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狂い始めの刻(3)

 がたんごとん、と馬車が揺れた。悪いのは御者ではなくて整備されていない街道だが。

 そして、そんな小さな刺激でも、今だけは簡単にレインパースの涙腺を決壊させることができた。


「うっ、えぐ。うーー……」


 安物の馬車はただの木の箱を馬で引くものだった。当然のように椅子などないので床に座っているのだが、だからこそ振動が直接伝わってくる。


 レインパースは目尻に涙が溜まっているのがわかった。自分が耐えられないこともわかった。だからせめて顔だけは隠してから泣いた。乗客はレインパースだけではない。


「うわーーーーん……えっ、うぐ、えーーーん……」

「うるせえぞっ!!」


 御者が恫喝するように御者台から木の箱を叩いた。ひっ、と身体を跳ねさせて必死で堪えようとするのだが、涙は止まるところを知らない。

 懐からハンカチを取り出して口を押さえた。漏れる嗚咽は多少マシになったように思う。御者はもう一度だけ木箱を叩いて、それから舌打ちして操馬に戻った。


「えぐっ、うっ」


 思い出さないように努めてもどうしても脳裏によぎるのは、あの時の光景だ。ヴァイラムの申し訳なさそうな顔と、血だらけの広間。


 もう一生、レインパースは逃亡者の身なのだ。







 時を遡って少し。


 レインパースは微かな振動で目を覚ました。誰かが自分を揺さぶっているらしい。それも弱くはない力で。


「んっ」


 最初に目に飛び込んできたのは婚約者ヴァイラムの姿だった。彼は目を開けたレインパースを見てか、安堵の表情を浮かべた。


 次に視界に入ったのは血の湖だ。


「ひっ」


 一瞬で顔を青ざめさせるレインパースをヴァイラムは抱きしめてくれた。力強い彼の腕の中でレインパースは徐々に落ち着きを取り戻す。彼の「もう大丈夫だ」という言葉のなんと心地よいことか。


 レインパースが落ち着いたのを見計らってか、しばらくしてからヴァイラムが言った。


「レイン。本当はもう少し寝かせてやりたかったんだが、状況が状況だ。許してくれ」


 許してくれ。


 どうしてだろう、先ほどから何度もこの言葉を聞いている気がする。救済者ヴァイラムが何をレインパースに謝るというのだろう。助けが遅れたこと? でも、ヴァイラムは陛下の策略で『高貴の森』に行かされていたわけだし。


 でも違った。ヴァイラムはそんなことを謝っているわけではなかった。


「父は死んだ。文官たちもだ。黒子もほとんど全滅した。王宮の高官がざっと五割は死んだんだ。生き残ったのは儀式場に呼ばれなかった高官補佐(ナンバーツー)たちと、俺に付いて『高貴の森』に行っていた黒子や騎士たちだけ」


 うん、とレインパースは頷いた。予想していたことだが、『勇者』がブリテンに与えた被害は尋常でなかった。


「本来なら、この責任を取るのは父だったろう。でも父はもういない。兄さん──第一王子はきっと、『自分はその場にいなかった。父の独断だ』と言い逃れる。でも、これだけの被害を出したのだから、誰かが責任を取らなければならない。犯人を捕まえるか──誰か手頃な責任者をでっち上げるか」


 雲行きが怪しくなってきた。寝起きで回っていなかった頭が悲鳴を上げた気がした。どんどんと血が巡りを強める。


「……え?」


 レインパースの最悪の想像が、まんまその通り、ヴァイラムの口から紡がれた。


「つまり、『唯一の生き残りにして第二王子の婚約者』レインパース・レイピア。君だ、レイン。レイピア家は高貴の家柄だし、何よりおれの婚約者というのが酷い。このままではきっと君がこの責任を取らされて処刑される」

「……え?」


 悔しそうに彼は言う。


「代われるものなら──代わりたい。君のために死ねるなら本望だ。でもおれは公文書にも『高貴の森』に遠征に行ったことが記されている……」


 急にあたり一帯の温度が下がった気がした。背筋を凍てつかせる事実がちくちくとレインパースの肌を刺す。ヴァイラムに抱かれたまま、レインパースは呆然と呟く。


「……え、でも私、その場に居ただけよ……? 『召喚』を計画したわけでもないし、王族を殺そうとしたわけでもないわ! わ、私以外に生き残りはいないの……?」

「……」

「そんな、嘘よ。ヴァイン。じ、じゃあ、私……」


 潤んだ瞳でヴァイラムを見つめる。彼はしばらく思い詰めた表情で俯いたまま動かなくて、唐突に、安心させるように笑みを作った。痛々しい笑顔だった。


 そして、彼も彼で、悲痛な決断を、苦虫を噛み潰しながら提案するのだ。


「……君も死んだことにしよう」

「……」


 名案ではなかった。苦し紛れの次善策──避悪策だ。最悪を避けるためだけのその場凌ぎ。今逃げ出したら、レインパースは一生ブリテンから隠れながら生きなければならない。

 ヴァイラムとの婚約も破棄だ。彼には新しい婚約者があてがわれるだろう。イギリス王室の一員である彼は子孫を残さなければならない。そしてその伴侶は──死人以外の誰かだ。


 でも、レインパースにもそれしか解決案はないように思えた。


「……君も死んだことにしよう。スコットランドにおれ個人の友人がいる。絶対に信用できる男だ。妻子もいるから君に手を出すなんてこともしないだろう。そこまで──民間の馬車を使って行くんだ。王室の馬車を出したりしたら記録が残ってしまうから、居心地は悪いだろうけど我慢してくれ」


 ヴァイラムだって本当はこんな提案したくないのだろう。涙を堪えながら捲し立てているのが見えた。

 彼が我慢している手前、レインパースが泣くわけにはいかなかった。


「護衛もつけられない。敵を騙すにはまず味方から──君の生存を知るものは少ない方がいい。雇うならやはり民間の傭兵だ。王宮の人材を動かすことはできない。君のお付き──メイドリーだけ、折を見て君のもとへ向かわせよう。今すぐじゃない。少なくとも三月は経ってからだ」


 メイドリー。三ヶ月スコットランドで過ごせば、メイドリーに会える。汚い馬車を傭兵に守られてスコットランドに向かって、三ヶ月我慢すれば。


「……う、うん。そうする……そうするわ……」

「すまない。本当にすまない。君は生き残っただけなのに。不甲斐ないおれを許してくれ、レイン……」


 ヴァイラムは贖罪をするようにレインパースを強く抱きしめた。まるでこれが最後の抱擁であるかのように。

 事実、レインパースが心置きなくヴァイラムと話せるのはこれが最後だろう。王族であるヴァイラムが誰にもバレずにレインパースに会いに来ることなどほとんど不可能だ。


「本当はおれだって君を追放なんてしたくない……」


「……うん。じゃあね、ヴァイン……」


 レインパースはヴァイラムの頭を優しく撫でて気丈に振る舞った。これからの生活に一片も不安など感じていませんよ、と。


 それからこそこそと儀式場を出て、誰にも見られずに王宮を後にした。彼に見送られて民間の運送業者を探しに出た。


 ヴァイラムの姿が見えなくなって、レインパースは思い切り泣いた。

 ほのぼの系なろう要素全部乗せ悪役令嬢物語を書きたかったのにどうしてこうなったのだろう。


 というわけでこんな感じで進みます。ブクマ・感想等いただけると幸いです。

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