第0話
罰が当たったのだと思う。
ある日の午後だった。私は物書きをしていた。普段からよく読む方だったが、物を書こうと思い立ったのは初めてだった。
簡単だと思っていたそれは存外難しいものだった。何かが足りないのだと私は気付いた。物を書くに当たって重要なのは何だろう。それが足りないから難しいのだと思った。
欠陥は欲求だった。
私は楽しいから書いているのではなかった。書きたいから書いているのではなかった。
たびたびこういうことはあった。目的と手段の混同、というか。目的は人生を楽しむことで物書きはその手段であったはずなのに、どうしてか、私はそれを違えていた。あまつさえ、いつから違えていたのかと言うと、きっと初めから違えていたのだ。
つまり、私は褒められたかった。
認められたかった。承認欲求。誰かが日の目を浴びているところを見ると嫉妬に駆られた。そのたびにその誰かに成り代わりたいと思った。私の憧憬の矛先は何度も変わった。ある時は話の上手な同級生になりたいと思い、またある時は成功している投資家になりたがった。何にでもなりたいと思えるのは、何になるかにこだわりがなく、ただ褒められたいと思っているからだ。
褒められるために書く。
認められるために書く。
求められるものを書く。
大成する者は違うのだろう。私には無理だったというだけの話だ。書きたい世界があり、思うままにそれを綴れる男が私は羨ましい。私はこんなにも苦労して良い物を作れないのに、彼らの欲求は容易くそれを為す。
渇望が欲しい。
今、齢は三十を数えようかといったところだ。傍目にも思想の硬直を感ぜられる。私にも思うがままに人生を貪っていた時期がある。その時に、思うままを書き綴ることができていたならば、それはきっと良いものになったのだろう。求める者には姿を見せない気まぐれな動物は、きっと、慈悲の心など持ってはいまい。
そんなとき、私は一つの日記を見つけたのだ。
私の住むところはありふれた借宿だった。持ち主の管理も杜撰なもので、恐らく前の居住者の忘れ物だろう。それは引き出しの奥深くに眠っていた。
欲求と渇望とともに、眠っていた。
きっとそんな物を拾ってしまった時だ。私の末路が決まったのは。