そして敗北令嬢は過去へ飛ぶ(3)
投稿時間を間違えていたので手動で投稿させていただきます……
おちていく。少し散歩に出かけるような軽やかさでシエルサは、ただまっすぐにおちていく。真上に見える満月がうつくしい、と思いながら体にかかる重力に身を任せていた。
ゆっくりと目を閉じてまた開いて。それを繰り返しているうちにだんだんと眠くなってきて……シエルサは眠るように意識を失った。
次に目を開いたのは、なにやらふわふわしたものに囲まれているなあとシエルサが感じたあとだった。
陽の光は見えず、代わりに床や壁や天井が辺りを照らしている。よく目を凝らすと、床は光っている訳では無いらしい。
「反射しているのね……」
床に敷き詰められた糸が1本1本光を反している。髪の毛よりも細く柔らかく、それでいて簡単にはちぎれない素材だ。いったいこれはなんだろうか。
謎は他にもある。
「おそらく、あの崖から落ちた先なんでしょうけど……。それならどうして天井があるのかしら」
1番の謎なのは、それだ。落ちてきたはずなのに天井がある。別の場所まで転がり落ちたのか、シエルサは何かによって運ばれたのか。
広いホールのような空間は、どこかに向かう道があっても、坂道ではない。
もしこれが運ばれたとするなら、シエルサは歓迎されているということでいいのだろうか。
「いったい、どうすれば……」
垂れ落ちた自分の髪を手にしてシエルサは俯く。はぁ、とついたため息は思いのほか大きく響いた。
そのシエルサにぬぅっと影が被さった。
「……なにをため息をつくことがある」
「だれ!?」
後ろからの急な声に、シエルサは慌てて後ずさる。後ろにいたのはひとりの男だった。おそらくこの男があのテノール声の持ち主だろう。着ている服は素肌の上から1枚羽織っただけのバスローブだろうか。女性のように長い髪を持ち、鋭い目付きでシエルサを睨みつけている。シエルサはその男の姿をじっと見つめていた。
正確には、彼の耳の少し上にある……角を。
「ひと、じゃない……?」
シエルサは思わず口からとび出たその言葉に驚き、あわてて口を塞ぐ。失礼なことを言ってしまった。そう考えるシエルサに男は顔色を変えずに問いかける。
「ここに何がいると聞いてやってきたんだ?」
「え、竜神、さま……!?」
ぺしんっ。
「それ以外に、なにがある」
ぺしんぺしんっ。
たしかによく見れば長い髪はなめらかな銀色であり、その瞳は澄んだ蒼色だった。光の反射で色があるように見えたのだ。
ぺしんっ。
そうすると角が生えている理由も納得がいく。その男──竜神はシエルサに合わせて仮の姿をとっていたのだった。
「いえ、あの……竜神さま?」
「なんだ」
ただ、やけに気になることがひとつ。竜神の後ろにあるしっとりとしたそれから目を離さずに問う。
「それは、尻尾、ですよね?」
「そうだ」
「なぜ先程から、ぺしぺしと動かしているので……?」
「それはな」
シエルサはごくっと息を飲む。なにか、竜の習性のようなものなのだろうか。敵が迫っているなどの合図だろうか……。
その期待を裏切り、シエルサにむかって真顔で言い放つ。
「お前が気に食わんからだ」
どんっ、という効果音がつきそうな、いや、ついたに違いない顔で竜神はそう口にする。それは竜神にとっては何気ない一言であり、どちらかと言えば違和感を感じたに近い意味合いであったのだが、シエルサはきゅうっと手を握りしめ、震え始めた。
気に食わない。それは、シエルサにとっては神に捨てられたも同然。一気に空気が重くなる。
シエルサの頭の中を、なぜ、どうしてという言葉が巡る中で、にょきっとひとつの感情が首をもたげた。怒りである。
「……っ、どうして初対面でそんなことを言われなきゃいけないんだっ!!」
普通ならここで悲しんだり申し訳なく思うものだけれど、現状シエルサの心の中で最も活発な感情なのは、怒りなのだ。それ故に怒りという感情だけが活性化して、抑制するはずの理性も仕事を放棄していた。
「わたしは、あなたに会うためにここまできたのにっ! なぜ!」
「まあ、どうでもいいからな」
ずずいっと顔を竜神に近づけてシエルサはなおも言い募る。
「どうでもいいだと!? そもそも神のくせに引きこもっているあんたはなんなんだっ!」
「……ああ、あの本を読んだのか」
「ああ読んだとも! あんたの友人とやらが書いた建国記だろうっ!?」
「面倒なものを残しやがって……」
顔を背けて舌打ちをする。顔と顔の距離が近いからか、その角はシエルサのおでこにべしんとぶつかった。シエルサはおでこを抑えてずるずると地面へ沈みこむ。人の形をとっているが、それは竜の角。硬さは折り紙付きだ。
「〜〜っ!!」
「ああ、わるい」
あっけらかんとしている竜神を前に、シエルサは涙目で睨みつけるしかなかった。