。
男の顔を覗き込める位置まで歩いて近付いた。年齢は二十歳前後だろうか。よく聞くと寝息が聞こえる……。
白野さんと顔を見合わせ、意を決して声をかけた。
「あの、すいません……」反応が無い。そんなに熟睡しているのか?
「すいません、ちょっといいですか!」僕と白野さんは大きな声を出して呼びかけた。
すると、男は眉間にシワを寄せてうっすらと目を開けた。ゆっくりと上半身をおこし、自分の足や両手を見ている。目は虚ろだ。
僕が何と声をかけようか戸惑っていると、男は口を開いた。
「今何時だ……」
僕は動揺しながらも答えた。
「4時半です。でも、何時間も前から4時半のままで……」
「始発はまだか」
「はい?」
「始発はまだ来ないのかと聞いたんだ」
男は荒い口調で問いかける。
「電車の始発ですか……電車は来ません。何故か世界が止まってしまったようで、この周辺で僕たち以外に動ける人はいないみたいで……」と僕は少しひきつりながら応えた。
男は「そうか……おかしいよなこんな世界。夢か?まだ夢を見ているのか?それとも、もう死んでいるのか……」とぶつぶつ独り言を言っている。
じれったくなった白野さんが「あの……ここで何をしていたんですか?」と尋ねた。
男は白野さんをジッと見て「可愛いな……数年振りに女の子に話しかけられた」と言って、にじり寄ってきた。
ウッ、これはヤバい奴では……白野さんは後退りして、僕の背中の陰に隠れた。
それを見た男は「何なんだお前ら、付き合ってんのかチキショー」と不満げに睨みつける。
僕は内心少し嬉しかったが「いえ、そういう訳では……今日初めて会ったばかりで……」としどろもどろに応えると、男はため息をつき「いいんだ、そんなのはどっちでも……俺には縁の無い世界だってわかってる」と膝を抱えてぶつぶつ言っている。少し情緒不安定のようだ。
「あ、あの……」恐る恐る声をかける。
男は顔を上げ「何だ、まだいたのか。俺は始発を待ってるんだ」
「だから電車は来ませんけど……」僕は嫌な予感がした。踏切の真中で電車を待っているという事は……。
「もしかして電車に轢かれるためここに……」
男は虚ろな表情で「あぁ、そうだ……もう諦めたんだ……」と呟いた。
あぁ、やはりこの人も死のうとしているんだ。そう、僕たちはそれを止める為にここへ来たんだ。
僕は勇気を振り絞って男に声をかけた。
「あの、大学生……ですか?差し出がましいですが、死ぬのはまだ早いと思います……もし良かったら何があったか話してくれませんか?」
男は薄ら笑いを浮かべ「はは……何だ、君が何かしてくれるのか?――ていうか、これ夢じゃないの?」
確かに夢のような世界だ。そうか、この人は夢だと思ってるから、こんな世界でも焦っていないのか……。
でも、こんなハッキリした夢は無いだろう。時が止まっている以外は現実と変わりがない。
「残念ながらこれは夢ではありません。僕たちは世界を取り戻す為にここに来ました。理屈はわからないけど、あなたが死ぬ気だと世界を取り戻せないんです。だから……僕に協力させてください!」
自分で滅茶苦茶言ってるのがわかったけど、僕が真剣なのを感じてくれたのか「何だかよくわからんが死ぬ理由を聞きたいのか?そこまで言うなら教えてやるからよく聞けよ……」と言って男は力無く語り始めた。
「この世界ってさ本当クソみたいだと思うんだ。いくら俺が努力しても何の成果も出ない……冷たい人間ばっかだよ……。
俺は小さい頃から人見知りで、仲の良い友達なんかもできた事が無い。運動も勉強も何でも人並み以下、自慢できる事は何も無い。
そうゆう奴はやっぱ、バカにされ、イジメられ、仲間外れにされるんだ。しかも周りの誰も助けてくれない……。抵抗する力も知恵も勇気も無い。だから、只々必死に耐えて、我慢して生きてきた。それで三流だけど何とか大学入って、今年は4年で就職活動だ。
だけどさ、やっぱりこんな奴どこも雇ってくれないわけだ。書類でほぼ落ちるし、まれに面接まで行ってもボロクソ言われるし……本当、この世は敵しかいない。俺の味方になってくれる人はいないんだよ。
だからさ諦めたんだよ、生きてく事を……。もう疲れたんだよ。月曜日は久しぶりに辿り着いた面接だけど、どうせ駄目だ。もし何かの間違えで受かったとしても俺なんかが会社勤めなんてやっていけるわけが無い……もう傷つきたくないから死ぬ事にしたんだ」
男の独白を聴いて、他人事では無いと思った。僕も人付き合いが苦手で友達もあまりいなかった。社会に出てうまくやっていけるかと言ったら自信は無い……。
僕が黙っていると男は「わかったか?だったら死なせてくれ。もう月曜日は迎えたくないんだ」と言って、再び踏み切りの真中で大の字になった。
それを見て白野さんは「電車に轢かれる気なの?それ、メチャクチャ悲惨な死に方じゃない!身体がバラバラになって飛び散って、沢山の人に無残な死体を見られて、電車も止まって何千人という人に迷惑かけて……」と少し嫌悪感をあらわすと、
男は頭にきたのか、上半身を起こして叫んだ。
「そうだよ、わかってるよ!今まで俺の事を誰も構ってくれなかった!相手にしてくれなかったこの街の奴等に、最後にお返しをしてやるんだ!嫌な思い出としてな!
皆藤和馬がここに生きてたんだっていう記憶を刻み付けてやるんだ!」
とても歪んでいる。全く間違っている。でも、何故か少し気持ちがわかる。本当は相手にして欲しいんだ。誰かに認めて欲しいんだ。
「皆藤さん……て言うんですね。少し気持ちはわかります……僕は高校生だけど、やっぱり人付き合いが苦手で、今まであまり友達もいないし、褒められた記憶もほとんど無い。将来どうなるかも不安です……」と言ったところで男は話を遮り「だろ!生きてても何もいいこと無いぞ。周りの奴らはクソばっかだ!いくら頑張っても無駄だ!」と言い放った。今まで受けた仕打ちで仕方無いのかもしれないけど、他人に対する恨みを強く感じる。
「人付き合いって一番難しいですよね。境遇には同情しますが、あなたも周りの人を敵対視して、それが相手に伝わるから悪循環なんでしょうね……」
白野さんも続けて「人って鏡みたいで、こっちが嫌いって思うと相手にも嫌われるし、優しくすると優しくされたりするよね。周りの人たちと友好的になりたいなら、まず自分を変えないといけないんだ。難しいんだけどね……」
白野さんも人付き合いが苦手だと言っていた。今まで苦労してきたのだと思う。
世の中には初対面でも簡単に仲良くなって、友達3桁だなんて言う人もいるけど、その場合の多くは広く浅くで、表面的な付き合いだったり、話を合わせているだけの関係とかで、本当にお互い深く理解してるっていうのは少ないと思う。
僕だったらそんな友達は少しだけで構わない。例えたった一人でも自分の事を深く理解してくれる人がいれば充分だ。
男は目を泳がせ、僕たちの言葉は少し響いたようにみえたが「何だ年下のくせに説教か?俺が今までどれだけ苦労してきたか知らないくせに!どっちにしろ二十歳すぎまでこの性格だ、今更変わりようが無い、もう遅いんだよ……」と言って目を逸らしてしまった。
そんな男に僕は言った。
「死ななければ……生きている限り、もう遅いなんて事はありません……それに、そんなに大きく変わる必要は無いと思います。あなたは今まで努力をして、大学に入り、就職活動までしている。ちゃんと結果も出してきたんだから、僕からみたら凄いことだし、立派な事だと思う。
だから何だかんだ言っても、これからも何とかやっていけるんじゃないかなって、不器用かもしれないけどそれなりにこなせるんだと思う。
経験が無い僕が言うのは変だけど、会社って学校とは全然違うと思う。学校の友達付き合いとは違って、仕事だけのドライなものなんじゃないかな。だからコミュ力が必要な職種じゃなければ、逆に僕やあなたでもうまくできるんじゃないかって……」
しかし男は「前向きな考えだな、楽観的とも言える。俺の人生はそんなうまく行かない。悪い事ばかり当たるんだよ……」と薄く笑っている。
「そんなのわからないじゃない」白野さんが口を挟む。
「今まで悪い事ばかりだったら、これからは良い事ばかりかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない……って、考えても無駄なのよ。だったら都合の良いように考えとけばいいんじゃない?どうせ同じ時間を過ごすのなら、何とかなる、楽しい事があるかもって考えとけば気が紛れるんじゃないかな。ある意味自分を騙すみたいな……」と言ってこちらを見てペロッと舌を出した。
少し照れくさかったのだろう。白野さんも少し前まで死のうとしていたんだから。
でも、他人に対する方が客観的に考えられるものだ。一人で考え込むと悪い方に傾きがちだから。
男はヨロヨロと立ち上がりながら「ふふっ、かわいい子に励まされると少し元気が出るな。単純だよな男は……」と言ってため息をついた。
白野さんは「それじゃあ……考え直してもらえましたか?」と見つめた。
でも、男は下を向いたまま「あぁ死にたくは無い。死にたい奴なんていないよな?俺だって死にたくない。自殺なんて愚かだってわかってる……でもさ、月曜日が辛いんだよ。また一週間が始まるという月曜日が!
小学生の時から辛かった。前日の日曜日から既に、あぁ明日は月曜日だと考えて憂鬱でしょうがないんだ!」と叫ぶと、急に周囲を見回し「この世界……全てが止まったこの世界……夢じゃないんだな。……月曜日が来ない世界……いいじゃないか、この世界で生きていけば!」と空を見上げて両手を広げた。
僕と白野さんは絶句した。何を言い出すんだこの男は……。
「い、いや、こんな世界で生きていけるとは思えない」僕が言うと、白野さんも「動けるのは私たち三人だけで、他の人たちは死んだように眠っているだけなんだから」と続けたが、皆藤さんは目を輝かせて「三人だけ……いいじゃないか!君たちは良い人そうだ。三人仲良く暮らそう!」と言い出した。白野さんはひきつった顔で苦笑いしている。
僕は男の目を見て、動揺を隠しながら努めて冷静を装って話した。
「月曜日って憂鬱ですよね。僕も月曜日は来なければいいとずっと思っていました。でも、こんな何もかも止まった世界を望んだ訳じゃない。今はたまたま動けているが、この先どうなるかわからないし、それに何よりも……止まったままだと、来月発売の漫画が読めない……」そう言うと白野さんも「そういえば私の好きなバンドのアルバムがもうすぐリリースだった。止まった世界では何の未来も……無い」と言って目を伏せた。
男は暫く黙り込んだ後、精気のない顔で「そうだな、未来の無い世界じゃ生きてる意味が無いか……でも、月曜日……苦しいんだ、トラウマなんだよ。何かあるわけじゃなくても、明日が月曜日ってだけで辛いんだ……仮に就職出来たとしても、この先ずっと毎週、毎週、明日は月曜日だと思い悩んで生きていかなきゃいけないのか……」とうなだれた。
誰だって月曜日は嫌いだ。中にはそうじゃない人もいるかもしれないが、殆どの人は多かれ少なかれ月曜日を迎えるのに嫌な思いをしているだろう。
この男、皆藤さんは特に、僕なんかよりもかなり苦しんできたみたいだ。月曜日への苦しみが心に刻み込まれてしまったのも理解できる……何か考え方を変化できれば良いんだけど……。
「あの……」
押し黙っている僕と皆藤さんを見て白野さんが口を開いた。
「あの……こうゆうのはどう?土日休みじゃない企業に就職するの――デパートとか娯楽施設とか……そしたら月曜日は休み明けじゃないから気にならなくなる……かな?」と自信が無さそうに提案した。
すると皆藤さんはパッと顔を上げ「お前天才か!?」と驚いたように目を見開いた。
なんと皆藤さんの心には響いたようだ。
「そうか、そうだよな。日曜が休みじゃなけりゃ月曜日も気にならないな。目から鱗が落ちたよ、発想の転換だなこれは……」と何やら独り言を言って、自分で納得している。
すっと立ち上がると「よし決めた!月曜日に面接予定の会社は、普通に土日休みだから止めた……もう行かない。これから日曜休みじゃない会社を探すよ!」
皆藤さんは吹っ切れたような、晴れやかな顔をしている。
視点を変えることで、これ程気持ちも変わるんだ……そう、この世に変わらないものなんて無い。止まない雨が無いように、永遠に続く苦しみなんて無い。今まで苦しんでばかりだったという皆藤さんも、これがきっかけで変わっていく気がする。
「うん、それがいいと思います……」僕はそう応えながら、白野さんの顔を見て心の中で感謝した。白野さんも安堵したようで笑顔がこぼれている。
「……君たち、ありがとう。こんな不思議な世界で君たちと会えて……俺を生まれ変わらせる為にこの出会いがあったのかも知れないな。本当にありがとう」皆藤さんは深々と頭を下げた。
「いえそんな、僕たちはきっかけを作っただけで、これから頑張らなければいけないのは、皆藤さん自身ですから……なんて、偉そうな事言ってすみません……」
頑張らなきゃいけないのは自分も同じで、逆にここまで気持ちを切り替えた皆藤さんを見習わなきゃいけないぐらいだ。
皆藤さんはそんな僕の生意気な言葉を聞いても笑って応えてくれた。
「いや、その通りだ。これから頑張るよ。他の人と同じようには出来なくても、俺なりの居場所を見つけようと思う――」
自分なりの居場所――そう、例え学校や今いる場所で疎外感を感じていても、その人に相応しい、活躍できる場所はどこかにあるはずだ。もちろん死んだ後では無く、現実の世界に……誰だってあるはずだ、誰だって……。
「しかし、やるべき事が見えてスッキリしたら、少し眠くなってきたな……」皆藤さんはそう言って目を擦っている。
ふと足元を見ると徐々に背景に溶け込み消え始めている!
「皆藤さん!」僕と白野さんが呼んでも返事は無い。
「……これで落ち着いて眠れる……」
皆藤さんは最後に一言呟いて消えてしまった。喜ぶべき事だけど、何となく喪失感がある。
「……皆藤さんも消えちゃったね」白野さんが呟く。
「うん、どこに住んでるか聞かなかったけど、きっと家に戻ったんだと思う。本当の4時半時点の場所に……」
僕の言葉を最後に辺りは静寂に包まれた。
高校の屋上から見えた光は3つだった。それぞれ――
中学生の少年
小学生のマユちゃん
大学生の皆藤さん
3人とも思い悩み、月曜日が来る事を拒んでいたが、それぞれ希望を見い出していった。
そして残されたのは僕と白野さん……。
音を無くした青白い街に、二人はただ立ち尽くした。
お互い見つめ合い、何と言えばいいか言葉を選んでいる。
「……あの」
僕がやっとの思いで声を発した時――眼下に拡がる街並に違和感を感じ、僕たちは同時に東の空を見た。
「光が……空が光って街を照らしているる!」
「太陽の光?太陽が昇ってきているの?!」
白野さんはサッと左腕に付けた腕時計を見て目を丸くした。
「ねえ見て!秒針が動いている!」
白野さんは腕時計の盤面をこちらに向けて見せてくれた。確かに秒針が進んでいる!
「時間が動き出したのかな……」
「きっと月曜日を強く拒む人がいなくなったから――」
坂の下に拡がる街並みを朝日が照らす。青白い街は光を宿し、少しずつ色付いていく。
「あっ!白野さん……!」
白野さんの足首が僅かに光を帯びて消え始めている!とうとう白野さんも消えるのか――僕は咄嗟に叫んだ。
「白野さん!足首が消えているよ!」
「く、楠木君だって!」
見ると膝から下が光って見えない。僕自身も消え始めているのだ。僕は顔を上げ、白野さんを見つめた。
「とうとう僕たちも戻るんだ……元の世界に、4時半の時点の場所に……」
「4時半……私は学校の屋上に戻る事になるのかな」白野さんは少し寂しそうに呟く。
「白野さん、あの……」
白野さんは僕の顔を見て微笑む。
「大丈夫よ心配しないで、飛び降りたりなんかしない。家に戻るのが少し大変だなって思っただけ。――昨日までの私とは違う。多分私の事を理解してくれてる楠木君もいるし……」
二人の足下から上がってくる光は加速度を増し、もう胸まで迫っている。ほんの数秒すれば頭の先まで到達するだろう。もうこの場から動く事も出来ない。
消えた後、本当に元の場所に戻れるだろうか?戻れたとしても、ちゃんとこれまでの事を覚えているだろうか?夢のように忘れてしまわないだろうかと不安がよぎる。
「白野さん!」
僕は反射的に手を伸ばし名前を呼んだ。白野さんも右手を伸ばすが僅かに届かない。
光に包まれる中、僕は最後の声を振り絞った。
「学校で会おう――月曜日に――」
この世で一番悲しいことは子供が自殺する事だと思います。もしこの小説が誰かの救いになれたら幸いです。