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狂い始めの刻(1)

 レインパース・レイピアは普段滅多に赴かないところへ訪れていた。彼女が居を構える王国の王城、その地下深くであった。今のレインパースは王城ぐらいであれば自由に出入りができるのだが、そこは違った。


 その地下にほとんど行かないのは、そこが儀式場だからだ。古くより大切なことがらを行う祭壇。


「魔術、だなんて眉唾でしょうに」


 レインパースは誰にも聞かれないように静かに呟いた。大切な慣習──しきたりを重んじない発言を聞かれては問題になる。


 そこは地下とは思えないほど明るい場所だった。同様に、地下とは思えないほど広い。真っ白な大理石でできたただ広大なだけの空間で、中央の床にだけ、意味ありげな円模様が描かれていた。黒子がその紋様に参列者が近づかないよう見張っていた。


「そこのあなた」


 レインパースは黒子の一人に話しかけた。彼ら宮殿警備兼重鎮護衛の黒子たちは、そこらにいる文官や令嬢たちと違って、こんなにも高揚を誘う場でも落ち着いた物腰だった。


「はっ」と黒子は呼びかけに応じた。

「私の婚約者はどこかしら」


 黒子はしばしの逡巡の後に口を開いた。


「はっ。第二王子殿下は未だ遠征より帰られておりません」それから周囲を見回して耳打ちするように、「殿下がここに居合わせれば、『召喚の儀』はただちに取りやめになるでしょう」

「それもそうね。あの人、『勇者は俺一人で十分だ』なんておっしゃりますもの」レインパースはクスクス笑った。「遠征ではどちらに? やはり、最近巷を騒がせている天国山の竜かしら」


 黒子は今度は即答した。


「竜ほど危険な任務は任せられません。かの神獣の討伐は用意周到な準備のもと、国軍によって行われるでしょう。殿下が向かったのは『高貴の森』です」


 レインパースは今朝の新聞を思い出した。天国山に姿を見せたドラゴン、スラム街(イーストエンド)での強盗事件、そして『高貴の森』の生態系の乱れ。


「シャーウッドの森。調査遠征ね。危険ではあるけれど、竜と比べれば安全かしら」


 レインパースはもう一つ、聞きたかったことがあったのを思い出した。


「そうだ。ところでどうして従者を連れてはいけないのかしら」


 黒子はまたも即答した。彼らは基本レインパースら貴族への従属者である。先ほどのしばしの言い淀みすら、彼の中では汚点になっているのだろうか。


「はっ。ここの存在はそれほどまでに秘されるべきだからです。しかし、従者がいずとも御身は我々が命に代えても守り抜きます。不安ですか?」

「ええ。少し」


 黒子は特に気を悪くした様子もなかった。


「どうかご安心なさってください。召喚した『勇者』が暴れた場合ですが、我々で敵わなければ従者の一人や二人など取るに足りません。また我々が貴方さまたちを罠にはめて殺すつもりでも、やはり取るに足らないでしょう。その時は大人しく観念するしかありません」


 黒子なりの冗談である。ブラックジョーク。レインパースはまたもクスクス笑った。


「ふふ、全然安心できないわ。でもあんまりメイドリーを悪く言うのはやめてね、彼女は最高のお付きなんだから」

「はっ」


 黒子が再度頭を下げた時だった。意味ありげな円模様(俗に言うならば魔法陣? なのだろうか)の中央で何やら床を触っていた大人たちが立ち上がった。大人たちはテキパキと指示を出し、レインパースもその場を離れるように言われた。


 国王陛下が仰られた。レインパースの婚約者──第二王子殿下の父親。レインパースらとは比べ物にならないほど多くの護衛に囲まれる彼は、大人たち科学者の合図を確かめて、両手を挙げた。


「今日はよく集まってくれた。我が代のブリテンにおいて、今日ほど重要な日はあるまい」


 白々しい、とレインパースは思った。まるで校長先生の挨拶だ。思ってもないことを、慣習だからと、当たり障りのない言葉でやり過ごす。


(今日ほど無価値な日もそうないでしょうに。どうせ異世界から勇者なんて召喚できないのに、国の中枢を担う人々の時間をこんなにも奪って)


 魔術、という言葉からして聞き慣れない。タネも仕掛けもある宴会芸ではなくて本物の魔術だなど。最近ではアレイスター・クロウリーなんかの例を出すまでもなく、伝説上の魔術師メディアやキルケーなんかの実在も否定されている。


 それでも霧の都ロンドンである。全てを覆い隠す霧に包まれる都市を隠喩とし、ここを『魔術の都』、『秘密の園』と呼ぶ声も少なくない。事実、レインパースだって馬鹿馬鹿しいと思いながらもきちんと慣習に従っていた。


「それでは、そろそろ口上に聞き飽きてきた頃合いか。さっそく儀式に移ろうではないか」


 国王陛下は長々とした話を切り上げて、近くの黒子に指示を出した。参列者はさらに円模様から離れさせられて、大人たちが真っ赤な液体で紋様を付け足していく。


 あれは、なんだろう。血? 絵の具にしてはどす黒く水にしては粘性のある液体は、真っ赤。


 得体の知れない緊張感が漂ってきた。どくん、とレインパースの心臓が跳ねる音がする。ありえないモノに、大人たちが真剣な表情で向き合っている。周りを見回してみても誰もその様子を不思議がっていない。


 メイドリーが居たら多分もっとマシだった。レインパースが「なにあれ、こんなことに真剣になるだなんて滑稽ね」と笑えば、きっとメイドリーも笑ってくれた。


 でもここに彼女は居ない。レインパースの友達も居ない。居られるのは厳かな文官たちと浮かれる令嬢たちで、彼ら彼女らも今だけはどうしてか真剣な表情で、レインパースに疎外感を与えてくる。


 静かで、誰も言葉を発さなかった。聞こえるのは床に真っ赤な液体が塗られるべたべたという音と、震える奥歯が立てるカチカチという音だけだった。


 異様な空気の中で、この場で唯一発言を許されている御方が仰った。レインパースは救われたような気持ちになって面を上げた。


 だけれど、御方は絶望の宣誓を行うのだ。


「我、ブリテンの歴史における些末なひと時を担う者なり」


 一時期は世界の半分を統べた『日の沈まない国』ブリテンの国王陛下が自分を卑下することなど、滅多にない。あってはならない。国のトップである彼が自分を指して『些末なひと時を担う者』だなんて言ってしまったら国民に示しがつかない。


(なに、あれ)レインパースは目の奥の光を消した。(天下のイギリス王室が、一体何に(へりくだ)るというの?)


 詳しい作法はわからなかった。台本があるわけでも、何かをしろと言われていたわけでもないから。今日のレインパースの仕事はただ見守るのみである。彼女の目前では、なにやら霊的な、魔術的な記号の制作が行われているのだろうか。


 やはり長々とした国王陛下の口上の末。いや、それは『詠唱』だったのだろう。


「……故に、ここに召喚せられよ。我が国の行く末を担う勇者なれば!!!」


 決して見間違いなどではなかった。


 大理石と血で描かれた文様が淡い光を発していた。その薄氷色の光は国王陛下の言葉で一層光を強め、一瞬を経て、パッ、と一際強い光を放つ。


 レインパースは瞬きを繰り返した。強烈な光で焼かれた網膜がだんだんと視力を取り戻す。ちかちかと頭上を泳いでいた星が自己主張を弱めていく。


 果たして、魔法陣の中心には男がいた。


(魔法陣の中心には男がいた?)







(『召喚』が成功した、の……?)







 レインパースは瞬きを繰り返した。働くのを辞めていた脳髄にだんだんと血が巡る。現実を受け入れられない瞼が、何度閉じればあの男は消えるのだろうか思案し始める。


 十数度目の瞬きの後、それでも目の前に佇み続ける男にレインパースは悟った。これは夢ではない。


 男の顔はこちらからではよく見えない。そこまで高くはない背丈と黒髪だけが印象的だった。


 国王陛下はわかりやすく喜色の笑みを浮かべて『勇者』に向かった。


「よく来られた! 我が国はそなたを歓迎しよう。何が欲しい。申してみよ、天地を駆け巡り叶えて見せようぞ」


 金か、女か、栄光か。


 レインパースはやはり、気味の悪さを感じた。繰り返しになるが、彼は天下のブリテンの国王なのにどうしてこうも下手に出ているのだろう?


 男の声は存外ハスキーだった。だけれど、レインパースにはそれがどうしてか、獣の唸り声のように聞こえた。ぐるる、と。


 顔も見えないのに、その口の奥に眠る犬歯が見えるようだった。


「帰還を」男は言った。「お……ぼくが望むのはそれだけだ。どうすれば帰られる?」


 意気揚々としていた王様は口籠った。空気が変わった。じろり、と男が王様を睨みつけている。王様の額に汗の玉が浮かんだ。


 逡巡ののち、国王陛下は仰られた。


「そなたがもとの世界に帰る方法だが、今は伝えられない」


 果たして、『勇者』はどう思ったのだろう。


 レインパースなら国王陛下の言葉を信じない。本当は帰る方法などないのだ。ないのだけれど、『ない』と言ってしまったら勇者の協力が得られないから、苦し紛れの嘘をついたのだと。


 ここで、レインパースは驚くほど状況に順応している自分に気がついた。


 勇者の返答は簡潔だった。


「そうか」


 勇者は自分の姿を見下ろした。それからあたりを見回した。その時に初めて、レインパースは彼の瞳が綺麗な碧眼なのを見た。


 勇者の腰には剣があった。現れた時からずっと腰にさされている剣。それにちらりと視線が向けられた時だった。


「……そうか」


 哀惜を呟く勇者を、黒子たちが一斉に取り押さえにかかった。全員で袋叩きにしようとした。



 最初に飛んだのは一人の黒子の首だった。



 いつのまにか、勇者が剣を振り切っていた。


 切断面──黒子の首から血潮が噴水のように飛び出した。それは遠く離れていたレインパースの側まで真っ赤に染めた。ぴしゃ、と渇いた音を立ててレインパースの頬にも。


 おそるおそるレインパースはそれに触れた。粘性の強いぬめりとした液体。頭が通常に働かなかった。赤色を赤色と認識できなかった。まるで子供のようにぺたぺたと飛散した血の検分を繰り返していた。


 多分、ひどい表情をしていたと思う。真っ青で返り血を浴びていて、途端に現実に引き戻されて。


「きゃああああ!」


 次に飛んだのは別の黒子の四肢だった。


 その次は首。


 次は胴体。


 千切っては投げ千切っては投げ。レインパースの眼前で、もはや斬られるために向かっているのではと錯覚するほど鮮やかに黒子たちは殺されていった。英国が誇る最高戦力、王室護衛(ロイヤルワラント)の任も承る部隊が。


 あたりが血と臓物と、動かなくなった首と人間とで埋まるまでに五分とかからなかった。


 ひっ、と。


 誰かが悲鳴をあげて倒れた。レインパースだってできるものなら失神したかった。でも彼女の頭の冷静な部分がそれを許してくれなかった。


(勝てるだろうか? いや、いやぁ無理よ! ……めいどりぃー……!!)


 次の瞬間腰が抜けた。護身用に持っている剣に手を触れたが、立ち上がれるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。


 さて、虐殺を為した『勇者』は陛下の前に立って言った。


「もう一度だけ問う。どうすればお……ぼくは帰られる?」


「あ……え……」


 陛下も自失しておられる様子だった。


 『勇者』は近くにいた文官を殺した。


「ひいっ!」


 陛下が悲鳴をあげる。


 『勇者』は懐からナイフを取り出して投擲した。三本のナイフはそれぞれ三人の令嬢の頭を貫いた。


「ひっ……」

「何度も言わせるな。あるのか、ないのか。もう、それだけで構わない」


 陛下はしばらく何も言われなかった。『勇者』は虐殺を繰り返した。


 最初は百数人はいた大広間にはもう十人も生き残りはいなかった。代わりに、夥しい量の死臭と血が漂う。いまもう一人、令嬢が殺された。


 誰もその場を動けなかった。レインパースはもちろん、他の生き残りや陛下も。


「言う! わかった、教える! そなたがもとの世界へと帰る方法は──」


 ぴたり、と『勇者』が手を止めた。機械的に人間を殺していたその手を。


 奇しくも、それはレインパースの首筋に当たる直前だった。ぴたり、と。あと数センチ剣が振り抜かれれば、レインパースの首は飛んでいた。


「──ない」


「そうか」


 『勇者』は陛下のお言葉に無感動に頷いた。

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