スコットランドへ(3)
意識を手放して崩れ落ちたレインパースがその後何が起こったのか知れるはずもないが。
傭兵の隊長は冷めた目で彼女を見ていた。彼も仲間を一人殺されているのだから、素直に任務の完遂を喜べないのか。
「……レミーは何やってんだか」
帰りの遅いもう一人に悪態をついて、傭兵隊長はレインパースに向かう。脈を見て生きていることを確認した。
それからレインパースの腰の剣を取り上げた。護身用だろう、なかなか悪くないものを持っている。こんな少女に遅れは取らないだろうが、不安要素は潰しておいた方がいい。
傭兵隊長はしばらく待ってみたが『レミー』が帰ってくる様子はない。そういえば、傭兵隊長にもどうして『追っ手』が突然いなくなったのかはわからない。
「どうせ俺たちを消しに来たんだろうな、あの『追っ手』は。依頼だけしておいて報酬を渋ろうとするとは、『第一王子』といえども金は惜しいのか」
フードの男も居なくなっている。長年の経験から彼はすぐにこの場を離れるべきだと思った。彼の知らないところで進んでいる事態が多すぎる。ラミー──馬車の下敷きになって死した傭兵から、もっと詳しく聞いておけばよかった。彼からは『追っ手は足止めしている』としか伝わっていない。
そうして傭兵隊長がレインパースを担いだ時だった。
「!?」
首のあたりがちりついた。焦げ臭さに傭兵はレインパースを放り投げる。遅れて首の奥に痛みがやってくる。
放り投げられたレインパースはあろうことか受け身を取った。しかし、あの娘は気を失っていたのではなかったか!?
首の奥が痛い。右手で確かめると滑りとした赤い液体が付着した。
「づあっ!」
傷口に触れたことで痛みが増す。仰け反って患部を慮りながら、傭兵隊長は状況を確認した。
焦げ臭さは髪の毛だ。傭兵隊長の髪の毛が焦げている。どうして焦げる? 摩擦だろうか。しかしレインパースは無手だ。どれだけ早く手刀を振り下ろせば、摩擦で髪の毛を焼ける!?
傭兵隊長の目の前で、レインパースがゆらりと蠢いた。四つん這いだ。人間の動きではない。獣のそれだ。唸り声まで聞こえてきそうなほど、彼女は野生的に散策する。
その右手にはべったりと血が付いていた。
傭兵隊長は剣を構えた。やれるだろうか? しかし今のレインパースは未知過ぎる。傭兵である彼は、依頼達成に固執することよりも命の方が大事なのを知っている。
緊迫した時間が流れた。擦れる木の葉の音さえ聞こえてきそうな中で、レインパースのペタペタという歩行音だけが響く。相変わらず彼女は四つん這いだ。時たま地面を嗅ぐ様子も見せる。
その姿は、狼そのもの。
そんなレインパースの瞳が傭兵隊長を捉えた。
ことり、と彼女は首を傾げる。目と目が合ったまま傭兵隊長は微塵も動かない。気付くな、気付くなと念じながら正中に剣を掲げ続けている。
ことり、ことり。ゆぅっくり彼女の首が反時計回りに周る。
ちょうど九十度。かくりと項垂れた時だった。
「ぐうっ!」
四つん這いの四肢はレインパースに恐るべき初速を与えていた。歴戦の傭兵隊長が出遅れる。
飛びかかったレインパースは無手、傭兵隊長は両刃の直剣を持っている。傭兵隊長は彼女の手刀になんとか剣を合わせ、闘牛をあしらうように後方へと勢いを流すことに成功した。
もちろん終わりではない。レインパースはもう一度四つん這いになると、やはり恐るべき速さで傭兵隊長に突進する。
今度は傭兵隊長も構えていた。速いとは言っても直進だ。もう生捕りなどを考えている余裕はなかった。傭兵隊長は叫びながら、彼女の突撃の延長線上に斬撃を置いた。
ぬるりと、だった。
剣の間合いに入った途端、ぬるりと彼女の身体が蠢いた。恐るべき身体操作。空中で、飛びかかりながら、それでも完璧に身体を捻る。捩る。ちょうど傭兵隊長の剣を避けられるように。
「……化け物、め……!」
それでも傭兵隊長は対応した。凄腕の噂は伊達ではない。判断は一瞬。両手で持っていた剣を振り下ろす勢いのまま後ろに投擲、その後全力で後退した。
間一髪レインパースの凶刃を避け、先ほど放り投げた剣を拾う。大丈夫、まだ得物の有利は覆らない──
「──なっ!?」
レインパースが、その右手に剣を持っていた。先ほど傭兵隊長が彼女から没収した剣。不安要素は取り除いておくかと取り上げて、彼が腰に差していた剣。
バッと傭兵隊長は自らの右腰の辺りを見た。無くなっている。今の一瞬で、レインパースは傭兵隊長から護身用直剣を取り返していた。
「手癖の悪さは、やはり獣か……!」
「先に奪ったのはそちらだろう」
独り言のつもりだった悪態に返事があった。
傭兵隊長は思わずあたりを見回すが、人らしい人はレインパースしかいない。少女の声だった。嗄れてはいたが確かに彼女が返答したのだ。
いつのまにかレインパースは四つん這いを止めていた。剣を手に入れたからか、猫背気味ではあるがきちんと正中に構える。静止しているはずなのに彼女の身体はゆらりゆらりと揺れているような気がした。
「意識が、あるのか……?」
レインパースは一瞬目を見開いて会話に応じた。
「私は夢遊病患者ではないよ。レインパースの意識があるのかと言われれば、それはないのであるが」
いや、と彼女──彼? 誰だ。とにかく彼女は言葉──独白、思案を続けた。
「私はレインパースであって今のレインパースではない……いや、今のレインパース・レイピアこそが偽物であるとの見方もあるが──まあ良いか。お主に説明しても仕方あるまい」
結局、彼女は説明を放棄した。首の奥が痛い。最初にレインパースに手刀で抉り取られたところだ。兎にも角にも息は整った。傭兵隊長は速やかにレインパースを拘束しなければならない。首の手当てを急がなければ。
(決める……)
傭兵隊長は左の腰に差した鞘に納刀した。
彼の武器は抜刀だった。その昔に流浪の剣士に教えてもらった。ほとんどそれ一本で傭兵隊長は名声を集めたようなものだった。ブリテンにはこの技を知る者はほとんどいないから。
しかし。
「抜刀術か。鞘との摩擦で剣撃の速度を上げる、日本の侍の技だな」
「!?」
レインパース・レイピアは知っていた。未だ学園すら卒業していないだろう令嬢が。
「疾ッ!!」
焦燥があったのだろう。首の痛みは主張を強めているし、レインパースは抜刀術を知っている。きっと精彩を欠いた一撃だったのだろう。
それでも、こと抜刀術に限れば、ここらで傭兵隊長ほど速く剣を振れる者はいなかった、のに。
レインパース・レイピアは難なく避けた。それも首を数センチ傾けただけで。
「……化け物め……」
剣を振り切り無防備な傭兵隊長の首に、追い討ちの一閃が飛んだ。
○
動かなくなった傭兵隊長を尻目にレインパースは歩き出した。馬車の方だ。御者とエリファさんの首が転がる辺りにまでたどり着くと、黙って動きを止めた。
そんな彼女の背後から、誰かが近付いてきていた。
「……遅いぞ」
「すまない」
いつのまにかいなくなっていたフードの男だ。ここは開けた街道で、ひゅうと吹いた風を阻むものはない。その拍子に彼のフードがはらりと落ちた。
黒髪だった。ブリテンでは──いや、ヨーロッパでは珍しい。そのくせに綺麗な青い光を瞳の奥にたたえている。
「確かに」とレインパースはぼそりと呟いた。「私との約束に強制力はないよ。次にいつ出てこれるかわからなかったから、君が欲しかったものはもう全て渡したわけであるし」
「違う、済まない。言い訳はしないが──僕にレインパースを危険に晒すつもりがなかったことはわかってくれないか」
ふっ。と自嘲気味にレインパースは笑った。頭の奥の痛みに彼女は限界を悟る。
「なあ、『勇者』。これ以上の絶望は、彼女には重過ぎる……」
それだけ言って、レインパースは再度意識を手放した。やはり糸の切れた人形のように崩れ落ちる彼女を、今度は受け止める影があった。せめて安らかに眠れるように優しく。
「……すまなかった」
誰が聞いてもいないのに、黒髪の彼はそう呟いた。




