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狂い始めの刻(2)

 ──まさか、本当にやるとは……!


 馬を走らせてどのくらいの時間が経ったか知れない。


「はあっ、はあっ」


 息を切らせて愛馬を駆るのはイギリスの第二王子ヴァイラムだった。つい先ほど届いた知らせが彼を焦燥の渦に叩き落とした。王子専用の軍馬アレックスの蹄をすり減らしながら、彼は王城に急ぐ。


 正確には王城の地下儀式場へと。


「『勇者召喚』だなんてばかなことを……!」


 思えば『高貴の森』なんかの生態調査に選ばれたことからおかしかった。武道を習いはじめの頃ならばともかく、今のヴァイラムは既に達人と言って差し支えない。研修、修行に明け暮れる日々はとうの昔に終えたはずだった。


「俺だ、開けろ!」


 門が視界に入った瞬間からヴァイラムは国旗を掲げる。連合王国が成立した際にイングランドとスコットランド、それからアイルランドと融合したユニオンジャック。


 門番は急いで城門を開き始めた。軍馬アレックスならばこの程度の距離、一瞬で駆け抜ける。


 門を抜けるや否やヴァイラムは馬を従騎士に任せた。


「すまないアレックス。僕は急がなければ!」


 ヴァイラムはそれから地下に急いだ。







 ──なんだ、これは……ッ!?


 美しく光を反す大理石は真っ赤に染められる。風の通りの悪い地下には血生臭さが蔓延している。染色は点々としているわけでもない。地下、儀式場一帯がまるで血の水海だった。


 ──一体、何を召喚した……ッ!?


 部屋の中央には心なし肉塊が多い。数多の首と胴体と、それから手と足が転がる。

 懇意にしていた黒子もいた。王室護衛だなんて面白くもない仕事よりも騎士をやったらどうだ、とヴァイラム自ら手塩にかけていた黒子も、その瞳を冷たく血湖に沈めていた。

 当然のように父親もいた。ブリテンが王。


 ヴァイラムは静かにあたりを彷徨った。呆然としていた。現実に理解が追いつかなかった。

 だからそれに気付くのが遅れてしまった。


「……! レイン!」


 レインパース・レイピア。ヴァイラムの婚約者にしておそらく、『勇者召喚』の参列者の一人。肩まである茶色のウルフヘアのあちこちに血痕が見られた。


 その血は幸い、彼女本人のものではないようだった。返り血──ではないが浴び血とでも言おうか。

 彼女は魔法円から少し離れた場所に仰向けに倒れていた。


 ヴァイラムは急いで駆け寄った。靴の裏で血が跳ねた。ぴしゃぴしゃと音を立てる。手の届く距離にたどり着くと縋るように抱きかかえた。彼女の首の後ろに右手を回して左手は彼女の手を握りしめて。


「無事か!? おい、頼む、目を開けてくれ!」

「……うっ、ん……」


 ヴァイラムはレインパースを揺さぶった。いささか力が強すぎたかも知れない。懐から手拭いを取り出して髪や身体に付いた血を拭いてやった。


 レインパースはうっすらと目を開けた。


「レイン!」

「あ、……ヴァ、イン、じゃないの。……どう、して……いるの?」

「急いで帰ってきたんだ! 良かった。本当に良かった……」

「あ、ああ……だ……」


 レインパースは何かを言っていた。ヴァイラムはあえて『何があった』とは聞かなかった。

 レインパースだって疲れているだろうと思った。今は休ませてやろうと。きっと唯一の生き残りだ。どうせ事情聴取は後で腐るほど取らされる。

 だけど違った。


 レインパースは、必死にヴァイラムに訴えていたのだ。


「……だ、ダメ……逃げて……!!」


 身体をエビのように折り曲げて力を溜めて、レインパースはヴァイラムを蹴り飛ばした。


 その直後だった。同時にレインパースはいつのまにか手に持っていた剣を振っていた。それはちょうど先ほどまでヴァイラムがいたあたりを斬りつけるように。


 ゆらり、とレインパースは立ち上がった。短くない前髪に隠れて目元が見えない。猫背気味の正面に剣を構える立ち姿は、決して普段の彼女のものではなかった。


「れ、いん……?」

「いや、いやよ……」


 困惑しながらもヴァイラムも立ち上がる。そして条件反射的に剣を構えた。目の前の相手が剣を向けてくるのなら、彼も戦闘を辞さないと。


 しかし、彼女は彼の婚約者なのだ。


「いやあああああ!!」


 レインパースは慟哭しながらヴァイラムに斬りかかった。

 構えも何もなかった。普段の彼女からは考えられないほど精彩を欠いた突進だった。ただ剣を構えて走っているだけ。お粗末な動きは、しかし。


 ヴァイラムの間合いに入った途端に全く変わった。


「!?」


 初撃。上段からの斬りかかりをヴァイラムが剣で受けた時だった。ヴァイラムは力比べに持ち込んでレインパースを拘束するつもりだった。

 だのに、彼女の剣がまるで蛇のように蠢いた。ぬるり、とヴァイラムの剣をすり抜けて、その高さのついた一撃は速度を衰えさせなかった。


(避けられない……!?)


 一瞬。


 レインパースの剣が動きを止めた。


 その隙にヴァイラムは後退する。チリッと彼は僅かな痛みに顔を顰めた。避けきれなかった。左手の手首のあたりの皮を擦り斬られたのだ。


「いや、お願い……」レインパースはゆらり、とまたも猫背に構える。「……お願いだから止まって……!」

「レイン。意識が、あるのか……?」


 ヴァイラムは彼女から大きく距離を取って言った。


 最初は悪魔付きだろうかと思った。悪魔に身体を乗っ取られたのかと。

 でも多分、違う。レインパースは自分の意識をまだ持っているし、先程はヴァイラムのために一瞬剣を止めてくれた。言うことの聞かない身体に抵抗しているのだ。


 では一体、彼女に何が起こっている……?


「レイン」


 ヴァイラムは覚悟を決めた。正中に剣を構えて腰を落とした。


「いやぁ……」

「レイン」

「お願い……」

「レイン」

「やめて、やめて。動かないで……」


「レイン!」


 だっとヴァイラムは床を蹴った。血に染まった大理石の床があまりの力に破裂した。

 恐ろしい速度でレインパースの懐に潜り込んで、彼は言った。


「……すまない」


 斬撃の直前、ヴァイラムは剣を裏返した。


 片刃の直剣。反対側には刃が付いていないのだ。しかし殺さずに峰打ちで気絶を狙おうと思えばそれ相応の技術がいる。


「あ……」


 彼は崩れ落ちるレインパースの身体をそっと抱きかかえた。血の湖に沈めるにはもったいないくらい愛おしいから。


 難儀を簡単に成し遂げて、ヴァイラムは目元に影を落とした。腕の中には気を失ったレインパースが静かに目を閉じている。もう一度だけ強く抱きしめて、彼は言った。


「すまない、レイン……どうかおれを許してくれ」







 こうしてレインパース・レイピアは王国を追放された。

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